韓国にキリスト教が広まった要因

2006-10-02 23:37:59 | 宗教分析
とりあえず関連の論文を一つ読んだが、20ページ程度の簡単なものなので深いところまではわからなかった。とはいえ、前に「韓国へキリスト教が広まった理由がわかったら連絡を…」というコメントをいただいたので、とりあえず中間報告的に書いておくことにする。

(要約)
まず、韓国も日本と同じくキリスト教が弾圧されている。例えば1896年までの百年間、「西教禁止令」によってキリスト教は禁止されていた。朝鮮総督府の支配下では独立運動の中心をプロテスタント及びカトリック信者が担ったこともあり、やはり弾圧を加えられた。しかしながら信者数は増加の一途を辿り、例えば1919年に19万名だったのが1938年には26万名に達した。この時の拡大の要因は、キリスト教が「苦難の民族」を救い導くものとして受け入れられたことだった。詳しく言えば、自分達の苦難の歴史を旧約聖書のユダヤ人の経験と重ね合わせ、キリスト教が民族の苦難を意義付けその救済に関わると考えられたのであり、朝鮮戦争などもこの文脈で捉えられた(これを「苦難の神義論」というそうだ)。

その後の独裁政権下ではいくつかのキリスト教会が反独裁、民主化闘争の中心となり、独裁からの解放以後には急増している(1970年にはプロテスタントだけで300万人を超え、人口の10%以上を占めるようになる)。そして90年代にはクリスチャンであり民主化闘争のリーダーであった金泳三、金大中が大統領となり、「キリスト教は、韓国の新たな支配的宗教としての地位を確かなものにした」。


(感想など)
韓国へのキリスト教拡大に関する記述はこれで全て書いたつもりだが、見てもらえばわかるとおり多くの疑問が残っている。例えば、キリスト教が苦難の救済に関わるものとして人々の精神の支えとなり抵抗運動にも大きな役割を果たしたというのはわかるが、解放後に急増した要因ははっきりしない。いちおう独裁と闘ったキリスト教が解放の旗印として人々の支持を得たという可能性が推測できるが、ここはより多くの判断材料がほしいところだ。また、この論文では日本と韓国を対比し、戦後の日本にキリスト教が広まらなかった理由を新宗教への傾倒に求めているが、なぜ新宗教に流れたのかという点については全く考察がなされていない(人々の意識が勤労に向かったという指摘は的を射ていると思うが)。以上のように疑問点は多々残っているが、とりあえずは韓国の宗教状況に関する基礎知識が得られたので良しとしておこう。
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考察 (3かん)
2009-02-08 02:34:15
初めまして。

今回考察された内容が私的にとても興味のあるものでしたので、一言コメントをさせてください。

韓国に急速にキリスト教が広まった原因として、政治的な役割や民族的な団結を主な理由として考察されている点については、私もとても共感できました。

一方で、その後にも述べられていますがそれだけでは不充分だと思われます。私はこの現象の大きな要因として先天的な原因があるのではないかと思っています。

民族性というと少し語弊があるかも知れませんが、それに近い要素だと思います。

実際に私が数年間韓国に滞在したときのことです。そこでクリスチャン(キリスト教徒)の方と話したことがありました。話の内容を聞くと、敬虔な信者の方だと思っていたのですが、一方でそれに伴う行いが殆どありませんでした。つまり虚栄心によって信仰が保たれている状態でした。

今の韓国はこれに非常に酷似していると思います。何か欠点があるとそれを補うために優越性を主張する、例えば韓国は昔から官僚を輩出する階層である両班が中心となっていました。しかし戦後この体制が崩れると、あらゆるところから自分たちの家系を両班だと主張するようになってそうです。ここから劣等感やコンプレックスが非常に強かったことが分かります。

キリスト教が韓国に広まって以降、キリスト教徒=近代的で他の人よりも優越を感じることができる。キリスト教徒が多い=西洋に負けないキリスト教国家といった虚栄心が大きな役割を果たしているのではないでしょうか。

一度ご検討をお願いします。
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「ブランド」としてのキリスト教 (ぎとぎと)
2009-02-09 00:19:28
コメントありがとうございます。


この記事から考えると、キリスト教が韓国においては一種のブランドのようになっているようですね。キリスト教が果たしてきた役割も含めて興味深いところです。


逆に言えば、キリスト教の広まりは「ブランドイメージの効果」として捉えるほうが適切で、「民族性」という言葉を用いるのは誤解を招くため、避けた方が無難でしょう。


例えば日本においては、武家社会が崩壊した後で、平民たちが家系図を用いてかつては由緒ある家柄だったなどと吹聴するような人たちがいたようです(「家系図ブーム」などというのも聞いたことがあります)。これは3かんさんがおっしゃる両班の例とほとんど同じではないでしょうか。


