2015年8月31日
#、為替、121.16円。121.17円。121.15円。ユーロ、136.08円。136.16円。136.34円。
#ダウ、6648.01ドル。-11.76ドル。ナスダック4828.32。+15.61。
#前場、18935.57円。-200.75円。後場、18890.48円。-245.84円。
作曲家、
後藤次利8/31済
後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。
東京都出身。青山学院高等部卒業、青山学院大学中退
経歴[編集]
中学生の時、姉が買ってきたビートルズ、ベンチャーズのレコードを聴き始める。姉に連れて行かれたアストロノウツのコンサートで、前座で出ていた寺内タケシとブルージーンズの寺内タケシのギターテクニック、アストロノウツの「太陽の彼方に」に衝撃を受ける。それがきっかけでギターを弾きたくなり、母親にねだってエレキギターを買ってもらい、ギター教室に通い始める。譜面が読めず、耳コピーしたり先生の真似をして弾いていた[1]。
高校一年生の時、学校のイベントで軽音楽部の演奏を見ていたところ、スタンダードジャズをやっており、未知の分野に憧れて同部に入部する。その演奏の中で、上手いドラマーがいると後藤が思った人物が林立夫だった。入部後、ジャズについて知るため、ギターを変えたりピックアップをギブソンに注文したりして形にこだわるようになる。短期間だが恵比寿にあるヤマハ音楽教室に通い、そこの先生だった中牟礼貞則に学ぶ。同じクラスの小原礼、後輩の矢野顕子、違う学校だった鈴木茂と交流があった。みのもんたが司会をしていた文化放送のラジオ番組で、高校生バンドとして出演し、ハービー・マンの「メンフィス・アンダーグラウンド」を演奏したことがある[1]。
大学に進学するもろくに行かずにいたある日、林立夫から電話がかかってきて「ベースやって!」と頼まれる。ブレッド&バターと岸部シローのジョイントツアーでベーシストがいなかったためだった。ギター担当だった後藤はツアー開始の数日前に四谷のスタジオで岸部シローの兄岸部一徳についてベースを習得し、ツアーでは岸部一徳に借りたフェンダー・ジャズベースを使用して演奏した。ツアー後、ブレッド&バターのレコーディングに呼ばれたことが、プロのベーシストとなるきっかけであった。ちなみに同時期にレコーディング参加した南正人のアルバム『回帰線』ではギタリストとして演奏している。その後、小坂忠のバックバンドへの参加からベーシストとしての自覚が芽生え、ちゃんとした楽器を持つべく、当時乗っていたカローラを売り払い、銀座の山野楽器にて10万円で売られていたテレキャスターベースを購入する[1]。
小坂忠とフォージョーハーフやよしだたくろうのセッションバンド新六文銭に参加。その後、トランザムやティン・パン・アレーのセッションにも参加する。
高橋幸宏に誘われサディスティック・ミカ・バンドの「HOT! MENU」のレコーディングに参加、直後のイギリス公演で絶賛される。サディスティック・ミカ・バンド解散後は高橋幸宏、高中正義、今井裕とサディスティックスを結成し活動するが、メンバーそれぞれの活動が活発になり自身も他のアーティストのアレンジや作曲、スタジオミュージシャンなどの仕事が増え自然消滅となる。
フォーライフ・レコードのディレクターに声を掛けて貰ったことがきっかけで[1]、原田真二の「シャドー・ボクサー」で初めて編曲を担当する。その後編曲家としての活動も開始し、八神純子、中島みゆきなどの楽曲を手がける。沢田研二の『TOKIO』で第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞した。
他アーティストへのサポートの傍ら、ソロアルバムを2枚リリース。
1980年代に入ると作曲家としての活動を本格的に開始。ソフトクリーム、一世風靡セピアを始め、近藤真彦、シブがき隊、中森明菜、吉川晃司、とんねるず、おニャン子クラブとその関連ユニット、工藤静香などの作・編曲を多く手がけた。
1983年、CBSソニーにアーティスト兼プロデューサーとして迎えられ、ミニアルバム専門のレーベル「FITZBEAT」を立ち上げる。レーベルプロデューサーとして、レベッカ等を世に送り出す傍ら、ソロアルバムを3作を発表する。『CITY TRICKLES ―街の雫―』は12曲入りだが、6曲入りミニアルバムを2枚パッケージした変則盤である。またレベッカの4枚目にして初の10曲入りフルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』の帯には「FITZBEAT SPECIAL」と書かれていたが、事実上このアルバムを境に、ミニアルバム専門というレーベルコンセプトは崩壊する。
1994年、日本テレビ系「NNNきょうの出来事」テーマ曲「file」を提供。BGMも担当。
