財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
私の生まれたホテル
私の生まれたホテルは私の記憶の中には、永遠にその美しさを失っていない。
ホテルの下の入り口から父のリンカーンに乗ってフカフカしたソファーで、車がギアー
チェンジなく,曲がりくねった坂道を上がって行くのである。
上に上がるにつれて私は夢の世界に入り、苦しい日々の生活から開放されていく
自分を感じながら、ホテルのこの玄関に着くのである。
プレビューのホテルに生まれたと当時のホテルの支配人からよく言われたものである。この支配人は十朱久江の父親にそっくりさんであった。メガネを掛けて顔や頭の禿具合までそっくりであった。しかも声まで似ていた。女優十朱さんの父親に会った事はないが、映画の中でよくお会いした。私が西武不動産に契約社員で住宅の営業マンだったころ、十朱さんの実家の前の家の新築を契約出来、たびたび十朱さんの実家の向かえの施主の家に行ったとき、お二人に道でお会い出来るかと胸をワクワクさせていたが、全くその機会が訪れなかった。とっくに十朱さんのお父さんや、私を可愛がってくれた白雲楼の支配人も亡くなった。私の生まれた懐かしいホテルも今や廃墟とかして、無残の姿をウエブ上で公開されている。このホテルは昭和7年頃より昭和12,3年にかけて大林組により建築されたものである。今話題の堤義明氏の父康次郎氏は実父と仲がよく、ホテルの建築にも関係があったようである。ホテルの落成式には堤康次郎氏や著名な文士達が集まったそうである。