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英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

丁寧さの問題をもう少しだけ丁寧に考える

2014-09-08 22:04:00 | 日記
以前取り上げた「I was wondering~.」のような丁寧さに関わる話は、言語学の世界ではかなり活発に議論されているところ(それでも足りない、というか知りたいところに手が届かないのは私の勉強不足もあるでしょうが)ですが、それがあまり教育の現場に還元されていないのは大きな問題だと思います。今回は人に何かを依頼するときの表現としてふさわしい表現を考えます。

この丁寧さについて議論するときには、「誰に」「何を」などの、いわゆる場面について設定することが大事だと思います。このような設定があいまいなままで「丁寧な依頼の表現ってのはさ、斯く斯くしかじかなんだよ(ドヤ)」と語ったところで、生徒が使えるようにはならないでしょう。ここで丁寧な依頼の代表例である、次の表現はどのような場面で使われるのが適切なのか、少しだけ丁寧に考えてみます。

(1)Could you ~?
(2)Can you ~?
(3)Would you ~?
(4)Will you ~?
(5)I wonder~.

ここで押さえておきたいのは、この中で最も丁寧なのは、明らかに(5)である、ということです。また、当たり前といえば当たり前のことですが、頼む相手によってどの程度の強制力をもった表現を使うかは異なりますし、頼みやすいことであればより強制力の強い表現を使い、頼みにくいことであればより間接的な表現を使う(鶴田など(1988;90-1)を参照)わけです。しかし、鶴田などが述べている最も重要な要素は「この場面で相手はそれをする義務があるかどうか」(p.91)です。

では、(1)~(4)の中で強い強制力をもった表現はどれでしょうか?答えは(4)そして(3)です。(3)は(4)よりは丁寧ですが、依然として強制力をもった表現です。相手の意志を問うwillやwouldを使う場合には「相手にそれをさせる立場や状況にいる」ことが必要です。例えば上司が部下にたいして一般的な仕事の依頼(指示)をする際に用いるのであれば、これらの表現が最適です。次の例は上司が部下にたいして依頼(指示)している場面で使われます。

(6)Will you type this letter, please?(この手紙打っといてくれる?)(鶴田など(1988;92)より)

さらに、ホテルなどで客にたいして記入してもらうときにも、客には少なからずそれを書くべき義務があるのでwouldを用いた表現が使われることがあります。

(7)Would you fill in this form, please?(この用紙を記入していただけますか?)(同上;95)


ここまでの話をまとめると、willやwouldを用いる際には、少なからず指示する立場にあることが求められます。これにたいして、canやcouldを用いると、依頼になります。何か簡単なことを依頼する際にはcanが好んで使われます。例えば家族で食事をしていて、塩をとってほしい場合(自分で席を立ってとるのは欧米ではよいマナーとはいえないのです)、次の表現を用いるでしょう。

(8)Can you pass me the salt?(塩とってくれない?)

依頼する相手が目上の人であるなら、さらに丁寧なcouldを用いるとよいでしょう。

(9)Could you pass me the salt?

また、親しい間柄で簡単なことを依頼する場合、あるいは教師が生徒に依頼する場合などには、次のように依頼することができる。

(10)It's hot, isn't it? Can you open the window?

では見知らぬ人に(10)のようなことを頼むときはどうするでしょうか。しかしよく考えてみると、見知らぬ人に窓を開けるように頼むことは考えにくいと思います。もしなんらかの事情で自分は窓を開けることができずにいる状況で、どうしても窓を開けたいのであれば、自分自身で窓を開けられない事情を説明した後で、次のようにかなり丁寧に依頼する必要があるでしょう。

(11)Could you possibly open the window, please?
(12)I was wondering if you could open the window?

また、見知らぬ人に何かを尋ねるのでれば次のように表現するでしょう。

(13)Could you tell me the way to the station?(駅への行き方を教えていただけませんか?)