2003年、山木秀夫とインストゥルメンタルユニットgym結成。
2004年8月、CROSSOVER JAPAN'04での共演を機に斉藤ノブ、藤井尚之とインストゥルメンタルグループNon Chords結成。名の由来はコード楽器が無いグループであることから。
2006年5月、klammyと新レーベル「TUTINOK(ツチノコ)」を立ち上げ、同レーベルより彼女とのユニットWAIPでデビュー。
2010年3月、『スッキリ!!』の企画で、スッキリ!!メンバーが歌う「あの頃からのラブレター」を作曲・編曲(作詞は松井五郎)。『胸キュン90's〜ひとりで聴きたい恋の唄〜』にボーナストラックとして収録された。
人物・逸話[編集]
とんねるずやおニャン子クラブのメンバー達、彼らのファン、とんねるずのオールナイトニッポンのリスナーから「ゴッキー」の愛称で呼ばれていた。
前述の通りとんねるず(特に石橋貴明)と非常に仲が良く、とんねるずのオールナイトニッポンにも度々登場、横浜までのドライブで女を落とすためのミュージックテープを作っているなど、その女癖、語録、子供のようなワガママさ、目立ちたがり、面白い恋愛観などを度々披露され、「天才ベーシスト・後藤次利」とリスペクトと揶揄をあわせてリスナーの間でも人気者に。ところが、とんねるずのオールナイトニッポンの中で、とんねるずが後藤絡みの下ネタを話し、一時後藤を「マッスルスティック」呼ばわりした。その後、後藤がバックを務める吉川晃司などのコンサートなどで、リスナーが「マッスルスティックー!」と叫ぶことがしばしばあり、後藤がとんねるずに「アイドルのコンサートでマッスルスティックだけは勘弁してくれ」と泣きを入れた。
また、木梨憲武とも仲が良く、ソロアルバム『do not disturb』のジャケットイラストは木梨が製作した。
それ以前はタブー視されていたアイドルとの恋愛を繰り返したことでアイドルキラーとも呼ばれた。最初の夫人はシモンズの玉井タエ、次の夫人は木之内みどり。1994年に河合その子と3度目の結婚をしている。その子夫人との間に子供が一人いる。
演奏に関して[編集]
影響を受けたベーシストとして、フリーのアンディ・フレイザーを挙げている。フリーの前座をした時に、ステージ袖で彼のプレイを見て、衝撃を受けた。また、フレイザーの替わりに加入した山内テツについても絶賛している[1]。
ベーシストとしてスタジオワークを開始した当初、レコーディングで譜面が全く読めず、何回も弾き直していると、別のベーシストと交代させられて帰されたことがあった。吉田拓郎のツアーに参加した際に知り合ったチト河内の紹介で、鈴木淳の自宅へウッドベースと譜面の勉強をしに通っていた[1]。
1975年発表のティン・パン・アレーのアルバム『キャラメル・ママ』に収録された「チョッパーズ・ブギ」で、後藤が披露したスラップ奏法が、日本において「チョッパー奏法」の名称として広まった。当時の後藤は、ラリー・グラハムのスラップ奏法を知っていたが、訳のわからない凄さに弾き方を解明できず、分かりやすい弾き方をしていたルイス・ジョンソンを真似していたと振り返っている[1]。
一方で、とんねるずのコンサートのオーラスになると「俺に弾かせろ」とステージに立つことも多かった。紹介されると黄色い声援を浴び、ベースを弾き続けることから、それがまたとんねるずの怒りを買い、次のラジオで叱責されていたエピソードがある。
楽曲に関して[編集]
1980年代、アイドルへの提供曲では楽曲のサビを最初の30秒以内に提示する技法を多用した。サビが早ければ短時間でインパクトを与えられ(ラジオなどでは曲が長いとフェードアウトする事があるためサビが後にくると印象付ける前に切られてしまう可能性がある)、また電波に乗る頻度を増やす事ができ、リスナーの注意を喚起するとともに楽曲を強く印象付けることができる。おニャン子クラブで効果をあげたこの方法は、以後の作曲家に多用された。シンセサイザーなどのデジタルサウンドを多用し、コーラス等にも工夫を凝らした楽曲は話題を呼び、アイドル歌謡曲の在り方を変えるまでの影響を及ぼした。特に作詞家の秋元康と共に「ゴールデンコンビ」と言われ、多数のヒット曲を生み出した。
原田真二の「シャドー・ボクサー」で編曲家として手探り状態で活動し初めた時、「ストリングスを入れて欲しい」と注文を言われ、ヤマハのエレクトリックピアノ、編曲本を買い込んで勉強した。だが、実際にオーケストラが自身の譜面通り演奏したところ、不協和音となってしまい、全員に休憩を取ってもらって、ピアノの前で慌てて書き直した逸話がある[1]。
中島みゆきの編曲を担当したことについて、中島のデモはギターと歌だけで成立する世界があり、そこに音をつけていくにはプレッシャーがあり、エネルギーが必要だったと述べている。ベースと歌だけで同時録音する曲があった際には、レコーディング中のヘッドフォンから聞こえる中島の歌が凄くて、意味無く楽器を弾かせない怖さがあったとも語っている[1]。
