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君が望む永遠と「生活」:妊娠イベントの特殊性から

2006-07-17 20:55:07 | 君が望む永遠
本来恋愛ゲームにおいて、妊娠というイベントはご法度である。その理由は(容易に想像のつくとおり)生々しくてヘビーなものだからである。


だから例えば、結婚や妊娠が出てくるとしてもエンディングの内容であったり、あるいは妊娠したことでバッドエンドになるといったものになるわけである。これを言い換えれば、「結果としての妊娠」となるだろう(※)。


しかし君が望む永遠は、それと違って「過程としての妊娠」が登場する(それこそ、先に述べた遥妊娠イベント及び「茜妊娠エンド」ルート)。妊娠から急転直下でエンディングに到るのではなく、そのことを知らされ、苦悩し、選択する一連の過程がしっかりと描かれるのである。


その具体的な内容はともかく、重要なのはそういった型破りな内容を君が望む永遠が取っていることにあると思う。こういった点に君が望む永遠の特徴の一つである「生活の生々しさ」が表れているからだ。このことを念頭に置くと、「優柔不断」などといった批判がいかにも軽く思えてくる。それらは所詮、恋愛ゲームの範疇でしか物事を見ていないからだ。そうして物語の重み・深みを把握できていないことが、「感情移入」「共感」という基準とともに君が望む永遠の真価を理解するのを妨げていると言える(※2)。



ついでに言っておけば、「前提としての妊娠」がテーマ(あるいは重要な鍵)となっているゲームも稀にある。私の知る限りでは、「元カノが妊娠した!?」というところから始まるドタバタ劇を描いたオーバーフローの「ら~じPONPON」、登場人物の一人が始めから妊娠しており、それを絡めた精神的葛藤を描いたD.O.の「虜2」がそれに当たる。


※2
とはいえ、この妊娠イベントが非の打ち所のないすばらしいものだなどと言うつもりはない。いやむしろ、妊娠に至る過程自体は(行動の必然性など)かなり疑問を挟む余地があると考えている。これについては、過去ログの君が望む永遠:シナリオ批判を参照してもらいたい。

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