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【みんな生きている】群馬の森朝鮮人追悼碑編(1)/産経新聞

2014-05-06 17:08:27 | 日記
群馬県内の平和団体などが県の施設設置許可を受けて県立公園「群馬の森」(高崎市)に建立した朝鮮人追悼碑について、定期的に集会で日本政府を批判するなど「政治的利用の疑いがある」として、県が許可取り消しも含め、対応を検討していることが4月17日、複数の関係者への取材で明らかになった。
問題の碑は平成16年、「追悼碑を建てる会」(現「追悼碑を守る会」)が建てた。会の「共同代表」には民主党の角田義一元参院副議長らが名を連ねている。
碑は戦時中、朝鮮半島から県内の工場や工事現場に徴用され、事故や過労で死亡した朝鮮人を追悼する名目で、正面に「記憶 反省 そして友好」と書かれた銘板を掲げている。
一方、背面には「朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明」など、過去の「反省」に重きを置いた文章が日本語とハングルで併記されている。
平成16年2月、建てる会は当時の小寺弘之知事に「県立公園施設設置許可書」を申請。県は翌3月、「政治的行事および管理を行わない」などを条件に許可した。
だが、関係者によると、同会は平成16~平成24年の毎年、碑の前で追悼集会を開催。「強制連行への謝罪が必要」など日本の過去と政府の歴史認識を批判してきた。
県によると、平成24年5月以降、県に「碑文の内容がおかしい」など計108件の抗議があったという。

《特定失踪者・横田道人さんについて》
◆氏名:横田 道人
(よこたみちひと)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年1月27日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:173cm
◆体重:68kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:群馬県碓氷郡松井田町(現・群馬県安中市松井田町)
◆失踪場所:群馬県安中市安中のバス停

【失踪状況】
群馬大学工学部応用化学科を卒業し、東邦亜鉛に入社して1年後。
当日は給料日、会社の昼休みに安中駅前郵便局に預金している。
同日残業後午後7時頃、安中市内の電器店にステレオの月賦を支払い、松井田駅行きのバスで帰宅する予定だった。
午後7時30分頃、電器店前のバス停に立っていたのを同店主が見届けたのを最後に行方不明となり、その後全く手がかりなし。

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆当時の住所:埼玉県蕨市(群馬県前橋市出身)
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。
当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日前実家に電話があり両親も知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
運転免許の更新もなし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。

《特定失踪者・加藤八重子さんについて》
◆氏名:加藤 八重子(石川 八重子)
(かとうやえこ/いしかわやえこ)
◆失踪年月日:昭和53(1978)年9月22日
◆生年月日:昭和15(1940)年9月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:38歳
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:電信電話局勤務(交換手)
◆当時の住所:群馬県群馬郡群馬町(現・群馬県高崎市)
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:群馬県群馬町の自宅から

【失踪状況】
当日早朝、八重子さんの長女が部屋を見たら姿がなかった。
夫は夜勤で不在。
前夜は二人の子供とともにテレビを見ていて、子供は午後十時過ぎに就寝している。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて、現金、履物、衣類、鞄など何もなくなっていない。
高崎署は事件の可能性も含め捜査を行ったが、全く手がかりが掴めなかった。

