読書の記録

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銀河の片隅で科学夜話  物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異

2020年05月12日 | サイエンス
銀河の片隅で科学夜話  物理学者が語る、すばらしく不思議で美しいこの世界の小さな驚異

全卓樹
朝日出版社
 
 
 美しい花には毒がある。本書にあらわれる科学話は、どれも一見美しいようでどこかひりひりする。人間の無邪気な科学的好奇心と、それが蓋然的に意味する社会的影響・自然的影響の破滅的なインパクトの温度差みたいなものだろうか。「世にも奇妙な物語」に似たような感覚に近い。最終章の、渡り方を習う機会がなかった子どもの渡り鳥をナビゲートするグライダーの話でさえ、読んだ直後はなんだか心が洗われた思いがしたが、よくよく考えてみると、なぜ渡り方を知らない渡り鳥が出現するのかといった因果の点で人間の罪と業がどこかにあるのを否定できないし、そうやって渡っていった鳥が、今度は自分たちの子孫に、ちゃんと旅の仕方を教えることができたのかまで見届けないとなんだか安心できない気がする。

 興味深かったのは、多数決で物事が決まるまでの妙を数理シミュレーションで解き明かしたガラム理論の話だ。「最初17%の固定票があって残りの人がみんな浮動票ならば、いずれすべてがその票に集まる」というものである。これは面白いと同時に、どこか薄気味悪いところがある。
 つまり、世の中が浮ついていたり、へんに落ち着かないときに少数の固定観念を持つ集団がいると、次第にその気運に周囲が巻き込まれ、やがて世間の大多数がその観念に染まるということをシミュレーションで明かした理論である。著者の所属先である高知工科大学によりつっこんだ説明のサイトがあった
 リンク先のサイトはなにやら専門的だが、本書で説明されている限りのシミュレーションのロジックは決して難しくない。なるほど確かにそうだと思う。
 しかし、これが意味するところは非常に示唆的だ。というのは現実の社会でそういうのにいくつも心当たりがあるからだ。太平洋戦争に突入するときの世論がそうだし、少数政党のひとつだったナチスドイツが最後に独裁政権まで至ってしまった経緯にもこういうところがある。「それでも日本人は戦争を選んだ」の加藤陽子は「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現れる」と指摘した。世論研究者の佐藤卓己は、1956年の東京オリンピックへの支持率が当初はほんの少ししかなかったのに、何度も新聞社が世論調査を繰り返してその結果を記事にしていくで次第に支持層が拡大していったことを指摘している。
 そして、今日の政権の暴走を許しているところの根っこにもこれはあったのではないかと思うし、コロナ禍で見られたデマやパニックの力学にも関係がありそうだ。本当に怖いのはガチガチのの固定層より、浮動層だ。おそるべきことに手続き的には民主主義以外の何物でもないのだ。


 科学技術の進展が倫理面と接触したときの危うさは、ユヴァル・ハラリなんかもしばしば指摘している。近年やたらに思考実験として出される「トロッコ問題」なんかは、自動車の自動運転など、社会装置をAIなどのテクノロジーに委ねる際にしばしば引き合いに出される。
 本書では、MITメディア研究所が行った、倫理感覚の国ごとの差異をクラスター分析で見せた研究の紹介が面白い。
 これは、自動車が歩行者をはねる事故を想定し、運転者や歩行者の属性や状況で誰を助けるべきかを判定するというのを各国の人にアンケートで答えてもらい、国ごとの傾向の違いをみるというものだ。分析した結果、世界の国は倫理パターンとして「西洋型」「東洋型」「南洋型」の3クラスターにわかれるという。この言い方は便宜的で、フランスが「南洋型」になったり、ブラジルが「西洋型」になったりもする。日本はもちろん「東洋型」に属するが、もちろん東洋型の中でもいくつか枝分かれがあって、日本はマカオやカンボジアと倫理パターンが近いのだそうだ。これもこちらのサイトでより詳細に紹介されている。ちなみに「日本は助かる命の数を重視しない(つまり、数よりも誰を助けるかという「質」を重視する)ほか、歩行者を助ける傾向が世界で最も強い。逆に、生存者の数を重視するのはフランスで、歩行者よりクルマに乗っている人を守ろうとするのは中国とエストニア」なのだそうである。
 
 アンケートに答えてもらって回答者をクラスター分析で分類する、という手法は社会調査統計手法としてはスタンダードである。この手があったかと思う次第だが、同一のアンケートを全世界でやった力技がこれの勝因だろう。
 そうすると気になることがある。国ごとの分類ならばこのような社会学の興味範囲で済みそうだが、国ごとでできるのならば個人単位でも分類できるはずで、そうなってくると不気味な実用が想像できる。本書でも警告気味な予言がしてあるが、個人個人の倫理パターンを全部解析すると、その人は結婚相手としてふさわしいか、就職採用して信用たる人間か、お金を貸して大丈夫な人間かなどがすべてシミュレーションできてしまうのである。中国なんかは既に人間信用スコアというのがあって、その人の経済力や賞罰歴をもとにデータベース化されていて、融資や保険の判断に使われている。倫理パターンから分析されるとなるとこれは全人格を把握されることにほぼ等しい。
 で、さきほど「同一のアンケートを全世界でやる力技がこれの勝因」と書いてみたが、よくよく考えると、Googleあたりがアルゴリズムをつかって瞬時に分析できそうではないか。技術的にはGoogleはひとりひとりの倫理パターンを自動的におさえられるはずである。20世紀の優生思想は否定されたものの、とんでもないパンドラの箱が見えないところで着々とデータを溜めているとなると急激に寒気がしてくる。


 アカデミズム上の思考実験や数値シミュレーションは、夢はあるけど悪夢とも裏表だ。銀河の片隅で科学夜話。眠りに誘うよりは、哲学的な思索に引きずり込まれる小話群である。
 

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