ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

荻の上風 萩の下露

2017-09-05 17:09:28 | 日本のこと
2017年9月5日 荻の上風 萩の下露

Wikiより
8月と9月第一週は通常、休暇の日本語教室なのだが、我が最年長の生徒さん、85歳のアルフレッドさんの希望で今年は彼のみ8月も続けて来ました。故は、「この面白い百人一首の本を生きている間に終われるでしょうかね」と彼が漏らした一言です。

ドイツ系ポルトガル人のアルフレッドさんは既に何度か日本を訪れていて我が生まれ故郷弘前にも足を延ばしてくれています。2年前にはドイツ人の若い友人を伴い5日かけて熊野古道を歩き、わたしは先を越されて悔しがったものです。かほどに彼は大の日本ファンなのであります。

その彼が、わたしが読んでいた「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」を見て、一緒に読みたいと言い出し、それでは共に学びましょうと始めたのが昨年2016年の秋です。

前もってわたしが勉強しておき、彼が読む。その後、百人一首の歌人の背景と書かれてある「ねずさん(著者のハンドルネーム)」の歌の解釈を、もう一度わたしが説明する、という授業を週に一度してきて、昨日はやっと半分の第五十番歌に辿りつきました。 藤原義孝が詠んだ下記の歌です。

君がため 惜しからざりし命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
(君のためなら命さえ惜しくないと思ったが、今は君のためにこそ長生きしたいと思う)
ねずさんの本の受け売りですが、類稀な美男子で歌の才能にも恵まれた義孝は、疱瘡で外見を醜い姿に変えわずか21歳で夭逝したと言われます。

50番歌は恋の歌であると同時に作者が夭折したことで、残された人の悲しみをも内包することになったと解説されています。

さて、ここからが今日の本題なのです。この解説の中で義孝13才の時に作ったと伝えられる歌(和漢朗詠集)が紹介されています。

秋はなほ 夕まぐれこそ ただならね 荻の上風 萩の下露

下の句は「おぎのうわかぜ はぎのしたつゆ」と読みます。
荻の上風 
萩の下露

この下の句にわたしは興味を惹かれ、ちょっと比べてみることにしました。荻と萩は漢字も読みも似ており、うっかり者のわたしなどは最初同じように見えて冷や汗をかいたのですが、オギはイネ科ススキ属、ハギはマメ科で花をつけ秋の七草の一つです。

二つの似た漢字、言葉を並べ、上風、下露と「上下」の対比、更に風は地上を吹き露は萩の葉から滴り落ちると言う、これもとても面白い対句になっています。古来より荻は「上葉を揺らす風」、萩は「葉に置く露」を詠まれてきたといわれます。

俳人の長谷川櫂氏は「記憶する言葉」の中で、「日本語の中には人々の長い年月にわたるいくつもの思い出がぎっしり詰まっている言葉があります。例えば桜と言う言葉には、王朝貴族の喜びや悲しみ、江戸庶民の浮かれ騒ぎ、それに戦争の忌まわしい記憶までも畳み込まれています。言葉は記憶するのです。俳句を読むのは、季語に内臓された思い出を蘇らせることです。」と書いています。

秋に先駆けこのような美しい歌に触れ、日本語の七五調の「記憶するリズム」が自分の中に組み込まれているだろうことを感じたのでした。俗物のわたしは「ハギ」と言う言葉を目にして、恥ずかしながら一瞬「萩に猪」の花札を思い浮かべたことを白状しまして、本日はこれにて。


下記は百人一首に関連する過去記事です。よろしかったらどぞ。
★「百人一首を通じて学ぶ日本の歴史
★「生徒と学ぶ百人一首がおもしろい!」


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