【荒木和博調査会代表による加藤八重子さん失踪についての解説】
加藤八重子さんは昭和53(1978)年9月22日に群馬県群馬町の自宅から失踪しました。
当日朝、お嬢さんが八重子さんの部屋を見たら姿がなく、寝ていた掛け布団が真ん中だけ膨らみ、誰かに引っ張られて出されたという感じで残されていました。当時38歳。
ご主人はその晩夜勤で不在でした。
前夜は2人のお子さんとともにテレビを見ていて、お子さんたちは午後10時過ぎに就寝しています。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて現金、履物、衣類、鞄など全て残っていました。
先日お嬢さんとお会いし、あらためて色々お聞きしたのですが、お話ししていてふと気付いたことがありました。
加藤さんのケースは大多数の特定失踪者と異なり、失踪直後から警察が事件性を察知して動いたケースだということです。
子供を別にすれば、大多数の特定失踪者の場合は家族が届出をしても「事件性なし」と判断され、警察はほとんど動くことはありません。警察には年間10万人近い失踪者の届けがあるので、ある程度仕方ないことではあります。
その意味で加藤さんの失踪事件は特異なケースなのですが、警察の視点は北朝鮮による拉致ではなく、一般の刑事事件としてでした。
警察が最初に疑ったのはご主人で、さらに親族も含めてかなり厳しく調べられたそうです。当時小学生だったお嬢さんですら取調室のようなところで事情聴取をされたとのことでした。
しかし、結局何も出てこず、その後は音沙汰なしになっています。
加藤さんの布団の状況からすれば自分から布団を出たとは考えられません。自分から出たなら布団を畳むかめくるかしているでしょうから。
しかも履物もなくなっていないのですから、考えられるのは意識を失った状態で他人に引っ張り出され、そのまま連れ去られたということです。
ところで加藤八重子さんは電電公社(現在のNTT)の職員でした。そしてご主人は国鉄(現在のJR)に勤めていました。どちらも労働組合は旧社会党系です。
また、ご主人は1か月前、職場の野球大会のとき家の鍵を盗まれていました。
失踪時に警察は事件性を考えてかなり綿密に調べているのですから、家族が犯人でないと分かった時点で、他に何がありうるかを考えたはずです。そのとき、北朝鮮とまでは思わなかったとしても、職場のことを考えなかったとは思えません。
群馬県は金丸・田辺訪朝団で有名な田辺 誠・元社会党委員長の地元でもあります。様々な意味で北朝鮮との関係も深く、後に原 敕晁さんを拉致して成り代わる北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が高崎や前橋のパチンコ屋に身を隠していたこともありました。
このところ色々な情報が出てくる中で、日本人協力者、特に社会党ないし社会党系労組にいた北朝鮮シンパの活動が注目されています。職場の野球で家の鍵が盗まれていること、ご主人の夜勤のときに奥さんが失踪していることからして、周囲にいる事情に詳しい人間が動いた可能性も少なくありません。
加藤さんの失踪は35年前の事件ではあっても、未解決の刑事事件として警察に何らかの記録は残っているはずです。また、当時盛んだった自民党・社会党の裏取引の中でこのような問題が握り潰されたことはなかったのかとの懸念もあります。
これまでただ一人の拉致実行犯も起訴できていない警察としては、「一所懸命やっている」というだけではなく、ぜひ結果を出して真相を究明していただきたいと希望する次第です。

《新潟県警公開特定失踪者・矢坂 寛さんについて》
◆氏名:矢坂 寛
(やさかひろし)
◆当時の年齢:33歳(昭和63年当時)
◆当時の住所:群馬県高崎市
◆当時の職業:会社員
◆身長:160cm~165㎝くらい

【失踪状況】
昭和63年11月、「直江津港に釣りに行く」と言って、上越市内の実家を出たまま、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】群馬の森朝鮮人追悼碑編(2)/産経新聞

2014-05-06 17:04:32 | 日記
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に設置された朝鮮人追悼碑をめぐり、北朝鮮拉致被害者・家族の支援組織「救う会・群馬」が、県議会に設置許可の取り消しを求める請願書を近く提出することが5月2日、分かった。
碑を設置した「追悼碑を守る会」の共同代表を務める民主党の角田義一元参院副議長が、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の関連団体から寄付を受けていたことなどが提出を決めた理由としている。
救う会関係者は、

「朝鮮総連は人権侵害を否定し、『拉致問題は解決済み』とする現体制を支持している。守る会は朝鮮総連が主体となっているのではないか」

と疑念を呈している。
請願書には「守る会」が同公園内で日本政府を批判する集会を開き、県と守る会が設置時に結んだ「政治的行事および管理を行わない」とした設置許可条件に違反している-などが盛り込まれる予定。
問題の碑は「追悼碑を建てる会(現・守る会)」が平成16年に県の許可を受けて設置。今年1月31日が許可期限だったが、守る会が政治的に利用している疑いがあるとして、県は許可の更新を保留している。

《特定失踪者・横田道人さんについて》
◆氏名:横田 道人
(よこたみちひと)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年1月27日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:173cm
◆体重:68kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:群馬県碓氷郡松井田町(現・群馬県安中市松井田町)
◆失踪場所:群馬県安中市安中のバス停

【失踪状況】
群馬大学工学部応用化学科を卒業し、東邦亜鉛に入社して1年後。
当日は給料日、会社の昼休みに安中駅前郵便局に預金している。
同日残業後午後7時頃、安中市内の電器店にステレオの月賦を支払い、松井田駅行きのバスで帰宅する予定だった。
午後7時30分頃、電器店前のバス停に立っていたのを同店主が見届けたのを最後に行方不明となり、その後全く手がかりなし。

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆当時の住所:埼玉県蕨市(群馬県前橋市出身)
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。
当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日前実家に電話があり両親も知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
運転免許の更新もなし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。

《特定失踪者・加藤八重子さんについて》
◆氏名:加藤 八重子(石川 八重子)
(かとうやえこ/いしかわやえこ)
◆失踪年月日:昭和53(1978)年9月22日
◆生年月日:昭和15(1940)年9月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:38歳
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:電信電話局勤務(交換手)
◆当時の住所:群馬県群馬郡群馬町(現・群馬県高崎市)
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:群馬県群馬町の自宅から