たとえ仲の良い間柄でも、couldを用いる場合があります。それは少し頼みにくいことを依頼する場合です。例えばちょっとした小銭ではなく、少し高いお金を借りたい時なんかはcouldを用いることでためらいがちに表現するとよいでしょう。あるいはI wonderを用いるとより丁寧です。

(14)Could you possibly lend me 10 bucks?(もしかして10ドル貸してくれないかなぁ。)
(15)I was wondering if you could lend me 10 bucks.(10ドル貸してくれないかなぁって思ってたんだけど。)

(14)の例のようにpossiblyを入れると丁寧さはぐっと増すので、親しい人でも頼みにくいことであれば入れるとよいと思います。ただし、とくに頼みにくくないことにpossiblyを入れると、逆にわざとらしく無礼に聞こえるので注意が必要です。当たり前ですが、仲のよい人には食事中このように言うのはおかしいですよね。

(16)Could you possibly pass me the salt?

このように、英語の丁寧さも知れば知るほど奥が深いのですが、まずは鶴田など(1988)やLeech(1980)、ミントン(2012)あたりを参考にするとよいでしょう。特に鶴田などやLeechも述べているように、「聞き手への負担・利益」や「間接性」の尺度の問題をもっと深めていけば、教育で還元できる内容が構成できると思います。もう少し考える時間ができたら、この問題をもう一度もっと教育に還元できる形で考察したいと思います。しばらくは無理でしょうけど。。。

【参考文献】
Leech, G.(1983). Principle of Pragmatics. Longman.
鶴田 庸子・ポール ロシター・ティム クルトン.(1988).『英語のソーシャルスキル』.大修館書店.
ミントン, T.D.(2012).『日本人の英語表現』.研究社.

旅行に役立つ表現を学ぶ

2014-08-14 20:09:00 | 日記
やっと2週間に渡るヨーロッパ旅行から帰ってきました。旅行の全貌については長くなるので徐々に明らかにしていくとして、今回は旅行で「これなんて言えばいいの」と思うような表現を集めてみます。簡単なのに意外とわからないことは多いのです。

まずは、例えば飛行機の中で、「お飲み物はいかがですか?」と聞かれたときに「けっこうです」と言うにはどうすればいいでしょうか。答えは、

(1)I'm fine. (Thank you.)

です。もちろん「元気です」という意味にもなりますが、日本語でいうところの「大丈夫です」的な感じで使います。もちろん、

(2)No, thank you.

でもかまいません。何かを提案された時に「自分はけっこうです」と断るときにはこの2つを覚えておけばよいでしょう。


次におみやげを買ってプレゼント用の包装を頼みたいときの表現です。ただし、日本と違って有料であったり、あからさまに嫌な顔をされることもあるので、頼むときには強い心が必要ですが。

(3)Can you giftwrap it?

この「giftwrap」で「~をプレゼント用の包装で包む」という意味です。日本語のように回りくどく言う必要はありません。申し訳ない感じを出したいのであればcanの代わりにcouldを用いたり、最後にpleaseをつければよいでしょう。


次にレストランで。基本的に外国は料理の量が多いので、せっかくのおいしい(?)料理を残してしまう可能性があります。そんなときアメリカやカナダ、そしておそらくヨーロッパでも持ち帰って食べるのが一般的です。持ち帰り用の袋をもらって自分で詰めたり、持ち帰り用の袋に詰めてくれたりと店によって異なりますが、とりあえず持ち帰りの袋を頼むのがよいでしょう。さて、なんと表現すればよいでしょうか。

(4)Can I have a doggie bag?

