もずの独り言・goo版

半蔵ともず、gooでも独り言です。『もずの独り言』はこれからも戦い続けます。

【みんな生きている】金正男編[裁判2]/JNN

2017-04-20 07:58:11 | 日記
《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!金正男氏殺害事件で新展開、実行犯の女2人が法廷に》

【4月14日金曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件で、実行犯の女2人が法廷に姿を現しました。事件のキーマンたちが姿を消す中、裁判で事件の解明は進むのでしょうか。

物々しい警備が敷かれた裁判所。
防弾用のベストを身につけ、姿を現したインドネシア国籍のシティ・アイシャ被告とベトナム国籍のドアン・ティ・フオン被告。金正男氏殺害の実行犯として、逮捕・起訴されました。
ちょうど2か月前、クアラルンプールの空港で、正男氏の顔等に液体のようなものを塗り付けて逃走したとされる2人。正男氏は体調の異変を訴えた後、死亡し体内から猛毒の神経剤VXが検出されました。
有罪になれば、マレーシアの法律で死刑になるアイシャ被告とフオン被告。殺意の有無が裁判の大きな争点です。

「いたずら番組の撮影だと思っていた」

2人ともこれまで一貫して容疑を否認しています。

Q.マレーシアを出て安心しましたか?
「...」
(北朝鮮 ヒョン・グァンソン二等書記官)

しかし、犯行に関わったとされる北朝鮮籍の男たちは、既にマレーシアを出国しており、真相は闇のままです。
これまで弁護側は、北朝鮮大使館の二等書記官たちの事情聴取記録を公開するよう求めていました。しかし13日、検察側が拒否したため、予定していた裁判手続きは延期となりました。

「この殺人事件は、他の(北朝鮮の)4人が起こしたのです」
(フオン被告の弁護士)
Q.(アイシャ、フオン両被告)2人はスケープゴートになるのか?
「そうです。彼女たちは利用され、主犯は帰国が許された」
(アイシャ被告の弁護士)

正男氏殺害のため、2人は利用されただけなのでしょうか。
捜査当局が、主犯格とされる男4人の他に、事件のカギを握るキーマンの1人とみていたのが、「ジェームス」と呼ばれていた男です。ジェームスとは北朝鮮籍のリ・ジウという男。一緒にいるのはアイシャ被告です。ジウ氏は重要参考人の1人でしたが、捜査当局は既にマレーシアを出国したことを明らかにしています。北朝鮮に帰ったかどうかはわかっていません。

「彼(リ・ジウ氏)はカギとなる証人であり、この案件の要でした。彼の帰国が許されれば、我々の弁護は危うくなります」
(アイシャ被告の弁護士)
「フオン被告の父親によると、彼女は『何も間違ったことはしていない。他の男たちにだまされた』と言っている」
(フオン被告のいとこ)

北朝鮮による組織的な犯行が強く疑われる中、北朝鮮籍ではない女2人だけが裁かれるという状況に、マレーシア国内でも同情的な声が強くなっています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※国連人権理事会(United Nations Human Rights Council=UNHRC)が調査要請を受理した事案
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
(Susumu Fujita)
◆失踪年月日:昭和51(1976)年2月7日
◆生年月日:昭和31(1956)年6月16日
◆性別:男
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:埼玉県川口市南町
◆当時の身分:東京学芸大学教育学部1年生
◆特徴:
1)家ではあまりしゃべらないタイプ
2)ギターがうまかった
◆失踪場所:埼玉県川口市の自宅

【失踪状況】
失踪当日6:30~7:00頃、以前から言っていた新宿のガードマンのバイトに行くといって服を持って家を出たまま帰らず。
後に新宿にある全ての警備会社に電話で問い合わせたが該当者はいなかった。
脱北者が北朝鮮から持ち出した写真が鑑定の結果、藤田 進さんである可能性が極めて高いことが判明。
平成16年1月28日、埼玉県警に告発状提出。
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■救う会埼玉HP
http://sukuukai.gozaru.jp/
■藤田隆司さんfacebook
http://ja-jp.facebook.com/takasi.fujita.3
■緑風香ブログ
http://ryokuhuuka.wordpress.com/
■拉致問題を考える川口の会HP
http://kawaguchi.aikotoba.jp/list.htm

《特定失踪者・古川了子さんについて》
◆氏名:古川 了子
(ふるかわのりこ)
(Noriko Furukawa)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年7月7日
◆生年月日:昭和30(1955)年1月1日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:千葉県市原市菊間
◆当時の身分:三井造船社員
◆身長:157cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:
1)中学時代水泳部、高校では卓球部部長。
2)書き初めで入選したことあり、簿記、珠算和文タイプ等資格持っている。
3)左利き。文字を書くのは左右同じに使える。
4)左眉に途切れたような傷がある。
◆失踪場所:千葉県

