巨人戦スポーツ解説

プロ野球の巨人戦の解説です。

2017年3月9日。1. 原発避難でいじめ被害 男子生徒の手記2通全文を公開

2017-03-09 23:28:25 | Weblog
2017年3月9日
#為替、114.37円。円。114.50円。ユーロ、120.63円。円。120.62円。
#ダウ、20885.73ドル。-69.05ドル。ナスダック5837.55。+.63。
#前場、円。円。後場、19318.58円。+64.55円。
日本の湖お寺。
清水寺(きよみずでら)(兵庫県加東市))3/9海
清水寺(きよみずでら)は兵庫県加東市平木にある天台宗の寺院。山号は御嶽山。本尊は十一面観世音菩薩で秘仏となっている。
西国三十三観音第25番札所。同じ西国三十三観音の第16番札所である京都市の音羽山清水寺と区別するため播州清水寺とも呼ばれる。
歴史[編集]
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺(古代インド)僧の法道が創建したとされ、627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立。さらに725年(神亀2年) 聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝える。
日本へ仏教が伝来したのは6世紀のことであり、「1,800年前に法道が創建」との伝承は後世の付託である。法道は天竺から紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物である。法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、「天竺から紫の雲に乗って」云々はともかくとして、その由来につながる仏教者がこの地に存在したことは想定される[1]。
伽藍[編集]
寺は1913年(大正2年)の山火事で全焼し、現存の諸堂はそれ以後の再建である。本堂にあたる根本中堂の本尊十一面観音像は秘仏。大講堂本尊の千手観音坐像(大正時代作)は秘仏でなく拝観可能である。西国三十三所の札所本尊は大講堂の千手観音像である。
スポーツ、
WBÇ
1. イスライル対オランダ戦【高尺スカイドーム】
4対2でイスライル勝利
先発
【オランダ】コルデマンス右椀、
【イスライル】マーキー右椀
バッテリー
オランダ
コルデマンス、スルバラン、プローガー、インテマ、ハイアー、デフロク、ファンミル - リカルド
イスラエル
マーキー、ケイリシュ、ワグマン、オーラン、ソーントン、カッツ、アクセルロッド、ブレイク、ゼイド - ラバンウエー

見どころ
2次ラウンド進出を決めたチーム同士の一戦。今大会で旋風を巻き起こしているイスラエルは、2試合とも4番で出場しているフレイマンに注目したい。203センチ111キロの巨体を持つ大砲は初戦こそ無安打だったが、台湾戦では3ランを含む3安打4打点と貫禄を示した。対するオランダは、昨年にヤンキースで20本塁打を放ったグリゴリアスが昨日の試合で3本の二塁打を記録している。チームの1次ラウンド1位通過を呼び込むのは、どちらか。

戦評
イスラエルが3連勝で2次ラウンド進出。イスラエルは初回、1死一二塁の好機から4番・フレイマンの適時二塁打で先制に成功する。さらにラバンウエーにも適時打が飛び出すなど、この回計3点を奪った。投げては、9投手の継投で相手打線を2失点に抑える投球。敗れたオランダは、打線がつながりを欠いた。

2. 台湾対韓国戦【高尺スカイドーム】18:30
延長10回11対8で韓国勝利、
先発、
【韓国】ヤン・ヒョンジョン左腕、
【台湾】チェン・グァンユウ左腕、
」【韓国 】
1番左ミン・ビョンホン右。2番中イ・ヨンギュ左。3番三パク・ソクミン右、
4番一イ・デホ右、5番右ソン・アソプ左、6番捕ヤン・ウィジ右、
7番DHチェ・ヒョンウ左、8番遊キム・ハソン右、9番二ソ・ゴンチャン右、
【台湾 】
1番DHフー・ジンロォン右、2番左チャン・ジーハオ左、3番三チェン・チーシェン左、
4番二リン・ジシェン右、5番一リン・イーチェン左、6番右ガオ・グォフェ右、
7番遊チェン・ヨンジー右、8番捕リン・クンシェン右、9番中リン・ジェシュエン右、
見どころ
今大会初勝利を狙う両チーム。台湾は、昨日の試合で5回に同点弾を放ったチャン・ジーハオに期待したい。ここまで2試合で5安打と好調をキープしている。昨季は国内リーグで自己最少の70試合出場ながら、キャリアハイの17本塁打をマークした背番号7に今日も注目だ。一方の韓国は、過去2試合でクリーンアップを託されたキム・テギュン、イ・デホ、ソン・アソプが0打点に終わっている。地元で声援を送るファンのためにも、今日は中軸の役割を果たしたい。

バッテリー
【【韓国 】
ヤン・ヒョンジョン、シム・チャンミン、チャ・ウチャン、チャン・シファン、ウォン・ジョンヒョン、イ・ヒョンスン、オ・スンファン - ヤン・ウィジ
台湾】
チェン・グァンユウ、カク・シュンリン、パン・ウェイルン、ファン・シェンション、リン・チェンファ、ワン・ジンミン、チェン・ホンウェン、ツァイ・ミンジン - リン・クンシェン
本塁打
韓国、 キム・テギュン 1号(10回表2ラン)
台湾 、リン・ジェシュエン 1号(4回裏2ラン)

3中国対オーストラリア戦【東京ドーム】
11対0でオーストラリア勝利、19:00
先発、
【オーストラリア】ブラックリー左腕、
【中国】ジュ・チュエン右椀、
【オーストラリア」
1番DHダントニオ左、2番二ベレスフォード左、3番一ヒューズ右、
4番中デニング左、5番左ケネリー右、6番三ウェルチ左、
7番右カンディラス右、8番捕デサンミゲル右、9番遊ハーマン右、

