今年度も予算化されており、11月3日(土・祝)に毎年恒例の将軍お鷹狩りウォークが開催される予定です。新年度が始まり、初めに行われる理事会の前に事務局によるコース設定の下見を行っているところです。
今年度は、「出来上がりつつある新国立競技場を眺めて、東京オリンピックへの思いを新たにする」といったあたりを狙いコースを考えているのですが、ラフに計測した感じで12kmを越えてしまいそうな感じなので、端折るところは端折り、なんどか11km以内にとどめる工夫をします。
写真:日比谷公園前交番
写真:東京ミッドタウン日比谷
地下鉄の階段を上がってきて、とりあえず目についた交番で「ミッドタウン日比谷はどこですか」と聞くのでしょう。矢印が水平ではなく上を向いているところが味噌です。見上げればすぐそこにあるのですから。
おまわりさん、毎日市民の安全を守っていただきありがとうございます。些末な指摘で申し訳ないのですが、「ミットタウン」ではなく、「ミッドタウン」です。
写真:日比谷公園のフジ
下見はロングコースから始まります。ロングコースを固めてから、それに関連させるかどうかを含めてショートコースを検討します。ロングコースのスタートは日比谷公園健康広場をすでに確保しており、ゴールも田道ふれあい広場と決まっています。ということでこれからスタート地点の健康広場へ向かいます。
写真:大岡越前忠相屋敷跡
写真:弁護士会館
白山祝田通りを渡ると弁護士会館で、その敷地内にこの看板があります。私の世代だとこちらで暮らしているのが加藤剛で、雪絵さんは宇津宮雅代さんだったのですね。妙さんが加藤治子で忠高が片岡千恵蔵。ナショナル劇場で製作総指揮は松下幸之助さんだったそうです。職場である南町奉行所は有楽町駅前にありました。
写真:東京高等裁判所
写真:47都道府県の花
東京高裁前は時々傍聴のための人が列を作っている場所です。桜田通りの交差点付近には花のプレートがありました。茨城県の花が「バラ」とはちょっと意外です。そのほかを見ると県の木が「ウメ」、県の鳥が「ヒバリ」のほか、県の魚が「ヒラメ」とあります。それらは茨城県らしいかな。
写真:陸奥宗光像
写真:国会前庭和式庭園
陸奥宗光像は霞が関坂を上りながら外務省内に見ることが出来ます。桜の花が終わって、一気に新緑の季節を迎えましたね。
写真:国会議事堂
写真:議員会館
今回は国会議事堂の正門前を通るルートを考えてみました。いつもは国会前庭洋式庭園内にある「日本水準原点」を見るのですが、昨年のアンケートの結果ロングコースはリピーターが多いので、少しルートを変更しました。ちなみに国会議事堂と議員会館は地下でつながっており、国会議員がこの辺りを歩き回っているということはありません。また議員会館と永田町駅、国会議事堂前駅も地下でつながっているそうです。
写真:最高裁判所
参議院議員会館の角から、最高裁判所が見られます。このまま首相官邸を巡れば日本の三権の象徴を見ることが出来るのですが、首相官邸付近はなかなか許可が下りないとか。
写真:参議院議長公邸
写真:衆議院議長公邸
行政の長は内閣総理大臣。司法の長は最高裁判所長官。立法の長は衆参両院の議長で三権の長は4人います。それぞれの職の月給は200万円くらいで同じだということ。
写真:赤坂見附
赤坂見附についてWikipediaから引用してみましょう。
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附、市谷見附などがある。
赤坂見附は枡形門の形式で、これは江戸城の田安門、清水門などと同じである。現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。現在見られる赤坂見附の遺構は、紀尾井町の国道246号沿いに残る石垣である。
この赤坂見附跡の西側には弁慶堀が水を湛え、赤坂見附交差点は国道246号(大山道)と外堀通りの交点となっている。
写真:豊川稲荷
写真:高橋是清翁記念公園
このあたりはこれまでのお鷹狩りで歩いたことがありません。迎賓館や学習院の方を通ることが多く、青山通りはほとんど通らないのです。青山通りは将軍が目黒筋に鷹狩りに来るときにとおった道といわれ、お鷹狩りウォークに採用するには由緒正しき道なのです。
写真:明治神宮外苑杉並木
明治神宮外苑之記碑
石碑の題字 「明治神宮外苑之記」
明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書
撰文 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
石材 東北仙台産の板岩
高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル
碑文の大意
明治45年(1912)7月30日に、明治天皇(第122代の天皇・今の天皇の曽祖父)、大正3年(1914)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治人外苑の造営が進められることになりました。
これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正15年(1926)10月に、明治神宮外苑は完成しました。
苑内には、天皇・皇后御二方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた八十枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの優れた運動施設が設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の身心鍛錬の場として、或は遊歩を楽しむ人々の憩いの苑として、崇高森厳の気漲る内苑と相俟って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。
外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。
大正15年(1926)10月 明治神宮奉賛会 会長徳川家達
銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上古生代の末期(一億五千年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
並木の総本数は146本(雄木44本雌木102本)