【失踪状況】
午前中に美容院へ行き、午後から母親と浴衣を買いに行く予定をしていた。
朝早く家を出て、美容院に「今日の美容院はキャンセルしたい。出かけるところができた。母親にも浴衣を買いに行けなくなったと伝えて下さい」と言った。
母親は美容院からの電話で、友達にでも会うことになったのだろうと気にしなかったが、それから何の音沙汰もなくなった。
7月に初めて貰ったボーナスは手付かず、預金通帳も置いたまま。
持って出たのは財布とハンカチくらいしか入らない、いつも持っている小さなバッグ1つだけだった。
その後、家にも勤め先にも全く連絡なし。中学や高校の友人も心あたりはなかった。
元北朝鮮工作員の安明進(アン・ミョンジン)氏が、「1991年に平壌市内の病院にいた女性と似ている」と証言している。
平成16年1月29日、千葉県警に告発状提出。
平成17年4月13日政府に対し拉致認定を求め東京地裁に提訴。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/
■古川了子さんを救う会HP
http://2.furukawanoriko.michikusa.jp/

《特定失踪者・関谷俊子さんについて》
◆氏名:関谷 俊子
(せきやとしこ)
(Toshiko Sekiya)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和32(1957)年5月19日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県市原市徳氏
◆当時の身分:薬品会社勤務。定時制高校在学中
◆身長:160cm
◆血液型:A型またはO型
◆失踪場所:千葉市内

【失踪状況】
親類の男性と幼馴染の同級生(女性)と千葉市内の飲食店で飲食後、親類の男性が「車で二人を家まで送ってくる」と店の従業員に言い残して出たまま3人一緒に行方不明となった。
店の従業員は男性の兄と妹。
男性の乗っていた車も発見されていない。
関谷さんは古川了子さん(昭和48年失踪)と同じ高校で3学年下。
古川事件の1年後の同じ7月の失踪。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・遠山常子さんについて》
◆氏名:遠山 常子
(とおやまつねこ)
(Tsuneko To-o-yama)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和32(1957)年6月22日
◆性別:女性
◆当時の年齢:17歳
◆当時の住所:千葉県市原市田淵
◆当時の身分:県立高校学生(夜間部)
◆当時の勤務先:千葉市内のスーパーマーケット
◆身長:158cm~160cmくらい
◆血液型:B型
◆特徴:左右どちらかは不明だが眉の上にホクロの切除痕有り
◆失踪場所:千葉市内

【失踪状況】
遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、峰島英雄さんの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。
峰島英雄さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。
峰島英雄さんの車(赤いマーク2)も未発見。
失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。
引越しが終わったあとに、三人で飲食店に食事に来た模様。
失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

《特定失踪者・峰島英雄さんについて》
◆氏名:峰島 英雄
(みねしまひでお)
(Hideo Mineshima)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年7月11日
◆生年月日:昭和27(1952)年9月2日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:千葉市(稲毛区)轟町
◆当時の身分:会社員(千葉市内の電話工事会社)
◆身長:170cm
◆血液型:B型またはO型
◆失踪場所:千葉市内

【失踪状況】
遠山常子さんと、幼馴染の友人女性である関谷俊子さん、ならびに関谷俊子さんの親戚である峰島英雄さんの3人は、峰島英雄さんの兄妹が勤務する千葉市内の飲食店で食事をした。
峰島英雄さんが、「二人を家まで送ってくる。戻ってくるから、食事を用意しておいてくれ」と兄妹に言い残し、車で飲食店を出たまま三人とも失踪。
峰島英雄さんの車(赤いマーク2)も未発見。
失踪の当日は、関谷俊子さんの引越しの日だった。
失踪以降、何ら手がかりとなるものは無かった。
■千葉県警HP
http://www.police.pref.chiba.jp/
■救う会千葉HP
http://sukuukaichiba.web.fc2.com/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】金正男編[裁判2]/HBC

2017-04-20 07:54:03 | 日記
《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!金正男氏殺害事件で新展開、実行犯の女2人が法廷に》

【4月14日金曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件で、実行犯の女2人が法廷に姿を現しました。事件のキーマンたちが姿を消す中、裁判で事件の解明は進むのでしょうか。

物々しい警備が敷かれた裁判所。
防弾用のベストを身につけ、姿を現したインドネシア国籍のシティ・アイシャ被告とベトナム国籍のドアン・ティ・フオン被告。金正男氏殺害の実行犯として、逮捕・起訴されました。
ちょうど2か月前、クアラルンプールの空港で、正男氏の顔等に液体のようなものを塗り付けて逃走したとされる2人。正男氏は体調の異変を訴えた後、死亡し体内から猛毒の神経剤VXが検出されました。
有罪になれば、マレーシアの法律で死刑になるアイシャ被告とフオン被告。殺意の有無が裁判の大きな争点です。

「いたずら番組の撮影だと思っていた」

2人ともこれまで一貫して容疑を否認しています。

Q.マレーシアを出て安心しましたか?
「...」
(北朝鮮 ヒョン・グァンソン二等書記官)

