負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

ハチローは母の日に必ず遺品を出して男泣きした

2005年03月09日 | 詞花日暦
ちいさい ちいさい人でした
ほんとに ちいさい母でした
――サトウハチロー(詩人)

 サトウハチローといえば、彼が二十歳のときに亡くなった母親を詠んだ詩集『おかあさん』が有名。いまでもおおくの人々に愛唱されている。十一人の兄弟姉妹でひとりだけ生き残った男子のハチローは、四歳のときに大やけどをして、母に苦労をかけた。
 元気になると、今度は悪童としていたずらのかぎりをつくす。転校八回、落第三回、勘当十七回という不良少年に育った。十五歳のとき、両親はついに小笠原・父島の感化院送りを決意し、島流しにした。
「親不孝の見本」として、人一倍、母に迷惑をかけたせいもあった。だからハチローは、母が使っていたものや買ってくれたものをいつまでも手放さなかった。なかに母が嫁入り時に持参した古い手文庫があった。ふたを開けると、母の匂いがし、母がよく唄った歌が聞こえてくる。五分も開けておくと、涙があふれる。それでも五月の母の日になると、ハチローはそんな遺品を取り出して並べる。色紙には「母を想う日のわがこころ/すなおなり」と書いたりする。