教師はよく「生徒に学習事項を定着させる」というような表現を使います(し、私もおそらく何の気なしに使っています)が、よく考えてみると「定着」という言葉が何を指しているのかは、かなり曖昧だと思います。それぞれがそれぞれの意味で使っているのだと思います。『英語教育』(大修館書店)の2014年6月号はこの「定着」という言葉が英語教育で用いられた場合にどう捉えるべきかについて考えさせられる内容でした。以下、すべて同書に載っている論考について考察してみたいと思います。
まず和泉(2014)の考察では、まずSLAの観点からU字型発達曲線を用いて「定着」の曖昧さについて説明しています。U字型発達曲線とは、母語や第二言語習得の際にみられる発達段階の形状を指したもので、初期の模倣段階から規則抽出段階へ進むが、この際に初めは正確に真似していたものの、他の規則を学ぶことで混同して間違えが増加します。しかし、その後の学習によって間違いは解消されていく、つまりU字型で発達していくのだ、というものです。確かにそう考えると、どの段階を指して「定着」といえるのかは少し難しい問題であると思います。しかしだからといって和泉のいう「SLA研究で示されている様々な観点から見ても、従来的な意味の『定着』という概念は妥当性があまりない」(p.12)という結論を即なるほど、という気にもなりません。本当の意味での定着は、アウトプットで間違いのない言語使用ができるようになること(つまり第3段階へ進むこと)であって、その手順として和泉も述べているように、インプット→アウトプット→再度インプットとすることで、学習が進んでいくというイメージなのかな、というのが私の個人的な考えです。いずれにしても、和泉の指摘する「そもそも何をもって定着といえるのか」に関する答えは、同じ学校にいる教員間では意識を統一したいものです。
次に根岸(2014)では「『定着』の測り方」について述べていますが、非常に論が明確でわかりやすく、短い文章ですが確実にテスト作成への一助になると思います。ここで根岸が用いている「わかる段階」「使える段階」「使う段階」というのは、和泉の用いている3段階とは少し異なる(特に真ん中の使える段階が和泉とは少しずれている気がします)ことには注意が必要ですが、「使える」けど自信がないから使わない、という段階から「使う段階」へ生徒を持ち上げていくのは容易ではないにしても肝に銘じておきたいものです。またそうだとすれば、「時間差テスト」という発想には容易に賛成できます。
これら2つの考察を踏まえれば、会田(2014)の述べている「スパイラルな定着指導」という視点はかなりしっくりきます(ただし会田が使用している「自動化」のための活動のいくつかが果たして本当に自動化につながるのかは少し疑問です)。
最後に取り上げたいのは井口・鈴木(2014)です。「英語で授業」が「『定着』を促進」した、と述べていますが、個人的にこの辺の議論については少し慎重に考えなければならないと思っています。つまり簡単に結論を出すべきではない、という立場です。私自身90%以上英語で授業を行っていますが、果たしてそれ自体が生徒の「定着」にどんな影響があるか、について述べるのは不可能だと思っています。印象としてこうだ、というだけでは全く説得力がありません。結局「英語で授業」はあくまで教師側の手段や方法の1つであって、目的ではないので、それよりも「何を」「どのような活動を通して」指導することで目標を達成できるのか、が重要であると思います。こういうといかにももっともらしいですが、「英語で授業」についてなんら結論を出していませんし、煙に巻いたような答えになっています。でもそれが私の結論です。結局、教師はわかりやすくなるのであれば日本語で説明しようが全く問題はなく、つまるところ生徒が行う活動の時間がふんだんにあり、その活動を通して目標を達成できればよいわけです。英語で説明するのが大変ならば日本語の方がよっぽど生徒の理解を促すと思います。しかし「英語で授業」の効果の結論については「今じゃないでしょ!」という感じがします。
【参考文献】
2014.6月号『英語教育』.大修館書店.
まず和泉(2014)の考察では、まずSLAの観点からU字型発達曲線を用いて「定着」の曖昧さについて説明しています。U字型発達曲線とは、母語や第二言語習得の際にみられる発達段階の形状を指したもので、初期の模倣段階から規則抽出段階へ進むが、この際に初めは正確に真似していたものの、他の規則を学ぶことで混同して間違えが増加します。しかし、その後の学習によって間違いは解消されていく、つまりU字型で発達していくのだ、というものです。確かにそう考えると、どの段階を指して「定着」といえるのかは少し難しい問題であると思います。しかしだからといって和泉のいう「SLA研究で示されている様々な観点から見ても、従来的な意味の『定着』という概念は妥当性があまりない」(p.12)という結論を即なるほど、という気にもなりません。本当の意味での定着は、アウトプットで間違いのない言語使用ができるようになること(つまり第3段階へ進むこと)であって、その手順として和泉も述べているように、インプット→アウトプット→再度インプットとすることで、学習が進んでいくというイメージなのかな、というのが私の個人的な考えです。いずれにしても、和泉の指摘する「そもそも何をもって定着といえるのか」に関する答えは、同じ学校にいる教員間では意識を統一したいものです。
次に根岸(2014)では「『定着』の測り方」について述べていますが、非常に論が明確でわかりやすく、短い文章ですが確実にテスト作成への一助になると思います。ここで根岸が用いている「わかる段階」「使える段階」「使う段階」というのは、和泉の用いている3段階とは少し異なる(特に真ん中の使える段階が和泉とは少しずれている気がします)ことには注意が必要ですが、「使える」けど自信がないから使わない、という段階から「使う段階」へ生徒を持ち上げていくのは容易ではないにしても肝に銘じておきたいものです。またそうだとすれば、「時間差テスト」という発想には容易に賛成できます。
これら2つの考察を踏まえれば、会田(2014)の述べている「スパイラルな定着指導」という視点はかなりしっくりきます(ただし会田が使用している「自動化」のための活動のいくつかが果たして本当に自動化につながるのかは少し疑問です)。
最後に取り上げたいのは井口・鈴木(2014)です。「英語で授業」が「『定着』を促進」した、と述べていますが、個人的にこの辺の議論については少し慎重に考えなければならないと思っています。つまり簡単に結論を出すべきではない、という立場です。私自身90%以上英語で授業を行っていますが、果たしてそれ自体が生徒の「定着」にどんな影響があるか、について述べるのは不可能だと思っています。印象としてこうだ、というだけでは全く説得力がありません。結局「英語で授業」はあくまで教師側の手段や方法の1つであって、目的ではないので、それよりも「何を」「どのような活動を通して」指導することで目標を達成できるのか、が重要であると思います。こういうといかにももっともらしいですが、「英語で授業」についてなんら結論を出していませんし、煙に巻いたような答えになっています。でもそれが私の結論です。結局、教師はわかりやすくなるのであれば日本語で説明しようが全く問題はなく、つまるところ生徒が行う活動の時間がふんだんにあり、その活動を通して目標を達成できればよいわけです。英語で説明するのが大変ならば日本語の方がよっぽど生徒の理解を促すと思います。しかし「英語で授業」の効果の結論については「今じゃないでしょ!」という感じがします。
【参考文献】
2014.6月号『英語教育』.大修館書店.