2017年12月7日
お歳暮という意味合いの言葉こそポルトガルにはありませんが、12月の贈答はそれに相当すると思います。
日本と比べて違うところは、職場の上司や仕事関係のお得意先へという義理がらみの付け届けはほとんどないという点でしょうか。また、わたしたち日本人は早く義理を果たしてしまいたいとでも言うように、お返しは早々に果たしてしまおうとします。ポルトガルでは一年を振り返ってみてお世話になったと思われる人に、クリスマスの贈り物を届け感謝の気持ちを表すのです。
どういうものが贈られるのか、ちょっと興味があるところでしょう。
ワイン、ウイスキー等は日本と変わりませんね。ポルト・ワインやウイスキーは高価なものを贈りますから、たいてい一本ですが、Vinho Verde等のテーブルワインとなると、ドバッと10本から20本が届けられます。これなどは日本で言うビールを贈る感覚でしょう。
そう言えば、こちらではビールがこういうお届けものに使われることはまずもってないのが面白いです。
また、この時期にはデパートや大手のスーパーではクリスマス贈答品コーナーが備えられ、ワインを始め、チーズ、生ハム、缶詰などが入ったcabaz(カバス=果物等をいれるカゴ)がたくさん並びます。
その他、贈り物として室内の飾り物、クリスタルのデキャンタ、銀製品、そして不景気な今からは考えられませんが、たまに金の装飾品などもありました。これらはかなり高価なものになりますから、受け取る方も多少躊躇します。銀製品の菓子皿、ぼんぼん入れ、燭台などは3、4万円はくだりません。
食べ物としては、「バカリャオ=bacalhau」と呼ばれる大きな鱈を開いて干したものを贈り物に。これは、肉類を食さないクリスマス・イブと、そして大晦日にポルトガルの習慣として他の野菜と茹で上げて食します。また、豚の足一本からなる生ハム、これも贈答用に使われます。
とまぁ、本題「アフォンソとマチルダ」の前置きが大部長くなってしまいましたが、色々な頂き物の中には「こりゃ困った」と言う物も多々ありました。
さて、これはわたし達一家が現在の我が家、フラットに引っ越す前の古い小さな庭つきの家に住んでいた時の出来事で、子供たちが小学生だった頃のこと。
夫の仕事柄、この時期にはお届け物が参ります。12月のある日のこと、田舎の方と思し召すセニョールが玄関の前に立ちました。
「だんな様に大変お世話になった。どうぞこれを。」と言って大きなのダンボール箱を置いていきました。
「あらら、なんでしょ」と、中身が生ものであっては後で困りますので箱を開けてびっくり、玉手箱!ナマモノもナマモノ、生きた二本足を紐でくくられた二羽のトリではないですか!一羽は真っ赤なトサカを冠しており、もう一羽は見事な七面鳥です。12月は七面鳥の季節でもありますものね。
しかし、これ、どうするのよ?自分・・・
よく見ると可哀相に、この2羽、足をくくられたままでとても辛そうです。で、いやだったんですが、恐る恐る両手を差し伸べて抱きあげようと両手を出しましたら、騒ぐこと騒ぐこと、そのけたたましさといったらありません。
こちらの方がビビッてしまいましたが、思い切って抱き上げました。その柔らかい体を通して体温が伝わってきます。
庭には昔の鳥小屋がそのままほったらかしでありましたから、庭まで運び、くくっていた紐をほどき、二羽を庭に放して見ました。子供達が帰宅して、特に動物好きの娘は大喜びです。早速にこの二羽に牡雌も分からないと言うのに「アフォンソ」「マチルダ」と名づけました。アフォンソとはポルトガル王の名前ですから、ひどい話ではあります(笑)
夕方になると、今度は庭中追い掛け回して二羽をひッ捕まえ、一時しのぎの鳥小屋に入れるのですが、これがまた一仕事です。あちらは必死で逃げ回るし、こちらはこわごわ追いかけ回すわけです。庭には好きなバラをたくさん植えてましたし、大きなあじさいの木もありましたから、それらの陰に入ると捕まえるのにこちらは手や腕が傷だらけです。
こういう悪戦苦闘の数日が続いたのですが、クリスマスがいよいよ近づいてくると、さて、ここで問題が持ち上がりました。こうして名前までつけてしまうと、とてもとても潰して食卓に載せることなどできましょうか・・・
名前はつけるべきではなかったのです。娘など、よもやそういうことには考えが及ばないでしょう。夫もわたしも、つぶせるわけはなし。
しかし、このまま庭で飼っておくというわけにもいかないのです。なにしろ、我が家には犬のポピー、そして数匹の猫たちもいるのです。このまま飼って行くと、アフォンソとマチルダを守るために四苦八苦、そのせいで毎日クタクタになるのが目に見えています。
一日一日と延ばし延ばしになり、ついに決心を迫られる日が来ました。我が家で始末するわけには参りません。ネコや犬たちが騒々しさや血の匂いできっと怖気づいてしまうに違いありません。こ裏に大きな畑を持つジョアキンおじさんの飼っているブタが、悲鳴を上げて鳴くことがままあるのですが、わたしには何が起ころうとしているのか想像できます。そのときの我が家の犬猫たちは「なにごと?!」とでも言うかのようにみな揃ってあっちへすっ飛びこっちへすっ飛び。その不安な様といったらありません。
子供達に、「これはアフォンソとマチルダです、頂きましょう」と言えるくらいの気概が哀しいかな、わたしには当時ありませんでした。
結局、週に2度、我が家の掃除にくるお手伝いのドナ・ベルミーラに2羽とも上げました。不意に手に入った素晴らしいご馳走です。嬉々として2羽を抱えて帰って行ったお手伝いさんの後姿を見ながら、わたしはちょっと複雑な思いでした。こんな気持ちになるのなら、肉類はもう口にしなくてもいいや、なんて偽善的な思いが頭を横切ったものです。
生きる、ということは、そのために生かされてる命があるのだ、ということに思いを馳せる出来事でありました。子供達には、一言「お手伝いさんにあげましたよ。」それで十分伝わったでしょうか。
モイケル娘の複雑な表情を打ち消すかのように、わたしはクリスマス・ソングのCDをボリュームアップでかけたのでした。
ごめんよ、もいちゃん、そしてアフォンソとマチルダに合掌。