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英語教師のひとりごつ

英語教育について考える。時々ラーメンについて語ることもある。

might as wellとhad betterの使い分けを指導する

2014-12-20 22:50:35 | 日記
どんな文法でも、形式、意味、そして使用場面(機能)を指導することが、実際にその文法事項を使えるための準備段階として必須であることに疑いの余地はない、という押しつけがましい言い方はいかがなものかとも思いますが、まぁそれなりにはうなずいていただきたいところです。

助動詞は日本語では同じでも、その使い方を見るとかなり異なるものがあります。mustとhave toは以前考察した通りですが、他にも紛らわしいものは多いので、日本語ではわからない意味の違いや、使用場面を具体的に与えてやることが大事でしょう。今回はhad betterとmight as well、そしてshouldの違いを考えてみます。とはいってもhad better自体はすでに見てきた通りです。

had betterの意味: (差し迫った状況下で)~した方がいい(さもないと悪い状況になる)

ではmight as wellはどのような意味か、Swan(2005)やCarter et al.(2011),そして柏野(2012)を参考に以下でまとめていきます。

might as wellは「(ほかによい選択肢がないから)~した方がいい」と「~も同然だ」という2つの用法があります。ただし、柏野(2012)によればこれらの意味はもともとmight as well A as B「AしてもBしても結果は同じだ」に由来しており、「違いがない(no difference)」という基本的な意味を共有しています。よってmight as wellにhad betterのような差し迫った状況下ではなく、「よい選択肢はないけど、こっちにしてもよいのでは?」程度のものです。なお、以下might as wellについては「(ほかによい選択肢がないから)~した方がいい」の用法に限定して考察していきます。

続いてshouldはhad betterのようにかなり強い助言を表しますが、had betterのような差し迫った状況という感じはなく、日本語の「~すべき」といった感じと同じと考えてよいでしょう。ただし、語感を弱めるために、maybeやI thinkを用いて丁寧にすることがあります(had betterも同じように丁寧にできます)。

漠然と話をしていても何も見えてこないので、具体的な場面で考えてみましょう。次の場面ではどれ(shouldかhad betterかmight as well)を用いるでしょうか。

あなたは友だちと東京に遊びに行きました。空港でホテルのある新宿まで行く手段を話しあっています。値段と時間を考えると、どれも一長一短なのですが、あなたはどちらかといえば乗り換えのないバスがよいかな、と思い、友だちに提案してみます。

この場合は、might as wellを使い、次のように言うとよいでしょう。

(1)We might as well take a bus.

「違いがない」けど、こっちでいいか、という感じが伝わってきます。

では別の場面ではどうでしょうか。同じく、友だちと東京に遊びに行きました。あなたと友だちは新宿で行われるコンサートを見に行きますが、もう時間がありません。一番早く新宿に行く方法は電車に乗ることです(本当はどれが速いのか知りませんが。。。)。

この場合は次のように言うのがよいでしょう。

(2)We'd better take a train.

had betterの持つ差し迫った感じが伝わってきます。あるいはshouldを使ってもよいでしょう。その場合例えば次のように言えるでしょう。

(3)We should take a train.

この場合、差し迫った感じはありませんが、might as wellよりは明らかに強く「~すべきだ」という主張が伝わってきます。口調を和らげたいならmaybeやI thinkを使ってもよいでしょう。ただし、使ったとしても、丁寧にしているだけなので、might as wellより強い助言であることに違いはありません。

ただ、だからといってshouldとhad betterが常に同じように使われるわけではないことは、以前述べたとおりです。

また、might as wellは確かに控えめに提案する時に使われますが、「別にどっちでもいいけど」みたいな、少し皮肉めいた意味に捉えられることが多いので注意が必要です。例えば、あなたは友人が休日、街に買い物に行くことを知り、友人を一緒に行こうと誘ったとします。友人がこう答えたらどう思うでしょうか。

(4)A: Why don't we go together?
B: Might as well.

これは「いいかもね」程度の返事なので、一般的にかなり乗り気じゃない返事の仕方です。ちなみにこのように返事で用いられる場合「Might as well.」と主語を示さず用いられることも多いです。

最後にもうひとつ、柏野(2010;182)も参考に場面を想定して考えてみましょう。あなたは友人とエレベーターを待っていますが、なかなかきません。特に急いでいるわけでもないのですが、待つのは時間の無駄だと思ったあなたは友人にどう提案するでしょうか。もちろんこのような場合は以下のように表現するでしょう。

(5)We might as well go up the stairs.

しかし、もしあなたが重要な予定に間に合わないような場合は次のように言う方がいいでしょう。

(6)We'd better go up the stairs.

