財団康楽寺 西武発展(コクド、西武鉄道、プリンス・ホテル)の資金源になったのが、財団 康楽寺である。
永井柳太郎氏について 永井柳太郎は民政党に属し、幹事長や大臣等を務め政界の雄であった。 昭和19年におしくも亡くなったのであるが、父は政界を代表して弔辞を国会でよんでいる。 先のプログで書いた様に永井柳太郎氏は早稲田の教授をしていたのであるが、 大隈重信候よりその才能を愛され、これが元で早稲田騒動が起こり、早稲田を追放される。 この時父は、堤康次郎氏とともに永井氏を政界に転身させたのである。 永井氏は軽井沢の開発者として有名であるが、実は大隈重信候が日本には西洋の様に避暑地が なく、当時西洋人が好んで住んでいた軽井沢の開発を父等に薦めたのである。 父は日本タイプライター等各種事業に進出しており、軽井沢開発は堤氏が専任に当たる事と なった。 しかし軽井沢や西武鉄道の発展には父の力が強力にあり、資本的にも連携しているのである。 これが今話題のコクドや西武鉄道の名義株につながるのである。 永井柳太郎氏の政治資金については,父が担当しており、父の経営していた北陸毎日新聞の 社長に永井氏がなっていたこともある。 日本観光を倒産させる元となった江戸村の社長桜井能唯は、永井氏の生家を江戸村に持って きて展示している。 永井氏は加賀藩の藩士だったが身分が低く、明治になってから奈良県に移住していた。 昭和初期には民政党幹部となり、フロリダのダンスホールえよく通い、姉妹のダンサーを 大変贔屓にしており、その面倒も父が最後までみたのである。