読書の記録

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移動力と接続性 文明3.0の地政学

2022年03月12日 | 地理・地勢
移動力と接続性 文明3.0の地政学
 
パラグ・カンナ 訳:尼丁千津子
原書房
 
 なかなか壮大な本である。その内容を大胆にかいつまむと「これから世界は歴史で何度目かの人類大移動時代に入っていく」というものだ。
 
 これからのグローバル社会において、人々を移動させる原因となるものは目下2つ、「ガバナンス」と「気候変動」である。いやいや、前者においては昔からそうだった。もともと住んでいた土地の政治状況や治安状況が悪化し、住むに耐えられないゆえの移動である。本書によると今日においてもっとも移動者すなわち移民を多く生んでいるのは東ヨーロッパおよびロシアとの関係地域とのことで、シリアや旧ソ連諸国も含まれていく。地政学的な絶望を感じさせるに十分だが、本書を読んでいる間にロシアのウクライナ侵攻が始まってしまった。
 
 しかし、これからの移動時代、移動を促すものはこういった極端なガバナンス悪化だけではない。むしろ、こっちよりもあっちのほうが諸条件がよさそうであればさっと軽快に移動するーーそんなことになりそうであることを本書は予言する。コロナパンデミックによって各国各州の統治能力の差がずいぶん露わになった。自分の住んでいるところの行政能力は当たりだったのか外れだったのかが白日の下にさらされることとなった。
 一方で、リモートワークが一挙に促進された。必要なのはぶっとい通信環境、安定した電源環境、信頼できる物流環境である。それらがそろっていればよいのだ。テクノロジーの発達によって、もはやその土地に縛られなくても仕事はできる時代になっている。
 これらを踏まえて、いま自分が住んでいるところの雇用条件、税制、家賃や生活費の相場、社会慣習その他がそぐわなければ、もっと自分好みのところに移動して全くかまわない、そんな価値観が台頭してきている。選挙や陳情などの民主主義的手続きではなく、さっさとそこから出ていく。そこまで自分の住んでいる地域の行政に義理立てる必要はない。ある意味で前定住時代ーー狩猟採取時代のルネッサンスである。
 
 そしてこういった移動需要を加速させ、移動距離を長距離化させるものが気候変動だ。
 長期的にみれば沿岸都市は水位上昇による水没が必然だし、緯度帯によっては、今後のさらなる気温上昇で生活のクオリティQOLが下がる地域が出てくる。単に過ごしにくいだけではない。気温の上昇は食糧生産や疫病などともかかわってくる。上海をはじめとする東アジアの沿岸都市、バンコクやシンガポールも危ない。
 また、毎年おこる気象災害は、どうやらあのあたりは危ないらしい、という見立てを作り始めている。アメリカならばフロリダ、日本ならば九州あたりは要警戒地域ということになってしまっている。
 
 一方で、これまで住みにくかった高緯度帯や内陸部が住みよい土地となり、ここめがけての人口移動が始まる。本書では、一度は没落したデトロイトが、その緯度帯や内陸的位置により、地球温暖化に際してのレジリエンスが認められて復活の兆しがあるという。さらには、カナダやカザフスタンや北欧諸国はこれから住みよい土地として要注目とのことである。
 ロシアの広大な大地も、気温上昇によってツンドラの土地が溶ければ、そこは好条件の農作物地帯になりえる。北極海の氷も溶ければ航路が開ける。ロシアは地球温暖化を歓迎する国である。
 
 
 これら足元の揺らぎにおいて、いよいよ動き出すとされるのが世界中の「Z世代」だ。おおむね21世紀以降にうまれた世代である。
 
 日本ではなんとなくマスコミでもてはやされている「Z世代」だが、本質的には彼らは割を食っている世代である。
 というのは、現在の行政基盤や法律や税制といった諸制度、また都市装置や経済循環のありようは前の世代にとって最適化されたものである。(本書曰く、石油エネルギーを前提としたサプライチェーンを基礎とした都市分布であり、人口分布である。なるほど)。しかし現在のシステムができて数十年、人口バランスは変わり、資源エネルギー事情は変わり、地球の気温は変わり、国際関係は変わった。民主主義の制度も疲労してきた。いまの世の中の仕組みは、上の世代にとっては社会厚生的に妥当であっても、Z世代にとって好都合にはできていない。社会保障制度も選挙制度の仕組みも立法のプロセスも自動車社会のありようも、Z世代には不利不都合を押し付けられている。そのくせ、人新世とやらで地球環境は汚され、人類が生きていくためのリソースは極端に減らされた状態でZ世代に押し付けられているわけで、グレタさんが怒るのも一理ある。
 