【失踪状況】
当日早朝、八重子さんの長女が部屋を見たら姿がなかった。
夫は夜勤で不在。
前夜は二人の子供とともにテレビを見ていて、子供は午後十時過ぎに就寝している。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて、現金、履物、衣類、鞄など何もなくなっていない。
高崎署は事件の可能性も含め捜査を行ったが、全く手がかりが掴めなかった。

【荒木和博調査会代表による加藤八重子さん失踪についての解説】
加藤八重子さんは昭和53(1978)年9月22日に群馬県群馬町の自宅から失踪しました。
当日朝、お嬢さんが八重子さんの部屋を見たら姿がなく、寝ていた掛け布団が真ん中だけ膨らみ、誰かに引っ張られて出されたという感じで残されていました。当時38歳。
ご主人はその晩夜勤で不在でした。
前夜は2人のお子さんとともにテレビを見ていて、お子さんたちは午後10時過ぎに就寝しています。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて現金、履物、衣類、鞄など全て残っていました。
先日お嬢さんとお会いし、あらためて色々お聞きしたのですが、お話ししていてふと気付いたことがありました。
加藤さんのケースは大多数の特定失踪者と異なり、失踪直後から警察が事件性を察知して動いたケースだということです。
子供を別にすれば、大多数の特定失踪者の場合は家族が届出をしても「事件性なし」と判断され、警察はほとんど動くことはありません。警察には年間10万人近い失踪者の届けがあるので、ある程度仕方ないことではあります。
その意味で加藤さんの失踪事件は特異なケースなのですが、警察の視点は北朝鮮による拉致ではなく、一般の刑事事件としてでした。
警察が最初に疑ったのはご主人で、さらに親族も含めてかなり厳しく調べられたそうです。当時小学生だったお嬢さんですら取調室のようなところで事情聴取をされたとのことでした。
しかし、結局何も出てこず、その後は音沙汰なしになっています。
加藤さんの布団の状況からすれば自分から布団を出たとは考えられません。自分から出たなら布団を畳むかめくるかしているでしょうから。
しかも履物もなくなっていないのですから、考えられるのは意識を失った状態で他人に引っ張り出され、そのまま連れ去られたということです。
ところで加藤八重子さんは電電公社(現在のNTT)の職員でした。そしてご主人は国鉄(現在のJR)に勤めていました。どちらも労働組合は旧社会党系です。
また、ご主人は1か月前、職場の野球大会のとき家の鍵を盗まれていました。
失踪時に警察は事件性を考えてかなり綿密に調べているのですから、家族が犯人でないと分かった時点で、他に何がありうるかを考えたはずです。そのとき、北朝鮮とまでは思わなかったとしても、職場のことを考えなかったとは思えません。
群馬県は金丸・田辺訪朝団で有名な田辺 誠・元社会党委員長の地元でもあります。様々な意味で北朝鮮との関係も深く、後に原 敕晁さんを拉致して成り代わる北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が高崎や前橋のパチンコ屋に身を隠していたこともありました。
このところ色々な情報が出てくる中で、日本人協力者、特に社会党ないし社会党系労組にいた北朝鮮シンパの活動が注目されています。職場の野球で家の鍵が盗まれていること、ご主人の夜勤のときに奥さんが失踪していることからして、周囲にいる事情に詳しい人間が動いた可能性も少なくありません。
加藤さんの失踪は35年前の事件ではあっても、未解決の刑事事件として警察に何らかの記録は残っているはずです。また、当時盛んだった自民党・社会党の裏取引の中でこのような問題が握り潰されたことはなかったのかとの懸念もあります。
これまでただ一人の拉致実行犯も起訴できていない警察としては、「一所懸命やっている」というだけではなく、ぜひ結果を出して真相を究明していただきたいと希望する次第です。

《新潟県警公開特定失踪者・矢坂 寛さんについて》
◆氏名:矢坂 寛
(やさかひろし)
◆当時の年齢:33歳(昭和63年当時)
◆当時の住所:群馬県高崎市
◆当時の職業:会社員
◆身長:160cm~165㎝くらい

【失踪状況】
昭和63年11月、「直江津港に釣りに行く」と言って、上越市内の実家を出たまま、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】群馬の森朝鮮人追悼碑編(3)/産経新聞

