ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

判子に見る日本社会の縮図

2018-04-14 22:48:20 | 家族の話
2018年4月14日


子供たちが学校時代に書いた絵やプロジェクト作品は、月日が経ってから何かの拍子に物置部屋の奥からひょいと顔を出し、引っ張り出して見ていると、いつの間にやら、時間の経つのも忘れて見入ってしまうことになる。

息子と娘の作品が我が家にはたくさん保存されてある。それらの多くは大きい絵で、捨てるにも忍びない。かと言ってこのままでは整理がつかない。
   
そこでわたしはそれらの作品をデジタルカメラに撮って保存することを思いついた。そうすると、場所も取らないし原作が変色したり傷んだりしても心配せずに済む。

色々な絵やプロジェクト作品の中で、わたしが傑作だと思うものの一つに娘が書いた、ある図がある。

モイケル娘が16歳頃に補習校でスピーチした、「(日本社会に於いて)自己主張はどこまで許容されるか」に使用して聴衆を笑わせた図だ。わたしはこの絵を見るたびに「あっはっはっは!」と笑わずにはいられない。ほんと、これ、ツッコミがうまいのである。そう思うのは親バカのわたしだけでしょうか(笑)
    
国語教科での敬語、謙譲語の学習を通じて、日本社会で自己主張は果たしてどの程度まで許されるものなのか、という彼女の疑問とリミットについて自分の体験から、日本とポルトガルを比較して作文を書いたようだ。全文を載せるわけにはいきませんが、この図を提示する文の箇所を抜粋して見ました。(娘、事後承諾^^;)
    
以下抜粋。
      
ー日本社会について色々調べていたら、ある日会社内でのおもしろい習慣をインターネットで発見しました。
書類などで判子を押すとき、「偉くない人」から「偉い人」の順で判子の大きさが変わるというのです。

全員が社内で判子を押し終わったところ、捺印欄の左側の一番小さい判から少しずつ印鑑の直径が大きくなってゆき、最後の一番エライ人の判はなんと欄からはみ出て堂々と自分の偉大さを誇示しているではないですか。そこに載せられていた図をみたときは思わず笑ってしまいました。ー
     

抜粋終わり。
     
右上がりに判子が大きくなっていく図を、本人は自分の好きなようにアレンジして、こういう具合に仕上げてみたようです。


                      ↑↑↑
課長欄外太い矢印の下、「少しえらいので調子にのっていばってみた「出る判子は打たれる」の下には、「この人は降格決定」とある^^;  

この仕上げを見せられた時には、ひとしきり大笑いした後、思わず「モイちゃん、ほんま、あんたうまいこと書く!」と我が子ながら感心してしまった。
 
会社社会にどっぷり浸かっていると、当たり前のこととやり過ごしてしまうこの判子社会縮図。う~んとわたしはうなってしまうのである(w)実に「言いえて妙」だ^^;大阪の堂島にあったオフィスで勤めていた頃は、会社の角印と所長の印が大きいのは知っていたが、部課長の印にまで気をつけて見た覚えもなし。いたってのほほんとしたタイピストであったわたしだ。

こんな何気ないことではあるが、モイケル風に物事を面白おかしく捉えられるたら、時には世知辛い世の中も「わっはっは」と笑って少しは気楽になれるかも知れない。こんなところは何事も深刻に思いつめないポルトガル人かたぎかな?と思ったりする。


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2 コメント

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Unknown (けいこ)
2018-04-20 00:21:12
あはは、そうでしたっけ?
日本で仕事をしてた時、私もハンコの大きさなんて全然見てませんでした。
というか大きさが違うのに気がつきませんでした。

お嬢さん、視点が違うのですね。
鋭い指摘です。
お嬢さんは、日本社会に上手く溶け込んで生活されていますか?
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けいこさん (spacesis)
2018-04-22 12:16:05
レスが遅くなってすみません。
ただ今一時帰国しており東京からです。

どうやら、なんとかやり過ごせてるようです。
でも、兄妹で時々会って、愚痴を言い合っているみたいです。

そうやってストレス発散ができるのはいいことだと思っています。二人の話を聞いていると面白いですよ。日本人であるわたしが気付かない点を見だすことたびたびです。
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