読書の記録

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ROCA 吉川ロカストーリーライブ

2022年08月03日 | コミック
ROCA 吉川ロカストーリーライブ
 
いしいひさいち
(笑)いしい商店
 
 いしいひさいちは、いまや4コママンガの大御所というかもはやレジェンドだ。もういい歳のはずだが、若いころから因襲にアグラせずに、常に実験的なことをしてきた。マンガと自作小説をフュージョンさせた「若い翼・赤い霧・陳という男・都すでに遠く」とか、永遠のマンネリを繰り広げる「B型平次」とか、哲学哲人列伝の「現代思想の遭難者たち」とか、文藝別冊「いしいひさいち 仁義なきお笑い」で見せた「でっちあげ紙面インタビュー」とか。こうしてみると、本来約束された予定調和のフォーマットに革新的な手法を持ち込むことがいしいひさいちという人は秀逸なんだなと改めて思う。そんなのあり? というのを仕掛けてくるのだ。
 この吉川ロカシリーズは、そういった彼のフォーマット実験のなかでも、もっとも壮大で長大なものであろう。
 
 かつてここでも詳細に書いたけれど、もともとこの「吉川ロカ」というシリーズは、朝日新聞に毎日連載されている「ののちゃん」の中で間歇的に出現する「連載内連載」だった。普段はののちゃん家の面々や藤原先生などの怠惰な日常が繰り広げられる毎日連載の4コマなのだが、2週間に1回くらいの頻度で、忘れたころにぽこっと「吉川ロカ」のエピソードが現れる。この感じはまことに独特で、「ののちゃん」の舞台である「たまのの市(「岡山県玉野市がモデル)」の一角でくりひろげられるひとつのエピソードとして異質の面白さがあった。「ののちゃん」に登場する他のキャラクターと比べると、吉川ロカだけが、等身が違っていたり書き込みが緻密だったりしていたし、なによりも万年停滞時間の「ののちゃん」の中で吉川ロカとその周辺だけが季節がめぐって年月を重ねていくなど、周囲との「異化」効果も相まってこれはなかなか変わったことをやってるぞと思ったものだ。
 
 僕が連載にてリアルタイムで見ていた吉川ロカシリーズは、上記のような面白さがあったわけだが、その吉川ロカのエピソードだけで再編集されたのが本書だ。朝日新聞「連載内連載」ではずいぶん以前に「完結」していたが、作者いしいひさいちの思い入れは強かったようで、その後も随所で散発的にけっこうな量の新作が公開され、ついには自費出版本としてこのたび登場したのである。4コマのレジェンドが自費出版で出すというのもインパクトが高い。
 
 改めて再編集された本書を読むと、これはもう濃縮された一大ヒューマンサクセスストーリーである。「連載内連載」時とはまた異なる世界線の物語という気さえしてくる。造船業の町であるたまのの市を舞台に、ポルトガル民謡のファドの歌手を夢見る吉川ロカと、相棒の柴島美乃を中心とした物語で、特に柴島美乃の無頼派キャラおよび彼女の実家の稼業(曰く「ヤバいスジ」の商会)の設定が本作のドラマツルギーをより強化している。「連載内連載」を読んでいたときは吉川ロカの逡巡と成長にフォーカスされやすかったのだが、本書の構成で改めて読むと、柴島美乃の裏に表にの立ち回りが実に心憎い。また、彼女の援護のやり方が実家稼業としっかりつながっているのでストーリーに破綻も散漫もなく、吉川ロカの成功と成長は柴島美乃なくてはありえなかったというのがこの物語の核心であったことを本書はぐぐっと浮掘りにしている。これは新聞連載時や単品公開時にはなかなか気づけず、改めて本書を読んでの新たな発見だった。ネタバレは避けるけど、終盤の展開もふくめて人情系喜劇邦画でもみているような感覚になる。いしいひさいちで「男はつらいよ」みたいな読後感を味わうことになるとは。(なお、通販で買われた方は本書読了後、同封されている納品書のイラストをご覧あれ! 感涙するぞ!)
 
 それにしても、さいきん流行りの4コマからは絵柄もノリもちょっと時代遅れになったような(奥さまのツイートにそんな弱気なコメントをみた覚えが)そんな70歳になるいしいひさいちが、いつもの芸風を保持しつつもまさかの前代未聞となる境地の作品を上梓し、多くの現役漫画家含む一家言持ちから驚きと絶賛を勝ち取ったのだ。その貫徹魂とプロフェッショナルシップにも敬服と感動を禁じ得ない。自費出版の本書は、いしいひさいちのストーリーライブでもあった。年齢を理由にして時代についていくのをあきらめてはいけないのだ。「働かないおじさん」に安住せず、ぼくももう少し頑張ろうなどとお門違いな勇気までもらったのだった。

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