うどん供えて母へ
わたくしもいただきまする
――種田山頭火(俳人)
四十代半ばの大正十四年に得度した山頭火は、熊本県鹿本郡植木町にある瑞泉寺味取観音の堂守になった。休止していた句作を始め、「けふも托鉢ここもかしこもはなざかり」の明るい句ができた。しかし一年余、「山林独居に堪えかねて、あてもない行脚に上る」。
後年、自分の過去を振り返り、不幸のいくつかを数え上げた。日記に「最初の不幸は母の自殺」と書いた。山口県防府の造り酒屋だった生家、十一歳の時に井戸に入水した母の姿を忘れない。放浪へ駆り立てられる彼の心には、いつもその姿がうずくまる。
防府は地下水が豊かで、蛍が多い。水も行乞の山頭火をとらえる。「しづけさは死ぬるばかりの水がながれて」。蛍は亡き母の魂だったともいわれる。自選句集は母の霊前に捧げられている。一方、入水に追いやった父について、「父によう似た声が出てくる旅はかなしい」。父もまた自分の中に生きつづけ、逃れることができない。否応なしに過去を背負う男の漂泊の旅はいつまでもつづく。
わたくしもいただきまする
――種田山頭火(俳人)
四十代半ばの大正十四年に得度した山頭火は、熊本県鹿本郡植木町にある瑞泉寺味取観音の堂守になった。休止していた句作を始め、「けふも托鉢ここもかしこもはなざかり」の明るい句ができた。しかし一年余、「山林独居に堪えかねて、あてもない行脚に上る」。
後年、自分の過去を振り返り、不幸のいくつかを数え上げた。日記に「最初の不幸は母の自殺」と書いた。山口県防府の造り酒屋だった生家、十一歳の時に井戸に入水した母の姿を忘れない。放浪へ駆り立てられる彼の心には、いつもその姿がうずくまる。
防府は地下水が豊かで、蛍が多い。水も行乞の山頭火をとらえる。「しづけさは死ぬるばかりの水がながれて」。蛍は亡き母の魂だったともいわれる。自選句集は母の霊前に捧げられている。一方、入水に追いやった父について、「父によう似た声が出てくる旅はかなしい」。父もまた自分の中に生きつづけ、逃れることができない。否応なしに過去を背負う男の漂泊の旅はいつまでもつづく。