もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(14)-1/田口八重子さん

2019-06-09 07:00:09 | 日記
飯塚耕一郎(田口八重子さんの長男)

■署名に感謝

皆さん、こんにちは。
1,340万筆という多大なるご署名をいただき、皆様には感謝の念に堪えません。またこの署名を集めるために救う会の全国の方々、ボランティアの方々が、平成9年から親身になってやっていただいたことに、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
本日は飯塚繁雄家族会代表がご挨拶すべきところでしたが、ゴールデンウィーク前から体調が思わしくなく、欠席させていただいた次第です。昨日電話で話をしましたが、代表からは、今色々な問題はありますが求めるものはただ一つ、被害者の即時一括帰国で、それ以外はないと言っていました。


■即時一括帰国を求める

改めてですが、我々がなぜ即時一括帰国にこだわるかですが、1点目は時間がないということです。1歳だった私が42歳になって、未だに帰ってこれない。長い月日が経っています。
2002年9月17日に5名の方々が帰ってきましたが、それ以降一人も日本の地に帰ってきていません。本当に時間があまりにもかかり過ぎていますし、これ以上時間をかけていいものでもないということを踏まえて、即時一括帰国を我々家族はずっと求め続けています。
そして今回の決議案にもありますが、即時一括帰国ができるなら、日・朝国交正常化に反対しないし、被害者から秘密の情報を聞き出すようなことは一切しないと言っています。
これについては色々な意見をいただいていますが、私個人は、拉致被害者の帰国を最優先にするということです。それを踏まえた考えであることをご理解いただければと思っています。
ゴールデンウィークには私もワシントン、ニューヨークに参加させて頂きました。国務省やNSCの要人の方にお会いしましたが、我々家族及び日本政府としての考えを全面的に支持するということでした。つまり拉致被害者が帰国しない限り、経済制裁等を解除しないということです。


■金正恩委員長は今が決断の時

こういう情勢を踏まえて、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)委員長におかれては、勇気ある決断、即ち拉致被害者の即時一括帰国を今まさにすべきだということを、強く伝えたいと思います。これ以上時間をかけてもいいことはないし、北朝鮮も今転換期になていると思いますので、このタイミングを外さないで解放し、明るい未来に進むべきと思います。
今後北朝鮮で、色々なことが出てくると思います。一部の被害者だけ返せばいいとか、段階的交渉の方が現実的という意見が出始めると思います。いずれにしても家族としては即時一括帰国しかないと考えていますので、この点を改めて強く認識していただければと思っています。
最後になりますが、個人的なことですが、代表と共に私が公の場に出てから15年くらいになりますが、各地で色々な講演などをしてきました。「耕ちゃん」と言いながら一緒に活動してきた代表が、今回初めて欠席したというのは、心から残念な気持ちでいっぱいです。
今すぐ北朝鮮に行って、八重子さんを救って、代表に会わせたいくらいの気持ちですが、そういう感情は押さえて、残酷で悪魔的な北朝鮮から八重子さんをどうやって救うかということを冷静になって進めていきたいと思います。
個人的には心を鬼にして拉致問題に向かっています。是非とも皆さん、引き続きご協力をお願いします。

■田口八重子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html
■田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(14)-2/田口八重子さん

2019-06-09 06:55:12 | 日記
本間 勝(田口八重子さんの兄)

■あと少し、あと少し、と毎年思ってきた

今日は多数お越しいただき、ありがとうございます。
あと少し、あと少し、と毎年思っているんですが、今年こそ安倍さんに頑張ってもらわないと、私たちは八重子も含めて7人兄弟ですがもう2人他界しました。
兄も頑張っていますが、そういう状態に追い込まれてきています。
子どもの頃の罪を引きずるようなことになって、現実が来ちゃったんです。耕一郎がワシントンに行って、拉致問題を訴えてきました、代表がこの先動けないわけではないんですが、早く解決していただきたいと思います。
今日はありがとうございました。

■田口八重子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_1.html
■田口八重子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_1en.html
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html



◆昭和53(1978)年6月頃
李恩恵(リ・ウネ)拉致容疑事案
被害者:田口八重子さん(拉致被害時22歳)
昭和62年11月の大韓航空機(KAL)爆破事件で有罪判決を受けた元北朝鮮諜報員金賢姫(キム・ヒョンヒ)氏は「李恩恵(リ・ウネ)」という女性から日本人の振る舞い方を学んだと主張している。この李恩恵は行方不明となった田口さんと同一人物と考えられる。
北朝鮮側は、田口さんは1984(昭和59)年に原 敕晁さんと結婚し、1986(昭和61)年の原さんの病死後すぐに自動車事故で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
平成21年3月、金賢姫氏と飯塚家との面会において、金氏より田口さんの安否にかかる重要な参考情報(注)が新たに得られたことから、現在、同情報についての確認作業を進めている。
(注)金氏の発言:「87年1月にマカオから帰ってきて、2月か3月頃、運転手から田口さんがどこか知らないところに連れて行かれたと聞いた。86年に一人暮らしの被害者を結婚させたと聞いたので、田口さんもどこかに行って結婚したのだと思った」