2014-05-06 17:00:38 | 日記
群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に、戦時中に県内に徴用された朝鮮人の追悼碑を設置した「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」は4月19日、高崎市内の市労使会館で追悼集会を開いた。集会は一昨年まで碑前で行われてきた。
だが、「参加者が歴史認識や朝鮮学校の無償化問題など政府を批判する発言を繰り返している」との通報や県民からの批判が相次ぎ、県は昨年から公園内での実施を認めず、同会は会場を別施設に移した。
碑をめぐる問題が顕在化したことで、県は1月末に更新時期を迎えた碑の設置許可に関しても、判断を保留。存続に慎重な姿勢で臨んでいる。
この日の追悼集会では、同会の共同代表を務める民主党の角田義一元参院副議長が、「県は更新に前向きでない。拒否すれば国際問題に発展し、韓国大統領などから県に抗議の電報も来る。今後も、更新手続きを速やかに行うように求めていく」と県を強く牽制した。
県によると、許可更新の判断を保留しているのは、平成16年に同会の前身である「追悼碑を建てる会」と設置条件について交わした「政治的行事および管理を行わない」という合意に、集会が違反した疑いがあるとみているからだ。

《特定失踪者・横田道人さんについて》
◆氏名:横田 道人
(よこたみちひと)
◆失踪年月日:昭和45(1970)年1月27日
◆生年月日:昭和21(1946)年7月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:23歳
◆身長:173cm
◆体重:68kg
◆当時の身分:会社員
◆当時の住所:群馬県碓氷郡松井田町(現・群馬県安中市松井田町)
◆失踪場所:群馬県安中市安中のバス停

【失踪状況】
群馬大学工学部応用化学科を卒業し、東邦亜鉛に入社して1年後。
当日は給料日、会社の昼休みに安中駅前郵便局に預金している。
同日残業後午後7時頃、安中市内の電器店にステレオの月賦を支払い、松井田駅行きのバスで帰宅する予定だった。
午後7時30分頃、電器店前のバス停に立っていたのを同店主が見届けたのを最後に行方不明となり、その後全く手がかりなし。

《特定失踪者・井上克美さんについて》
◆氏名:井上 克美
(いのうえかつよし)
◆失踪年月日:昭和46(1971)年12月29日
◆生年月日:昭和25(1950)年6月8日
◆性別:男
◆当時の年齢:21歳
◆当時の身分:電気工事店勤務
◆当時の住所:埼玉県蕨市(群馬県前橋市出身)
◆失踪場所:埼玉県川口市

【失踪状況】
失踪当日会社の忘年会の後、川口市内の飲食店で飲み(午前0時~1時)、寿司屋で食事をしたあと友人と別れた。
当時泥酔状態。
夜帰宅しなかったので翌30日前実家に電話があり両親も知った。
妻の話では正月は家に行くと言っていたので実家に帰っているのではと思い電話したとのこと。
運転免許の更新もなし。
連絡も一切なし。
長男が生まれる直前だった。

《特定失踪者・加藤八重子さんについて》
◆氏名:加藤 八重子(石川 八重子)
(かとうやえこ/いしかわやえこ)
◆失踪年月日:昭和53(1978)年9月22日
◆生年月日:昭和15(1940)年9月20日
◆性別:女性
◆当時の年齢:38歳
◆身長:155cm
◆体重:55kg
◆当時の身分:電信電話局勤務(交換手)
◆当時の住所:群馬県群馬郡群馬町(現・群馬県高崎市)
◆特徴:盲腸の手術痕あり
◆失踪場所:群馬県群馬町の自宅から

【失踪状況】
当日早朝、八重子さんの長女が部屋を見たら姿がなかった。
夫は夜勤で不在。
前夜は二人の子供とともにテレビを見ていて、子供は午後十時過ぎに就寝している。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて、現金、履物、衣類、鞄など何もなくなっていない。
高崎署は事件の可能性も含め捜査を行ったが、全く手がかりが掴めなかった。

