堆 肥 葬
近着の「AERA」に、『葬送に多様性を 渋谷でフェス』と題する記事が載っていた。
この4月に渋谷で、「Dethフェス」というイベントが6日間にわたって開かれ、約2000人が参加したという。この集まりの趣旨は、自分の死の扱い、葬儀を自由に多様化して考えようということだったらしい。
イベントを主催した市川望美さんと小野梨奈さんへのインタビューが記事の内容である。
イベントを開催しようとしたきっかけは、アメリカで行われている「堆肥葬」という葬儀を知ったことにあるという。
わたしは、寡聞にして、「堆肥葬」のことを知らなかったので、ネットで調べてみた。
「堆肥葬(コンポスト葬)」はアメリカのベンチャー企業が開発した葬儀方式で、2019年にワシントン州議会がこれを認める法案を可決し、2023年3月までに6つの州で法律が制定されているという。
遺体はマメ科植物のチップに包まれてプラスチックの容器に入れられ、発酵させられて30日で分子化される。土壌が加えられ、8~10週間で完成する。
遺体に含まれていた金属は取り除かれる。故人が伝染病にかかっていても、発酵温度が50℃くらいになるので、病原体はほぼ死滅する。
1体から約85リットルの土壌ができ、遺族に渡される。希望者は保護林の土壌に混入することができる。
費用は5500ドルで、ほかの葬儀方法に比べて高くはない。
環境問題に関心のあるヨーロッパからも引き合いがああるという。
「堆肥葬」の売りは、環境にやさしく遺体が自然に還るということである。
確かに、火葬に比べれば遺体処理に伴って放出する二酸化炭素量は少なくなるだろう。しかし、「堆肥葬」のための器具制作やもろもろの準備に伴って放出される二酸化炭素を考慮するとどのくらい少なくなるのだろうか。アメリカやヨーロッパに多い土葬に比べれば、「堆肥葬」の方が二酸化炭素の放出量は多くなるのではないか。
遺体が自然に還るということであれば、有機物の燃焼産物は大気中に放出され、海や樹木葬に撒かれた遺灰は食物連鎖などを通しての生態系の循環に組み込まれる。堆肥にしなくても遺体は自然に還っていく。
葬儀の方式が多様化することは悪いことでないにしても、「堆肥葬」に込められた「思想」は、かなり主観的でムード的に思われる。
わたしは死後世界の存在を信じない。葬儀というのは、死者のためというより、残された者のために行われると考えている。
因習にとらわれない葬送をと自分のことを考えるのは、残された人を縛る一種のわがままということもできる。
わたしは両親の遺骨を安置する墓を作り、そこにわたしを含め何人かの遺骨を入れるスペースを用意している。多分わたしの躯を扱うであろうカミさんや子供には、火葬にした遺骨はそこに入れることができることは話している。
しかしそうするかどうかを決めるのは、残された者たちである。死者のわたしにとっては、どう扱われようと感知できないことである。
そういった覚悟を土台に自身の葬儀を考えるべきではないだろうか。
なお、「堆肥葬」に関しては、主として下記のウェブサイトの記事を参照にした。
遺体を堆肥にして、大地に還る 米国発コンポスト葬は日本で定着するか(鵜飼秀徳) - エキスパート - Yahoo!ニュース
人間を土に還す。シアトルで始まる、世界初の「堆肥葬」 | 世界のソーシャルグッドなアイデアマガジン | IDEAS FOR GOOD
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