見どころ
昨日は1安打完封負けを喫した中国。しかし、前回大会で7回コールド負けを喫したキューバを相手に3回までは0-0と、先発したブルース・チェンの投球が光った。今日も先発のジュ・チュエンが役割を果たして、今大会の初勝利につなげたい。一方、オーストラリアは昨日の侍ジャパン戦で先制弾を放ったデサンミゲルに期待。オーストラリアの捕手陣で唯一のWBC連続出場となる29歳は、2次ラウンド進出に希望をつなげる勝利を呼び込めるか。

戦評
オーストラリアがコールド勝利。オーストラリアは3回表、ヒューズの2ランで先制する。その後も追加点を重ねると、7点リードの8回にベレスフォードの満塁弾で11点目を奪った。投げては先発・ブラックリーが5回途中無失点の好投。敗れた中国は、投打ともに振るわなかった。
責任投手/本塁打
勝利投手、ブラックリー(1勝0敗0S)

敗戦投手、ジュ・チュエン(0勝1敗0S)
セーブ

本塁打、ヒューズ 1号(3回表2ラン)、ベレスフォード 1号(8回表満塁)

バッテリー
オーストラリア
ブラックリー、ルジック、バンスティーンセル、ベイリー - デサンミゲル、パーキンス
中国
ジュ・チュエン、ヤン・イェンヨン、アンドルー・チン、ル・チャオ - ワン・ウェイ、リ・ニン

1. オープン戦
1.阪神対ロッテ戦【甲子園】13:00
1対1で引分け
【阪神】青柳 晃洋#50右投、
【ロッテ】唐川侑巳右腕、
【ロッテ】
1番中伊志嶺 翔大、2番右岡田 幸文、3番左角中 勝也、
4番指パラデス。5番二鈴木 大地、6番三ダフィー、
7番一髙濱 卓也、8番捕田村 龍弘、9番遊中村 奨吾、
【阪神】
1番左髙山 俊、2番遊北條 史也、3番二鳥谷 敬、
4番指原口 文仁、5番一中谷 将大、6番右板山 祐太郎、
7番三大山 悠輔、8番捕梅野 隆太郎、9番中荒木 郁也、

戦評
3月9日(木)阪神 vs. ロッテ 2回戦
阪神は先発の青柳が4回無安打無失点の好投。昨季は果たせなかった、開幕からの先発ローテーション入りを手繰り寄せた。一方のロッテは8投手の継投で相手打線を1安打1失点に封じ、それぞれ仕上がりを首脳陣にアピールした。
2.オリックス対ÐeNA戦【姫路】13:00
8対1でÐÐeNA勝利
【オリックス】松葉 貴大#11左投、
【ÐeNA】今永 昇太21左腕、
【DeNA】
1番中桑原 将志、2番左関根 大気、3番右梶谷 隆幸、
4番指ロペス、5番三シリアコ、6番二宮﨑 敏郎、
7番一白崎 浩之、8番遊倉本 寿彦、9番捕髙城 俊人、
【オリックス】
1番左川端 崇義、2番二西野 真弘、3番指伊藤 光、
4番右吉田 正尚、5番一伏見 寅威、6番遊大城 滉二、
7番捕若月 健矢、8番三鈴木 昂平、9番中駿太。

戦評
3月9日(木)オリックス vs. DeNA 2回戦
DeNAは関根が3安打2打点、白崎がソロを含む2安打の活躍。開幕スタメンを狙う両者が、バットで存在感を放った。一方のオリックスは伏見がマルチ安打を記録。自身初となる開幕一軍に向け、アピールに成功した。
責任投手/本塁打
勝利投手、[ DeNA ] 今永 (1勝0敗0S)
敗戦投手、[ オリックス ] 松葉 (0勝1敗0S)
セーブ
本塁打、[ DeNA ] 白崎1号(3回表ソロ)、柴田1号(8回表ソロ)
[ オリックス ]
バッテリー
DeNAバッテリー
今永、高崎、進藤、平田 - 高城
オリックスバッテリー
松葉、小林、塚原 - 若月、伏見
3.楽天対ヤクルト戦【倉敷】13:00
7対4でヤクルト勝利
【楽天】岸 孝之#11右投、
【ヤクルト】原樹理右腕、
【ヤクルト】
1番左坂口 智隆。2番中上田 剛史、3番右雄平、
4番一畠山 和洋、5番指グリーン、6番二荒木 貴裕、
7番捕中村 悠平、8番三西浦 直亨、9番遊廣岡 大志、
【楽天】
1番中島内 宏明、2番右岡島 豪郎、3番遊茂木 栄五郎、
4番指ウィーラー、5番一銀次、6番三今江 年晶、
7番左松井 稼頭央、8番二藤田 一也、9番捕細川 亨、