【荒木和博調査会代表による加藤八重子さん失踪についての解説】
加藤八重子さんは昭和53(1978)年9月22日に群馬県群馬町の自宅から失踪しました。
当日朝、お嬢さんが八重子さんの部屋を見たら姿がなく、寝ていた掛け布団が真ん中だけ膨らみ、誰かに引っ張られて出されたという感じで残されていました。当時38歳。
ご主人はその晩夜勤で不在でした。
前夜は2人のお子さんとともにテレビを見ていて、お子さんたちは午後10時過ぎに就寝しています。
部屋は変わった様子がなく、本人のパジャマを除いて現金、履物、衣類、鞄など全て残っていました。
先日お嬢さんとお会いし、あらためて色々お聞きしたのですが、お話ししていてふと気付いたことがありました。
加藤さんのケースは大多数の特定失踪者と異なり、失踪直後から警察が事件性を察知して動いたケースだということです。
子供を別にすれば、大多数の特定失踪者の場合は家族が届出をしても「事件性なし」と判断され、警察はほとんど動くことはありません。警察には年間10万人近い失踪者の届けがあるので、ある程度仕方ないことではあります。
その意味で加藤さんの失踪事件は特異なケースなのですが、警察の視点は北朝鮮による拉致ではなく、一般の刑事事件としてでした。
警察が最初に疑ったのはご主人で、さらに親族も含めてかなり厳しく調べられたそうです。当時小学生だったお嬢さんですら取調室のようなところで事情聴取をされたとのことでした。
しかし、結局何も出てこず、その後は音沙汰なしになっています。
加藤さんの布団の状況からすれば自分から布団を出たとは考えられません。自分から出たなら布団を畳むかめくるかしているでしょうから。
しかも履物もなくなっていないのですから、考えられるのは意識を失った状態で他人に引っ張り出され、そのまま連れ去られたということです。
ところで加藤八重子さんは電電公社(現在のNTT)の職員でした。そしてご主人は国鉄(現在のJR)に勤めていました。どちらも労働組合は旧社会党系です。
また、ご主人は1か月前、職場の野球大会のとき家の鍵を盗まれていました。
失踪時に警察は事件性を考えてかなり綿密に調べているのですから、家族が犯人でないと分かった時点で、他に何がありうるかを考えたはずです。そのとき、北朝鮮とまでは思わなかったとしても、職場のことを考えなかったとは思えません。
群馬県は金丸・田辺訪朝団で有名な田辺 誠・元社会党委員長の地元でもあります。様々な意味で北朝鮮との関係も深く、後に原 敕晁さんを拉致して成り代わる北朝鮮工作員・辛光洙(シン・グァンス)が高崎や前橋のパチンコ屋に身を隠していたこともありました。
このところ色々な情報が出てくる中で、日本人協力者、特に社会党ないし社会党系労組にいた北朝鮮シンパの活動が注目されています。職場の野球で家の鍵が盗まれていること、ご主人の夜勤のときに奥さんが失踪していることからして、周囲にいる事情に詳しい人間が動いた可能性も少なくありません。
加藤さんの失踪は35年前の事件ではあっても、未解決の刑事事件として警察に何らかの記録は残っているはずです。また、当時盛んだった自民党・社会党の裏取引の中でこのような問題が握り潰されたことはなかったのかとの懸念もあります。
これまでただ一人の拉致実行犯も起訴できていない警察としては、「一所懸命やっている」というだけではなく、ぜひ結果を出して真相を究明していただきたいと希望する次第です。

《新潟県警公開特定失踪者・矢坂 寛さんについて》
◆氏名:矢坂 寛
(やさかひろし)
◆当時の年齢:33歳(昭和63年当時)
◆当時の住所:群馬県高崎市
◆当時の職業:会社員
◆身長:160cm~165㎝くらい

【失踪状況】
昭和63年11月、「直江津港に釣りに行く」と言って、上越市内の実家を出たまま、行方不明になっています。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】拉致被害者給付金編/NHK

2014-05-06 07:28:34 | 日記
政府は、日本に帰国した北朝鮮による拉致被害者を支援する給付金の支給が来年3月で終了することから、60歳から受け取ることができる新たな給付金制度の創設などを盛り込んだ今後の支援策の素案を取りまとめました。
政府は、北朝鮮から帰国した拉致被害者らを支援するため、拉致被害者支援法に基づいて、毎月、給付金を支給する制度を設けていますが、支給期間は日本への永住を決めてから10年間とされ、現在の対象者への支給は来年3月で終了します。
このため政府は、拉致被害者らから希望などを聞き、拉致問題対策本部や厚生労働省など関係省庁で対応を協議して、今後の支援策の素案を取りまとめました。
それによりますと、拉致被害者らの退職後の生活を支援するため、60歳から受け取ることができる新たな給付金制度を創設するとしています。
また、今後、拉致被害者の成人した子どもが帰国した際には、支払えなかった国民年金の保険料を国が補填(ほてん)することや、65歳以上の拉致被害者が帰国した場合には、本来、受け取れるはずだった国民年金に相当する額を国が支払うことなどが盛り込まれています。
政府は、この素案を基に、北朝鮮による拉致問題の解決を目指す超党派の議員連盟などと調整を行って、拉致被害者支援法の改正案を取りまとめ、国会への早期提出を目指すことにしています。

