負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

美術品の値段はなまえで買う人の愚かさによって決まる

2005年03月07日 | 詞花日暦
ゴッホなら、大金を出してでもほしい
と狂乱するのは、卑しいことだ
――辰巳渚(文筆業)

 平成十三年、わずか数万円で競売される予定の絵画「農婦」が、ゴッホの真作とお墨付きをえた途端、一挙に六六○○万円に跳ね上がって落札された。美術作品を巡る日本人の愚かな狂騒を久し振りに再現する光景だった。愚かというのは絵を見抜く鑑識眼のなさ、狂騒というのはバブル時代以降、依然としてつづく悪癖。
 辰巳渚の慧眼は、「絵画のもたらす力を買うのではなく、名前を買うのだ。絵画の美しさを見定めるのではなく、絵画の資産価値を見定めるのだ」と書きとめた。二年前、『「捨てる!」技術』で注目を集めた辰巳だけに、こうした現象をふしぎに思わないいまの日本人のふしぎさがやり切れないのだろう。
 同じ絵をゴッホでないなら不要、ゴッホなら大金を積むといった「その卑しさを見慣れてしまっては、いけない」という。自らを「なんてあさましいんだ」と感じる心を失ってはいけないと書く。美術品をカネだけで計る日本人は、バブル崩壊後も消えてはいない。