戦評
3月9日(木)楽天 vs. ヤクルト 2回戦
楽天は開幕投手を明言されている岸が先発。4回3失点と、仕上がりにやや不安を残した。対するヤクルトは、4番・畠山が猛打賞を記録。昨季はケガに泣いたベテランが、コンディションの良さをアピールした。
責任投手/本塁打
勝利投手、[ ヤクルト ] 原樹 (1勝0敗0S)
敗戦投手、[ 楽天 ] 岸 (0勝1敗0S)
セーブ
本塁打、[ ヤクルト ]
[ 楽天 ]
バッテリー
ヤクルトバッテリー
原樹、中尾、中澤、星 - 中村
楽天バッテリー
岸、美馬、福山、西宮 - 細川、伊志嶺
4.広島対西武戦【マツダスタジアム】13:00
4対2で広島勝利
【広島】床田 寛樹#28左投、
【西武】十亀 剣右腕、
【西武】
1番中金子 侑司、2番三熊代 聖人、3番二浅村 栄斗、
4番一山川 穂高、5番右木村 文紀、6番左田代 将太郎、
7番指渡辺 直人、8番捕中田 祥多、9番遊源田 壮亮、
【広島】
1番遊安部 友裕、2番二西川 龍馬、3番中丸 佳浩、
4番右松山 竜平、5番一新井 貴浩、6番指エルドレッド、
7番三ペーニャ、8番左堂林 翔太、9番捕石原 慶幸、
戦評
3月9日(木)広島 vs. 西武 2回戦
広島は先発ローテーション候補の床田と九里が登板。それぞれ4回を1自責点、4回無失点と結果を残し、アピールに成功した。対する西武は、木村文が2試合連続で複数安打をマーク。開幕スタメンに向け一歩前進した。
責任投手/本塁打
勝利投手
[ 広島 ] 九里 (1勝0敗0S)
敗戦投手
[ 西武 ] 本田 (0勝1敗0S)
セーブ
[ 広島 ] 薮田 (0勝0敗1S)
本塁打
[ 西武 ] 浅村1号(4回表ソロ)
[ 広島 ]
バッテリー
西武バッテリー
十亀、本田、キャンデラリオ、小石、武隈 - 中田、上本
広島バッテリー
床田、九里、薮田 - 石原、會澤
5.ソフトバンク対日本ハム戦【ヤフオクドーム】
5対1でソフトバンク勝利18:00
【ソフトバンク】和田 毅左腕、
【日本ハム】有原航平右腕、
【日本ハム】
1番(左)西川 遥輝左、2番(右)渡邉 諒右、3番(三)近藤 健介左、
4番(指)矢野 謙次右、5番(二)田中 賢介左、6番(一)横尾 俊建右、
7番(中)松本 剛右、8番(捕)市川 友也右、9番(遊)中島 卓也左、
【ソフㇳバンク】
1番(左)中村 晃左、2番(三)川島 慶三右、3番(指)柳田 悠岐左、
4番(一)ジェンセン右、5番(二)明石 健志左、6番(中)福田 秀平左、
7番(右)真砂 勇介右、8番(捕)髙谷 裕亮左、9番(遊)今宮 健太右、
2. 巨人立岡「球の見極めできている」攻守でアピール
日刊スポーツ 3/8(水) 18:21配信

3回裏中日無死一、 二塁、近藤の打球を好捕し二塁へ送球する立岡(撮影・横山健太)
<オープン戦:中日4-3巨人>◇8日◇岡崎

 二塁に挑戦中の巨人立岡宗一郎外野手(26)が攻守でアピールに成功した。

【写真】3回表巨人1死二塁、左前安打を放つ立岡

 1番二塁で出場し、初回の二塁打を含め3打数3安打。守備では3回に中前に抜けそうな打球を逆シングルで好捕するなど、軽快な動きを見せた。「ボールの見え方、見極めができている。継続してたくさん出塁できるようにしたい。(守備は)まぐれです」と振り返った。高橋監督は「こういった形でやってくれると楽しみ。守備も攻撃も含めて良かったと思います」と評価した。

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3. 楽天ドラ1藤平「ためになった」巨人杉内と投げ合い
日刊スポーツ 3/8(水) 18:31配信

ワインドアップで投じる藤平(撮影・中島郁夫)
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 楽天のドラフト1位藤平尚真投手(18=横浜)が先発した。

【写真】巨人杉内が教育リーグで3回無失点「何とか0点に」

 対外試合は2試合目だが、NPB球団には初登板。2回を投げ、1安打1失点3奪三振だった。球数の予定数が50球だったため、投球が45球となった2回終了で降板。最速は146キロだった。相手先発は巨人杉内で「1軍で結果を残している方で目の当たりにして、堂々としたピッチングを見られてためになった部分があった」と投げ合いを喜んだ。

 藤平はこの日から、ワインドアップに変更。高校時代と違う迫力のある投げ方に「躍動感を求めた。振りかぶって、腕を振ると威圧感が違う。ストレートも体重移動で、奥でボールが押し込める」と力感が上がったと手応えを口にした。
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4. 【WBC】イスラエル、3連勝で1次R首位突破! 9投手マシンガン継投でオランダ撃破
Full-Count 3/9(木) 15:21配信

イスラエル代表のジェイソン・マーキー【写真:Getty Images】
イスラエル旋風、初出場で1位通過の快挙…同2位のオランダとともに日本へ
 WBCの1次ラウンド(R)A組は9日、ともに2次R進出を決めているイスラエルがオランダを4-2で下し、初出場ながら3連勝で首位通過の快挙を果たした。A組2位となったオランダとともに2次R(12日から)で日本にやって来る。

第4回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)順位表

 イスラエル旋風は止まらない。ついにメジャーぞろいのオランダからも金星を挙げ、A組首位での2次R進出を決めた。

 立ち上がりから強敵をのみ込んだ。初回。2番のケリーが10球粘って四球を選んで出塁。続くデービスの左前打で1死一、二塁と好機を作り、4番フレイマンの左翼への二塁打で1点を先制。さらにボレンステインの内野ゴロとラバンウエーの左前打で2点を追加し、4安打、打者9人の猛攻で3点を奪取した。

