私たちの意識が変化しはじめ、2018年は益々、自己の思いが強くなっていきます。
自己の思いが強くなるということは、エゴが強くなるということなのですが、
エゴは何としても自分を満たしたいと考えています。
自分を満たすということがどういうことかというと、
自分は正しいという自己への正当化が強く働くということです。
それで他の人は間違っていて、自分は正しい。
自分はこれでいいというところで着地をしがちです。
こうなると、もう手の施しようがありません。
肥大したエゴはそこに定着し続けるために、ありとあらゆる理由を自分に与え続けます。
それは大抵こういうものです。
自分は正しい。
自分は間違えていない。
自分は悪くない。
相手は霊格が低い存在だ。
自分の方が霊格が高い。
だからこれでいいのだとマインドは言います。
自己を否定し、確立できずにいると、このように自己の正当性を大きく捉えるために
他との分離を図ろうとします。
大体は選民意識からくるもので、選民意識とは、
すべての存在の中で、自分は神、又は宇宙から特別に選ばれた存在で、
他の存在はとるに足らない存在である。
と、優劣をつける意識のことです。
この意識はとても厄介で、どこからくるかというと、大抵は自信のなさや、自己否定が強い場合に強く現れてきます。
この分離の考え方は、私たちの意識を遮断し、自分というエゴの小さな中に閉じ込めてしまう行為です。
私たちは人間なので、自分を大事にする必要があります。
なので、もし、そういう気持ちになったら、その気持ちを感じて、さっさと手放して忘れてしまいましょう。
苦しみから逃れる方法、痛みから逃れる方法として、私たちは様々な方法をとりますが、
本当の解放にはならず、分離の方法では、苦しみは続きます。
他に見えるものは、自分の姿です。
幻想の意味が本当に分かってくると、自分の内側を他に投影しなくなります。
仏陀は仏陀にしか出会わない。
あなたが何を見るか?
どんな風に見るかは完全に自由意志です。
そしてそれはどんな風に見ても、捉えてもOKなのです。
自己の思いが強くなるということは、エゴが強くなるということなのですが、
エゴは何としても自分を満たしたいと考えています。
自分を満たすということがどういうことかというと、
自分は正しいという自己への正当化が強く働くということです。
それで他の人は間違っていて、自分は正しい。
自分はこれでいいというところで着地をしがちです。
こうなると、もう手の施しようがありません。
肥大したエゴはそこに定着し続けるために、ありとあらゆる理由を自分に与え続けます。
それは大抵こういうものです。
自分は正しい。
自分は間違えていない。
自分は悪くない。
相手は霊格が低い存在だ。
自分の方が霊格が高い。
だからこれでいいのだとマインドは言います。
自己を否定し、確立できずにいると、このように自己の正当性を大きく捉えるために
他との分離を図ろうとします。
大体は選民意識からくるもので、選民意識とは、
すべての存在の中で、自分は神、又は宇宙から特別に選ばれた存在で、
他の存在はとるに足らない存在である。
と、優劣をつける意識のことです。
この意識はとても厄介で、どこからくるかというと、大抵は自信のなさや、自己否定が強い場合に強く現れてきます。
この分離の考え方は、私たちの意識を遮断し、自分というエゴの小さな中に閉じ込めてしまう行為です。
私たちは人間なので、自分を大事にする必要があります。
なので、もし、そういう気持ちになったら、その気持ちを感じて、さっさと手放して忘れてしまいましょう。
苦しみから逃れる方法、痛みから逃れる方法として、私たちは様々な方法をとりますが、
本当の解放にはならず、分離の方法では、苦しみは続きます。
他に見えるものは、自分の姿です。
幻想の意味が本当に分かってくると、自分の内側を他に投影しなくなります。
仏陀は仏陀にしか出会わない。
あなたが何を見るか?
どんな風に見るかは完全に自由意志です。
そしてそれはどんな風に見ても、捉えてもOKなのです。