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【みんな生きている】別役佳子さん/JNN

2015-07-02 17:18:32 | 日記
《インチキ遺骨ではなくて、拉致被害者を返せ!別役佳子さんを救出しろ!》

【7月1日水曜日】
46年前、京都で行方不明になった27歳の女性が、幼い子ども2人を残して失踪しました。北朝鮮に拉致された可能性があり、7月1日、民間の調査団体が女性の名前を公開し、情報提供を呼びかけました。失踪前、女性の周囲に北朝鮮関係者がいたのです。
北朝鮮による拉致の可能性が排除できない失踪者を調査している特定失踪者問題調査会。1日、これまで非公開として登録していた1人の女性を、公開に切り替えると発表しました。その女性は…

「お名前は別役佳子さん」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

京都市北区のスナックで雇われママをしていた1969年2月、高知県香南市の実家に一時帰省すると連絡したまま、行方不明となりました。当時27歳。前の夫との間にできた2人の娘を実家に預けたままの失踪でした。

「別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がいて、それらが関与した拉致の可能性が考えられる」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

失踪者が非公開から公開に切り替わる際に、これほど強い表現が使われるのは異例のことです。

「(スナックの)経営者が北朝鮮の人だということを(別役さんが)お母さんの方に話していた」
(特定失踪者問題調査会・曽田英雄常務理事)

私たち(JNN)は、別役さんの失踪情報を独自に得て、以前から取材していました。当時、スナックがあった場所を訪ねてみると…

(Q.以前ここは何だった?)
「スナックでした。(店名は)“ダンヒル”だったと思います」
(Q.別役佳子さんはご存知ですか?)
「分かりません、全然分かりません。“ダンヒル”とのつながりはないので」
(別の店を経営する女性)

前の所有者との関係はなく、別役さんのことは全く知らないと言います。

調査会によると、別役さんはダンヒルに勤める以前にも複数のクラブやスナックに勤めていましたが、経営者や客の中には北朝鮮と深い関わりのある人物もいたということです。
調査会は、別役さんの故郷・高知でも会見し、弟の瑞久さんが同席しました。

「(去年から)非公開にもかかわらず、急に周辺が慌ただしくなるという方が、この別役さんだということです」
(特定失踪者問題調査会・岡田和典副代表)

北朝鮮による拉致問題等の特別調査委員会の発足から間もなく1年。警察をはじめとする日本の公安関係者は、去年から別役さんの家族と何度も接触していたと言います。

「公的な機関も本件について、怪しいと認識していたとの情報もある」
(特定失踪者問題調査会・荒木和博代表)

飲食店に勤める子持ちの女性の拉致で思い起こされるのは、田口八重子さん(拉致当時22歳)の事件。店には北朝鮮工作員が客として通っていました。

別役さんの家族はこう訴えます。
「(母親が)95歳なんですよ。母親を安心させてあげたい」
(別役瑞久さん。特定失踪者・別役佳子さんの弟)

《特定失踪者・別役佳子さんについて》
◆氏名:別役 佳子
(べっちゃくけいこ)
(Keiko Betchaku)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年2月
◆生年月日:昭和16(1941)年8月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:27歳
◆身長:155cm~156cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:スナック店長
◆失踪場所:京都府京都市北区柴野西野町

【失踪状況】
昭和44年(1969)2月、京都市北区紫野西野町に所在したスナック「ダンヒル」(現在は存在しない)に雇われママとして勤務していた当時高知県香美郡の実家に一時帰省の意味で帰ると連絡してきたのを最後に行方不明となった。
本件については別役さんの京都における人間関係に複数の北朝鮮関係の人物がおり、それらが関与した拉致の可能性が考えられる。
また、飲食店勤務等の職業で幼い子供がいたという意味では渡辺秀子さんや田口八重子さんらとも類似の点がある。

◆昭和58(1983)年7月頃
欧州における日本人女性拉致容疑事案
被害者:有本恵子さん(Keiko Arimoto)
(拉致被害時23歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州にて失踪。
「よど号」犯人の元妻は、北朝鮮当局と協力して有本さんを拉致したことを認めている。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の魚本(旧姓安部)公博について、平成14年9月逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引き渡しを要求しているが北朝鮮側はこれに応じていない。
北朝鮮側は、有本さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で石岡 亨さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。

◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

《救う会認定拉致被害者・福留貴美子さんについて》
◆氏名:福留 貴美子
(ふくとめきみこ)
(Kimiko Fukutome)
◆失踪年月日:1976(昭和51)年7月18日または19日
◆生年月日:1952(昭和27)年1月1日
◆当時の身分:アルバイト
◆当時の住所:東京都渋谷区恵比寿
◆最終失踪関連地点:海外

【失踪状況】
1976(昭和51)年7月中旬、同居していた友人に「モンゴルに行く」と言い残して出国後、行方不明となる。
1980(昭和55)年3月、突然同居していた渋谷区恵比寿の友人宅に現れた後、横浜市の友人宅に2泊した後、「大阪に行く」と言い残して再び行方不明となるが、後に北朝鮮に渡ったよど号犯の岡本 武と結婚し2児をもうけていたことが明らかになる。
1996(平成8)年夏によど号犯グループの小西隆裕から実家に「1988(昭和63)年夏に土砂崩れで死亡したと北朝鮮側から知らせを受けた」旨の手紙が送られてきたが、真相は不明のままである。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。

《新潟県警・愛知県警公開特定失踪者・渡邉浩成さんについて》
◆氏名:渡邉 浩成
(わたなべひろまさ)
(Hiromasa Watanabe)
◆当時の年齢:23歳(昭和60年当時)
◆当時の住所:愛知県名古屋市中区
◆新潟県三条市出身
◆当時の職業:郵便局員
◆身長:170㎝くらい

【失踪状況】
昭和60年12月、岐阜県岐阜市の職場を出た後、行方不明になっています。



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.
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