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白雲楼、起雲閣、日本タイプライター、康楽寺

白雲楼、起雲閣、日本タイプライターは全て父桜井兵五郎の資産からなり、父個人の寺「康楽寺」に寄付したものである。

私の生まれた思い出のホテル

2005年05月06日 22時22分18秒 | 私の父

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

私の生まれたホテル
私の生まれたホテルは私の記憶の中には、永遠にその美しさを失っていない。
ホテルの下の入り口から父のリンカーンに乗ってフカフカしたソファーで、車がギアー
チェンジなく,曲がりくねった坂道を上がって行くのである。
上に上がるにつれて私は夢の世界に入り、苦しい日々の生活から開放されていく
自分を感じながら、ホテルのこの玄関に着くのである。

プレビューのホテルに生まれたと当時のホテルの支配人からよく言われたものである。この支配人は十朱久江の父親にそっくりさんであった。メガネを掛けて顔や頭の禿具合までそっくりであった。しかも声まで似ていた。女優十朱さんの父親に会った事はないが、映画の中でよくお会いした。私が西武不動産に契約社員で住宅の営業マンだったころ、十朱さんの実家の前の家の新築を契約出来、たびたび十朱さんの実家の向かえの施主の家に行ったとき、お二人に道でお会い出来るかと胸をワクワクさせていたが、全くその機会が訪れなかった。とっくに十朱さんのお父さんや、私を可愛がってくれた白雲楼の支配人も亡くなった。私の生まれた懐かしいホテルも今や廃墟とかして、無残の姿をウエブ上で公開されている。このホテルは昭和7年頃より昭和12,3年にかけて大林組により建築されたものである。今話題の堤義明氏の父康次郎氏は実父と仲がよく、ホテルの建築にも関係があったようである。ホテルの落成式には堤康次郎氏や著名な文士達が集まったそうである。


渡辺忠雄氏の思い出

2005年05月03日 23時28分14秒 | 三和銀行

  財団康楽寺            西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である

渡辺忠雄氏=元三和銀行頭取、UFJ銀行名誉会長、よみうりカントリークラブ初代理事長 (読売新聞) - goo ニュース 今から数十年前に渡辺氏に手紙を出した事があった。同氏は病気で伊豆に静養中との事で、私の実父のことで交友のことを聞いたのであるが返事は頂けなっかた。あれから30年ほど経っているが、最近同氏が亡くなられたのを知った。私が40歳くらいのことであった。同氏はそのころより、今日までマスコミで話題にされることを避けていたようであった。私の実父は72歳で昭和26年になくなっている。私が16歳のころで、54年前であった。私も実父の歳に近くなっている。同氏は106歳との事。時の経つのが早いものである。
私は当時父の生誕100年を記念して出版をきかくしており、その準備中であった。
特に日本タイプとの関連で聞きたったのである
氏の自宅宛にだしたのであるが、何故か銀行から断りの電話があった。
何か聞かれると具合が悪いことでもあるのだろう。
案の定日本観光が三和銀行の融資の過剰で、倒産に追い込まれた
当時は延命順作も生存していたから、延命の言に従ったのであろう。
真に残念なことであった
ただいえることは三和銀行は戦前は父の属する民政党の系列であったので、
父の死後は政治資金の問題が絡んでいたのであろう。
後述する延命順作には頭が上がらなかったのであろう