しかし、犯行に関わったとされる北朝鮮籍の男たちは、既にマレーシアを出国しており、真相は闇のままです。
これまで弁護側は、北朝鮮大使館の二等書記官たちの事情聴取記録を公開するよう求めていました。しかし13日、検察側が拒否したため、予定していた裁判手続きは延期となりました。

「この殺人事件は、他の(北朝鮮の)4人が起こしたのです」
(フオン被告の弁護士)
Q.(アイシャ、フオン両被告)2人はスケープゴートになるのか?
「そうです。彼女たちは利用され、主犯は帰国が許された」
(アイシャ被告の弁護士)

正男氏殺害のため、2人は利用されただけなのでしょうか。
捜査当局が、主犯格とされる男4人の他に、事件のカギを握るキーマンの1人とみていたのが、「ジェームス」と呼ばれていた男です。ジェームスとは北朝鮮籍のリ・ジウという男。一緒にいるのはアイシャ被告です。ジウ氏は重要参考人の1人でしたが、捜査当局は既にマレーシアを出国したことを明らかにしています。北朝鮮に帰ったかどうかはわかっていません。

「彼(リ・ジウ氏)はカギとなる証人であり、この案件の要でした。彼の帰国が許されれば、我々の弁護は危うくなります」
(アイシャ被告の弁護士)
「フオン被告の父親によると、彼女は『何も間違ったことはしていない。他の男たちにだまされた』と言っている」
(フオン被告のいとこ)

北朝鮮による組織的な犯行が強く疑われる中、北朝鮮籍ではない女2人だけが裁かれるという状況に、マレーシア国内でも同情的な声が強くなっています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■救う会道南HP
http://www.satoukenji.jp/sukuukai_dounan/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



◆昭和55(1980)年5月頃
欧州における日本人男性拉致容疑事案
被害者:石岡 亨さん(To-o-ru Ishioka)
(拉致被害時22歳)
※This person was Abduction by North Korea
被害者:松木 薫さん(Kaoru Matsuki)
(拉致被害時26歳)
※This person was Abduction by North Korea
2人とも欧州滞在中の昭和55年に失踪。
昭和63年に石岡さんから日本の家族に出した手紙(ポーランドの消印)が届き、石岡さん、松木さん、そして有本恵子さんが北朝鮮に在住すると伝えてきた。
北朝鮮側は、石岡 亨さんは1988(昭和63)年11月にガス事故で有本恵子さんと共に死亡したとしているが、これを裏付ける資料等の提供はなされていない。
また、同様に松木 薫さんについても、1996(平成8)年8月に交通事故で死亡したとして、平成14年9月及び平成16年11月に開催された第3回日・朝実務者協議と2回にわたり、北朝鮮側から松木さんの「遺骨」の可能性があるとされるものが提出されたが、そのうちの一部からは、同人のものとは異なるDNAが検出されたとの鑑定結果を得た。
捜査当局は拉致実行犯である「よど号」犯人の妻・森 順子及び若林(旧姓:黒田)佐喜子について、平成19年6月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■熊本県警HP
http://www.police.pref.kumamoto.jp/

[In or around May 1980: Two Japanese men abducted in Europe]

Abductees: Toru Ishioka (22, male, Europe), Kaoru Matsuki (26, male, Europe)
Both men disappeared while living in Europe in 1980. A letter postmarked in Poland and sent by Mr. Ishioka in 1988 to his family in Japan indicated that he, Mr. Matsuki and Keiko Arimoto (see 12 below) were all living in North Korea.
North Korea asserts that Mr. Ishioka and Ms. Arimoto died in a gas poisoning accident in November 1988, but has provided no documents or evidence to support these claims. North Korea also asserts that Mr. Matsuki died in an automobile accident in August 1996. In September 2002, and at the Third Japan-North Korea Working-Level Consultations held in September 2002 and November 2004, North Korea handed over remains possibly belonging to Mr. Matsuki, but analysis in Japan indicates that these remains contain DNA belonging to someone else.
The Japanese authorities issued arrest warrants in June 2007 for Junko Mori and Sakiko Wakabayashi (nee Kuroda), wives of Yodo-go members, who are believed to be responsible for these abductions, and listed them both with Interpol. The GoJ demands that North Korea extradite them to Japan.

《特定失踪者・森 洋子さんについて》
◆氏名:森 洋子
(もりようこ)
(Youko Mori)
◆失踪年月日:昭和38(1963)年9月20日
◆生年月日:昭和19(1944)年5月15日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の住所:北海道亀田郡戸井村(現・函館市)
◆当時の身分:雑貨商の実家手伝い
◆身長:163cm
◆体重:48kg
◆特徴:
1)色白
2)長身で痩せ型
3)盲腸の手術跡
4)鼻の右下と口の下に小さなほくろあり
5)髪はパーマをかけていた
◆失踪場所:北海道函館市千歳町のバス停留所付近

【失踪状況】
高校時代の友人の家に泊まりに行き、翌日別の友人と買い物をしたり、函館山へ遊びに行く。
20日夕方、友人と喫茶店2軒で時間をつぶし、午後9時頃のバスに乗るため、2人でバス停に向かう。
その後、洋子さんは前日に宿泊した友人の所へ泊まると言い、バスで帰る友人と別れたのが最後。