 6回には相手の失策と2四死球で無死満塁の好機を作り、ボレンステインの併殺の間に4点目を奪った。

 投げてはマシンガン継投で強力オランダ打線を翻弄した。1次R突破を決めているとあってか、初回から1イニングごとに投手を交代する作戦をとった。

 初回は先発マーキー、2回はケイリシュとつなぎ、3回に投げた3番手ワグマンが1失点。しかし、その後は4回のオーラン、5回のソーントン、6回のカッツ、7回のアクセルロッドは無失点に封じた。

 8回はブレイクが味方の失策と四球で1死一、二塁のピンチを招くと、ここで初めてイニング途中で9番手ゼイドに交代。先頭に四球を与えて満塁とされ、味方の失策で1失点したが、続くグリゴリアスを併殺に仕留め、最少失点で切り抜けた。

 9回はそのままゼイドが無失点で締めた。

 イスラエルは初戦で韓国を撃破。続く台湾も破り、イスラエル旋風を巻き起こしていた。メンバーにはMLB通算124勝のマーキーらメジャー経験豊富な選手に加え、米マイナー組をズラリと揃えており、大会前から「ダークホース」の呼び声も高かった。

 2次Rで対戦する可能性もある侍ジャパンにとっても侮れない相手。3連勝という最高の形で、次なる決戦の地・日本へ乗り込む。
フルカウント編集部●文 text by Full-Count
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5.


ニュース、
1. 原発避難でいじめ被害 男子生徒の手記2通全文を公開
朝日新聞デジタル 3/8(水) 21:26配信

男子生徒が現在の心境をつづった手記。「一日一日前向きにいれば何とかなります。だから、つらいことがあっても自殺を考えないで下さい」などと記されている
 福島第一原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受け、不登校になった問題で、生徒の保護者は8日、生徒が現在の心境をつづった手記と、小学6年生の時に書いた手記を公開した。

 生徒は現在、フリースクールに通っている。手記には「今、僕は楽しく生きています」と記した。生徒の代理人によると、いじめで自殺を考えている人にメッセージを送りたいと筆を執ったという。「つらいことがあっても自殺を考えないで下さい」と呼びかけている。

 一方、小学6年の時の手記はこれまで、一部だけ公開されていたが、「子どもがどんなつらい思いをしたのか、理解していただければと思い、公表する決意に至りました」(生徒の保護者)とノート3ページ分の全文が公開された。

 小学5年の時に同級生らから「賠償金があるだろう」などと言われ、遊ぶ金を払ったことについて「としょホール 教室のすみ 防火とびらのちかく 体育館のうら(中略)お金をもってこいと言われた」と詳細をつづり、「ていこうできなかったのもくやしい」と記している。(大森浩司)


■男子生徒が小学6年の時に書いた手記の全文

としょホール 教室のすみ 防火とびらのちかく 

体育館のうら 3人からどれかしらでお金をもってこいと言われた。

Aからはメールでも言われた。

人目がきにならないところでもってこいと言われた。

お金もってこいと言われたときもすごいいらいらとくやしさがあったけどていこうするとまたいじめがはじまるとおもってなにもできずにただこわくてしょうがなかった。

いろんな人とかが(金を払ったのは)○○(自分の名前)だと言われてるが

うらでは、A、B、Cがしじしてる。

てんこうしたときなんかいつもけられたりランドセルをふりまわしたりいつもこわくてなにもできなくてほんとうにつらかった。

4月もゲーセンにもいってるのに、A、B、Cはずっとだまっていて、やつらはほんとうにむかつく。

ばいしょう金あるだろと言われむかつくし、ていこうできなかったのもくやしい。

A、Bにはいつもけられたり、なぐられたりランドセルふりま(わ)される、かいだんではおされたりしていつもどこでおわるかわかんなかったのでこわかった。

ばいきんあつかいされて、ほうしゃのうだとおもっていつもつらかった。

福島の人はいじめられるとおもった。なにもていこうできなかった。

しえんぶっしをとられてむかつく。

だれがやったかわからないけどきがつくとえんぴつがおられてる。そしてノートにはらくがきをされてた。

いままでいろんなはなしをしてきたけどしんようしてくれなかった。だからがっこうはだいっきらい。

なんかいもせんせいに言おうとするとむしされてた。

学校も先生も大きらい。

いままでなんかいも死のうとおもった。

でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた。

みんなきらいむかつく

5年のたんにんはいつもドアをおもいっきりしめたりつくえをけったりして3.11のことをおもいだす。

(※原文では、A、B、Cは実際の名前)


■男子生徒が現在の心境をつづった手記の全文

今、僕は楽しく生きています。

一日一日前向きにいれば何とかなります。

だから、つらいことがあっても自殺を考えないで下さい。

もし自殺したら何があったかほかの人に伝える事も出来ない、それに今は学校に行きたくないなら、僕みたいにフリースクールみたいな場所もあるから、そこに行って勉強するのもいいです。