要するに、そういった権威付けや虚飾はより一般的なレベルで行われており、ゆえに「民族性」という表現には問題がある、ということです。また、上記の説明ですと「日本においてはキリスト教は近代的だと思われていないのか、思われていないとすれば何故なのか」という問題も出てくるように思います(エホバの証人に関する輸血の問題やら宗教アレルギーやら…)。


歴史系の出身なのでそのあたりは非常に気になりましたが、キリスト教がブランドとして受け入れられているのはやはり非常におもしろいところです。というのも、それは教義よりも社会的役割・ステータスが重視されているということであり、そこから独立運動などで培われたプラスイメージの強さを感じさせるからです(もちろん、3かんさんのおっしゃるように西洋由来の宗教というイメージの持つ効果も重要だと思います)。とするなら、例えば二次大戦中に日本のキリスト教会・教徒が取った行動と韓国のそれとの比較を通じてキリスト教の普及レベルの違いを説明することはますます有効性があるように思われます(これに加えてGHQの政策―マッカーサーは共産主義対策もかねてキリスト教を日本に広めようと考えていたが、GHQはそれに反対した―の影響なども考察していく必要があるでしょう)。


いずれにしても、3かんさんの記事で非常にインスピレーションが湧きました。ありがとうございました。
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Unknown (3かん)
2009-02-09 16:07:56
返信ありがとうございます。

この事象を帰納的に説明する上で「ブランド的思考が基盤となっている…。」と考察されましたが、なかなか的を得ているなと思います。

他と明確に差別化できる「ブランド」はやはり一つのアイデンティティとして現在の韓国でも確立されています。

日本の「家計図ブーム」というのは初めて聞きました。日本でもかつてそのようなことがあったのですね。

そこで権威付けや虚飾によるキリスト教の急速的な布教と民族性の関係について説明が不足していましたので、少しそのあたりを述べたいと思います。

私がこの事象を考える上で民族性を持ち出したのは、韓国人が他民族よりも国粋主義者が多いことから推察しました。確かに国粋主義者は一般的にどの国にも存在しますし、一般化の可能性は否定できません。

しかし韓国は国レベルで愛国教育が行われいるため、自分たちの国を基準に物事を考えることしかできません。さらに自分たちの経験を普遍化しそれを排他的に押し付けます。

このような国の特徴として同民族間のつながりが強いことが挙げられます。キリスト教が布教し始めた頃は、当然多くの反発がありました。しかし、一度受け入れられると「トロイの木馬」のごとく一瞬にして広がっていきます。普通の国ならば布教に1年かかるものを、同民族のつながりによってそれが数ヶ月で受け入れられてしまう。この時期にナショナリズム運動が強かったことも一つの要因だと思われます。

このようなことを包括した「民族性」が韓国のキリスト教布教の大きな原因だったのではないでしょうか。

ぎとぎとさんのブログでこのような記事に出会い考えを共有できて本当に嬉しく思います。これからも興味深く読ませて頂きます。
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Unknown (ぎとぎと)
2009-02-12 01:50:46
返信が遅れて申し訳ありません。


キリスト教が「小中華主義」などと呼ばれるナショナリズムを補強するものとして広がった、ということですね。そう考えると、同じく「小中華主義」が存在していたと言われる日本で、政府主導の国家神道がそれを補強する役割を果たしながら、大戦の終了によって否定されたのと非常に対照的で興味深いところです。


なるほど隣人愛といった教義との兼ね合いも考えなければなりませんが、時代や地域によって宗教の捉えられ方(どの部分がクローズアップされるか)が変わるのも事実…


3かんさんの記事、以降の考察で参考にさせていただきます。ありがとうございました。


※前回の記事の訂正です。
「平民たちが家系図を用いて」

「平民たちの中には家系図を用いて」
となります。内容が不鮮明になってしまい、申し訳ありませんでした。
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Unknown (3かん)
2009-02-14 02:29:12
返信ありがとうございます。

自分でも頭の中で知識をうまく整理できず、ただ思ったことを羅列しただけで、失礼な文章になってしまった気がします。本当に、申し訳ありませんでした。

これからはよく考え、理解し整理した上で書きたいと思います。

何か良い方法があれば教えて頂けると幸いです。

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Unknown (ぎとぎと)
2009-02-15 00:41:35
返信ありがとうございます。


>自分でも頭の中で知識をうまく整理できず、ただ思ったことを羅列しただけで、失礼な文章になってしまった気がします。本当に、申し訳ありませんでした。


とんでもないです。むしろ非常に丁寧な文章だったと思います。というか、もし私の返信の遅れによって3かんさんがそのような印象を抱かれたのでしたら、こちらこそ申し訳ありませんでした。


またの書き込みをお待ちしております。それでは。
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