四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採取し、これを種木として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数1600本にもなりました。
外苑造苑に当り、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6m内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選択し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです。
直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24m・目通り周り2m80cm、最低17m・目通り周囲1m80cmのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。
この銀杏が苗圃で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、その成長量がいかに偉大であるかを如実に物語っております。
樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしょうが、よき所で、よく育てられ、よき場所に植えられた樹木ほど幸運なものはないでしょう。同じ時期に同じ苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも稀なる幸運な樹木と言えましょう。今後幾百年、これらの兄弟木の銀杏は生長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑々地と融和し、我々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。
平成御大礼の日 之を建つ
平成2年11月12日 明治神宮外苑
写真:新国立競技場
しばらく見ないうちにずいぶん高くなりました。今回これを見てオリンピックへの思いを強くすること、そして参加者自身がスポーツをすることにより健康寿命を延ばすための意識が高くなることが狙いです。
写真:神宮球場
写真:ブラジル大使館
写真:表参道ヒルズ
今回下見をできたのは表参道まででした。表参道からキャットストリートを歩いてもらいたい、富嶽三十六景「穏田の水車」の舞台であることを実感してもらいたいという思いがあります。神宮前小学校の校庭に水車の模型があるのでそれを見ようと試みたのですが、外からは見えないようです。
神宮外苑からどのように表参道に至り、キャットストリートを歩いて、どのように渋谷駅付近を通過するのか。もう一度下見が必要なようです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール
今年度は、「出来上がりつつある新国立競技場を眺めて、東京オリンピックへの思いを新たにする」といったあたりを狙いコースを考えているのですが、ラフに計測した感じで12kmを越えてしまいそうな感じなので、端折るところは端折り、なんどか11km以内にとどめる工夫をします。
写真:日比谷公園前交番
写真:東京ミッドタウン日比谷
地下鉄の階段を上がってきて、とりあえず目についた交番で「ミッドタウン日比谷はどこですか」と聞くのでしょう。矢印が水平ではなく上を向いているところが味噌です。見上げればすぐそこにあるのですから。
おまわりさん、毎日市民の安全を守っていただきありがとうございます。些末な指摘で申し訳ないのですが、「ミットタウン」ではなく、「ミッドタウン」です。
写真:日比谷公園のフジ
下見はロングコースから始まります。ロングコースを固めてから、それに関連させるかどうかを含めてショートコースを検討します。ロングコースのスタートは日比谷公園健康広場をすでに確保しており、ゴールも田道ふれあい広場と決まっています。ということでこれからスタート地点の健康広場へ向かいます。
写真:大岡越前忠相屋敷跡
写真:弁護士会館
白山祝田通りを渡ると弁護士会館で、その敷地内にこの看板があります。私の世代だとこちらで暮らしているのが加藤剛で、雪絵さんは宇津宮雅代さんだったのですね。妙さんが加藤治子で忠高が片岡千恵蔵。ナショナル劇場で製作総指揮は松下幸之助さんだったそうです。職場である南町奉行所は有楽町駅前にありました。
写真:東京高等裁判所
写真:47都道府県の花
東京高裁前は時々傍聴のための人が列を作っている場所です。桜田通りの交差点付近には花のプレートがありました。茨城県の花が「バラ」とはちょっと意外です。そのほかを見ると県の木が「ウメ」、県の鳥が「ヒバリ」のほか、県の魚が「ヒラメ」とあります。それらは茨城県らしいかな。
写真:陸奥宗光像
写真:国会前庭和式庭園
陸奥宗光像は霞が関坂を上りながら外務省内に見ることが出来ます。桜の花が終わって、一気に新緑の季節を迎えましたね。
写真:国会議事堂
写真:議員会館
今回は国会議事堂の正門前を通るルートを考えてみました。いつもは国会前庭洋式庭園内にある「日本水準原点」を見るのですが、昨年のアンケートの結果ロングコースはリピーターが多いので、少しルートを変更しました。ちなみに国会議事堂と議員会館は地下でつながっており、国会議員がこの辺りを歩き回っているということはありません。また議員会館と永田町駅、国会議事堂前駅も地下でつながっているそうです。
写真:最高裁判所
参議院議員会館の角から、最高裁判所が見られます。このまま首相官邸を巡れば日本の三権の象徴を見ることが出来るのですが、首相官邸付近はなかなか許可が下りないとか。
写真:参議院議長公邸
写真:衆議院議長公邸
行政の長は内閣総理大臣。司法の長は最高裁判所長官。立法の長は衆参両院の議長で三権の長は4人います。それぞれの職の月給は200万円くらいで同じだということ。
写真:赤坂見附
赤坂見附についてWikipediaから引用してみましょう。
見附とは主に城の外郭に位置し、外敵の侵攻、侵入を発見するために設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外濠および内濠に沿って36の見附があったとされている。赤坂見附はそのうちのひとつで、他に現在に名を残すものとしては四谷見附、市谷見附などがある。