環境になれなくてもゆっくり自分のペースでなれればいいです。

だから自殺は考えたらダメ。

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原発避難でいじめ被害、男子生徒が横浜市長に手紙

2.「東電は許せない。しかし…」 震災・原発事故から6年 福島の浜で

東京電力の副社長が泣いていた。2月3日、東京・内幸町の本社応接室。福島の、ある被災者に話が及んだ時だった。「すみません…。上野さんの話をすると、つい込み上げてしまって」。福島復興本社代表を務める石崎芳行副社長(63)は、鼻をすすって息を整えた。「上野さん」とは、上野敬幸さん(44)のことだ。南相馬市沿岸部の萱浜(かいばま)地区で農業を営んでいる。副社長はなぜ泣いたのか。東日本大震災と原発事故から間もなく6年。加害者と被害者という立場だけでは計りきれない事情を知ろうと、人々を訪ね、福島を歩いた。(Yahoo!ニュース編集部)
「何だ、これは」 名刺を捨て
石崎副社長は、上野さんに初めて会った時のことを鮮明に覚えている。震災から2年後の2013年3月。復興本社の代表として、福島に居を移して2カ月が過ぎた頃だった。「知人からぜひ会って欲しいと言われまして」。萱浜を訪ねると、自宅前に上野さんが立っていた。1階は津波で破壊されている。

東電本社で取材に応じる石崎芳行副社長。復興本社代表として福島に住む(撮影:中野幸英)
名刺を差し出すと、上野さんは「何だ、これは」と言い、それを投げ捨てた。
「ご挨拶と、お話を伺いに参りました」。そう口にすると、上野さんの腕がブルブルと震えているのが目に入った。「殴りかかってくるかなと感じました。それほどの鋭い目、表情をされていましたから」
自衛隊も警察も捜索に来ない
上野さんは家族4人を津波で亡くしていた。父の喜久蔵さん(当時63)、母の順子さん(同60)、それに8歳だった長女の永吏可(えりか)さんと、3歳だった長男の倖太郎君。母と長女は震災の2日後に遺体で見つかり、父と息子の2人は行方不明のままだった。

上野敬幸さん。自力で捜索を続けてきた(撮影:宮坂樹)
原発事故直後、原発から22キロの萱浜地区には、政府による「屋内退避指示」が出された。そのため地区に自衛隊や警察が捜索に入ることはなく、上野さんは家族や行方不明者を自力で捜すしか術はなかった。
「あんたをずっと見てる」
名刺を捨てられた後、石崎副社長は、被災した自宅の隣の新居に呼ばれた。仏壇の前で約2時間。正座したまま、上野さんから怒りの言葉を浴び続けた。

上野さん宅の仏壇には4人の遺影が並ぶ=上。子どもたちのズック靴=下。小さい方は倖太郎君のもの(撮影:宮坂樹)
上野さんの母と娘は3・11の2週間後に火葬された。妻の貴保さん(41)は立ち会っていない。お腹に3人目の子供がおり、茨城県に避難していたからだ。放射能の影響が全く見通せない時期。妻を南相馬に立ち入らせるわけには行かず、妻は娘の骨を拾うこともできなかった。事故によって自分たち家族がどれだけ苦しめられたか──。
石崎副社長は、上野さんに返す言葉がなかったという。話の最後、上野さんは言った。「あんたがこれからどう行動していくか、俺はずっと見てる」と。

厳しい表情の上野さん。東電への怒りは今も消えない(撮影:宮坂樹)
「嘘つきやがったな」
原発事故は、津波犠牲者の捜索を事実上不可能にした。自衛隊や警察が現地に入れなかったからだ。東電本社で取材に応じた石崎副社長も「遺体捜索、救出を含め、原発事故が阻害要因になってしまった。本当に申し訳ないと思います」と話す。
2010年までの3年間、石崎氏は福島第2原子力発電所の所長だった。その間、地元に多くの知り合いができたという。

震災当時を振り返る石崎副社長。「日本の原発は安全だと信じ切っていた」と言う(撮影:中野幸英)
事務畑だったこともあり、原発と間近に向き合ったのは第2原発の所長になってからだ。巨大システムを改めて理解する中で、科学と技術の集積に圧倒されたという。原発の安全性を信じ込み、「地震が起きたら発電所の中に逃げてきてください、ここが一番安全ですから」と住民に声を掛けていた、と振り返る。それが一変した。事故直後から福島県内の避難所を詫びて回る役割を担うことになったからだ。

除染廃棄物を詰め込んだフレコンバッグ。事故直後から少しずつ積み上がった。2016年11月、福島県大熊町で(撮影:宮坂樹)
「寒い時でしたから、体育館などの避難所では、みなさんダンボールを敷いて、毛布にくるまって。惨たんたる状況でした。(避難者も)知ってる人ばっかりで」。原発は安全です、と自ら伝えた住民たち。その1人に「嘘つきやがったな」と言われたことを石崎氏は忘れられない。
「逃げられない、と。そう思いました」。石崎氏はそれ以降、呼ばれたら、どこにでも極力出向くようにしているという。除染や清掃活動、住民の会合、原発の勉強会。「東電の制服は見るのも嫌」という住民がいる中、いつも必ず青い制服を着た。

東京電力の青い制服。左胸には社名の頭文字で「TEPCO」(撮影:中野幸英)
「東電の社員である限りは、堂々と『東電です』と名乗った上で、お詫びをし、誠意を尽くす。それをやらない限り、東京電力の存在は絶対に許されないと思っていますから」
原発から3キロ 大熊町の海岸で
福島第1原発は大熊町にある。今も「帰還困難区域」に指定され、立ち入りには許可が要る。津波に家族が巻き込まれながら、原発事故の影響で自衛隊や警察が入れず、まともな捜索ができなかった─。東電に強い怒りを持つ人は、その大熊町にもいた。
養豚場で働いていた木村紀夫さん(51)。自宅は海岸から200メートルしか離れておらず、津波にのまれた。