《特定失踪者・渡辺栄一さんについて》
◆氏名:渡辺 栄一
(わたなべえいいち)
(Ei-ichi Watanabe)
◆失踪年月日:平成9(1997)年11月9日
◆生年月日:昭和30(1955)年4月17日
◆性別:男
◆当時の年齢:42歳
◆当時の身分:建設技術者
◆身長:165cm
◆体重:59kg~60kg
◆失踪場所:北海道瀬棚郡

【失踪状況】
失踪前、トンネル作業所から「1週間くらいで作業終了する」と電話で知らせ、その後失踪。
警察や消防団が山狩りなど3日間捜索するが何も出てこず。
12月7日本人の車が川沿いで発見される。
指紋採取をしたがきれいにふき取られ何も出なかった。

《特定失踪者・名取志津子さんについて》
◆氏名:名取 志津子
(なとりしづこ)
(Shizuko Natori)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月2日
◆生年月日:昭和27(1952)年2月16日
◆性別:女性
◆当時の年齢:19歳
◆当時の身分:金物店勤務
◆特徴:
1)小柄
2)丸顔
◆失踪場所:北海道瀬棚郡北檜山町

【失踪状況】
勤務先であった姉の嫁ぎ先より帰宅途中に失踪。
当時は瀬棚線で通勤していた。
静岡から戻ってくる母が午後7時半頃北桧山駅に列車に乗る予定だったため、いつもより店を出る時間を約1時間遅らせた。
帰り際に「明日母のお土産をもってくるから」と親類に言って店を出た。

《特定失踪者・本多茂樹さんについて》
◆氏名:本多 茂樹
(ほんだしげき)
(Shigeki Honda)
◆失踪年月日:昭和55(1980)年5月21日
◆生年月日:昭和28(1953)年8月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:26歳
◆当時の住所:北海道札幌市豊平区
◆当時の身分:電話に関する仕事
◆身長:160cm
◆特徴:
1)痩せ型
2)色白
◆失踪場所:青函連絡船

【失踪状況】
就職のため東京へ行く途中、青函連絡船の中に荷物だけ残し行方不明。
北海道警は自殺であろうといい、家族もそうかと思い仏事も済ませたところ、実家や兄のところに、約8ヶ月間、度々無言電話がかかってきた。
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/

《警視庁公開特定失踪者・小住健藏さんについて》
◆氏名:小住 健藏
(こすみけんぞう)
(Kenzou Kosumi)
◆年齢:27歳(行方不明当時)
◆住所:東京都板橋区
◆職業:工員
◆身体的特徴:身長160cmくらい

【失踪状況】
昭和36年以降、行方不明になっています。
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】金正男編[裁判2]/ATV

2017-04-20 07:50:18 | 日記
《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!金正男氏殺害事件で新展開、実行犯の女2人が法廷に》

【4月14日金曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件で、実行犯の女2人が法廷に姿を現しました。事件のキーマンたちが姿を消す中、裁判で事件の解明は進むのでしょうか。

物々しい警備が敷かれた裁判所。
防弾用のベストを身につけ、姿を現したインドネシア国籍のシティ・アイシャ被告とベトナム国籍のドアン・ティ・フオン被告。金正男氏殺害の実行犯として、逮捕・起訴されました。
ちょうど2か月前、クアラルンプールの空港で、正男氏の顔等に液体のようなものを塗り付けて逃走したとされる2人。正男氏は体調の異変を訴えた後、死亡し体内から猛毒の神経剤VXが検出されました。
有罪になれば、マレーシアの法律で死刑になるアイシャ被告とフオン被告。殺意の有無が裁判の大きな争点です。

「いたずら番組の撮影だと思っていた」

2人ともこれまで一貫して容疑を否認しています。

Q.マレーシアを出て安心しましたか?
「...」
(北朝鮮 ヒョン・グァンソン二等書記官)

しかし、犯行に関わったとされる北朝鮮籍の男たちは、既にマレーシアを出国しており、真相は闇のままです。
これまで弁護側は、北朝鮮大使館の二等書記官たちの事情聴取記録を公開するよう求めていました。しかし13日、検察側が拒否したため、予定していた裁判手続きは延期となりました。

「この殺人事件は、他の(北朝鮮の)4人が起こしたのです」
(フオン被告の弁護士)
Q.(アイシャ、フオン両被告)2人はスケープゴートになるのか?
「そうです。彼女たちは利用され、主犯は帰国が許された」
(アイシャ被告の弁護士)

正男氏殺害のため、2人は利用されただけなのでしょうか。
捜査当局が、主犯格とされる男4人の他に、事件のカギを握るキーマンの1人とみていたのが、「ジェームス」と呼ばれていた男です。ジェームスとは北朝鮮籍のリ・ジウという男。一緒にいるのはアイシャ被告です。ジウ氏は重要参考人の1人でしたが、捜査当局は既にマレーシアを出国したことを明らかにしています。北朝鮮に帰ったかどうかはわかっていません。

