読書の記録

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プラスチックスープの海 北太平洋巨大ごみベルトは警告する

2019年05月11日 | 環境・公益

プラスチックスープの海 北太平洋巨大ごみベルトは警告する

 

チャールズ-モア カッサンドラ-フィリップス 訳:海輪由香子

NHK出版

 

去年あたりから、プラスチック製のストロー使用の制限が急に取り出されるようになった。スタバやマックなどの外食産業で大量消費されるストローが注目された。

きっかけは、ゾウガメの鼻に刺さって抜けなくなった海洋投棄のストローの動画映像とされている。Youtubeなどで世界中で再生された。

いま思うに、あの動画映像は十分にセンセーショナルを与えるものとして周到に準備されて世の中に投げ込まれたものだと思う。

 

プラスチックストローはあくまでひとつの象徴であり、この問題は「廃棄プラスチック」略して「廃プラ」である。「廃プラ」の何が問題なのかは、ちゃんとした報道をしっかりみている人にはわかるが、なんでプラスチックストローが急に? で止まっている人も多いんじゃないかと想像する。

かくいう僕も、そんなにわかっていたわけではなかった。プラスチックつまり「燃えないごみ」だ。ごみの分別がかつてに比べて非常にクリティカルになっていること、ごみの大量出現はもう何十年も問題視されていること。これはよくわかる。とくに「燃えないごみ」が大量に増えていることは地球環境にとってもよくないだろうことは想像に難くない。

だけれど、「燃えないごみ」というのは、つまり「大型焼却炉で高温で燃焼させなければならないごみ」ということで、どちらかというと大気汚染とか資源エネルギーの浪費とか地球温暖化とかそっちにひもづく話なのだと解釈していた。焼却に間に合わない「燃えないごみ」が、不法投棄されたり、土壌に直接埋められたりして土壌汚染を引き起こす、これが問題なのだと思っていた。スーパーのレジ袋を控えてエコバッグにしようというのは、資源の有効とか、地球温暖化文脈のものだと思っていた。したがって「廃プラ」の「海洋投棄」というのは、そういう「燃えないごみ」の「不法投棄」が陸だけでなく海にも漏れ出ちゃっている、とまあそんな解釈でいた。

 

で、そんな悠長な話ではない、というのが本書である。啓蒙書であり告発書だから、いくぶんセンセーショナルな書き方をしているのかもしれないが、これまでほとんど意識していないことがここでは扱われていて、素直に不明を恥じている次第である。

なんで「燃えないごみ」の中でも「プラスチック」なのか。それも「海洋投棄」のことを指しているのか。ストローがやり玉にあがったのか。ようやくわかった次第である。

 

本書の研究や検証が十分なのかそうでないのかを判断するだけのリテラシーを僕は持たない。その上で本書をひとまず信じるとして(話の筋は通っているし、断片的には確かにあちこちでこういう言及や報道を見てきたなと後になって思うからである)、けっこうヤバいのである。

まず、プラスチックというものがこの地球上に近代以後そうとうな量として出現しているということだ。もちろん高温焼却されて気体に戻ったプラスチックも多いだろう(ダイオキシンとか別問題がそこにはあるわけだが)。しかし、処理しきれずに固体のまま廃棄されたプラスチックもまた多い。

で、人類がどのくらいのプラスチックを生産してきたか、というのが実はものすごいのである。ここがまず僕の想像を超えていた。というのはあれもプラスチック、これもプラスチックなのだ。

スーパーのレジ袋はプラスチックなのである。牛乳パックの裏側の水を通さないための加工処理もプラスチックなのである。もちろん電化製品の筐体もプラスチックだし、ナイロンもプラスチックである。発泡スチロールもビニールテープもプラスチックである。現代生活をとりまく素材のほとんどがプラスチックといってよい。

で、プラスチックが汎用化・大量生産化されて60年くらい経ち、いまや世界70億人の人口で使われるようになった。開発途上国でもプラスチックは持ち込まれている。プラスチックの生産量は年間3億トン。世界の食肉消費量よりも多いとのことである。

ここで肝心なことは「プラスチックは消滅しない」ということだ。強制的に高温焼却しない限り、未来永劫そこにある。一部の特殊なものを除けば「自然に土に還る」ということがない。では、ここ60年にわたって残存するプラスチックはいったいどこに行っているのか?