木村紀夫さん。2017年2月、津波に襲われた大熊町の自宅跡で(撮影:宮坂樹)
政府は事故直後、原発から30キロ圏内に屋内退避指示を出し、20キロ圏内には避難指示を出した。原発から3キロの地点に自宅があった木村さんも、長女と避難を強いられた。それから約1カ月間、極めて高い放射線量の影響で、自衛隊や警察による捜索は大熊町内で行われなかった。
77歳だった父・王太朗(わたろう)さんの遺体が自宅前の田んぼで見つかったのは、49日後だった。さらに4月、自宅から40キロ離れたいわき市の沖合で見つかった女性の遺体が、DNA鑑定の結果、6月に妻の深雪(みゆき)さん(同37)と断定された。しかし、7歳だった次女の汐凪(ゆうな)さんの行方が分からない。

汐凪さん。小学校の入学式で木村さんが撮影した(写真:木村紀夫さん提供)
避難指示が出たままの現地では、自衛隊の捜索は5月末からの2週間で打ち切られ、木村さんはずっと、自力で汐凪さんを捜していた。そして、次女はいつの間にか、大熊町でただ1人残る行方不明者になっていた。
「やっから、やっから」 ゴム手袋で捜索
大熊町の海岸には今も砕けたコンクリートの塊があちこちに転がっている。津波で破壊された堤防だ。すぐ脇には、未だ手付かずの瓦礫の山が広がる。

大熊町の海岸では、今も堤防が壊れたまま。木村さんはここで捜索を続けてきた(撮影:宮坂樹)
その海岸に「福興浜団」という捜索ボランティア団体のメンバーが月に2回ほど通っている。汐凪さんの捜索を手伝うためだ。福興浜団の主宰者は、東電副社長の名刺を投げ捨てた、あの上野さんである。

大熊町の海岸に立つ上野さん(左)と木村さん(右)。一緒に浜で家族を捜す(撮影:宮坂樹)
2013年に上野さんと出会うまで、木村さんは1人で娘を捜していた。毎月1回、1日5時間だけ許されていた一時帰宅。そのわずかな時間を利用するしか方法はなかった。木村さんは振り返る。
「ボランティアは入れたくなくて、躊躇してた。でも、(誰かに手伝いを頼もうと思っても)ほんっとに、上野さんしかいない。『やっから、やっから』って言ってくれる人がね」

大熊町で捜索する「福興浜団」。瓦礫の山を人の手で掘り進む(撮影:宮坂樹)
福興浜団のメンバーは大熊町に通い、木村さんと捜索を続けた。海岸の瓦礫の山には鉄筋やコンクリート、家具などが埋まり、スコップも容易に入らない。だから、ゴム手袋をして、人の手で掘り進んだ。気の遠くなるような作業の連続だった。
「娘が見つかった喜び…湧いてこない」
そして昨年12月9日。ついに、汐凪さんの遺骨が見つかった。身につけていたマフラーに付着した、首の骨の一部だった。

汐凪さんの遺骨の発見現場。5年9カ月、ここに「置き去り」にされていた(撮影:宮坂樹)

海岸付近で土や砂を集め、調べる=上。土や砂をふるいに掛けながらの丁寧な作業。骨の一部などは絶対に見逃すまいと、ボランティアらも神経を集中する=下(撮影:いずれも宮坂樹)
あれから、さらに2カ月。木村さんの胸中は複雑だ。作業の合間に壊れた堤防に腰を掛け、缶コーヒーを飲みながら口を開いた。
「見つかった喜びは…湧いてこない。『喜ばなきゃ』って思うんですけどね。それが心から湧いてこない」。湧いたのは怒りだという。5年9カ月もの間、娘を置き去りにされた「怒り」である。
「(娘が)あそこで見つかったってことは、自衛隊が入った時に瓦礫と一緒にバラバラにされたってことなんで。それ考えたら、ひどいじゃないですか?(2011年の)3月12日に声を聞いたって言う地元の消防団員もいるし、うちの父ちゃんと汐凪に関しては、生きてた可能性もあるしね」

汐凪さんの遺骨が見つかった場所には花が供えられていた(撮影:宮坂樹)
木村さんのコーヒー缶は空になっている。それを握る手に力がこもるのが分かった。「国がちゃんと捜索してくれなかったこと。それと、そういう状況作った東京電力に…」。“怒りを覚える”と続いたはずの言葉は出て来なかった。
東電副社長に「遅いんだ!」
遺骨が汐凪さんと確認されてから1カ月後の今年1月28日、東電の石崎副社長が木村さんの元を訪れた。「お詫び」のためだという。発見現場に足を運び、花を手向け、手を合わせる。その場で木村さんは「今頃来たって遅いんだ!」と怒りをぶつけた。

汐凪さんが通っていた熊町小学校。教室は今も「3・11」のままだ(撮影:宮坂樹)
その場面を思い出したせいか、取材に応じる木村さんの口調も激しくなる。
「もう、5年遅いよね。そういう人って、俺以外にもたぶんいる。原発のせいで発見が遅れたとか、まだ見つからないとか。いるはずなんですよ。俺だけじゃない。見つかったから俺のとこに来るとか、そういうのがまずおかしい!」

