犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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観察に徹する

2016年09月22日 | からだ
[あらすじ] 症状の記録をすることは、治療のために必要なこともあるが、
それによって病気に注目ばかりしていると、かえって病む。
症状を観察する時に、徹底的に客観的になり、
痛み苦しみに巻き込まれないようにするには、訓練が必要だろう。


小学校から、観察することをしっかり教えると良い、と考えている。
1年生の夏休みと言えば、朝顔の観察日記だ。
あれが実は中年だ高齢者だ病気だとなった時に役立つとは
思いがけないことだろう。
しかし私は、観察して得られた客観的事実のみを書いて記録する、
ということは、生きていくワザの基礎だと思う。

昨今の教育は「考える力をやしなう」とかなんとかいって、
「考える」ということを重要視している。
その実、自分の頭だ考える教育が実践されているとは思えないが。

私は、「考える」ことよりも「感じ取る」ことのほうが重要だと思う。
自分の頭なんどというちいぽけなもので考えて出てくるものなどタカが知れている。
森羅万象が与えてくれるものを感じ取ることができたら、無限のものを得られる。

感じ取るためには、考えないことが必要だ。
自分の考えを挟むと、事実は入って来なくなる。
おおくの事実を観察したところに、何かが感じ取られる。

観察した事について、なぜそうなるのか考えてみましょう。
という課題がよくある。
悪くないのだが、観察ができていないと、推論はできない。
見落としや見間違いがあると、推測は見当違いな方向に進んでしまう。
「考える」を教える前に、徹底的に観察すること、
何かの理由で、今、自分の、目で見えていない事実もあるかもしれない、
そこまで観察するくらいの観察力を鍛えたい。

それが、自分の立場や都合や感情を離れて事物に対面するという
客観的・中立的な態度を養うことになる。
そして、ひいては症状の苦しさや人づきあいのむずかしさから
自分を守る技術になる。

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