「彼(リ・ジウ氏)はカギとなる証人であり、この案件の要でした。彼の帰国が許されれば、我々の弁護は危うくなります」
(アイシャ被告の弁護士)
「フオン被告の父親によると、彼女は『何も間違ったことはしていない。他の男たちにだまされた』と言っている」
(フオン被告のいとこ)

北朝鮮による組織的な犯行が強く疑われる中、北朝鮮籍ではない女2人だけが裁かれるという状況に、マレーシア国内でも同情的な声が強くなっています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■青森県警HP
http://www.police.pref.aomori.jp/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



《特定失踪者・今井 裕さんについて》
◆氏名:今井 裕
(いまいゆたか)
(Yutaka Imai)
◆失踪年月日:昭和44(1969)年3月2日
◆生年月日:昭和25(1950)年12月20日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:青森県弘前市
◆当時の身分:青森県立弘前工業高校3年生
◆身長:170cmくらい
◆体重:62kg~63kg
◆特徴:
1)眼鏡着用
2)右の頬に子どものとき木に登ってついた傷が残っている
◆失踪場所:青森県弘前市内

【失踪状況】
3月4日の卒業式で答辞を読むことになっていたので、「制服のボタンを買いに行く」と自宅を出たまま行方不明に。
東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)に就職が決まっていた。
平成16年1月29日、青森県弘前署に告発状提出。

《特定失踪者・平山政子さんについて》
◆氏名:平山 政子
(ひらやままさこ)
(Masako Hirayama)
◆失踪年月日:昭和47(1972)年3月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年9月4日
◆性別:女性
◆当時の年齢:25歳
◆当時の住所:青森県青森市
◆当時の身分:飲食店従業員
◆失踪場所:青森県青森市

【失踪状況】
当日、絵を描いていた姉妹が入賞し、お祝いのために待ち合わせていたが現れず。
アパートを訪ねると、特に身辺整理した様子もなく、普段の生活状況のまま。
無断欠勤したことのない政子さんが丸2日も職場に連絡せず失踪。
趣味の手品のアシスタントとしてステージに立つこともあった。
同日、ハワイで行われるマジックの世界大会に参加するための打ち合わせがあった。
■三重県警HP
http://www.police.pref.mie.jp/

《特定失踪者・山口浩一さんについて》
◆氏名:山口 浩一
(やまぐちこういち)
(Kouichi Yamaguchi)
◆失踪年月日:昭和48(1973)年5月
◆生年月日:昭和29(1954)年9月28日
◆性別:男
◆当時の年齢:18歳
◆当時の住所:大阪府東大阪市
◆当時の身分:高校生
◆身長:168cm
◆体重:60kg
◆血液型:O型
◆失踪場所:青森県十和田湖か?

【失踪状況】
青森の十和田湖のホテルから「お金が足りない」と連絡のあと、女性とともに行方不明。
■大阪府警HP
http://www.police.pref.osaka.jp/

《特定失踪者・木本佳紀さんについて》
◆氏名:木本 佳紀
(きもとよしのり)
(Yoshinori Kimoto)
◆失踪年月日:昭和60(1985)年10月1日
◆生年月日:昭和38(1963)年5月18日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:青森県弘前市
◆当時の身分:大学生
◆身長:176cm
◆体重:65kg
◆血液型:A型
◆視力:右0.06、左0.05で眼鏡使用
◆特徴:
1)手首に約1cmの火傷の跡がありケロイド状になっている
2)首の後ろに直径約3mmの大きなほくろがある
◆失踪場所:青森県弘前市

【失踪状況】
下宿先アパートから失踪。
机の引き出しには免許証、預金通帳、キャッシュカード、旅行鞄、衣類も残っている。
10月1日付の新聞が部屋の中にあった。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/

《特定失踪者・木村かほるさんについて》
◆氏名:木村 かほる
(きむらかおる)
(Kaoru Kimura)
◆失踪年月日:昭和35(1960)年2月27日
◆生年月日:昭和13(1938)年8月27日
◆性別:女性
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:秋田県秋田市中通
◆当時の身分:日赤秋田高等看護学校3年生
◆特徴:
1)中肉中背
2)色白でいつも微笑みをたたえ優しい感じ
◆失踪場所:秋田市内

【失踪状況】
戸籍上は「かをる」だが、日常は「かほる」としていた。
看護学校の卒業式を10日後に控えていた。
「ちょっと出かけてくる」と寮の同室の友人数人に言って出て行ったきり戻らず。
平成16年9月29日、青森県八戸署に告発状を提出。
■秋田県警HP
http://www.police.pref.akita.jp/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】吉村美栄子編[ミサイル訓練]/TUY

2017-04-20 07:46:12 | 日記
《トンチキミサイルじゃなくて、拉致被害者を返せ!北朝鮮ミサイル備え 県が訓練実施へ》

【4月18日火曜日】
緊迫度を増す北朝鮮情勢を受け、山形県の吉村美栄子知事は4月18日、北朝鮮のミサイル発射に備え関係する市町村と連携し訓練を実施する考えを明らかにしました。

