負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

あの中津江村にはサッカー以外に有名なものがある

2005年03月04日 | 詞花日暦
旺盛な山の文化の存在したことを
私たちは忘れがちである
――富山和子(評論家)

 平成十二年、サッカーで全国に一躍なまえが知れわたった大分県中津江村。しかしこの地の津江神社境内に三十本の杉の巨木が残り、日田杉の元祖であるのを誰も語らなかった。享保年間に宮崎の椎葉から挿し木の技術がもたらされ、造林が始まった。日田から筑後川を下った河口、大川の木工業や明治の西南戦争で焼けた熊本復興が、杉の造林を盛んにした。
 吉野、天竜と並ぶこの美林が育んだのは、同時に筑後川の豊かな水である。だが、昭和四十八年に完成した下筌・松原ダムで、中津江村の一部は水没した。二十数軒あった製材工場はゼロになり、子供の教育を考えた教育離村で村人のおおくは去っていった。村の九○%を占める山林は約半数が村外者の所有である。山は「上流砂漠」に、川は「野ネズミの走る枯れ川」になった。
 平成十二年、やっと国による樹林帯整備計画が承認された。「国土全体の資源を大赤字に追い込むことになぜ気がつなぬのだろう」、そう富山和子ははるか以前に警告していた。