負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

閑話休題――意味もなく

2005年03月06日 | 詞花日暦
地域限定の和菓子屋情報だが、
ちょっとおもしろいので書いておこう

 黒門町といえば、捕り物の親分や落語家がいたのを思い出す人もいるだろう。地名の変更でいまは消えたが、黒門小学校などがまだ残っている。この地に古くからあるのが和菓子の「うさぎや」。御徒町の上野松坂屋が近い日光街道(中央通)に面している。
 昔からしもたやの古い建物で通していたが、バブル期にビルになり、写真のように1階が店になった。乾いた薄皮の最中を最初に商品化したのが、このうさぎやだと聞いているし、どら焼きも評判だった。
 暖簾や看板の文字は、俳句の河東碧梧桐の文字であるという。明治から大正の文人墨客と縁があったのは、当主谷口家の文人気質によったのだろう。先代の谷口喜作当主もやはり文人趣味を持ち、芥川龍之介の葬儀委員長を務めた。
 しもたや時代にときどき訪ねては、厳選された北海道の小豆、砂糖のあくを丁寧に抜いた和菓子をいただき、先代夫人の歯切れのいい江戸ことばに聞きほれた。九州育ちの若者は、江戸下町の話しことばがこんなに美しいものだというのをはじめて知った。
 で、このブログに最近出した『四畳半襖の下張り』の記事にある平井呈一翁は、先代当主と双子で生まれ、二男だったために養子先の平井を名乗っていた。翁の書く文字が若い頃師事した碧梧桐の手にそっくりだったのも思い出される。