負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

七十歳で画業を高めて八十歳でも衰えを見せない画家がいた

2005年03月05日 | 詞花日暦
日本美術史は……明治・大正の間には
唯一人鉄斎の名を止めるものとなる
――梅原龍三郎(画家)

 天保七年(一八三七)に富岡鉄斎が生まれた京都の家は、福井県にある永平寺ご用達の法衣商だった。読書家の父が商いに身を入れず、裕福ではなかった。父の血を受け、さらに難聴がくわわり、商いを免れた鉄斎は古今の書籍を耽読、ありとある先学の絵を模写し、全国を行脚して写生した。
 自らも学門を好み、画家と見られるのをきらった。「万巻の書を読み、万里の道を徂き、以て画祖をなす」姿勢を貫き、師も弟子もなかった。まさに文人画といわれるゆえんである。当然、画家としての足取りは遅い。
 だからこそ、七十歳で画業を高め、八十歳になっても衰えを見せない。明治三十七年、六十九歳で描いた「武陵桃源仙境図」は鉄斎の傑作である。杉本秀太郎に「桃の花を描いた最も美しい絵……桃源郷へ脱け出る洞窟の透きとおった穴に魂魄を吸い取られ」といわせる。桃の花の咲く頃、彼が好んで描いた桃の実や桃源郷を思い出す。