ポルトガルの空の下で

ポルトガルの町や生活を写真とともに綴ります。また、日本恋しさに、子ども恋しさに思い出もエッセイに綴っています。

友よ、30年君を待ったのだ

2018-01-03 11:16:57 | 日記
2018年1月3日

昨日の続きになります。

今の若い人たちはどうか知らないが、大きな下宿やにいたわたしの時分には誰かの部屋に数人集まって人生論を戦わしたり、夜更けの下宿ビルの屋上や川原であれやこれやの話をしたりして、人生とは何かとみんな模索していたものだ。

そんな仲間同士の中から、何組かのカップルができたり恋のさやあてがあったり、友達ができたりしたと思う。そうした交友が一時的な間柄で終わってしまうこともあるが、ずっと友好が続くこともある。

わたしの場合、女同士がくっついてどこそこへ行くということはあまり性に合わないので、必然女友達はなかなかできないものである。わたしはよく一人ぽっちだったが「本」と言う友がいた。

生涯の友と呼べる人にわたしが出会ったのは、かなり遅く、27、8歳の頃で、彼女は当時勤めていた会社のわたしの後輩だった。わたしたちの性格はまったく似ていない。若い頃のわたしは性急なタチで、思い立ったが最後、なんでもすぐ行動に移さないと気がすまないタイプ。それに比べ彼女はチビのわたしとは正反対に背丈があり、なんともゆったりおっとりした性格だった。

ポルトガルに住むに連れて、だんだんと性急な部分が緩められ、角がとれたと言おうか、随分のんびりした性格になったわたしだが、彼女はと言えばずっとあの頃のままで、今では関西で木彫家として活躍しており、木彫り、漆塗りの教室も開いている。
家財道具の一切合財を売り払ってアメリカへいざ!と移ったときは、愛しの我が猫こと「ポチ」を彼女とそのご両親に押し付けた。彼女の家には誰も弾き手がいないと言うのに、我が愛用の白いギターも無理やり引きとってもらった。

わたしは自分の最も大切な二つのものを処分しきれず、もらってくれと頼み込んだのだ。

挙句の果て、アメリカ移住予定だったのを半年で大学留学をうっちゃって、今で言えば日本とアメリカの遠距離も遠距離、当時は恋人だった現夫が研修を終え、もうすぐ日本からポルトガルへ帰国するとの知らせを受けた際には、全財産の旅行カバンひとつをズルズルひきずって大阪へ引き返した。その時には、行く当てもないわたしを彼女とその2姉妹、そしてご両親が住むお宅へ居候させてくれた。

彼女だけでなく、彼女のご両親もまた、わたしのよき理解者であった。そのご両親は既に他界されたが、わたしたちは月に一度ほどの割で国際電話で少しおしゃべりをしたものだ。

わたしがポルトガルに嫁いで来た時、今ほどヨーロッパと日本は近い距離に感じられなかった。なにしろ、ポルトガルからの便は、ロンドン、パリなどの中継地で一泊しなければならなかったのである。
そう簡単に会えなくなろう、別れの時、わたしたちは約束したのだ。
「いつか、きっと一緒にアンダルシアを、アルハンブラ宮殿をたずねよう」と。

わたしも友も、ヨーロッパの端、ポルトガルのことなどまだ何も知らなかったが、スペイン、アンダルシア地方、アルハンブラ宮殿は、スペイン内戦、ロルカの本も興味深く読んでいたことから、わたしたちにとり遠い異国の地、憧れの地であった。

以来、わたしは我が家族とマドリッド、トレド、バルセロナは訪れたが、アンダルシアは夫にも「みちべぇ(友のこと)と一緒に行くのだから」と行かないできた。お互いに子どもが生まれ子育て専念、とても外遊などする余裕のないまま、数年のうちにはと言いながら、いつの間にか30余年が過ぎてしまっていた。


ある日のこと、久しぶりに国際電話で親友と話した。数年前にお姑殿を看取った彼女、今度は5月からお舅殿の面倒をみるため、同居することにしたと言う。これは仕方がござんせん。

で、わたしは少し考えたのです。
あと5年もしたら、みちべえはまだ60いくかいかないでまだピンだが、わたしゃ・・・おい!68だぞ!人生、明日のことは分からない。5年後も今のようにぴんぴんしているかは誰もいえない。そこで、みちべぇに恐る恐る尋ねました。

「み、みっちゃん~、アルハンブラ、どないするねん?」
「Sodeさん、一足先に行っててちょ。」
「ええのん?そんなら下見をするつもりで行って来るよ。で、みちべぇが来たらもう一度一緒にいこう!」

そうして、日本語教室も休校、当時1年間の契約でしていた大イベント。「Japan Week 2010」のコーディネーターのお仕事も休んで、ポルトから車をぶっ飛ばしアルハンブラ宮殿のあるグラナダ、ロルカが銃殺され埋められたと言われる田舎の地、そしてコルドバを、夢のアンダルシアを周ってきたのでした。

勿論、連れはみちべぇではなく、我が夫。方向音痴がまた、あっちへひょ、こっちへひょ、行くんやろなぁ。
「そっち、間違ってない?」なんて一言ゆうたらスネルから、黙ってついて行きましたが、方向間違ったのを知っていながら黙っているのって、結構しんどいのであります。

と、これが、憧れだったアンダルシア地方が隣国にあるというのに、訪問するのを30年も控えていた事情でありました。
本日もお付き合いいただき、ありがとうございます。


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2 コメント

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深いね~ (ほげほげとまと)
2018-01-03 22:40:11
spacesisさん

ヨーロッパは深いね~

spacesisさんと親友さんの絆も深いね~

拙ブログhttp://blog.goo.ne.jp/hogehogetomatoで更新しましたとおり
イギリスから来道された方と知り合いました
彼らからのメールで Serbiaに興味を持ち
Long Eared Owlというフクロウにも興味が湧き
好奇心旺盛(この年になるまで知らなかっただけのこと)といえばかっこいいこの私の
好奇心によるヨーロッパの知識 
ちょっぴり深くなっています


ほげとま

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ほげとまさん (spacesis)
2018-01-04 06:49:47
日本の歴史も面白いですが、ヨーロッパの歴史は宗教が絡み、色々興味深いですよ。

わたしなどポルトガルの建国にも関係してくるテンプル騎士団追っかけをしています。

好奇心旺盛なほげとまさんは色々な国の方とお知り合いになっているのですね。

ところで、ほげとまさんのブログサイト、コメント欄がないのですね?
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