地球の面積の大半は海である、というところから必然的にひとつの答えが出てくる。消滅せずに蓄積されたプラスチックは海にある。

とはいえ、海は広いな大きいな、である。60年の人間活動によって破棄された不焼却のプラスチック量と、海の体積の比率はどのくらいか。そんなに海洋に影響を与える量なのか。たぶん、ここがアメリカとヨーロッパ、先進国と途上国、あるいは産業界と保護団体などで、見解を異にするところだと思う。全員が納得する解答は無いとは思うのだが、本書の見立てでは事態は深刻である。

たしかに浜辺なんかを歩いていると、ペットボトルとかビニール袋とか落ちている。しかしそこまで酷いかなあと思うのだが、そんな表面的な印象で判断してはいけないという。浜辺で打ち上げられているごみはほんの一部だ。

まず、海流は偏っていて、非常にごみが集まりやすいところとそうではないところがある。そして集まりやすいのは浜辺より沖合であり、それも太平洋のど真ん中だったりする。地球的規模における海流の渦の中心があり、そこに船をむけると大量のプラスチックごみが浮遊している(これがサブタイトルである「北太平洋巨大ごみベルト」である。ネーミングインパクト抜群だ)

また、プラスチックはすべてが浮遊するわけではない。海底に沈むものもある。海底にどのくらいのプラスチックが沈んでいるのかは目で見ることができない。

そして、プラスチックは消滅はしないが、細かい粒子に分解はする。これが「マイクロプラスチック」である。ビーズ上のプラスチックが海面と海底に大量に漂っているのが現代の海洋であるというのが本書の告発だ。

 

そして海は食物連鎖の世界ということ。

小生物は、マイクロプラスチックを体内に取り入れる。また、餌と間違えて食べる魚や海鳥や海獣がいる。もちろん投棄された魚網(これもプラスチックである)に絡まるものもいる。海上でとらえられた魚や海鳥やクジラやアザラシの腹の中から次々とプラスチックが出てくる事例が本書で紹介される。誤って食したプラスチックで肛門をふさがれて死んだ魚や鳥も出てくる。何キロものビニール袋が塊になって胃の中にとどまったクジラが出てくる。

食物連鎖だから、体内に蓄積された小生物のプラスチックを大型生物が食す。もちろん人間の食卓にあがるものも含む。これが海洋の生態系にどのような影響を与えるかはわからない。たいしたことないかもしれないし、破滅的な結果になるかもしれない。産業界は前者よりを支持しそうだし、予防原則をとりたいむきは後者を警戒するだろう。

 

つまり、①未来永劫消滅しないプラスチックがここ60年ですさまじい蓄積量となっており、②それは「海」に集積していて、③食物連鎖の生態系の中に浸透されちゃっている、ということである。

 

本書を読む限りでは、ストローよりはペットボトルやスーパーのレジ袋のほうを控えたほうがよさそうにも思えたが、ウミガメの動画映像のインパクトゆえか、まずは「それがなくてもどうにかなるはず」として挙げられたのがストローだったのか、スタバやマクドナルドのようなグローバルに展開するファーストフードを象徴しやすいのか、ストローこそが廃プラの矛先に上がったというところである。

ストローにせよ、ペットボトルにせよ、スーパーの袋にせよ。廃プラと海洋投棄の話は、本書を読むと、これまでの大気汚染、資源エネルギー、地球温暖化の文脈以上に、これらプラスチック製品をごみ箱に捨てる際にうずく罪悪感を与えるに十分ではあった。人間社会への直接的影響でいえば、大気汚染や資源エネルギーや地球温暖化のほうが近いように思うのに、海と生き物への影響からせまるほうがより心に響くというのはどうしたことか。

 


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