※「八重子さんが北朝鮮の南浦港に着いたとき、女性通訳に“私には子供が二人いて、どうしても日本に帰らなくてはならないので、返してほしい”と何回も言ってお願いしたそうです。八重ちゃんの思いは最初から最後まで子供のことでいっぱいでしたし、今でも間違い無く“今、彩ちゃんはいくつになって、耕ちゃんはいくつになった”と毎年計算して、どんな大人になったか知りたがっているはずです。すごく会いたがっていると思います」
(拉致被害者・地村富貴恵さんの証言)
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm
■上尾市民の会HP
http://www.emo.co.jp/rachi/list.html

[In or around June 1978: Lee Un-Hae abducted]

Abductee: Yaeko Taguchi (22, female, Unknown)
Kim Hyon-Hui, a former North Korean agent convicted of the bombing of a Korean Airlines jet in November 1982, claims to have been trained to blend into Japanese society by a woman named Lee Un-Hae. Lee Un-Hae is thought to be Yaeko Taguchi, a woman reported as missing in Japan.
North Korea asserts that Ms. Taguchi married Tadaaki Hara in 1984 and, soon after Mr. Hara’s death from illness in 1986, died in an automobile accident. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.
At a meeting in March 2009 between members of the Iizuka family, relatives of Ms. Yaeko Taguchi, and Kim Hyon-Hui, important new information regarding the whereabouts of Ms. Taguchi (see note) was gained from Ms. Kim. The GoJ is currently working to confirm this information.
Note: Ms. Kim said: "After returning from Macau in January 1987, I heard from a driver in February or March that Ms. Taguchi had been taken to an unknown location. I'd heard that in 1986 an abductee living alone had been made to marry, so I thought that Ms. Taguchi must also have gone somewhere to get married."



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(15)/有本恵子さん

2019-06-09 06:50:05 | 日記
有本明弘(有本恵子さんの父)

■日・朝会談を無条件で行うとの発言は自信があってのこと

皆さん、こんにちは。
本日は国民大集会にご参加いただきありがとうございます。
先月安倍総理が訪米し、トランプ(Donald John Trump)大統領と首脳会談を行い、帰国後安倍総理は、日・朝会談を無条件で行うと発言されました。私は、この総理の発言は日・朝会談を成功させる自信があってのことだと思っています。
安倍総理はトランプ大統領と、北朝鮮との交渉について話をしたり、トランプ大統領と協力して北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)と交渉することができると確認した結果だと思います。
私はトランプ大統領が誕生した時、この人と安倍総理が協力すれば拉致問題も解決できると初めて思いました。そのトランプ大統領と来週もう一度面会(この集会は5月19日)します。
トランプ大統領から金正恩に、北朝鮮は親子三代にわたってテロ国家であると指摘し、生まれ変われと強い口調で諭していただければ、金正恩も平和国家への道を分かるはずです。
北朝鮮が平和国家となることは、北朝鮮の国民だけでなく、世界中の国が賛同する話ですし、被害者は全員帰ることができるはずです。親がやったことだから、金正恩は「申し訳なかった」と謝罪すれれば、これは人の道であると、私は総理にそう申し上げました。
それらのことをすれば、あの国が平和の国に生まれ変わる基になると私は思っています。

■有本恵子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_8.html
■有本恵子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_8en.html
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html



◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(拉致被害時23歳)
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around July 1983: Japanese woman abducted in Europe]

Abductee: Keiko Arimoto (23, female, Europe)
Disappeared in Europe.
The ex-wife of a Yodo-go member has acknowledged that she abducted Ms. Arimoto in cooperation with North Korean authorities. In September 2002, Japanese authorities issued an arrest warrant for Kimihiro Uomoto (formerly Kimihiro Abe), a Yodo-go member believed to be responsible for the abduction, and listed him with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite him to Japan, but North Korea has shown no willingness to comply.
North Korea asserts that in November 1988 Ms. Arimoto and Mr. Toru Ishioka died in the same gas poisoning accident, but has provided no documents or evidence to support these claims.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(16)/市川修一さん

2019-06-09 06:45:09 | 日記
市川健一(市川修一さんの兄)

■北朝鮮を動かすにはアメリカの支援が欠かせない

皆さん、こんにちは。
長く膠着状態が続いている中での拉致問題提起は、拉致を動かす大きなチャンスだと思っています。
アメリカは会談の度に拉致問題を提起するということをラジオのニュースで聞きました。北朝鮮を動かすにはアメリカの支援が欠かせません。必ずや日・朝首脳会談へとつながていくと信じています。
私たちは北朝鮮の体制転覆を狙っているわけではありません。求めているのは、被害者全員が元気で帰ってくることだけなのです。被害者全員の即時一括帰国を決断させねばなりません。そのためにも皆様方の力を、私たち家族にお貸しください。
宜しくお願いいたします。

■市川修一さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html



◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/

[August 12, 1978: Couple abducted]

Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)
Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.
North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】シェーンバッハ・サボー(17)/増元るみ子さん

2019-06-09 06:40:15 | 日記
増元照明(増元るみ子さんの弟)