被災した自宅付近を歩く木村さん。汐凪さんの残りの遺骨も見つかるよう「捜索はこれからも続ける」 (撮影:宮坂樹)
「原発の後ろ盾は、俺ら」
————なぜ、娘が置き去りにされなければならなかったのか。なぜ、原発が存在するのか。汐凪さんを捜す中、木村さんは自問自答を続けた。一つの答えは「俺ら」だったという。
「(原発の)後ろ盾って、俺らだと思うんですよ。いくら原発反対って言ったって、本当に反対するんだったら、電気使わなきゃいいんで」
木村さん自身は2012年春、長野県白馬村の一軒家に移り住んだ。暖房は薪ストーブ。電子レンジはない。可能な限り電気を使わない生活を送っている。

今年2月、東京を訪れた木村さん。明るい都会の夜景が広がっていた(撮影:宮坂樹)
「ほとんどの人は何も考えず電気使って。東京辺りに行くと明かりがいっぱいだし、24時間営業の店もたくさんある。夜遊んでる人もたくさんいる。それはそれで必要だとは思うけど、あまりにひどすぎる。俺が白馬でやってることをそういう人たちに強要はしないけど、でもね、考えてほしいなって」
空は曇り。目の前には娘の遺骨が埋もれていた瓦礫の山。
「世の中は『復興、復興』で。汐凪なんて本当に……世の中が復興してく中で、取り残された感じだしね」
海岸での捜索 あの日からずっと
東電副社長に初めて会った時、名刺を投げ捨てた上野さんは、津波で損壊した自宅の隣に新居を構えている。南相馬市萱浜地区。ここは高さ約10メートルの津波に襲われた。震災前に911人だった住民は今、207人。上野さんの新居から周囲を眺めても、遠くに数軒の家が見える以外は茶色の荒れ地しか目に入らない。

荒れ地の中にある上野さんの自宅。周囲の家はほとんど津波にのまれた(撮影:宮坂樹)
上野さんは消防団の一員として、震災の翌日からここで行方不明者の捜索を続けてきた。自衛隊や警察の助けはない。自力の捜索で地域の40人以上を見つけた。勤めていた農協を辞め、毎日捜索を続けた。田畑の側溝を掘り返し、壊れた堤防の下を覗き込んだ。それでも自分の父と息子は今も見つからないままだ。
近所に住んでいた木幡恵美子さん(54)も津波で息子の雄介さん(当時20)、夫の訓彦(くにひこ)さん(同50)ら家族4人を失った。雄介さんの遺体を見つけたのが上野さんだったという。

カフェのキッチンに立つ木幡恵美子さん。上野さんの話になると、目が潤んだ(撮影:宮坂樹)
「私は息子と夫が見つかったのでね…。まだ2人(義父と義叔母)は見つからないけど、けじめがついたような気持ちでいるんです」。その気持ちを抱き、萱浜を離れた。県内の別の土地でカフェを開き、新たな暮らしに乗り出している。
「雄介が見つかってなかったら、自分も今、上野さんのように捜していると思いますね」

完成間近の白い堤防。後背地は萱浜地区。堤防ができ、上野さんは自力での海岸の捜索が難しくなったという(福島県相双建設事務所提供)

堤防の工事を請け負う地元建設会社の石川俊社長。震災直後、社を挙げて瓦礫撤去と遺体捜索に当たった。津波で損壊した上野さんの自宅の取り壊しも行い、「上野君もつらいだろう」と話す(撮影:宮坂樹)
「家族を大切にできていなかった」
上野さんを知る人をさらに訪ねた。杉岡一宏さん(38)もその1人で、静岡県島田市の市職員。南相馬市役所に派遣され、財政課で3年勤務しているという。南相馬に来て、捜索ボランティア「福興浜団」に加わった。平日は市役所で働き、週末になると、上野さんの元に通い、行方不明者の捜索や瓦礫撤去を手伝ってきた。

南相馬市役所で働く杉岡一宏さん。「町の復興が進んできたと感じる」と言う(撮影:宮坂樹)
上野さんと間近で接するうち、気付いたことがあると言う。
「自分は娘を、本当には大切にできていなかったんだろうな、というのがあるんです」。静岡にいた7年前に離婚。4歳になる娘もいた。「上野さんのように震災で子供を亡くした方もいるけど、自分はそうじゃない。いつもすぐ側にいて、いくらでも大切にできたのに……。めんどくさくて、イラっとして……。奥さんとももっと話せばよかった」

「福興浜団」の仲間と畑を耕す杉岡さん。「上野さんに教えられることは多いです」(撮影:宮坂樹)
仕事を優先し、家族とじっくり向き合おうとしなかった日々。福興浜団の活動を通じて、それを省みる。「人と人の繋がりとか、人を大事に思うとか、人間の本質がここにあるんだなって。ここに来ることで、自分の中でそういう思いが持てるようになったんです。昔は全然そういうことなかった」
福島の大学で「原発は必要」
この2月10日、福島大学で「ふくしま未来学」の授業があった。集まった学生らは約300人。東電の石崎副社長、その名刺を投げ捨てた上野さんがゲストとして壇上に並んでいる。「あんたの行動をずっと見ている」と言った上野さんは、あれ以来、石崎副社長と接する機会が増えていた。