「本県としましても万が一の事態を想定した住民避難訓練の実施について市町村と協議してまいります」
(吉村美栄子山形県知事)

北朝鮮は4月16日の朝、弾道ミサイル1発を発射しました。直後に爆発したため、防衛省では国内への影響は無いと分析していますが、相次ぐミサイルの発射や核実験の可能性が報じられる等、北朝鮮情勢は緊迫度を増してきています。
先月には、日本のEEZ・排他的経済水域である秋田沖に弾道ミサイルが着弾したこともあり、山形県では関係する自治体と連携し避難訓練を実施することにしました。
訓練の時期や、参加する市町村等は今後検討するとしていますが、内容については、先月、秋田県男鹿市で初めて実施された防災行政無線やエリアメールをもとに住民が屋外に避難する訓練等が想定されるということです。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
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■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
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http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
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■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
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■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



《特定失踪者・小谷幸夫さんについて》
◆氏名:小谷 幸夫
(こたにゆきお)
(Yukio Kotani)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年7月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都練馬区
◆当時の身分:大学4年生
◆身長:170cmより高め
◆体重:55kg~56kg
◆失踪場所:山形県飯豊連峰・飯豊本山付近

【失踪状況】
拓殖大学4年生在学中の夏休み、北海道へ帰省する途中に、飯豊連峰に登山中行方不明に。
19日に上野駅を出発し、翌日郡山を経て8:30に磐越西線山都駅に到着。
バスで登山口の一ノ木登山連絡所に行き、9:30頃に登山者名簿に記録を残す。
そこから飯豊山(2,205m)へ向かい、同日は手前の小屋に止まる。
21日朝3:30に同宿した4名とともに飯豊山を目指し、4:40頃に飯豊山着。
ここからガスがかかりだしたことから、同行の4人は引き返したが、小西さん一人御西岳に向かい、そのまま行方不明。
地元警察などが捜索を行ったが遺留品など一切なし。
その後2年にわたって捜索が続けられたが全く手掛かりがなかった。
同泊した登山者の話では、小谷さんは「北股岳を通る」「朝日連峰にも登りたい」と話していたという。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・布施範行さんについて》
◆氏名:布施 範行
(ふせのりゆき)
(Noriyuki Fuse)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月
◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市北区
◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)
◆身長:180cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:不詳

【失踪状況】
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
(Takeshi Saitou)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:168cm
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:会社員
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》
◆氏名:酒井 秀俊
(さかいひでとし)
(Hidetoshi Sakai)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?
◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:京都市右京区
◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生
◆身長:170cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)盲腸の手術跡
◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】
当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と一の宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。
正月に母や姉の住む山形にも一の宮にも帰省しなかった。
下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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【みんな生きている】金正男編[裁判2]/TUY

2017-04-20 07:42:04 | 日記
《人殺しの前に、拉致被害者を返せ!金正男氏殺害事件で新展開、実行犯の女2人が法廷に》

【4月14日金曜日】
北朝鮮の金正男(キム・ジョンナム)氏殺害事件で、実行犯の女2人が法廷に姿を現しました。事件のキーマンたちが姿を消す中、裁判で事件の解明は進むのでしょうか。

物々しい警備が敷かれた裁判所。
防弾用のベストを身につけ、姿を現したインドネシア国籍のシティ・アイシャ被告とベトナム国籍のドアン・ティ・フオン被告。金正男氏殺害の実行犯として、逮捕・起訴されました。
ちょうど2か月前、クアラルンプールの空港で、正男氏の顔等に液体のようなものを塗り付けて逃走したとされる2人。正男氏は体調の異変を訴えた後、死亡し体内から猛毒の神経剤VXが検出されました。
有罪になれば、マレーシアの法律で死刑になるアイシャ被告とフオン被告。殺意の有無が裁判の大きな争点です。

「いたずら番組の撮影だと思っていた」

2人ともこれまで一貫して容疑を否認しています。

Q.マレーシアを出て安心しましたか?
「...」
(北朝鮮 ヒョン・グァンソン二等書記官)

しかし、犯行に関わったとされる北朝鮮籍の男たちは、既にマレーシアを出国しており、真相は闇のままです。
これまで弁護側は、北朝鮮大使館の二等書記官たちの事情聴取記録を公開するよう求めていました。しかし13日、検察側が拒否したため、予定していた裁判手続きは延期となりました。

「この殺人事件は、他の(北朝鮮の)4人が起こしたのです」
(フオン被告の弁護士)
Q.(アイシャ、フオン両被告)2人はスケープゴートになるのか?
「そうです。彼女たちは利用され、主犯は帰国が許された」
(アイシャ被告の弁護士)