◆昭和53(1978)年7月7日
アベック拉致容疑事案
被害者:地村保志さん(拉致被害時23歳)
被害者:地村富貴惠さん(旧姓:濱本)(拉致被害時23歳)
「二人でデートに行く」と言って出かけて以来、失踪。
2人は昭和54年に結婚。
平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子2人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員、辛光洙(シン・グァンス)について、平成18年2月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「(拉致実行犯に担がれて)一歩一歩下りるとき、犯人の肩がお腹にめり込んで痛かった」
(地村富貴恵さんの証言)

◆昭和53(1978)年7月31日
アベック拉致容疑事案
被害者:蓮池 薫さん(拉致被害時20歳)
被害者:蓮池祐木子さん(旧姓奥土)(拉致被害時22歳)
蓮池さんは「ちょっと出かける。すぐ帰る」と言って外出したまま失踪。同様に奥土さんも外出したまま失踪。
2人は昭和55年に結婚。平成14年10月に日本に帰国。
娘1人と息子1人は平成16年5月に帰国。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称チェ・スンチョルについて平成18年2月に、また、共犯者である自称韓明一(ハン・ミョンイル)こと通称ハン・クムニョン及び通称キム・ナムジンについて平成19年2月にそれぞれ逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

◆昭和53(1978)年8月12日
母娘拉致容疑事案
被害者:曽我ひとみさん(拉致被害時19歳)
被害者:曽我ミヨシさん(拉致被害時46歳)
「2人で買い物に行く」と言って出かけて以来失踪。
ひとみさんは平成14年10月日本に帰国。
ひとみさんの夫(ジェンキンス氏=アメリカ人)と2人の娘も平成16年7月に渡日・帰国。
北朝鮮側は、曽我ミヨシさんは北朝鮮に入境していないとしている。
捜査当局は、拉致実行犯である北朝鮮工作員・通称キム・ミョンスクについて、平成18年11月に逮捕状の発付を得て国際手配するとともに、政府として北朝鮮側に身柄の引渡しを要求している。

※「私は、1978年北朝鮮に拉致されました。ちょうどお盆の前の8月12日の土曜日でした。私は看護師の仕事をしながら、決まって土曜日には家に帰り、日曜日の午後にまた寮に帰るという生活が続いていました。ちょうどその日も土曜日で、午後家に帰りました。お盆前ということで、母が少し足りないものがあるので買い物に出かけようということになりました。その時、6つ違いの妹がいたんですが、妹も母と一緒にでかけたい、私も1週間会えなかったので1週間にあったことを色々話をしたかったので、一緒に行くより母親と二人きりで行きたいなという気持がありまして、妹とちょっとだけけんかをした覚えがあります。それで結局、私と母と一緒に買い物にでかけることになりました。行きは病院であった話などを色々しながら、楽しく店まで着きまして、店で買い物を終えてまた家に帰る途中のことでした。歩道を歩いていたんですが、もう薄暗くなっている時間帯で7時は過ぎていたと思います。夏場ですので、7時を過ぎてもまだぼんやりと明るいくらいの時間帯でした。母と話をしながら歩いていましたら、何かちょっと後ろの方から人の気配を感じまして、一
度後ろを振り向きました。そうしたところ、男の人が三人、縦並びじゃなく、横並びで、私たちのあとをゆっくりとついてくるのが見えました。“なんか変な男の人たちが後ろから付いてくるね”と母と話しながら、“気味が悪いから早く帰ろう”と、少し足早に歩き始めた時でした。後ろから三人の男の人が急に駆け寄ってきまして、道端にある植え込みの中に私と母親を引きずりこみました。その時私は口を塞がれて、袋を被されました。一緒にいた母親は、そのとき以来一度も声を聞くこともなく、姿を見ることも今までありません。本当に夢のような話で、自分自身もよく分からないところがいっぱいあります。その後ですが、私は袋に入れられたまま小さな船のところまで行きました。その船の上にしばらくいましたが、ちょっと離れた所で日本語を話している声が聞こえてきました。その日本語は佐渡の人が話している佐渡弁ではなく、日本人でもない、ちょっと発音が違う、そんな印象を受けています。私も袋を被されたままの状態だったので、話している内容というのはよく分かりません。その後、しばらくしてから大きな船に乗せられて、次の日の夕方北朝鮮の清津(チョ
ンジン)というところに着きました」
(曽我ひとみさんの証言)



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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【みんな生きている】大澤孝司さん/NHK[新潟]