シングルを連続して手掛けた工藤静香の編曲について、曲ごとに雰囲気をガラッと変えるべきか、同じトーンを続けるかで悩んでいた。リスナー視点に立つと、曲ごとに雰囲気を大きく変えると節操がなく、ずっと似たようなサウンドだと「マンネリ」に陥ることもあり、あまり世間の評価を気にしすぎると最終的に方向性を打ち出すのは難しくなってくるため、自分の中の「判断基準=バランス感覚」を優先して組み立てていったと振り返っている。また、自分の中では同じようなサウンドばかり作っていると飽きてくることも述べている[2]。
一時期、工藤静香の編曲を「Draw4」名義で行っていた。Draw4は、後藤を中心とするミュージシャン及びエンジニアのユニットであり、メンバーは後藤の他に、キーボード奏者の門倉聡、シンセサイザープログラマーの藤井丈司と菅原弘明、エンジニアの村瀬範恭の5名で構成されていた。
作詞までした作品もまれにあり、河合その子のデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」(T2=CBSソニーのプロデューサー(当時)である稲葉竜文との共作)、野猿のラストシングル「Fish Fight!」等がある。
人気絶頂のとんねるずや工藤静香の作曲・編曲を担当していた当時、その作曲幅の広さはとんねるずに、「工藤の作曲はピアノで丁寧に作るが、とんねるずのアルバム曲は10分で作ってくる」、「工藤の曲を作っている時はカリカリしていてナーバスなのに、とんねるずの曲は○○風という注文で寝る前に適当に作る」などとよくいわれていた。また、編曲などでよく組んだ中島みゆきも後藤の作曲を『引出しが多い』と、そのバリエーションの多さを評価している。
ディスコグラフィ[編集]
ソロアルバム[編集]
『ON Bass』(1978年)
『Mr.Bassman』(1979年)
『Breath』(1983年)
『INNER SUGGESTIONS』(1984年)
『CITY TRICKLES ―街の雫―』(1985年)
『do not disturb』(2003年9月24日)
『not too fast, not too slow』(2004年11月3日)
『Fitzbeat Years 1983-1985』 (2008年11月23日) FITZBEAT時代にリリースした『Breath』から『CITY TRICKLES ―街の雫―』まで3枚のアルバムをリマスタリングしたうえで初CD化し、紙ジャケット仕様で復刻したボックスセット。オリジナルでは2枚組LPだった『CITY TRICKLES ―街の雫―』が1枚のCDとなっている。
サウンドトラック[編集]
『BOY'S NIGHT OUT Soundtrack from TAKE IT EASY』(1986年)
『コンピュータ・ゲーム「Ultima~恐怖のエクソダス~」音楽編 ULTIMA MIX』(1987年)
『映画「びんばりハイスクール」オリジナル音楽集』(1990年)
『ロリータの温度』(『多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還』サウンドトラック) (2001年)
後藤次利 BAND[編集]
シングル「怒れ兄弟!」(1979年) - 日本テレビ系ドラマ「怒れ兄弟!」主題歌
gym[編集]
『gym』(2003年10月30日)
『Laughing Moon』(2004年10月25日)
『in the mirror』(2005年10月22日)
『Full of Hazards』(2006年8月30日)
Non Chords[編集]
『Non Chords』(2004年11月3日)
『Tracing Point』(2005年6月6日)
『Taboo』(2005年11月2日)
『Non Chords Live Tour 2005 "Tracing Point" In OSAKA』(2006年2月1日) - CD
『Non Chords Live Tour 2005 "Tracing Point" In TOKYO』(2006年2月1日) - DVD
WAIP[編集]
『visual range』(2006年5月10日)
『aquarium』(2008年8月9日)
主な提供作品[編集]
あ行[編集]
相川七瀬 「あの頃からのラブレター」
麻見和也 「プライベートはお前さ」
一世風靡セピア 「前略、道の上より」(GO TO名義)
伊藤かずえ 「17歳のテロル」
伊藤つかさ 「私 I Love You」(編曲)
「ともだちへ」(編曲)
「もう野うさぎじゃない」
「先生のお気に入り」
稲垣潤一 「雨の朝と風の夜に」(編曲)
「真夏の果てまで」(編曲)
infix 「answer」(編曲)
うしろ髪ひかれ隊 「時の河を越えて」
「あなたを知りたい」
「ほらね、春が来た」
「メビウスの恋人」
「ご期待下さい!」