■国会議員すべてにブルーリボンバッジを付けてほしい

皆さん、こんにちは。
今日も大勢の方にお集まりいただきありがとうございます。
私の記憶に間違いがなければ、20年前の4月、初めて国民大集会が開催されました。その時は確か2,000人ほどの人に来ていただきました。その後20年、歯抜けのように少なくなりました。
拉致被害者の救出を本当に真剣に願いながら、私たちと共に街頭に立っていただいた方々が亡くなられてきました。先週もお一人亡くなられました。なかなか皆さんの思いが通じないこの20年ですが、この1,341万筆、多くの方々に協力していただき、達成できました。
最初、横田早紀江さんが、「めぐみちゃんへの手紙」に書いてあるように、たすきをかけることも恥ずかしい、そんな一般の人間が泣いて訴えかけて、そして集めた。
私の父は、署名をしてくれない人を追いかけて「署名してくれ」と。本当にそうやって必死で訴えてきました。それが1,341万筆につながっています。この思いがなぜ国会議員に通じないんでしょうか。泥臭くてもいいじゃないですか。
私は2年前に、すべての国会議員にブルーリボンバッジを付けてくださいと申し上げました。一定期間でいいですから。このブルーリボンバッジはイデオロギーのシンボルでもない。北朝鮮にいる被害者を取り戻したい、帰ってきてほしいという願いのシンボルだから、思いだけでいいんですから付けてくださいと申し上げましたが、付けておられる方は半数もおられない。
山谷先生、自民党でも半分もいらっしゃらないんじゃないですか。最重要課題というのを体現してほしい。そしてこれは北朝鮮に対する日本の無言の圧力です。
拉致被害者を絶対に取り戻すんだという。その思いがなぜ国会議員に通じないんですか。
立憲民主党の村上先生、党首が付けておられない党でどうされるんですか。本当に拉致被害者が帰ってきてほしいとお思いなのですか。
原口先生の党は何人くらい付けていらっしゃいますか。竹内先生、公明党は一部の方々が付けていらっしゃいます。すべての国会議員に付けていただきたいんです。期限をつけてもいいです。今年1年だけでもいいです。令和元年という年号が始まったこの年だけでもいいですから、皆さんの思いを北朝鮮に向けて発してください。東先生、日本維新の会もお願いします。
今北朝鮮と交渉をする時に、日本人の意思を、そして国会議員の皆さんがこの問題を絶対に解決するという強い意志を見せていただかなければ、日本人として我々もついていけないんです。
国会議員の皆さんが率先してやっていくという意思を見せてくれない時、我々はそれを黙って見ているしかないんですか。是非お願いします。


■西郷隆盛の言葉

最後にこの言葉を皆さんと共に考えてみたいんですが、「正道を踏み、国を以て斃るるの精神なくば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、曲げて彼の意に順従する時は、軽侮を招き、終に彼の制を受くるに至らん」。
これは明治の元勲・西郷隆盛先生の言葉です。今もあてはまる言葉ではないでしょうか。この国を本当に強い国にしていくために、戦っていらっしゃる方もこの中にいらっしゃいます。私たちと共に拉致被害者を取り戻すことで、この国の威信を取り戻そうじゃないですか。
宜しくお願いいたします。

■増元るみ子さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_6.html
■増元るみ子さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_6en.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ
http://www.rachi.go.jp/jp/message/movie_5.html
■市川修一さんのご家族のメッセージ(英語版)
http://www.rachi.go.jp/en/shisei/keihatsu/videomessage_5en.html
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■国連の北朝鮮人権調査委員会は2014年2月、北朝鮮帰還事業や拉致問題を含む北朝鮮政府による人権侵害を「人道に対する罪」と認定する最終報告書を発表しました。
<原文>
『Report of the Commission of Inquiry on Human Rights in the Democratic People's Republic of Korea』
https://www.ohchr.org/EN/HRBodies/HRC/CoIDPRK/Pages/ReportoftheCommissionofInquiryDPRK.aspx
<日本語訳>
『北朝鮮における人権に関する国連調査委員会(COI)最終報告書』
https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/hr_ha/page18_000274.html



◆昭和53(1978)年8月12日
アベック拉致容疑事案
被害者:増元るみ子さん(拉致被害時24歳)
被害者:市川修一さん(拉致被害時23歳)
「浜に夕日を見に行く」と言って出かけたまま失踪。
北朝鮮側は、1979(昭和54)年7月に2人は結婚し、市川修一さんは同年9月に心臓麻痺で死亡し、増元るみ子さんは1981(昭和56)年に心臓麻痺で死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
■鹿児島県警HP
http://www.pref.kagoshima.jp/police/

[August 12, 1978: Couple abducted]

Abductees: Shuichi Ichikawa (23, male, Kagoshima Prefecture), Rumiko Masumoto (24, female, Kagoshima Prefecture)
Disappeared after saying they were going to watch the sunset at the beach.
North Korea asserts that the two married in July 1979, that Mr. Ichikawa died of a heart attack in September the same year, and that Ms. Masumoto died of a heart attack in 1981. North Korea has, however, provided no documents or evidence to support these claims.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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