漠然と世間における状況、又は多くのスピリチュアルで提唱され、行われていることだが
ネガティブは排除し、又は変換しポジティブになりなさいとか
よく聞く話だが、傷口が治っていないのに、傷口はバンドエイドを貼って無視をしなさい。
ポジティブに目を向けていれば治るという。
しかし本当にそうなのだろうか?
アドラー心理学でも、幼少期のこと、又は深く傷や痛みを再体験することは
何の意味もない。だからそこにフォーカスするのは止めなさいということが書かれてある。
何かを外に出す時は大抵、大元の人の概念や記述をそのまま書くことはない。
そのものを自分のフィルターを通し、解釈を加えて、一部だけを外に出すことになる。
そうすると、全体像を捉えることのできない多くの人にとって
一部分だけを切り取って、そこだけがあたかも大事な概念であるかのように
曲げて捉えることになる。
本当に言いたいこと、伝えたいことは、違うところにあるのに
なんだか一部分だけですべて分かった気になる。
これが世間一般に出回ることで収益があがる。
本当の真実は、分かる人にしか分からないように仕組まれている。
覚醒して一番最初に気づくのは
本当の真実は誰も知りたくないと思っているということだったりする。
これは深い孤独を生む・・・。
相手の領域に入っていって、相手が体験している世界を壊したくないと思う。
そうすると、一人、空の中で自然と戯れるが
本当の意味で思いっきり関われないことが
寂しさの要因となる。
ピラミッドでいうならば、下の底辺の部分は大衆うけがよく
多数決でいく世の中が今までの世界である。
そして上にいけばいくほど、少人数になるから
分かる人も少なくなる。
そして分かった人は、誰かの領域に入って、自分を証明しようとは思わなくなる。
それはとても困難なことでありストレスだ。
日本人は特に、自分で物を考えない習性があるから
直感やひらめきを無視し、そこから新しく深く掘って見てみるということをしないで
多くのメディアに騙されてしまう。
本当に真実は、時が来たら、分かるようになるし
それは古本屋で埃をかぶっている売れない本の中にあるかもしれない。
これからの時代、特に来年から徐々に多くの概念が変化していくことだろう。
今まで信じていたものが真実でなくなり
自分の考えやフィーリングの世界を
世間の多数決で決めない世界が創造されていくことになる。
自らの感性が研ぎ澄まされ、
多くの洗脳から解き放たれ、自分を取り戻していくことになる。
ネガティブをポジティブに変換することに意味があるといえば一部あるかもしれないが
意識のフォーカスを変えるだけで、現実が変わっていくからだが
ネガティブと呼ばれることさえもおかしいのだが
殆どの人は物事を理解しないで、ネガティブが悪いかのように捉えている。
それこそがおかしい。
ネガティブにはちゃんと意味がある。
パラシュートを作った人もネガティブから創造している。
そして人生には葛藤が必要なこともある。
恋をして嫉妬に狂うことや
相手を理解できなくて、自分を認めてもらえなくて
やりきれない思いをすることも
多くの出会いと別れを繰り返すことも・・・・
喜びと悲しみと混乱と痛みが混ざり合い
そのどれもが織り上げられていくところに意味がある。
それが生きることに味をつける。
美しい織物を織り上げるのに、どの色を使おうが
それは個々に委ねられている。
音楽も同じ・・・。
どの音が間違えているということはない。
どの音もそれぞれの音に貢献している。
一つでも音がなくなったら音楽は出来上がらない。
ハーモニーとは共に奏でることで出来上がる。
それがエネルギーとなって、私達の心を振るわせる。
何かを排除しようと努力したり、忘れようとしても
世界の一部であることに変わりはないのだから・・・。
ネガティブは排除し、又は変換しポジティブになりなさいとか
よく聞く話だが、傷口が治っていないのに、傷口はバンドエイドを貼って無視をしなさい。
ポジティブに目を向けていれば治るという。
しかし本当にそうなのだろうか?
アドラー心理学でも、幼少期のこと、又は深く傷や痛みを再体験することは
何の意味もない。だからそこにフォーカスするのは止めなさいということが書かれてある。
何かを外に出す時は大抵、大元の人の概念や記述をそのまま書くことはない。
そのものを自分のフィルターを通し、解釈を加えて、一部だけを外に出すことになる。
そうすると、全体像を捉えることのできない多くの人にとって
一部分だけを切り取って、そこだけがあたかも大事な概念であるかのように
曲げて捉えることになる。
本当に言いたいこと、伝えたいことは、違うところにあるのに
なんだか一部分だけですべて分かった気になる。
これが世間一般に出回ることで収益があがる。
本当の真実は、分かる人にしか分からないように仕組まれている。
覚醒して一番最初に気づくのは
本当の真実は誰も知りたくないと思っているということだったりする。
これは深い孤独を生む・・・。
相手の領域に入っていって、相手が体験している世界を壊したくないと思う。
そうすると、一人、空の中で自然と戯れるが
本当の意味で思いっきり関われないことが
寂しさの要因となる。
ピラミッドでいうならば、下の底辺の部分は大衆うけがよく
多数決でいく世の中が今までの世界である。
そして上にいけばいくほど、少人数になるから
分かる人も少なくなる。
そして分かった人は、誰かの領域に入って、自分を証明しようとは思わなくなる。
それはとても困難なことでありストレスだ。
日本人は特に、自分で物を考えない習性があるから
直感やひらめきを無視し、そこから新しく深く掘って見てみるということをしないで
多くのメディアに騙されてしまう。
本当に真実は、時が来たら、分かるようになるし
それは古本屋で埃をかぶっている売れない本の中にあるかもしれない。
これからの時代、特に来年から徐々に多くの概念が変化していくことだろう。
今まで信じていたものが真実でなくなり
自分の考えやフィーリングの世界を
世間の多数決で決めない世界が創造されていくことになる。
自らの感性が研ぎ澄まされ、
多くの洗脳から解き放たれ、自分を取り戻していくことになる。
ネガティブをポジティブに変換することに意味があるといえば一部あるかもしれないが
意識のフォーカスを変えるだけで、現実が変わっていくからだが
ネガティブと呼ばれることさえもおかしいのだが
殆どの人は物事を理解しないで、ネガティブが悪いかのように捉えている。
それこそがおかしい。
ネガティブにはちゃんと意味がある。
パラシュートを作った人もネガティブから創造している。
そして人生には葛藤が必要なこともある。
恋をして嫉妬に狂うことや
相手を理解できなくて、自分を認めてもらえなくて
やりきれない思いをすることも
多くの出会いと別れを繰り返すことも・・・・
喜びと悲しみと混乱と痛みが混ざり合い
そのどれもが織り上げられていくところに意味がある。
それが生きることに味をつける。
美しい織物を織り上げるのに、どの色を使おうが
それは個々に委ねられている。
音楽も同じ・・・。
どの音が間違えているということはない。
どの音もそれぞれの音に貢献している。
一つでも音がなくなったら音楽は出来上がらない。
ハーモニーとは共に奏でることで出来上がる。
それがエネルギーとなって、私達の心を振るわせる。
何かを排除しようと努力したり、忘れようとしても
世界の一部であることに変わりはないのだから・・・。