このdoggie bagはdoggy bagとも表記しますが「犬用の袋」という意味で、アメリカやカナダでは多くの場合茶色い袋が出てきます。この茶色い袋に残り物を詰めて持ち帰るわけです。家で犬に食べさせるための袋、ということからそう呼ばれるようになったようです。

また注文したときに、「量は多いですか?」とか「量はどれくらいありますかね?」などと確認しておいた方がよいでしょう。この場合、どのように尋ねるでしょうか。

(5)Are the portions big?
(6)How big are the portions?

portionとは「一人前の量」という意味で使います。頼んだ分の皿の量を聞いているのでportionsと複数形にしていますが、ある一品の皿の量を聞きたいのならportionと単数形にします。このように確認しておけば残すことはなくなるかもしれませんね。


また、外国ではまだチップをわたす文化も根強いので、1ドルや2ドルコインや20ドル以下のお札をたくさん持っていたほうが何かと便利です。特に100ドル札での支払いは基本的にかなり嫌がられます。そこで大きなお札はマネーエクスチェンジで両替してもらう際に、細かいものにしておきたいわけです。「これ、細かいお金にしてくれませんか」という表現はわりと使う機会が多いので覚えておいた方がよいと思います。いろいろな言い方がありますが、最も簡単な言い方は次の例でしょう。

(7)Can you break this?

このbreakは細かくする、という感じで一般的に用いられます。難しい表現を使わなくても言いたいことは言えるものです。


夏休みももはや終盤。北海道の夏休みは短いのです。気持ちを切り替えてがんばらなければ。バカンスは終わった。。。

ヨーロッパ旅行

2014-07-29 07:12:51 | 日記
私事ですが...2週間ほどヨーロッパに行ってきます。フランス、スペイン、イタリアをクルーズで回ってきます。お金かかります。おそらく人生最大の大旅行。このために(授業以上に)入念に準備してきたことはいうまでもありません。何気にスペイン語も勉強しましたが、突貫工事で話せるレベルではありません。ちょっと試しに使ってみますが。改めて語学にはCDが大事だと気づかされました。

では行ってきます。

「この仮定法ってどういう時に使えばいいの?」という疑問

2014-07-19 21:40:57 | 日記
先日、ある生徒に「仮定法って、実際にどういう時に使えばいいんですか?」と質問されました。私は実際にその生徒を教えているわけではないのですが、非常に文法の本質をついた質問に思わずドキッとしてしまいました。

おそらくそうした質問が出るということは、指導する側の問題も少なからずあるのだと思います。もちろん形式と意味も重要だと思いますが、さらにそれに加えて使用場面(この場合の使用場面は文献によっては機能あるいは使用とも呼ばれています)を加えて三位一体で指導することが重要である、と改めて気づかされたのです。

さて、最近の英語教育をめぐっては、まさに文法指導の如何をめぐる論争が絶えず、いまだに答えも出てはいませんが、とにもかくにも文法指導をどう取り入れていくかについては単純な訳読式ではいかんのだ、という当たりはそれなりに的を射ているでしょう。何をどう学ばせるべきか、という議論が盛んに行われているだけに、それに関する文献も多数発売され、最近はそれらを一通り読破していました。なるほどな、と思えるものもあれば、それほどでもないものもありましたが、私なりに文法指導をどう考えていくべきかについて、いくつかの文献を紹介しながら、主に仮定法を通して見ていきたい、というのが今回のテーマです。

今回見ていくのは、柴田・横田(2014)、卯城(2014)、そして田中・田中(2014)の3冊です。

まず柴田・横田(2014)は、文法指導についてだけでなく、英語教育全体の英語教師の思い込み(と思われる類)を紹介し、それぞれについて議論を深めていく形式なので、読み物として非常に読みやすい内容になっています。記述は非常に洗練されているので、「はじめに」で「英語教育のすべてを扱っているわけではな」い、と述べていますが、結果的にはわりと包括的に述べる形になっていると思います。英語教師ならまず目を通しておきたいくらい内容の濃いものになっています。文法についてもかなりのページを割いて書かれています。この本のすばらしさについては実際に読んでいただくことにして、1つだけ記述で腑に落ちないのがp.89にあるポイント1の部分でしょうか。ちょっと引用しておきます。


