負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

石の声に耳を傾けて城の石垣を築いた人たちがいる

2005年03月26日 | 詞花日暦
石の声が聞こえてくる
石が私に向かって、ものを言うてくるんです――粟田万喜三(石工)


 琵琶湖の西岸、坂本の町は比叡山の山すそで、延暦寺の僧房が建ち、日吉神社がある。湖に向かう斜面に家々が建つせいか、石垣がおおい。どこにでもある光景だが、よく見ると、やや様子がちがう。
 坂本一帯には、古くから石積みの古式技法を伝える一族が住んだ。「穴太衆」(あのうしゅう)と呼ばれる。四、五世紀に百済から帰化人が持ち込んだか、中国に渡った僧が仏教とともに伝えたか。はじめは民家の石垣や近くの延暦寺、日吉神社の石垣を築いた。
 ある日、日吉神社をたずねた秀吉がその技術の高さに着目し、信長の安土城建立に穴太衆を推挙したという。それまでの城は土塁かその一部に石を使う程度だった。日本ではじめて石垣の築城が穴太衆によって完成した。八代将軍が築城を禁止するまで、全国で穴太衆が活躍する。以降は衰退の一途をたどり、いまでは城の修復や民家・神社の石垣を手がけるだけ。

 たったひとり生き残った穴太衆の十三代目・粟田万喜三から技法の特徴を聞いた。
 まず形の不ぞろいな石が使われる。加工しない自然の石、野面(のづら)石が主役だ。その石も上側が下側より心持ち前にせり出すように積み重ねる。石の三分の一くらい奥の部分に重力がかかるようにすることで、雨水が石垣の間に入らず、堅牢さを保つ。敵が石垣を登るのも、弓状に反った線が防いでくれる。
 技術は口伝で遺された。「早く石の声を聞きて据え付けよ」という。粟田万喜三は石と会話しながら仕事を進める。現場には不ぞろいの野面石が無数に散乱する。「おれはあすこに座りたい、おれはあっちがいいと石がいう。そいつが座るところが見つからないと、もうちょっと辛抱しとれよと話かける。うまいところへはまると、自分ひとりで石垣を支えているような顔をしている」。
 適材適所はいつも辛抱強く石の声を聞いてはじめて可能になるという。野性的な野面石の声に耳を傾けないと、堅牢な石垣も城も完成しない。