「父親」になっていたから書けたんだろうな、と思う自作はいくつかある。
『流星ワゴン』もその一つ――というより、これは、「父親」になっていなければ書けなかった。
そして、「父親」でありながら、「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった。
ぼくは28歳で「父親」になった。5年後、二人目の子どもが生まれた。二人とも女の子である。
その頃から思い出話をすることが急に増えた。
忘れかけていた少年時代の出来事が次々によみがえってきた。
身も蓋もない言い方をしてしまえば、それがオヤジになってしまったということなのかもしれないが、
ちょっとだけキザに言わせてもらえれば、「父親」になってから時間が重層的に流れはじめたのだ。
5歳の次女を見ていると、長女が5歳だった頃を思いだし、その頃の自分のことも思いだす。
さらにぼく自身の5歳の頃の記憶がよみがえり、当時のぼくの父親の姿も浮かんでくる。
「子を持って知る親の恩」なんてカッコいいもんじゃない。
愛憎の「憎」の部分が際立ってしまうことのほうが多かったりもする。
記憶から捨て去ったつもりでいた過去の自分に再会して、
赤面したり、頭を抱え込んでしまったりすることだって、ある。
でも、親になったおかげで、子どもの頃の自分との距離がうんと近くなった。
その頃の父親の姿がくっきりとしてきて、当時はわからなかった、
父親の思いが少しずつ伝わってくるようにもなった。
そのことを、ぼくは幸せだと思っている。