それぞれの意味の違いを考えながら、いろいろな場面で実際に使う、あるいはそういう機会がないのなら、いろいろな場面を自分で想定してどういえばよいか考えてみるだけでも英語は上達するものです。


【参考文献】
Carter R. McCarthy M. Mark G. and O'Keeffe A.(2011). English Grammer today. Cambridge.
Cowen, R.(2008). The Teacher's Grammar of English with Answers: A Course Book and Reference Guide. Cambridge.
Swan Michael.(2005). Practical English Usage. Oxford University Press.
柏野健次.(2012).『英語語法詳解 英語語法学の確立に向けて』.三省堂.
柏野健次.(2010).『英語語法レファレンス』.三省堂.

自分の授業見てもらうという刺激

2014-11-19 21:21:43 | 日記
人の授業を見るのが一番勉強になりますが、自分の授業を見てもらうのは、日々の授業のよい刺激になります。新たな学校では初めてたくさんの、いろいろな教科の先生方に来ていただいて公開授業をする機会があり、更なる向上心が湧いてきました。自分に足りないものが何なのか、授業をやりながら客観的に見つめていました。

まず、十分な内容のインプットやインテイクを与えてやることがとにかく大事だと改めて思いました。この場合の「十分な」という言葉がどの程度を指すのかはあまり定かではありませんが、私の印象では、読む(聴く)量はできる限り多い方がよいに決まっているし、難しいものよりも比較的簡単なもの(ほとんどの語を辞書なしで理解できる程度のもの)の方がモチベーションも維持しやすいと思います。また、音読をさせるならいろいろな仕掛けを作りながら10回程度は同じ文章を読ませたい、という印象があります。これが漠然とですが「十分な」の私なりの考えです。もっとも、今後考えが変わるかもしれませんが。

また、語彙を増やしたいならまずは日本語でしっかり語彙を覚えることです。覚え方の理想はたくさんの例文に触れることですが、現実的な方法はとりあえず代表的な例文は最低でも暗記しておくことだと思います。そして思い出す作業を増やすのが、記憶に残す一番の方法。時間を惜しまず、毎回ペアワークや小テストでアウトプットする(この場合のアウトプットはSLAのアウトプットとは異なり、知識の出力、程度の意味です)ことが大事だと思います。

また、生徒が生き生き活動するために、いかに工夫して授業を導入するかも大事だと思います。導入で失敗すると、大概その授業は失敗します。「今日は声が出ないな」や「あまり生徒がのってないな」と思ったら、ゲーム的な要素を取り入れながら進めることも重要です。とにかく毎回の授業に食いつかせるためにどう工夫するのか、その引き出しを増やしたいものです。

もうひとつ、最近脚光を浴びているRetellingについて。Retellingとは例えば教科書などで読んだ内容を、最終的にスクリプトを見ずにそれを相手に伝える、という活動です。これはある意味では教科書の内容に関する究極のアウトプットであると思います。私も各レッスンの締めに必ずRetellingを行いますが、これは生徒の理解度が測れるというメリットもあります。しかし、単純なRetellingを繰り返すことで生徒がモチベーションを維持できるでしょうか。もう少し工夫できないか、と思います。例えば私は、「そのレッスンに登場した人物になったと家仮定して、教科書の内容をうちの高校で講演会を開いて話すとしたらどう話すか」などの場面を設定してやらせています。そうすると、どう話始めるか、生徒はそれぞれの場面に応じて考えてくるので毎回違ったRetellingとなり楽しくなります。

また、Retellingが毎回のレッスンに必ず必要なのか、もっといえば他のまとめのタスクとしてふさわしいものがある場合もある(日本語がおかしいですが)と思いますが、これに関してはまた別の機会に改めて考えます。

さらにもうひとつ。文法指導について。明示的指導か、暗示的指導か、なんて二者択一をせまるつもりはさらさらありません。ただ、やたらと暗示的指導に偏るのがよくないことは確かです。かといって明示的指導を長々したからといってより理解が進むともいえず、結局は両者のバランスの問題であると思います。 最近の誉められる授業は、暗示的指導の方みたいですが、それに果たしてどれだけの根拠があるのかはかなり疑問ですし、説明することで容易になる理解をわざわざしない理由はないでしょう。結局、諸悪の根源として槍玉にあげられている明示的指導は説明の量と質、そしてタイミングの問題として取り上げるべきではないでしょうか。

最後に、他教科の先生は「All Englishですごいですね」と言いますが、私としては場面に応じて日本語も必要だと思いますので、そこに然したる執着はありません。まぁ文法説明以外の表現には慣れてほしい、といった程度の意気込みです。私の英語が生徒のよいインプットになるならば、CDを聴き続けた方がよっぽどよいインプットになるでしょうから。ただ、生徒に英語を話させるのに肝心の教師が日本語だけ、ではいけないとは思います。少しずつ授業で使う英語の割合を増やしていけば生徒も案外容易く順応するでしょう。結局はこれも使い分けが大事、というのが今のところの私の結論です。あ、またこの話題に触れてしまった。。。


not to doかto not doか、それが問題だ

2014-10-07 19:29:00 | 日記
先日、生徒の受けた学力テストに次のような問題が出題されていました。

問題:Be careful( )any noise in the library.