「たとえば、現在完了形を教えるとき、過去形と区別するための練習としてふたつの形式を使った文章を提示して、それぞれが使われている状況設定からどのようなときに現在完了形を使うのかを生徒に導き出させる練習をすることがあります。しかし、これは返って生徒が混乱したり母語に訳そうとしたりするので、本来の練習目的が達成されません。」


これで果たして文法項目の理解ができるでしょうか。形式だけを指導するのならこれでかまいませんが、意味や機能を理解させるとき、似たような文法事項とどのような違いがあるのかを理解できなければ、生徒が実際にそれを使うことができるようになるとは思えません。似た文法事項と比較することは、その文法事項を他の文法事項との関連の中でどのように位置づけるかにかかわってきます。生徒個々の文法の全体イメージの中でその文法事項がどのようなことが表現できるようになり、どのような役割を果たしていくのか、はっきりさせてやらなければ実際に使える文法にはならないと思います。この後見ていく卯城(2014)や田中・田中(2014)はどちらも文法指導についての指南書ですが、どちらも生徒の既知の文法事項と比較して指導することを勧めています(たとえば田中・田中のpp.32-3を参照)。

「主に仮定法を通して見ていく」はずが、話がかなり横道に逸れたのですが、文法指導の際の大事なポイントなので指摘しておきました。さて、少しずつ本題に戻る形で、次に卯城(2014)について見ていきます。卯城は「場面で導入、活動で理解」というプロセスの重要性を具体的な文法事項をほぼ網羅する形で具体的に議論しており、明日の授業で生かせる、かなり実践的な内容になっています。導入の流れについては参考になるものが多いのですが、理解させる活動の記述については少し疑問が残ります。これらの活動を行ったから、文法事項を場面に合わせて使えるようになることは難しいと思います。たとえば、ということで仮定法に話を移します。

卯城の仮定法過去の記述を見てみると、仮定法過去が「現時点における実現しそうにない願望や現在の事実に反することを述べる」としていますが、まずこの出発点に問題があることは以前述べたとおりです。実際にはもっと広く「実現可能性が低いことについて仮想的に述べる」わけで、そこから発言をためらいがちに述べるという、語用論的機能があるわけです。こちらの方が実際にはかなり用いられるわけです。それをどんどんさまざまな場面を通して理解することで、英語の丁寧さについて知識を深めることができると思います。そのうえでも仮定法の指導はかなり重要なもののはずです。もちろん「もしも歴史上の人物に会えたら」を仮定するのもよいですが、これでは生徒は「非現実」の場面でしか仮定法は用いられないようにカン違いしてしまいます。実際には別に「もしも大好きな芸能人と話せたら」でもよいわけです。ちなみにどの程度「起こる可能性が低い」と話者がみなしたときに用いられるのかはその場面によってかなり異なります。しかし「もしも大好きな芸能人と話せたら」のような場面や、もっと実現可能性がやや高い場面でも、実際には仮定法は用いられるようです(この点については論点から脱線しすぎるのでくわしくはJames(1986)やKartunnen&Peters(1977)あたりを参照されたい)。

またたとえば「If I were you」は、ちょっと控えめにアドバイスを送る場面で非常によく用いられます。このような頻度の高い用法こそ、活動を通して理解させるべきだと思います。この点については田中・田中(2014)が参考になります。p.40の使用場面で「どのような行動をとればよいか迷っている相手に、自分だったらこうすると控えめな形でアドバイスをしたいとき」という項目があり、まさに「if I were you」を用いる場面設定です。しかし、この場面設定ではかなり抽象的すぎるので、もう少し具体的に「告白しようか悩んでいる友達がいます。友達に自分だったらどうするかアドバイスをおくってあげてください」のようなより具体的な場面設定で示してやるほうが、生徒はわりとすぐに具体的なアドバイスが思い浮かぶでしょう。こういった内容は生徒も喜んで考えるので、授業に活気もでます。

