負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

敗戦から立ち直る原動力は地に足をつけた母親だった

2005年03月10日 | 詞花日暦
母はその馬鹿正直さで、
真向から取り組んだ
――児玉隆也(ルポライター)

 金権政治の田中角栄を追い落とした児玉隆也のルポ「淋しき越山会の女王」は、一九七○年代初期のノンフィクション神話として、立花隆の本とともに語り継がれてきた。書き手側に密着した児玉の視線は、立花とちがう魅力を持っていた。
 その特質は、すでに最初期の母について書いた文章からうかがえる。敗戦の年、栄養失調で逝った父のあとに、九歳の児玉少年、姉、母が残される。貧しいなかで小さな家族の闘いが始まった。母は神戸・芦屋で行商し、町工場の雑役婦として働いた。
 彼女の支えは「戦争はいややったなあ」のひとことだった。このひとことを基点にそれまで「夫にかしずき、家の内にひっそくしていた母」の生き方が一転する。虚脱や不安を語らず、婦人解放や社会主義運動とも無縁の場で、真正面から敗戦後の時代に立ち向かった。この母を思うと、不安や希望をことあげした当時の政治家や知識人がいかに無力か。だから児玉は、いつも地に足をつけた自分から書くことを選んだ。