( )に当てはまる語句を選ぶ問題です。選択肢から答えを選ぶと、not to makeが答えとなります。つまり「to不定詞を否定するときは、to不定詞の前にnotを置きなさい」という学校文法のルールに従って答えを導き出せばよいわけです。これ自体は確かに答えとしてふさわしく、何ら問題はないのですが、問題は他の選択肢が必ず間違いといえるのか、です。

選択肢のひとつに「to not make」がありました。これは間違いといえるのか。つまり、下の文は間違いといえるでしょうか。

(1)Be careful to not make any noise in the library.

このto not doに関しては、手元の学校文法書で調べても触れられていないか、はっきりと「to not doとはしないこと」とまで記載されています。しかし私は、実際にはネイティブスピーカーは(1)のような文を用いるのではないかと思います。もちろん正式にはnot to doが最も使われていることは事実でしょうが、to not doが間違いだといえるのかが問題です。

Swan(2005)はto not doを「not usually(標準的でない)」(p.255)だとしています。一方、柏野(2010)では「話し言葉を中心にto notという表現が使われるようになってきている」(p.199)といいます。さらに『オーレックス英和辞典(第2版)』のプラネットボードによれば、別の例文ではありますが、to not doだけを用いる人は8%でしたが、どちらも可とした人も合わせると41%にのぼりました。これらの数字をどうみるかは捉え方次第といえばそれまでですが、私がネイティブに尋ねたところでは、少なくとも会話では全く問題なく使われている、といえるでしょう。そもそも私がこの問題に気づいたのも、カナダにいた頃に多くの人がto not doを用いていたため、不思議に思い調べてみたことが発端でした。その時に尋ねたネイティブもみな、どちらも問題なく使ってよい、と言っていました。

結論としては、このような紛らわしい問題を出題すること自体ふさわしくないと思います。出題するならばto not doは選択肢から外すか、選択肢に入れるならばどちらも正解にするべきだと思います。

それにしてもこの問題が、文法指導をめぐる英語教育の在り方を問う重要な問題だと思うのは私の考えすぎでしょうか。「間違い」をめぐる我々の許容範囲はどこまでなのか、非常に区別するのは難しいのは事実です。しかし、実際に使われている語法を考察することなしに、文法解説書に「ダメ」と書いてあるからダメ、という態度はいかがなものかな、とも思います。

もうひとつ、この問題を考える際も、やはり「場面」の設定は重要だと思います。アカデミックな文章を書く時にto not doで本当によいのか、となれば答えはNoでしょう。しかし、日常会話では許容されてよいはずです。ではまた上の設問に戻った時に、この文の場面はどのようなものでしょうか。内容から考えると、少なくともアカデミックな文章ではないでしょう。この設問に限らず、場面を設定することが曖昧なままでこの問題を考えても、いまいち埒があかないように思います。アカデミックライティングを指導する際の注意するべき文法・語法と、会話を指導する際に必要な文法・語法が異なるのに、同じ文法・語法の知識で指導するわけにはいかないでしょう。

まとまりのない感じになってきたのでここで切り上げますが、この話題については、またある程度整理して考えたいと思います。


【参考文献】
Swan Michael.(2005).Practical English Usage.Oxford.
柏野健次.(2010).『英語語法レファレンス』.三省堂.

人の授業を見て我が授業直せ!

2014-09-26 21:58:00 | 日記
今日は英語の研修で他の学校の授業を見に行く機会をいただきました。4月に新しい高校に配属されてから初めて研修に行く機会を得たので、お気楽な気持ちもありながらも、久しぶりに刺激を受けて何かを学びとろうという気持ちもかなりありました。3人の先生の授業が見れたので、実際かなり刺激になりました。以下、他の先生の授業どうのこうのというよりも自分の授業がどうあるべきかをメインに考えたいと思います。

まず、以前も述べたように、「いい授業」と「わかりやすい授業」は違う、ということを再確認しました。「いい授業」とは生徒に考えさせたり活動させて、生徒が能動的に参加する、あるいは生徒が中心になる授業だと思います。そういった意味では今回見た授業はすべていい授業だったと思います。