田中・田中は、今まで行われてきた文法指導を少し変えるだけで実践可能だという意味で、形式・意味・場面を意識した文法指導をするための知識を得るよい本だと思います。具体的な文法事項があまり網羅されていないので、卯城と合わせて読むことで、かなり文法指導の方法の見通しが立つと思います。ただし、上で述べたようにこれらの本でもまだ不十分だということを踏まえたうえで、自分なりにこれらの本を参考にして、アレンジしながら指導する必要があるでしょう。生徒を一番よく知るのは指導している教師ですから。


【参考文献】
Celece-Murcia,M&Larsen-Freeman,D.(1999). The Grammar Book An ESL/EFL Teacher's Course. Boston, MA: Heinle&Heinle.
James Francis.(1986). Semantics of the English Subjunctive: UBC Press.
Kartunnen,L&Peters,S.(1977).“Requiem for Presupposition” BLS3,360-71.
卯城祐司編著.(2014).『英語で教える英文法―場面で導入、活動で理解―』.研究社.
柴田美紀・横田秀樹.(2014).『英語教育の素朴な疑問―教えるときの「思い込み」から考える―』.くろしお出版.
田中武夫・田中知聡.(2014).『英語教師のための文法指導デザイン』.大修館書店.

ところでsinceはなぜ「~だから」と「~以来」を意味するのか

2014-06-23 18:48:17 | 日記
前回のsince ... agoについてはKenny大先生のご指摘どおり、かなり根深い問題で、教育上非常に苦慮されるところです。まぁ生徒はダメと言われれば言われたとおりに使わなくなるのですが、「本当にダメなのか」「ダメだとすればなぜダメなのか」「いいとすればどのような条件のときなのか」と自分であれこれ考える思考力は大事にしてほしいと思っています。言われたことを鵜呑みにするのが善、みたいな教育よりも、そもそもの教科書の内容さえ疑う態度(私はそうやって育ってきましたが、これも突き詰めすぎるとひん曲がった性格と紙一重になるので若干注意が必要)を養うことが大事だと思います。

さて、sinceが「~だから」と「~以来」という2つの異なる意味がある、ということを丸暗記してもよいのですが、「なぜそのような異なる意味になるのか」を疑問に思う態度もまた重要だと思います。いわれてみると、意外と答えられない問題ではないでしょうか。

これについては今井(2010)によれば、sinceが「起点」を表すことに起因しています。時間の起点と捉えれば「~以来」という意味になり、原因や理由の起点と捉えれば「~だから」という意味になります。


もうひとつ、sinceを用いる際の大事なことをピーターセン(2013)が指摘してくれています。以下のsinceは「~だから」の意味を表す用法に限定した話です。

ピーターセンによればbecauseとsinceは使い方が違います。becauseが「原因や理由を、新たな情報として持ち出すときに使う」のにたいして、sinceは「聞き手(話し手)がもうすでにわかっているだろうと思われる前提として、原因や理由を持ち出すときに使う」のです(pp.151-2)。よって新情報を表すのに適したbecauseは文末に置くことが多く、旧情報を表すのに適したsinceは文頭に置くことが多いのです。それぞれ次の例のように使います。

(1)My mother was angry because I got home quite late.(私がかなり遅く帰ってきたので、母は怒っていた。)
(2)Since it was raining, the picnic was cancelled.(雨が降ってきたので、ピクニックは中止になった。)(どちらもピーターセン(2013;143)より)

この2つの意味の違いを考えれば、Why?への返答としてbecauseがふさわしく、sinceを用いることができない理由はもはや説明するまでもないでしょう。


【参考文献】
今井隆夫.(2010).『イメージで捉える感覚英文法 認知文法を参照した英語学習法』.開拓社.
ピーターセン, マーク.(2013)『実践 日本人の英語』.岩波書店.