正男氏殺害のため、2人は利用されただけなのでしょうか。
捜査当局が、主犯格とされる男4人の他に、事件のカギを握るキーマンの1人とみていたのが、「ジェームス」と呼ばれていた男です。ジェームスとは北朝鮮籍のリ・ジウという男。一緒にいるのはアイシャ被告です。ジウ氏は重要参考人の1人でしたが、捜査当局は既にマレーシアを出国したことを明らかにしています。北朝鮮に帰ったかどうかはわかっていません。

「彼(リ・ジウ氏)はカギとなる証人であり、この案件の要でした。彼の帰国が許されれば、我々の弁護は危うくなります」
(アイシャ被告の弁護士)
「フオン被告の父親によると、彼女は『何も間違ったことはしていない。他の男たちにだまされた』と言っている」
(フオン被告のいとこ)

北朝鮮による組織的な犯行が強く疑われる中、北朝鮮籍ではない女2人だけが裁かれるという状況に、マレーシア国内でも同情的な声が強くなっています。

■政府拉致問題HP
http://www.rachi.go.jp/
■警察庁HP
http://www.npa.go.jp/
■山形県警HP
http://www.pref.yamagata.jp/police/
■救う会全国協議会HP
http://www.sukuukai.jp/
■特定失踪者問題調査会HP
http://www.chosa-kai.jp/
■北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会HP
http://hrnk.trycomp.net/
■北朝鮮人権人道ネットワークfacebook
http://www.facebook.com/nknet2015
■北朝鮮を離れて自由へ★イ・エラン★のブログ
http://blog.goo.ne.jp/aeran2000
■脱北者トーク番組動画
https://www.youtube.com/watch?v=KJZWxe9P-L8&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[前編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=zCPxzwHK8fQ&feature=youtu.be
■脱北者・金柱聖さんの動画[後編](日本語訳付き)
https://www.youtube.com/watch?v=bq4sYy6d6EA&feature=youtu.be



《特定失踪者・小谷幸夫さんについて》
◆氏名:小谷 幸夫
(こたにゆきお)
(Yukio Kotani)
◆失踪年月日:昭和43(1968)年7月21日
◆生年月日:昭和22(1947)年2月13日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の住所:東京都練馬区
◆当時の身分:大学4年生
◆身長:170cmより高め
◆体重:55kg~56kg
◆失踪場所:山形県飯豊連峰・飯豊本山付近

【失踪状況】
拓殖大学4年生在学中の夏休み、北海道へ帰省する途中に、飯豊連峰に登山中行方不明に。
19日に上野駅を出発し、翌日郡山を経て8:30に磐越西線山都駅に到着。
バスで登山口の一ノ木登山連絡所に行き、9:30頃に登山者名簿に記録を残す。
そこから飯豊山(2,205m)へ向かい、同日は手前の小屋に止まる。
21日朝3:30に同宿した4名とともに飯豊山を目指し、4:40頃に飯豊山着。
ここからガスがかかりだしたことから、同行の4人は引き返したが、小西さん一人御西岳に向かい、そのまま行方不明。
地元警察などが捜索を行ったが遺留品など一切なし。
その後2年にわたって捜索が続けられたが全く手掛かりがなかった。
同泊した登山者の話では、小谷さんは「北股岳を通る」「朝日連峰にも登りたい」と話していたという。
■北海道警HP
http://www.police.pref.hokkaido.lg.jp/
■埼玉県警HP
http://www.police.pref.saitama.lg.jp/
■警視庁HP
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp

《特定失踪者・布施範行さんについて》
◆氏名:布施 範行
(ふせのりゆき)
(Noriyuki Fuse)
◆失踪年月日:昭和52(1977)年3月
◆生年月日:昭和29(1954)年2月9日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆当時の住所:愛知県名古屋市北区
◆当時の身分:アルバイト(プレハブ工事現場)
◆身長:180cm
◆特徴:痩せ型
◆失踪場所:不詳

【失踪状況】
3月に「沖縄に行く」と書いた手紙が妹にあり、4枚写真が同封。
3カ月前に実家で会ったときとは別人の様相。
「2カ月で帰る」とあったがその後連絡なし。
預金通帳、印鑑も一緒に妹に送付。
昭和53年2月までは実家に電話、手紙あり。同年1月頃、家族に電話で中華風の料理をしてみたいと言っていた。
失踪後、半年か1年後、女性の声で「範行さんいませんか」と電話が2回あった。
平成17年1月31日、山形県警に告発状提出。
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/
■沖縄県警HP
http://www.police.pref.okinawa.jp/

《特定失踪者・齋藤 武さんについて》
◆氏名:齋藤 武
(さいとうたけし)
(Takeshi Saitou)
◆失踪年月日:昭和58(1983)年10月30日
◆生年月日:昭和20(1945)6月14日
◆性別:男
◆当時の年齢:39歳
◆身長:168cm
◆当時の住所:神奈川県横浜市
◆当時の身分:会社員
◆特徴:子供の時、凍傷で左手親指の爪が欠落。
◆失踪場所:神奈川県横浜市