次に、(うんざりするくらい)話題になっている「All English」の如何について。この話題に触れるのも最後にしたいと思いますが一応。「All English」は教えるための手段であって目的ではありません。オールイングリッシュで教えることが正しいとか、間違っているとか、議論は様々ですが、目的はあくまでも生徒の英語に向けられるべきでしょう。そのためによい活動を行っていれば、教師は生徒の理解度に応じて英語でも日本語でもベルベル語でも、選べばいいと思います。例えば日本語でも理解するのが難しいインフォメーションギャップのタスクについて英語で説明して混乱を招いても、本題の生徒の英語を伸ばすことには繋がらないわけです。教師が英語を使う割合は少しずつ増やしていけばいいと思いますが、その割合は生徒の理解度に左右されるものです。理解しずらい(と思われる)ことは初めは日本語で説明しても構わないと思いますし、慣れてくれば英語でやってみてもよいでしょう。どちらを選ぶ?みたいな話に答えを出すのは現時点では材料が足りないし、厄介なのはどちらも至極真っ当なことを言っているように思われることです(たとえば大修館『英語教育』の6月号と9月号を読むとよいでしょう)。

さて次に、生徒に活動(あるいは狭い意味でのタスク)を課す時の留意点について。タスクについては、もし特定の文法項目を用いることが目的であっても、初めはそれを強要する必要はない、というのが私の考えです。あるいはとりあえず何も言わずにやらせてみる勇気も必要だと思うのです。これで完全に授業は崩壊しますが、それはそれでよいのです。かなり短時間でよいので、まずタスクをやらせてみる。できる生徒はもしかすると目的の文法項目を用いるかもしれませんし、別の手段で成功するかもしれませんが、ほとんどの生徒はカオス状態になります。短い時間でよいので、このカオス状態をわざとこの時間を作ってよい、と思うのです。多くの生徒は表現できなくて、すぐ飽きます。そこで1度、タスクを中断します。「実はこういう表現を使えば簡単に伝えられるんだよ」と例を提示します。表現したかったことなので、生徒はいつもより必死に聞きます。そこで、もう1度タスクに戻ります。おそらく多くの生徒がタスクを達成することができるでしょう。毎回この技が効果的かは別にして、私はこのくらいの余裕を持ってタスクに臨むことが大事だと思います。「表現したいことが表現できない」という葛藤が「知りたい」という気持ちを掻き立てて、より理解を深めてくれるのではないでしょうか。そういった授業は、一見見栄えは悪いかもしれません(カオス状態を作るので、研究授業なんかでやるとドン引きされるかもしれません)が、それはそれでアリ、という余裕がほしいなぁ、と。

最後に、「生徒の気持ちになって活動を考える」ということです。例えば「本を読むのが好き」という相手に対して「なぜ?」と聞く会話に日本語でも全く生産性がないのに英語でやるべきではないと思います。日本語でも、その「なぜ?」に答えられないのに、英語で答えられるでしょうか。答えられない場合、その理由を英語力がないからだ、と結論づけるよりも、そもそも日本語でやって成立するのかを考えるべきでしょう。どんな活動をさせるのか、そのためにどんなステップを組むとよいのか、準備段階で生徒の立場になって想像してみると意外と見逃していたことが見えてくるのではないかと思いました。

ぐだぐだと述べてきましたが、とにかく人の授業を見るのが一番勉強になります。我が授業でやるべきことが見えてきた今日この頃でした。

neverはどこに置けばいい?

2014-09-20 19:57:00 | 日記
neverは通例、次のような位置に置かれます。

(1)I have never been to Hawaii.
(2)I will never go to Hawaii.

つまりnotと同じ位置に置くと考えればわかりやすいですね。しかし次のような場合、はたしてどれが正解でしょうか?

(3)I would have never visited Canada if I had worked.

(4)I would never have visited Canada if I had worked.

(5)I never would have visited Canada if I had worked.

答えの前に、そもそもなぜこんなことを投げかけるのかというと、さして深く考えずに仮定法過去完了の並び替え問題でこのような文を出題したときに、生徒の答えの中に上に挙げたような答えが並んでいるのを見て、私自身「おや?これはすべて間違いといえないのでは?」と思ったことが始まりです。一応、教科書では(3)の語順で示されていたので、それが模範解答だったのですが。

ネイティブに尋ねてみたところ、すべて正解とのことでした。複数のネイティブに確認はしていないので、容認度に違いがあるのかはわかりません。こういった問題を出題したのは正直失敗でしたし、もちろんすべて正解にしました。ちなみにwould haveだけでなく、might haveやshould haveなど他の助動詞でもneverは同じように3ヶ所で用いるようです。ただし、これらの3つに意味の違いや語用論的な違いがあるのかはわかりません。