ドラマ「ビギナー」に見る歪んだ哀しみ

2006-10-04 02:45:55 | レビュー系
ビギナー」というドラマをご存知だろうか。簡単に言えば、色々な来歴を持つ人間が司法修習生として集まり、事件などを庶民的な視点を持ちながらも法律家の立場に立って考えるという内容だ。ここでは、その中に登場するとある殺人事件の扱われ方を取り上げたい。なお、先に言っておくと、その扱い方が欺瞞に満ちていると考える理由などについて述べていくつもりだ。その事件とはおよそ以下のような内容である。


慎ましく暮らしてきた初老の夫婦がいたが、双方の持病と妻の脳溢血(だったか)で仕事を無くした二人は上京するも、全財産の入ったかばんを無くし放浪。やがては妻が動けなくなり、夫は最後の金で好物のあんぱんを買ってやり、妻が水を欲すると水をあげてみたらむしろそちらをおいしいおいしいと飲んだという。そして死を望む妻を手にかけた…


このエピソードは、犯人を自分の都合で妻を殺した人間と考えていた桐原が泣くという展開から考えれば、哀しい話として、ある意味で「美談」として描かれているのは間違いないだろう。しかし私はそこに大きな欺瞞を感じる。なるほど確かに、人とは現実にはこういった哀しみ・愚考・限界などの中に生きているものだが、この話が一種の「美談」として扱われているのはやはり奇妙なことだ。


ところで、この話の中で桐原は犯人の法的知識の無さを責め、「知っていればそんなことにはならなかったのに」という類のことを言っている。ビギナーではこういった「知らない罪」を非難する見方が登場し、それは最終的に否定されるような内容になっている。「知らない罪」という見方が理論的には正しいとしても現実には無理な注文だと思うから、この扱い方に私は異論は無い。だが、本編では(意識的にか無意識的にかは不明だが)扱われないより大きな問題が潜んでいる。それは「知ろうとしない罪」(この場合は「求めない罪」と言っても良い)である。始めから知識があることを求めるのは無理な注文だとしても、それを求めようとする姿勢を持つのは誰にでも可能だ。そしてそういった姿勢がわずかでもあれば、この事件は防ぐことができたのではないかと思う。例えば警察に駆け込みはしなかったのだろうか?病院は?役所は?人には助けを求めたのか?etc...このように、どこにでも助けを求めることはできたはずだ。だが、記憶の限りでそのような様子は無い。ならばそれは少しも必死の行為とは言えないだろう。あるいは「古い時代の人だからそういう発想が無い、もしくはそういう行為を恥と思っているのでは?」という意見が出るかもしれないが、それに対してはこう言おう。「つまり助けを求めようという気持ちがその程度しかなかったか、もしくは妻の命より恥を優先したのだ」と。彼が妻を手にかけたのは哀しい行為として扱われているのだが、こう考えると哀しいどころかむしろ「懸命さが足りない」とさえ言えるだろう。


ここで忘れてはならないのは、夫だけでなく妻もまた窮地に陥っているという事実だ。もし本当に妻を助けたいと思っていたのなら、なりふり構わず周りに助けを求めたはずである(妻が明らかにそれを望まなかったというならまだ話はわかるが、そんな描写はどこにもない)。自分の信条なりで自滅するのは個人の勝手だが、それによって妻が死ぬというのなら問題だろう。もし夫が必死に周りに助けを求めていたら、妻は助かっていたかもしれない。それを考えると、妻をその状態まで追い込んだ一因は夫に助けを求める姿勢が欠如していたことにあると言える。そんな人間が妻を手にかけたからと言って、(桐原のように)涙を流すべき話だろうか?そんな「美談」だろうか?私はまったくそう思わない。


現実として人間が多くの限界や愚かさを背負って生きているのは確かだが、そのことは以上述べたような事件を「美談」のように扱うことを正当化しない。人一人が死んでいる以上、「知らない罪」の追求が不当だとしても「知ろうしなかった罪」は非難されるべきであった。しかしそこには触れないまま、こういった行為を「美談」であるかのように語ってしまうところに、「一生懸命さ」とか「思いやり」に対するどこかズレた感覚が表れている、と見るのは少々穿ちすぎであろうか。


本当の懸命さというのは、どうすれば事態が解決できるかを必死に考えることであり、ただ自分でどうにかしようとすることや、まして少ない金で好物を買ってあげ満足した人を手にかけることを懸命とは言わない。要するに本編での夫の振舞は、「美談」であるどころか単なる愚か者で懸命にすらなれない人間の末路だ、と言えるだろう。そして真に問題なのは、そういったありえない行為を「美談」として語る心性、ないしは「美談」と受け取る心性にある、と私は思うのである。
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