ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

47年後の再会:You are my sunshine

2018-01-24 22:26:15 | 思い出のエッセイ
2018年1月24日

今日も古い話にお付き合いください。


 弘前でこんな懐かしい昔の映画看板を見た。

4月中旬から一ヶ月ほど日本に滞在した2013年のことである。ちょうど桜の季節で、故郷弘前の桜を観ようと妹に誘われて彼ら夫婦と一緒に東北自動車道路を行きは8時間、帰路は9時間をかけて往復してきた。

故郷の桜を最後に目にしたのはわたしが20歳ころのことで、以来ずっとその季節になると見事な弘前公園のさくらを恋うことはあっても訪れる機会がないままに、47年の歳月が過ぎていた。


若かりし日の裕ちゃん

公園一杯がさくらで埋まる光景を胸にいだき訪れた4月も中旬過ぎの弘前は、思ったよりもグンと寒く、わたしが滞在した3日間ではついぞ固い蕾が開くことはなかった。47年ぶりに見に行ったと言うのにつれないヤツめ、と悔しがりながらも、これは「もう一度来ないとわたしの優雅華麗な姿は、そう容易に見せてはやらぬぞ」と言っているのだろうと思い直した。

桜をみることができなかったのは残念だったが、4月に一時帰国するとのブログ記事を目にした高校時代の同窓生の一人が、「ソデが帰ってくるみたいだぞ」とニュースを広めてくれ、嬉しいことに急遽、歓迎会をという段になったようだ。音頭を取ってくれたのは我が友を中心の女子たちだ。

その友がメールで言う。「サプライズがあるよ」。会場は何かのときに必ず同窓生が集まるという行きつけのスナック「あすなろ」だ。同窓生の一人が経営している。


小雨が降ったり止んだりのその日の夕方、わたしはポルトガルから持ってきたワインのVinho Verde「Alvalinho」を手に二人の同窓生と連れ立ってスナック「あすなろ」へ足を向けた。嬉しいことに恩師もおいでになり、一人二人と知った顔が集まっておしゃべり飲み会は始まった。「あすなろ」は完全に貸切状態になっていた。

恩師や同窓生たちとは卒業後初めてわたしが出席した2004年の一期会同窓会で39年ぶりに再会している。

やがて少し遅れて「あすなろ」のドアを開けて入ってきた男子(こう呼びたいw)が近づくなりわたしに「俺を覚えてる?」。一瞬名前が出てこなかったが、あ!とすぐに思い出した。

「次回ソデが来るときは是非連絡してくれ」と言っていたので声をかけたのだと友が言う。ふむふむ、これがサプライズだったのか^^高校卒業以来の再会だ。

小○君とは色々懐かしい思い出がある。よく青臭い議論を闘わしたし、わたしは彼から当時の恋人の相談を受けたりして彼の家を訪ねることもあった。結局恋人は他に嫁ぎ彼と結ばれることはなかったのだが。

校内の文化祭では二人が中心になり喉自慢なる出し物を作ってみた。彼はトランペットができたので、わたしはウクレレ、ビブラフォーンを担当しそれにギターを加えての即席バンドを結成し、今からすればなんとも不可思議なバンドではあった。このバンド結成とプログラムを進める上で二人の意見が合わず大いにやりあったことを覚えている。

飲みながら食べながら、「二人で歌ったのを覚えてるか?」と彼が言う。「お前が歌詞を教えてくれてYou are my sunshineを歌ったんだぜ」それを今でも覚えてる、歌えるぞ」 騒がしいおしゃべりの中、二人でその歌をハモってみた。

♪You are my sunshine, my only sunshine
You make me happy when skies are blue

学生時代の音楽ではいつもそうであったように、わたしはそのときも低音部を歌った。歓迎会で市会議員の顔を捨てた小○君と47年ぶりにハミングするYou are my sunshineはお互い声の張りもすっかりなくなったが懐かしい学生時代に我らを帰らせた一瞬ではあった。