 かつてなら、若者はそれでもその土地で我慢するか、頑張って抵抗するしかなかった。生まれ育ったその土地、せいぜいがその国の中で生きていかなければならなかったからだ。
 しかし、Z世代はかつての世代ほど国や企業に対しての帰属意識がない。不都合を感じれば、さっさと他に移動する。QOLの良いところを求めて移動するのがこれからの生き方だ。行政上の区分けはしょせん前世紀の遺物であり、Z世代を強権的にその枠にはめることはできないのである。ハーシュマンの「VOICE・EXIT」論でいえば、「EXIT」を攻めの戦略として使えるようになったのだ。
 なぜZ世代がそうなったのか。Z世代は、自分の国の違う世代よりも、他の地域の同じZ世代とのほうがシンパシーが強いという。情報環境の発達と、地球規模のイベント(9.11やBLMやMeToo、気象異常やコロナもそうだ)による共通の体験がそうさせたとも言われている。
 
 そして、大事なことは、Z世代をピークにしてこれから若い人の人口は世界で減っていくということだ。日本ではとっくに減っているが、世界でもこれからいよいよ減少に転じる。それは若い世代が生む子供の数が減ってきているからである。特にZ世代の次にくるアルファ世代は、コロナの影響もあってZ世代よりも世界人口が少ないことが確定している。
 ということはいずれ、世界で若い労働力の争奪戦というものが始まる。技能職やケアワークなどで若い力を必要とするところが売り手市場になっていく。移民を閉ざす日本ではなかなかピンとこないが、世界の人口動態を見通すと、そういう未来になるらしい。AIによって職の大部分が失われたとしても、若い力を借りなけっればならないことはまだまだ多いだろう。
 
 したがって、国や地域は「若い人に来てもらう」ガバナンスやまちづくりがより重要になってくる。それはもちろん気候変動やエネルギーの持続可能性や人権、いわゆるSDGs的な様々なに配慮された社会である。これができない国やエリアは、やがて必要な人がいなくなってすっからかんになる。日本の移民鎖国制度も遅かれ速かれ見直しの時期がくるだろう。
 
 
 このようにして移動が加速した世界の様相はどうなるのか。
 本書の予言では、一部の安全に囲われて経済循環が自立できる国、かつてのヨーロッパのハンザ同盟のように有機的なコミュニティによる緩やかな連帯(ただし共助関係を結べないコミュニティに対しては排他的)、そして北斗の拳の世界のような無法地帯といくつかの形に収れんされていく、という。
 
 興味深いことに、世界のこのような大移動時代目前という状況に際し、日本という国は本書ではずいぶんユートピアに描かれている。
 まあ確かに水ストレスはすくないし、大陸の気候変動影響に比べると日本のはまだ穏やかなほうだし、なんだかんだでインフラやテクノロジーはしっかりしているし、内戦もないし、コロナ対策もできているほうだし、万事が清潔で安全だ。
 ただ、本書で書かれる日本の事例はちょっと針小棒大である。一部のスタートアップ企業が始めた室内水稲栽培や、トヨタが富士山の裾野で行っている実験都市をあたかも日本全体がそっちにむかって次々と実現させているかのような書き方である。そういう意味ではこの本、調べが十分でないとも言えるが、なんと本書では日本は移民の異動先としてまぎれもない理想の地と書かれている。大航海時代がそうであったように、次の大移動時代も理想郷ジパングとして描かれてしまうのも、地政学上における日本の宿命かもしれない。
 

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