ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

東京息子の誕生日

2017-09-25 16:16:03 | 家族の話

2017年9月25日
 
我がモイケル娘は18才で、東京息子とわたしが呼ぶ息子は27才で我が祖国日本へ送り出しました。もちろん子どもたちが自分で決めてのことです。

モイケル娘が大学を卒業し、東京の企業に就職するに当たり、息子も東京麻布のアメリカ系語学学校の職を見つけ、兄妹二人での同居生活が始まったころの日記にこう書いています。

3月11日(水) あんたはえらい!
南行徳に居を構えた二人の兄妹、昨日やっとネット接続ができました。

引っ越してちょうど一週間になります。まだ、アパートはすっかり落ち着いたところまで行かないでしょうが、なんとなく人が住む部屋らしくなってきたことでしょう。

さて、息子が早速メッセンジャーで言うことにゃ、今日、周囲の人たちに笑われたのだと言う。
なんで?と期待満々の心で聞く母(笑)

一人で布団を買いに行った。宅配してもらうとお金をとられるので自分で運ぶことにしたのだそうだ。
息子が電車に運び込んだその荷物とは、「マットレス、敷布団、掛け布団、毛布、それに枕」
・・・・・・・・・・お、おい@@、お前、それを全部持って歩いたんか~(爆)

しかし、考えてみれば、大してお金を持っていない身分の息子、ちょっと頑張ればできるようなことなのだから、重いだのカッコ悪いだので払うのは無駄なお金だとして、できるだけ使いたくないのだろう。

今時、日本ではそんな大きな荷物を持って町を歩く輩はおらんわい。周囲が見て笑うのもごもっとも!と思いながらも、大都会でイナカッペ丸出しの息子の話を聞いてわたしはなんだか楽しくなった。

息子よ、あんたはえらい!周りがどうのこうのというより、迷惑をかけないのであれば、そういう範囲内であるならば大いに自分の主義を通してください。

息子のこんな話を聞きながら、晴れて日本の大学生となり、日本で一人暮らしを始めた頃のモイケル娘の愉快な話をも思い出さずにはいられなかった。最近、この手のズッコケ話を彼女から聞かなくなったから、少しは日本社会に染まってきたのかしら。


赤ん坊の頃の東京息子
ついでにおっかさんと一緒の写真も。わっかかったぁ。この頃はわたしが心密かに「3ばば殿」と呼んでいた夫の母、その母の姉妹二人と同居の時代でした。すったもんだのこの6年間の同居生活が今のわたしを作ったと、感謝するこの頃でもあります。



ジョン・ボーイと呼ばれていた少年期。衣服はほとんど手作りでした。

15才の誕生日にエレキギターを贈ったのが親の運のつき(笑)。すっかり音楽にはまってしまいましたとさ。

リスボン時代の息子のアパートスタジオ。

今では麻生の語学学校での仕事はパートにまわし、日中は四方の大学での英語講師の仕事を増やし、「とうとう月から金まで働く羽目になった」と嘆く息子の話を聞き、夫曰く「Dente de juizo(知恵の歯、息子に関しては「分別の歯」とわたしは訳すのだがw)が、やっと生えて来たようだ。」

一応合せてはいるが、日本社会との摩擦は結構あるようで、天真爛漫、天衣無縫の彼の季節が遅まきながら終わる時期にさしかかったのだろうと思っています。

渡日してからの息子。

働きながら好きな音楽作曲をし、時には新宿あたりでコンサートをしたりしていた東京生活初期の頃。

下は天衣無縫な息子の性格がよく表れていて、わたしが大好きな写真の一枚。夫の友人の娘さんの誕生日でわたしたちが招待され、カメラマンがいざ記念撮影をとシャッターを押した瞬間の息子と母親の一場面なのです。おとなしくカメラマンの前で並んでいた他の子供たちも息子の一瞬の行動に思わず口を開けて驚いたり笑ったり。

 
ちょいまち!(爆)


息子よ、今日はこの言葉を贈ります。「失敗のない人生こそ失敗である」

誕生日、おめでとう。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