負けるな知的中高年◆本ときどき花のちコンピュータ

「知の崩壊」とかいって、いつの間にか世の中すっかり溶けてしまった。
「知」の復権に知的中高年よ、立ち上がれ!

仏教徒が漁業、キリスト教徒が農業という島がある

2005年03月18日 | 詞花日暦
ほどもなくパアテルは見えまさむ。
さらにまた他の燭をたてまつれ。
――北原白秋(歌人)

 九州では他の土地では見られないふしぎな光景に出会う。隠れキリシタンゆかりの地がその最たるものである。天草や五島列島で、落日の海と青い空に映えた小さな教会や墓地の十字架を見ると、明治四十年、北原白秋、与謝野鉄幹、吉井勇などを魅了した異国情緒が、いまも色濃く旅人を引き付ける。
 佐賀県呼子から十二キロ、玄界灘の馬渡島もその例である。周囲十四キロ、平地のすくない地勢に約六百人の人口。漁業と農業の島民はほぼ半数ずつで構成されている。海に近い漁業の「本村」は仏教徒。小高い山間で農業を行う「新村」はキリスト教徒である。「新村」の村人はいまでも美しい天主堂のミサに出席し、墓地には十字架が建つ。
 彼らの祖先は、十八世紀末の寛政年間に長崎から移住したと聞く。以来、明治の初年まで約百年間、「風蔭」と呼ばれる窪地に小さな田畑を耕し、仏教徒たちから隠れて密かに法灯を守った。隠れキリシタンの光景に打たれるのは、異国情緒ではない。信仰を持続しつづけた日本人の強靭な思いである。