【失踪状況】
昭和60年1月にアパートの大家から家賃未納の手紙が届き、失踪していることが判明した。
家人が会社に問い合わせたところ、昭和59年10月で退職し、以後行方不明であるとのことであった。
失踪者の部屋の様子は衣服にカビが生え、缶詰は錆び付いているなど数年間も住んでいなかったような感じで、荷物もそのままの状況だった。
■神奈川県警HP
http://www.police.pref.kanagawa.jp/

《特定失踪者・酒井秀俊さんについて》
◆氏名:酒井 秀俊
(さかいひでとし)
(Hidetoshi Sakai)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年1月16日?
◆生年月日:昭和27(1952)年1月31日
◆性別:男
◆当時の年齢:22歳
◆当時の住所:京都市右京区
◆当時の身分:立命館大学経済学部4年生
◆身長:170cm
◆特徴:
1)中肉中背
2)盲腸の手術跡
◆失踪場所:不祥(当時京都市右京区に下宿)

【失踪状況】
当時両親は転勤族で山形在住、姉は結婚し祖母と一の宮市に住んでいたので、本人の失踪時期は正確にはわからない。
正月に母や姉の住む山形にも一の宮にも帰省しなかった。
下宿していた部屋はたった今まで生活していたような感じだった。
■京都府警HP
http://www.pref.kyoto.jp/fukei/
■愛知県警HP
http://www.pref.aichi.jp/police/

◆昭和53(1978)年6月頃
元飲食店店員拉致容疑事案
被害者:田中 実さん(Minoru Tanaka)
(拉致被害時28歳)
※This person was Abduction by North Korea
欧州に向け出国したあと失踪。
平成14年10月にクアラルンプールで行われた日・朝国交正常化交渉第12回本会談及び平成16年に計3回行われた日・朝実務者協議において我が方から北朝鮮側に情報提供を求めたが、第3回協議において北朝鮮側より北朝鮮に入境したことは確認できなかった旨回答があった。
平成17年4月に田中 実さんが拉致認定されて以降、政府は北朝鮮側に対し即時帰国及び事案に関する真相究明を求めてきているが、これまでに回答はない。
■兵庫県警HP
http://www.police.pref.hyogo.lg.jp/
■救う会兵庫HP
http://www.sukuukai078.net/04.html
■救う会兵庫facebook
http://www.facebook.com/sukuukai078

[In or around June 1978: Former restaurant worker abducted]

Abductee: Minoru Tanaka (28, male, Hyogo Prefecture)
Disappeared after departing Japan for Europe.
The GoJ requested that North Korea provide information on this case at the 12th round of Japan-North Korea Normalization Talks held in Kuala Lumpur in October 2002 and all three Japan-North Korea Working-Level Consultations held in 2004. During the third round of consultations, North Korea asserted that there is no evidence that Mr. Tanaka had ever entered North Korean territory.
Since April 2005, when the GoJ officially identified Minoru Tanaka as an abductee, the GoJ has demanded that North Korea immediately allow him to return to Japan and provide a full accounting of his case. North Korea, however, has not responded.



【SEA OF MERCY】
The book named “Sea of Mercy”
13-year- old junior high school student Takeshi Terakoshi was abducted in May 1963.
He went fishing with his two uncle, Shoji and Soto-o Terakoshi. The fishingboat named Kiyomaru left for the fishing ground nearby Noto island, Ishikawa prefecture.
Kiyomaru encountered North Korean spy vessel. Spies were afraid of detection.
Soto-o and Takeshi were abducted and carried to Chong-jin city. Shoji was considered to be killed at the site.
Families, fellow fishermen and coast guard searched the area, but they could find only Kiyomaru and Takeshi’s school uniform.
They thought 3 persons were in disress and died. Funeral service was held.24 Years were passed.
In 1987, Soto-o’s sister received the letter from Soto-o and surprised.
Soto-o wrote “Takeshi and I am living in Gusong, North Korea”.
Takeshi’s father and mother visited to North Korea in1988 and met with Soto-o and Takeshi.
But they couldn’t say how they carried to North Korea because NK officials watched them.
North Korea made the story of their shipwreck accident and lifesaving.
Since then, Takeshi’s parents visited to him a lot of times but Takeshi and his family members cannot say that Takeshi and his uncles were abducted.
In 1997, Megumi Yokota case was appeared in the media and the national congress. Terakoshi’s case was also observed as an abduction case. But “he” denied that he was abducted and praised North Korea and the Kim family.
In December 2001, Pyongyang publishing company published a book named “Sea of Mercy”.
The author is Kim Myong-ho, Takeshi’s Korean name.
In that book, Takeshi wrote that they are not the abduction victims but happily living in North Korea after they ware saved. Moreover “he" denied other abduction case such as Megumi Yokota and Yaeko Taguchi in this book.
Nine months later, Kim Jong-il admitted and appologized for the abduction activities.
But North Korea still denies Terakoshi’s case as abduction and Takeshi and his family cannot say he was abduction victim because Takeshi himself is a hostage.
“Sea of Mercy”, the title is a symbol of North Korean regime.

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