目玉の「祭姪文稿」は、行列に並んで1時間ほど待つ。
そもそも、平成館に入るところも10分あまり待つし、
入ってから受付までも30分以上待つ。
待ち時間だけで2時間を予定する必要が有る。
というのはイヤなので、朝一番に行った。
9時半開館に合わせて行った。
早めに行って並んでいる人たちの列が進んだ後に到着したので、
列に並んで待つ時間は少なくて済んだ。
平成館に入ったら、すぐにロッカーに荷物を入れて、
それから受付に並び直した。
まあ、会場内にもロッカーは有るし、当日の再入場は可能なのだが。
※
やはり、肉筆にまさるものは無い。
墨の線とは不思議なもので、立体感が有るのだ。
それが、写真に撮って印刷すると、平板になってしまい、
筆の動きを見て取ることが難しくなる。
もう一つの目玉は、懐素の「自叙帖」だ。
題字が篆書で大きく書いてある。
少しかすれるくらいの墨で書いてあるので、
筆の動きが分かりやすい。
筆がどのように進み、毛がどのように後からついて行ったか、
よく見える。
篆書の筆遣いが見える。
行草楷でも、筆鋒がどこを通ったか、筆をどんな角度で使ったのか、
墨の乗り具合で見て取ることができたりする。
肉筆でそういった見方に慣れれば、印刷を見ても分かるようになるのかもしれない。
※
石碑の書を習うとき、お手本はA4くらいのサイズになっている。
それを左に置いて見ながら、半紙に書くわけだ。
しかし、元は一枚の紙に取られた拓本だ。
石碑一面を覆う大きさの紙なのだ。
そういう、元の大きさの拓本をそのまま見られるのも、良い。
こんな石碑が立っていたとか、山の岩場にこんなサイズで彫られていたとか、
イメージすることにつながる。
そして、岩の質感や、石碑の黒さや輝き、何と言ってもその重量感、
そういったものも、臨書する時にイメージしても良いかもしれない。
※
書の変遷が理解できるような展示になっている。
書の在り方の転換ポイントが顔真卿だ、という主旨なのだろう。
雑多なものが整えられ、基本的な形というものが出来上がり、
それがまた崩されていき、
という歴史のパターンが見える。
また、東洋館でも補うような内容の展示をしている。
平成館に入って右手の展示室では、現代日本の書も展示されている。
わけわからんとこまで崩された書を見ることができる。
言葉を伝えたり記録したりするためにできた文字を書くことが
書の始まりだったが、
それが崩しに崩されてゲージツになっているところまで見られるわけだ。
※
昼休みを挟んで、結局のところ私は5時の閉館まで、いた。
丸々一日がかりだった。
24日まで。
そもそも、平成館に入るところも10分あまり待つし、
入ってから受付までも30分以上待つ。
待ち時間だけで2時間を予定する必要が有る。
というのはイヤなので、朝一番に行った。
9時半開館に合わせて行った。
早めに行って並んでいる人たちの列が進んだ後に到着したので、
列に並んで待つ時間は少なくて済んだ。
平成館に入ったら、すぐにロッカーに荷物を入れて、
それから受付に並び直した。
まあ、会場内にもロッカーは有るし、当日の再入場は可能なのだが。
※
やはり、肉筆にまさるものは無い。
墨の線とは不思議なもので、立体感が有るのだ。
それが、写真に撮って印刷すると、平板になってしまい、
筆の動きを見て取ることが難しくなる。
もう一つの目玉は、懐素の「自叙帖」だ。
題字が篆書で大きく書いてある。
少しかすれるくらいの墨で書いてあるので、
筆の動きが分かりやすい。
筆がどのように進み、毛がどのように後からついて行ったか、
よく見える。
篆書の筆遣いが見える。
行草楷でも、筆鋒がどこを通ったか、筆をどんな角度で使ったのか、
墨の乗り具合で見て取ることができたりする。
肉筆でそういった見方に慣れれば、印刷を見ても分かるようになるのかもしれない。
※
石碑の書を習うとき、お手本はA4くらいのサイズになっている。
それを左に置いて見ながら、半紙に書くわけだ。
しかし、元は一枚の紙に取られた拓本だ。
石碑一面を覆う大きさの紙なのだ。
そういう、元の大きさの拓本をそのまま見られるのも、良い。
こんな石碑が立っていたとか、山の岩場にこんなサイズで彫られていたとか、
イメージすることにつながる。
そして、岩の質感や、石碑の黒さや輝き、何と言ってもその重量感、
そういったものも、臨書する時にイメージしても良いかもしれない。
※
書の変遷が理解できるような展示になっている。
書の在り方の転換ポイントが顔真卿だ、という主旨なのだろう。
雑多なものが整えられ、基本的な形というものが出来上がり、
それがまた崩されていき、
という歴史のパターンが見える。
また、東洋館でも補うような内容の展示をしている。
平成館に入って右手の展示室では、現代日本の書も展示されている。
わけわからんとこまで崩された書を見ることができる。
言葉を伝えたり記録したりするためにできた文字を書くことが
書の始まりだったが、
それが崩しに崩されてゲージツになっているところまで見られるわけだ。
※
昼休みを挟んで、結局のところ私は5時の閉館まで、いた。
丸々一日がかりだった。
24日まで。
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