10人ほども集まってくれた歓迎会がそろそろ興に入ろうかと言うころに、再び「あすなろ」のドアがスーッと開き雨傘をたたんで入ってきた御仁がいた。その瞬間、「あっ!」と声にこそ出さなかったが内心はまさにそれであり、わたしは目を見張った。それは、高校卒業しなに、「5年後にこの喫茶店ひまわりで逢おう」と約束をした、あのK君だった。(こちらのエピソード「探し物は何ですか?」に登場しています)


弘前はステキなカフェが多い

痩せもせず太りもせず昔とたがわぬ姿のK君が「こんばんは」とメンバーの中に入ってきた。これが友の言っていたサプライズだったのだ。

しかし、どうして彼ら同級生たち、知ってるのだ?我ら、周囲に気づかれないよう密かに付き合っていたつもりであった。付き合うといってもせいぜい当時は学校で禁じられていた喫茶店でお茶を飲んだり、手紙の交換をしたりくらいである。


弘前

北海道の大学に進学したK君と片や進学を諦めて東京から大阪へ移動したわたしだが、卒業を前にして、少し言い合いをした。やがて音信不通になり、自ずとそれぞれの道を歩むことに相成り、以後一度も人生で交差することはなかった。

それで、彼ら、どうして知ってるのだ?なのである。「なに言ってるの。知らぬは本人ばかりなり。みんな周囲は知ってたさ」と同級生たちが言う。よくある話ではないか。

お久しぶり。とお互いに挨拶。
なんじゃいな、この挨拶は(笑) もう少し気の利いた挨拶の仕方はなかったものかと後で思ったのだが、懐かしい思いとは裏腹に、歓迎会に集まったメンバーたちの中にいては、ついつい遠慮も出てしまい、47年ぶりの再会だと言うのに、小○君との様にワイワイとは行かず、なんというぎこちなさ。却ってサプライズを用意してくれた友には「悪かったかな」などといわれる始末であった。

友よ、悪くはなかったよ。嬉しかったです。ただ気持ちの準備ができていなかった・・・^^;だからこそサプライズなんだけどね。それにズルイよ。K君はわたしの歓迎会と知ってきたのではないかいな?と愚痴るも後の祭り。

後日、この日のことを振り返ってみると、自分のウブさがちょっとおかしかった。「やぁやぁ、お久しぶり!お元気?」くらいにK君に言ってやっても良かったのだ。

その後、会合では、小難しい文章をよく書いていた、理解するのが難しかったぞとK君を含め男子数人の酒の肴にされたわたしだが、群れの中に簡単に入らなかった高校時代のわたしを、今こうして同窓生の一員として迎えてくれる彼らに心から感謝したのであった。

同窓会というのは面白い。忘れかけていた、もしくは忘れてしまっていた遠い昔のエピソードが、同窓生の口からポロリポロリとこぼれる。

「お前が家出をするっていうから、俺と○○と二人で夜インスタントラーメンの差し入れにお前んちへ行ったのを覚えてるか?」と突然、同窓生の一人。

うげ!そんなことあったっけ?家出はしたが、差し入れのラーメンはさっぱり覚えていない。わたしの記憶もいい加減なものである。

別れ際、「もうこれで、死ぬまで会えないかもしれないね」と小○君。おいおい、それはなしで行きましょう。また、来ます。また会います。そして、「お元気で」と47年ぶりに再会したK君とは握手して歓迎会を後にした。

これが5年前の出来事だ。
今年、2018年の5月には昨年秋にはもう妹夫婦と行く弘前のホテルの予約を入れており訪れることになっている。5年ぶりに同窓生たちに再会できるのが実は待ち遠しいくてたまらないのである。

人生のカラクリは縦横に絡んで、今は我が人生を豊かなものにしてくれている。

「Nothing gold can stay.(若き日の黄金の輝きは永遠に続かない)」とは、アメリカの詩人、ロバート・フロストの詩の一節なのですが、若い頃の瑞々しい輝きは失われても、いぶし銀が輝くように生きようではないか。

では、また。


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