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数学思考のエッセンス 実装するための12講

2025年03月17日 | 数学・統計学
数学思考のエッセンス 実装するための12講

オリヴァー・ジョンソン 訳:水谷淳
みすず書房

 たまに数学や統計学の本を読む。もちろん入門編くらいのものばかりだ。専門知を学ぶというよりは世の中のとらえ方の一流儀をいちおう知っておくというくらいのつもりなのだが、それでも難解であることが多い。
 難解に思うのは、長ったらしい数式が出るとか馴染みのないギリシャ文字がいっぱい並ぶということではなく(いや、それももちろん難解さの一因なのだが)、その数学なり統計学が表さんとしている内容が、直観に反していたり人間の認知能力を超えるようなこととしてちょいちょい出てくるからだ。「偽陽性の罠」とか「1001日目の七面鳥」とか「蓮の花の増え方」とか、直観を超える数学的思考はたくさんある。

 しかし、この人間の直観や認知能力を超えることこそがまさに重要かつ教訓なのであって、人間の認知能力というのはしばしば正確性に乏しかったりバイアスで歪んでいたりするのである。したがって、世の中の現象や状況をちゃんと把握しようとする場合は、数学や統計学のセンスで物事を見る必要がある。これを怠るばっかりに、リスクしかないギャンブルに手を出したり、検討に値しない脅威に慄いたり、強引な結論誘導のための折れ線グラフに言いくるめられたりする。

 「環世界」という言葉がある。我々はしょせん自分が認知認識している世界の中で完結して生きているという世界観の仮説だ。井戸の中の蛙は言うに及ばず、水の中で一生を過ごす魚が水面より上の世界を認識しないのと同様に、人は認知している世界の中で生きていて、それがその人間にとって「この世の中だ」と思う。そのように脳みそは作動する。フィルターバブルやチェンバーエコーの中にいるのに世論の大筋はこうなんだろうと決めつけてしまうのも同様である。環世界では情勢を見極めるのも次の一手を決める判断材料もすべて自分の認知・認識している世界の情報で行う。

 しかし、自然現象や社会現象の中には、どういうわけか人間の直観や認識をあざ笑うようなものがある。

 リーマンショックのときは、100年に1回起こるか起こらないかの滅多に無いはずのことが起こったとされたが、冷静に統計を計算すると30年に1度くらいは起こっても不思議ではないことが判明した。東日本大震災の福島原発事故は1000年に一度の想定外と言われていたが、「1000年に1度」は、残りの999年は必ず来ないことを意味しないにも関わらず、その安全対策は反故にされた。
 本書はコロナのパンデミックが世界中で吹き荒れたときに執筆されており、この時期はウィルスの感染拡大予測、PCR検査の精度や陽性者の出現率、死亡者の推移の分析、はては行政施策と流行の相関(女性が首相のところは感染が抑えられている、なんてのも)みたいなことまでいろいろ狂騒的に言われていた。多くの予測や見立ては現実を前に翻弄されたわけだが、あれから数年たって今となっては、あの狂騒の心理状態はやむなきものだという気もする。

 つまり、人間の肌感的な認知能力はあてにならないのだが、そこを、直観とは反するんだけどでも計算の上ではやっぱりこうなんだよなあというものを教えてくれるのが数学や統計学だ。
 つまり、数学とか統計学のセンスは、専門的にそれを駆使する能力は無くてもかまわないが、自分がそれに騙されたり流されたりしないようにするくらいの防御力のためにも持っていたほうがよい。

 本書を読むと、とくに人間の感知が苦手なものは、
 ・ランダム
 ・指数増減(対数増減)
 ・ベイズの定理
 のようである。ランダムな現象に対して、人はついついストーリーや説明をあてはめようとしする。1,2,4,8,16と指数的に増加するものを、1,2,3,4と等差で単調に増加するものののようにイメージする。一部の条件を満たしている者のみで現れている現象を全人類のものだと思ったりする。

 反対に言えば、
 ・これはただのランダムなのではないか?
 ・これはこのあと指数的に増加、あるいは指数的に減少するものなのではないか?
 ・これはある条件の中だけで適用する状態なのではないか?
 という疑いの目線を常に持っておくだけで、自分が持っている環世界はずいぶんに広がるということである。これらは経験と直観に逆らうので脳みその汗をかくこと必至だが、経験則に溺れすぎないことは大事なことだ。
 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という格言があるが、ここで言う歴史とは法則性であり因果律であるとすれば、歴史とはまさに数学なのであり、愚者は経験に学び、賢者は数学に学ぶ、ということも言えそうだ。


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