昨日のブログでアルパにちょっと触れたので,ルシア塩満さんのことを書きたくなった。彼女の詳しい経歴その他は公式ホームページがあるのでそちらにゆすり,ここではこの日本を代表する国際的なアルパ奏者とのお付き合いを中心に記すことにする。
1982年に一回目のパラグアイでの仕事から帰ってきた最初の高校同期会で,A・Y君から日本にルシア塩満というアルパ奏者がいることを紹介された。後で知ったことだが,A君はラテン音楽,特にフォルクローレに該博な知識を持ち,ルシアも彼にその才能を見出されて世に出たとのことだった。
A君に誘われるままに,新宿西口にあったエル・パティオというライブスペースで初めてルシアの演奏を聴いた。その素晴らしさに魅了されてフアンになり,彼女の出演日にはエル・パティオに通った。エル・パティオはフォルクローレ専門の店で,日本語で中庭を意味する店名の通りの内装で,ルシア以外にもいろいろなミュージシャンの演奏を楽しんだが,残念ながら10年以上前に閉鎖された。
数多く聴いたルシアの演奏で,特に思い出に残っているのは,パラグアイの日本人移住地でのものである。ルシアはご両親がパラグアイ移住者で,彼女が小学生の時に帰国し,その後日本とパラグアイで研鑽を積んでアルピスタになったとのことであり,ほぼ毎年里帰りして演奏活動をしていた。たまたま私がパラグアイ滞在中の2001年に,ピラポという日本人移住地で演奏会が開かれ,わたしもそれに参加した。
窓を開け放した木造の粗末な造りの公会堂で,虫の声が聞こえそうな夜の静寂の中で行われた演奏は,アルパの響きがまわりに吸い込まれるようで,感動的だった。わたしはアンコールに日本の曲『川の流れのように』をお願いした。演奏が終わった後,ふと気がついたら,聴衆の移住者の方々が涙を流されていた。
ルシアは活発な演奏活動を続けている。昨年は演奏活動45周年のCDを出し,5月には第30回のアコースティックコンサートを開催しようとしている。YouTubeにもたくさんの演奏がアップされている。
A・Y君は2004年に亡くなった。一緒に45周年の演奏が聴きたかった。
ルシア塩満さん。2001年8月パラグアイ,ピラポにて撮影。
日米首脳会談
ヨシvs.ジョーの日米首脳会談が行われた。共同発表の内容はほぼ予想された通りだった。いずれにせよ1960年に締結された日米安保条約の帰結である。バイデンはトランプよりも中国に対して強硬のように感じる。憲法9条の持つ重みが大きくなっている。
以前 ルシアさんのコンサートに、元ちゃんと行ったと記憶しています。
アルパ・アコースティックコンサート」の演奏を拝聴
しました。機会があれば「コンサート会場」にて聴きたいと思いました。日米首脳会議にて米国記者の「オリンピック開催」についての質問をスルーした態度は許せ
ません。