ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

あの頃ビア・ハウス:第6話:「モンテカルロの一夜」

2018-02-05 16:06:07 | あの頃、ビアハウス
2018年2月5日
                  
♪Eine Nacht In Monte-Carlo (モンテカルロの一夜)        
一夜さ モンテカルロ 
しゅろ茂る 葉隠れに
君がかいな取りて 共に歩まん
一夜さ モンテカルロ
星降る空を見 
君が熱きくちづけに酔わん

      
これが、オペレッタ「狂乱のモンテカルロ」の中のヒット曲だと知ったのはずっと後年です。昭和8年製作とありますから、遠当然わたしは、まだまだこの世に生を受けておりません。しかし、これはわが先輩歌姫こと宝木嬢の持ち歌の中でも、わたしが好きな一曲なのです。
      
仮想の王国ポンテネロの巡洋艦長、のんびりと魚つりを楽しんでいるところへ、女王陛下の地中海遊覧の命令が入ります。そんな窮屈なお役はご免とばかりに、艦長はモンテカルロへ向けて出発してしまう。

女王は艦長を懲らしめるべく、先回りして妖艶な仇し女に変装、その女王にまんまと引っかかり、二人は艦長室で一夜を明かすのである。
翌朝、パリッと女王陛下の制服で現れたのを見て艦長は仰天、巡洋艦からざんぶと海中にとびこみ、ハワイに向けて出向する外国船に乗るのだが、女王さまも負けじと命令一下、巡洋艦をハワイに向けて追跡させるのである。

        「世界映画名作全史戦前編」引用

さて、歌姫宝木嬢がこれを歌うと、必ずや曜日常連のI氏とお連れの女性が歌に合わせてステージ前の小さなスペースで、タンゴをちょっとおふざけ気味に披露してくれる。
      
二人の踊る呼吸は実にピッタリ。ベレー帽がトレードマークのI氏は当時70をとうに越していたと思うが、かくしゃくたるものであった。お連れの女性は女医氏と聞いた。
  
思うに、ダンス教室の帰りにビアハウスに立ち寄ってタンゴを遊びがてら披露していたとわたしは推測している。なぜなら、タンゴは上手なはずなのに、片足を挙げたりして多少おふざけが入っていたからだ。

                  
写真は1977年、女性セブン6月16日号に掲載されたアサヒビアハウス。アコーディオンのヨシさんと、マイクを持っているのはわたし。「モンテカルロの一夜」「夜のタンゴ」が歌われると、必ず踊り出す、常連の中でもひときわ目立つカップルでした。I氏ももう故人です。

それぞれ強い個性を持つ 常連が多い、愉快な大人の集いのビアハウスでした。

モンテカルロはカジノとF1レースの国である。 1980年代にわたしは家族と一週間ほど滞在したことがある。ホテルはモナコ王室も利用し、F1レースが催されるときは、部屋のバルコニーから、いながらにして観戦できるというところだ。
      
しかし、それよりもモンテカルロでの忘れられない思い出は、そこで野外に大きなテントを張ったドイツのビアホールがあったことである!もちろんドイツからビアソング楽団が来て演奏しており、わたしは夫を説得して引っ張って行った。
  
バイトとは言え、ビアハウスで歌っていながら本場のビアソングを聴いたことなし見たことなしのわたしだったのである。初めて体験した本場のビアソング楽団!見知らぬ隣席の、どこの国の人とも知れぬ人たちと、アサヒビアハウスで常連たちが興に入るとするのと同じように、テーブルをたたき肩組んで、楽団のビアソングに、そしてビールに酔いしれた夫とわたしの「モンテカルロの一夜」だった。

「モンテカルロの一夜」をお楽しみください。



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2 コメント

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1977年6月、女性セブン、戻し減税に乾杯🍻(^_-) (やまひろ)
2018-02-06 10:36:56
何しろ、当時の女性セブンに写真が掲載されたことがファンタスティック、写真の横に戻し減税に乾杯🍻の記事があり、当時の世相が垣間見れる(^_-)
人間、万事塞翁が馬かなの感(^_-)
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やまひろさん (spacesis)
2018-02-07 18:27:41
この日は先輩歌姫がおらず、緊張したのを覚えています。
雑誌の取材は他にもありましたよ。

戻し税に目が行ったとはw
老いも若きもともに楽しめたのが良かったですね。
今はどうなのでしょうか、こんな遊び場所がなくなったような気がします。

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