犬小屋:す~さんの無祿(ブログ)

ゲゲゲの調布発信
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知識よりも尊いもの

2023年02月03日 | 椰子の実の中
世界の事、宇宙の事、その外の事。
私の力ひとつでは知り尽くすことができない。

もっと知りたいし、旅もしたいし、色々な経験もしたいし、
私の知らない事を知っている人、私と違う経験をしている人、
つまり全ての人と話をしてみたいとも思う。

けれど、その全体ときたら無限なので、
自分にはどうしようも無いという気持ちになる。
しかし、そこで諦めたら小ぃこい蛙(かわず)の完成だ。
そんなふうに自分を限定することも無い。



じゃあ、どうしよう。

調べたら知ることができる事を、一つ一つ頭に入れることはやめようかな?
それより、調べたり知ったりする手段をあれこれ身に付けたら、
後々広がりやすいのではないか。

なんでも分かる所にアクセスする手段を持っておくのも良い。

小さいところでは、辞書を引き慣れておくこととか、
図書館を利用する習慣を持つとか、
インターネット接続を円滑に保つとか。

大きいところでは、
集合意識にアクセスできる心身状態を体得すること。



クイズ番組は好きだ。
生きている間に訪れることは無いかもしれない土地の
人の暮らしを垣間見ることができたり、
高山やら深海やら僻地やらの映像を見てびっくりしたり。

私の知らないことを知っている人たちが切磋琢磨する姿を見るのも楽しい。



衛星放送だかの番組でやっていた、「地下クイズ王決定戦」というのを好んで観た。
それはアンダーグラウンドな話題ばかりを集めたクイズだった。

地下というのは、自分からすぐ近くに在るのに、ちっとも見たことが無い。
だから驚きが大きい。

あの企画、またやらないかな。
と思いつつYou tubeで検索してみたら、
有った。
あるインターネットTVで復活していた。
そうか。そりゃそうか。



地下が裏なら、表は「東大王」を観る。
暗記することに慣れた東大生たちがその成果を競う、と言ったら皮肉か。

以前も書いたように、私はクイズノックという団体の動画を好きで見る。
しかし、CEO氏が知識を祀り上げるのには反対したい気持ちになる。

「東大王」の番組でも、「最高の頭脳」などという表現を使うけれど、
知っている、記憶している、というのは別段「最高の頭脳」ではないと思う。

番組で’クイズ’と呼んでいるものの中には、
謎解きのような問題も含まれている。
そこで求められている脳みその働きは’ひらめき’である。

ひらめきは、暗記や知識とは異なる脳の機能だ。
初めて見るものにも対応できる力だと思う。

しかしこういった問題も、知識偏重主義の人からすると知識がものを言うということになる。
たくさんの問題を解いて、類似の問題に出会っておくことが大事。
つまり知識で解ける、と言うのだ。
んなアホな。



学業に重きを置いている若い解答者たちである。
旅行で行きそうな土地や、農作物に関する問題などに、
おもしろいほど弱かったりする。

知識に重きを置くと、知らないことには弱いということになる。
それでは若さはずいぶんなハンデということになってしまう。



クイズは楽しい。
知識を得ることも楽しい。

ただ、クイズプレイヤーにとって、
知識はクイズのためのものに過ぎない。
知識のための知識なのだ。

私は、知識は目的そのものではなくて、
何かの目的のために得るものだと思っている。

ああ知りたい。
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