2014-05-06 07:24:42 | 日記
北朝鮮に拉致された可能性が排除できないとして警察が調べている新潟市出身の大澤孝司さんの家族が、阿賀町で署名活動を行い、一刻も早い救出を訴えました。
特定失踪者で新潟市西蒲区出身の大澤孝司さんは、当時27歳だった昭和49年2月に、佐渡市の勤務先の寮の近くで行方がわからなくなり、警察は、北朝鮮に拉致された可能性が排除できないとして調べています。
5月3日は阿賀町で開かれているイベントにあわせて、大澤さんの兄の昭一さんや支援者が署名活動を行い一刻も早い救出を求めました。
新潟県内では、同じ特定失踪者で糸魚川市の藤田 進さんの母親が先月亡くなる等、家族の高齢化が進んでいて、署名を呼びかけた兄の昭一さんも今年で78歳になっています。
署名した女性は、
「何も進展がないまま、時間だけが過ぎ、北朝鮮でどんな思いで過ごしているのか心配です。一日も早く家族が再会できる日が来ることを願っています」
と話していました。
大澤さんの兄の昭一さんは、
「集会の度に、家族がまた1人また1人と減っているのが現状です。私も活動する体力がどんどん落ちているので、安倍総理大臣には、拉致問題の解決を必ず実行してほしいです」
と話していました。

《特定失踪者・大澤孝司さんについて》
◆氏名:大澤 孝司
(おおさわたかし)
◆失踪年月日:昭和49(1974)年2月24日
◆生年月日:昭和21(1946)年6月21日
◆性別:男
◆当時の年齢:27歳
◆当時の身分:新潟県佐渡農地事務所勤務
◆当時の住所:新潟県佐渡市
◆失踪場所:新潟県佐渡郡新穂村

【失踪状況】
自宅独身寮から約400m離れた飲食店で夕食を済ませ、知人宅に寄った後行方不明。
当時事務所には50人~60人が勤務、うち15人~20人程度が本土から単身赴任で来ていた。
失踪時期は観光がオフシーズンだったため、最も忙しい時期に拉致された曽我ひとみさん母子と違い警察もかなり大規模に捜査してくれた。
事務所では失踪後まもなく「あれは北朝鮮にやられたのではないか」との話で持ちきりになったが、やがてぴたりと止んだという。
元同僚の話では「失踪の2~3日前、一緒の船で新潟から帰ってきた。船中では飲む話、食べる話などをしていて自殺や失踪のそぶりは全くなかった」とのこと。
北朝鮮製と思われるマッチが寮の前あたりに落ちていたという。
平成16年1月29日、新潟県警に告発状提出。

《特定失踪者・藤田 進さんについて》
※埼玉県川口市の藤田 進さんとは別人
◆氏名:藤田 進
(ふじたすすむ)
◆失踪年月日:昭和40(1965)年3月26日
◆生年月日:昭和23(1948)年3月25日
◆性別:男
◆当時の年齢:17歳
◆身長:160cm
◆当時の身分:新潟県立糸魚川高校1年生(休学中)
◆当時の住所:新潟県糸魚川市
◆特徴:
1)おとなしい性格
2)やせ形
3)眼鏡せず
4)前歯がケガで欠けたのでつないでいる
◆失踪場所:信越・新潟県西頸城郡青海町内、自宅から15分、海岸から5分位の映画館

【失踪状況】
自宅から徒歩15分ほどの映画館で開かれる演奏会に、一人で歩いて出かけた。猛吹雪だった。
学生服の上にブルーのアノラックを着ていた。
高校は休学中で登校拒否のようだった。

【荒木和博・調査会代表のブログに掲載された藤田 進さんのお母さんのご逝去】

昭和40年に新潟県青海町(現・糸魚川市)で失踪した藤田進さんのお母さん、フミさんが3月30日逝去されました。
藤田さんのところには一昨年8月、1万キロ現地調査で訪れました。このとき既にフミさんは92歳でした。ご自宅で収録した「しおかぜ」のメッセージは次のようなものです。新聞の折り込み広告の裏に書かれたメッセージを一所懸命読んでおられました。

「進、かあちゃんはお前のことを忘れた日はありません。昭和40年3月26日カレーを食べて出かけけたあの夜から忘れたことはありません。この空の下にどこかで生きていると信じています。かあちゃんががんばっております。必ず生きて会いたい」

ご自宅を辞して海岸に向かうとき、フミさんは両手を合わせて私たちを拝むようにしておられました。息子さんを思う母の気持ちと、消息一つお届けすることのできない私たちに頼らねばならない現実を思うとき、その姿には皆胸の塞がれる思いでした。

《特定失踪者・山本美保さんについて》
◆氏名:山本 美保
(やまもとみほ)
◆失踪年月日:昭和59(1984)年6月4日
◆生年月日:昭和39(1964)年3月3日
◆性別:女性
◆当時の年齢:20歳
◆身長:160cm
◆体重:51kg
◆当時の身分:大学受験生(元看護学校生)
◆当時の住所:山梨県甲府市
◆特徴:
1)左目の下に3針縫った跡
2)左手にしもやけの軽いケロイド
◆靴のサイズ:23.5cm
◆失踪場所:山梨県甲府市の自宅を出て以来消息不明