上野さんと石崎副社長も登壇した福島大学の授業(撮影:宮坂樹)
転機の一つは2015年7月だった、と上野さんは言う。被災者らの福島第1原発の視察。現場を見た後の質疑応答で、会場から「こんな事故を起こして原発をどう思っているのか」という質問が出た。一行の案内役だった石崎副社長は「逃げてはいけない」と思いつつ、緊張し、そして「日本にとって原発というエネルギーの選択肢を今排除するのは好ましくないと思います」と答えた。
その場にいた上野さんは激しく憤り、しかし同時にこう思った。「俺たちの前でそれが言えるって、すごい、と。内容はともかく、石崎さんは正直な人だな、と。人として信頼できる、と」

上野さん(中)と石崎副社長(右)。2人で講演会にも出席するようになった(撮影:宮坂樹)
福島第1原発は今も厳しい状況にある。
この1月には2号機で溶け落ちた核燃料が見つかった。推定放射線量は最大毎時530シーベルトで、人が浴びれば「1分弱で死ぬ」とされる途方もない値だった。廃炉には今後30年以上の時間、約20兆円の費用が必要とされる。何より、政府が事故直後に発令した「緊急事態宣言」は今も解除されていない。
それでも石崎副社長は考えを変えず、福島大学の教室でもこう話した。

厳しい表情で石崎副社長の話を聞く上野さん(撮影:宮坂樹)
「天然資源も少なく電力の自給率も低い日本にとって、原発は必要だと思います。ただし、原子力は『技術力があります』だけでは許されないほどのリスクを負っている。そう痛感しています。扱うには、立ち居振る舞いも含めた人間性が必要です。東京電力という会社が原発をこれからも扱う資格があるかどうかは、皆さんのご判断が必要だと思っています」
「東電は許せない。でも…」
教室の壇上で、上野さんは厳しい表情を見せていた。ところが授業後、2人は並んで写真に収まっている。笑顔もあった。上野さんは東電を許したわけではない。「東電は許せないし、憎いです。今だって嫁さんの前で社長に土下座させたい。でも、会社と人とは違うから。石崎さんのことは、人として見ようと思ってるんです」

福島大学での授業後。上野さん(左)と石崎副社長(中)は並んで写真に収まった(撮影:宮坂樹)
石崎副社長は、上野さんについてこう話した。
「あれだけの苦しみを抱えつつ、それを乗り越えて、慈悲の気持ちとか、心のありようとか、そういうものを自然に語れる、表せる人になっている。すごいなと。そういう人に『ずっと見ている』と言われているわけですから…」
「抱きしめたい。一部でもいいから」
上野さん宅の仏壇には、4人の遺影と骨つぼが並んでいた。今も見つからない息子・倖太郎君の骨つぼには衣服が納められている。

上野さん宅の仏壇には永吏可さん(左)と倖太郎君(右)の遺影(撮影:宮坂樹)
上野さんはこう言う。
「倖太郎に救われたと思ってるんですよ。倖太郎が見つかったら、自分も死のうと思ってましたから。今はもう『自分で命を』とは思わない。だから、もう出てきてもいいよって思うんだけど、出てきてくれないね。かくれんぼ、上手だったからねぇ…。抱きしめたいですよ。一部でもいいから」
3歳で犠牲になった倖太郎君、同じく8歳だった永吏可さん。どんな形でもいいから2人に会いたい。その気持ちは何も変わらない。
──でも、この6年間で何かは変わったのでは?
「それは周り。去年の熊本地震もそう。岩手や北海道の台風被害もそう。あれだけ警報が出て、なんで避難しないのか。あの震災が教訓として生かされてないな、って。東北で亡くなった(行方不明者を含む)2万人の命とか、自分の家族の命とかを、無駄にされてるような気がしてしょうがない。変わったのは、あの時の危機感を忘れてしまった周りだと思うんです」

この6年間の思いを語る上野さん(撮影:宮坂樹)
震災後、福島に関する報道は原発が中心だ。そのことにも違和感を覚えている。「原発ばかり注目されて、福島の津波のこと、命のことが忘れられているように思います」
家族や友人「いて当たり前ではない」
上野さん夫妻には、震災後に生まれた5歳の娘がいる。倖太郎君の「倖」、永吏可さんの「吏」、それに「生きる」の文字を取って、倖吏生(さりい)と名付けた。
生まれた時のことを上野さんはよく覚えている。震災から半年後の9月16日朝。2408グラムの小さな体だった。初めて倖吏生ちゃんを腕に抱いた時、「寂しくて」涙が止まらなかったという。

倖吏生ちゃん。この春から幼稚園の年長組になる(撮影:宮坂樹)
「一番楽しみにしてたのは、(犠牲になった)姉の永吏可だったので。『妹ができるんだ』って、いつもうれしそうに嫁さんのお腹を撫でてた。喜んでくれるはずの永吏可が、家族が、いないっていうのがね…。僕にはもう、永吏可と倖太郎の思い出が増えていかないんです。だから(みんなは)今ある幸せを大切にしてほしい。家族がいること、友人がいること。それって当たり前じゃないんでね。ありがとうって、伝えてほしい。自分のそばにいる人を大切にしてほしい。それが、命を守るってことにも繋がると思うんです」

菜の花の芽に肥料を撒く倖吏生ちゃん(撮影:宮坂樹)
新居の前の畑は、春に菜の花畑になる。「福興浜団」のメンバーたちが毎年手伝ってくれ、迷路状に花を抜いて「菜の花迷路」として開放する。取材で訪れた2月の週末、その畑では倖吏生ちゃんが菜の花に肥料を撒いていた。芽はまだ小さかった。