赤坂見附は枡形門の形式で、これは江戸城の田安門、清水門などと同じである。現在の赤坂見附址にはこの城門は存在しない。現在見られる赤坂見附の遺構は、紀尾井町の国道246号沿いに残る石垣である。
この赤坂見附跡の西側には弁慶堀が水を湛え、赤坂見附交差点は国道246号(大山道)と外堀通りの交点となっている。
写真:豊川稲荷
写真:高橋是清翁記念公園
このあたりはこれまでのお鷹狩りで歩いたことがありません。迎賓館や学習院の方を通ることが多く、青山通りはほとんど通らないのです。青山通りは将軍が目黒筋に鷹狩りに来るときにとおった道といわれ、お鷹狩りウォークに採用するには由緒正しき道なのです。
写真:明治神宮外苑杉並木
明治神宮外苑之記碑
石碑の題字 「明治神宮外苑之記」
明治神宮奉賛会 総裁 閑院宮載仁親王殿下の篆書
撰文 明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
石材 東北仙台産の板岩
高・地表4メートル 幅・1.8メートル 厚・0.36メートル
碑文の大意
明治45年(1912)7月30日に、明治天皇(第122代の天皇・今の天皇の曽祖父)、大正3年(1914)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から、御二方の御神霊をお祀りして、御遺徳を永遠に追慕し、敬仰申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治・経済・文化・スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟と御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治人外苑の造営が進められることになりました。
これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正15年(1926)10月に、明治神宮外苑は完成しました。
苑内には、天皇・皇后御二方の御一代の御事蹟を、有名画家が描いた八十枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの優れた運動施設が設けられ、御仁徳をお偲びしつつ、青少年の身心鍛錬の場として、或は遊歩を楽しむ人々の憩いの苑として、崇高森厳の気漲る内苑と相俟って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。
外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。
大正15年(1926)10月 明治神宮奉賛会 会長徳川家達
銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上古生代の末期(一億五千年前、巨大な恐竜が棲息していた時代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
並木の総本数は146本(雄木44本雌木102本)
四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当り、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採取し、これを種木として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数1600本にもなりました。
外苑造苑に当り、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6m内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選択し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです。
直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24m・目通り周り2m80cm、最低17m・目通り周囲1m80cmのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。
この銀杏が苗圃で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、その成長量がいかに偉大であるかを如実に物語っております。
樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしょうが、よき所で、よく育てられ、よき場所に植えられた樹木ほど幸運なものはないでしょう。同じ時期に同じ苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも稀なる幸運な樹木と言えましょう。今後幾百年、これらの兄弟木の銀杏は生長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑々地と融和し、我々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。
平成御大礼の日 之を建つ
平成2年11月12日 明治神宮外苑
写真:新国立競技場
しばらく見ないうちにずいぶん高くなりました。今回これを見てオリンピックへの思いを強くすること、そして参加者自身がスポーツをすることにより健康寿命を延ばすための意識が高くなることが狙いです。
写真:神宮球場
写真:ブラジル大使館
写真:表参道ヒルズ
今回下見をできたのは表参道まででした。表参道からキャットストリートを歩いてもらいたい、富嶽三十六景「穏田の水車」の舞台であることを実感してもらいたいという思いがあります。神宮前小学校の校庭に水車の模型があるのでそれを見ようと試みたのですが、外からは見えないようです。
神宮外苑からどのように表参道に至り、キャットストリートを歩いて、どのように渋谷駅付近を通過するのか。もう一度下見が必要なようです。
すこやか歩こう会ではひきつづき会員を募集しています。目黒区在住以外の方も歓迎いたします。
まずは一緒に歩けるか、試しに一度参加してください。
sukoyaka[アットマーク]v08.itscom.net([アットマーク]は@へ変換してください)宛にメールをいただければ、直近の活動予定をお知らせいたします。
すこやか歩こう会活動スケジュール