【失踪状況】
「図書館に行く」と言ってバイクで出かけたまま失踪。甲府駅前にバイクが置かれているのが発見された。
4日後、新潟県柏崎市荒浜海岸にセカンドバックが落ちていたとの連絡。
失踪半年後の11月6日から無言電話が4年半ほど続く。
無言電話はほとんど数秒で切れるものだったが、失踪から3年4ヶ月後と3年6ヶ月後の2回の電話は10分~15分ほど続き、相手はじっと聞いている様子だった。
3年6ヶ月後の電話はすすり泣くような声が聞かれた。
平成16年1月29日、山梨県警に告発状提出。

《特定失踪者・中村三奈子さんについて》
◆氏名:中村 三奈子
(なかむらみなこ)
◆失踪年月日:平成10(1998)年4月6日
◆生年月日:昭和54(1979)年9月18日
◆性別:女性
◆当時の年齢:18歳
◆身長:163cm
◆体重:56Kg
◆当時の身分:高校を卒業して予備校に行く準備中
◆当時の住所:新潟県長岡市
◆特徴
1)硬式テニスをやっている
2)その他のスポーツも好き
3)色白、えくぼがある
◆足のサイズ:24cm
◆失踪場所:新潟県長岡市の自宅

【失踪状況】
4月6日午前中、予備校に入学金50万円を納めに行く予定がそのまま帰宅しない。
後日入学金の中から「3万円借ります」というメモとともに47万円が見つかる。
身支度は普段着のまま。持ち物は自分の白い財布だけ。所持金は5万円~8万円程度と思われる。
通常出かけるときは自転車を利用するがこのときは置いていった。
3月25日に自らパスポートを申請し、4月3日交付。長岡ではなく新潟の旅券センターまで行っている。
大韓航空で出国状況を問い合わせると、7日9時にソウルへ出国していた。搭乗券を購入していた旅行会社によると、中村三奈子の名前で中年のハスキーな声の女性で搭乗券の依頼あり。
旅行は慣れているので新潟空港で出発当日搭乗券を受け取る。帰りの便やホテルは必要ないと言った。
出発当日の朝、中村三奈子の名前で派手なブラウスを着た女性に搭乗券を渡したとのこと。



【拉致事件、捜査の現状】
北朝鮮による拉致事件を巡り、日本の警察はこれまで実行犯や指示役として北朝鮮の元工作員たち合わせて11人を国際手配しています。
拉致には金正日(キム・ジョンイル)総書記が掌握していた対外情報調査部と呼ばれる工作機関が組織的に関わっていた疑いが強いと見て捜査を続けています。
このうち、福井県の地村保志さん・富貴恵さん夫妻を拉致した実行犯として元工作員の辛光洙(シン・グァンス)容疑者が手配されています。
また、大阪府の原 敕晁さんが拉致された事件では、辛容疑者とともに金吉旭(キム・キルウク)容疑者も共犯者として手配されています。
この他、東京都の久米 裕さん拉致事件では金世鎬(キム・セホ)容疑者が、新潟県の曽我ひとみさん拉致事件にはキム・ミョンスク容疑者がそれぞれ関わったとして手配されています。
北海道出身の渡辺秀子さんの子供2人の拉致事件では、工作員グループのリーダー格で北朝鮮にいると見られる洪寿恵(ホン・スヘ)こと木下陽子容疑者が手配されています。
新潟県の蓮池 薫さん・祐木子さん夫妻の拉致事件ではチェ・スンチョル容疑者が実行犯として手配されている他、金総書記が掌握していた対外報調査部と呼ばれる北朝鮮の工作機関の幹部であるハン・クムニョン容疑者とキム・ナンジン容疑者が拉致の実行を指示したとして手配されています。
ハン容疑者たちは工作機関で「指導員」と呼ばれる立場で、辛光洙容疑者たちもこの組織の一員だったことがわかっており、警察は北朝鮮が組織的に拉致を実行した疑いが強いと見て捜査を続けています。
よど号ハイジャック事件のメンバーたちも1980年代にヨーロッパで相次いだ3人の日本人拉致に関わった疑いで国際手配されています。
このうち、有本恵子さん拉致事件では魚本公博(安部公博)容疑者が、石岡 亨さんと松木 薫さん拉致事件ではよど号メンバーの妻の森 順子・若林佐喜子両容疑者がそれぞれ手配されています。

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