うしろゆびさされ組 「うしろゆびさされ組」(作曲)
「バナナの涙 」
「象さんのすきゃんてぃ」
「渚の『・・・・・』 」
「技ありっ! 」
「かしこ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
Will call 「路傍」
AKB48 「リオの革命」
「月のかたち」
「月見草」
「天国野郎」
「竹内先輩」
HKT48 「君はどうして?」
SKE48 「合格Kiss」
「叱ってよ、ダーリン!」
「みつばちガール」
大友康平 「HEAVEN」
大堀めしべ 「甘い股関節」
おニャン子クラブ 「お先に失礼」
「NO MORE 恋愛ごっこ」
「かたつむりサンバ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
か行[編集]
影山ヒロノブ 「99% I LOVE YOU」
香西かおり 「ごむたいな」
柏原よしえ 「㐧二章・くちづけ」(編曲)
「乙女心何色?」(編曲)
河合その子 「涙の茉莉花LOVE」
「落葉のクレッシェンド」
「青いスタスィオン」
「再会のラビリンス」
「悲しい夜を止めて」
「哀愁のカルナバル」
「JESSY」
河田純子 「輝きの描写」(作・編曲)
「君の夢のために」(作曲)
(他アルバム曲を含む多数を提供)
関東裸会 「関東裸会の唄」
「答 -answer is my life-」
吉川晃司 「にくまれそうなNEWフェイス」(編曲)
「RAIN-DANCEがきこえる」(編曲)
「キャンドルの瞳」(編曲)
「Modern Time」(編曲)
「NERVOUS VENUS」(編曲)
工藤静香 「禁断のテレパシー」
「Again」
「抱いてくれたらいいのに」
「FU-JI-TSU」
「MUGO・ん…色っぽい」
「群衆」
「恋一夜」
「嵐の素顔」
「黄砂に吹かれて」
「くちびるから媚薬」
「千流の雫」
「私について」
「ぼやぼやできない」
「Please」
「メタモルフォーゼ」
「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」
「うらはら」
「声を聴かせて」
「慟哭」
「わたしはナイフ」
「あなたしかいないでしょ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
国武万里 「ポケベルが鳴らなくて」
CoCo 「横浜Boy Style」
「WINNING」
小柳ルミ子 「誰でもいいはずないじゃない」
さ行[編集]
西城秀樹 「哀しみのStill」(作・編曲)
「背中からI Love You」(作・編曲)
「約束の旅〜帰港」(作・編曲)
坂上香織 「プラトニックつらぬいて」(作・編曲)
沢田研二 「TOKIO」(編曲)
「ロンリー・ウルフ」(編曲)
「恋のバッド・チューニング」(編曲)
「麗人」(編曲)
「HELLO」(作・編曲)
椎名へきる 「やんなっちゃう」(作・編曲)
「目を覚ませ、男なら」(作・編曲)
「星空のシャワー」(作・編曲)
シブがき隊 「サムライ・ニッポン」(作・編曲)
「トラ! トラ! トラ!」(作曲)
「スシ食いねェ!」(TZ名義、作曲)
「OH! SUSHI」(作曲)
少女隊 「ナポレオンのくしゃみ」(作・編曲)
「月のうさぎが泣いた」(作・編曲)
「象使いのインド人」(作・編曲)
「開けテレビジョン!!」(作・編曲)
「TOKYO YAJIMA CLUB」(作・編曲)
「アジアの恋人-Far from east Asia-」(作・編曲)
杉山清貴&オメガトライブ 「渚のsea-dog」
ソフトクリーム 「すっぱい失敗」(作・編曲)
「スキよ!ダイスキ君」(作・編曲)
「やったね! 春だね!!」(作・編曲)
「ごめんあそばせガンバリ娘」(作・編曲)
「クラスメイト失踪事件」(作・編曲)
た行[編集]
高橋真美 「古いアルバム」
高橋由美子 「太陽のバレリーナ」
とんねるず 「人情岬」
「嵐のマッチョマン」
「迷惑でしょうが…」
「おらおら」
「炎のエスカルゴ」
「YAZAWA」
「どうにかなるさ」
スポーツ、
1. 楽天対西武戦【コボスタ宮城】18:00
15対3で西武勝利。
先発、
【楽天】川井貴志左腕、
【西武】高橋光成右腕、
【西武】
1 中 秋山翔吾 .367 2 三 渡辺直人 .262 3 二 浅村栄斗 .272
4 指 中村剛也 .281 5 一 メヒア .218 6 左 栗山巧 .270
7 右 熊代聖人 .125 8 捕 炭谷銀仁朗 .188 9 遊 外崎修汰 .196
【楽天】
1 右 島内宏明 .235 2 左 北川倫太郎 .350 3 指 ペーニャ .276
4 三 ウィーラー .209 5 一 銀次 .312 6 二 藤田一也 .281
7 捕 嶋基宏 .240 8 中 聖澤諒 .249 9 遊 西田哲朗 .226
戦評
8月31日(月)楽天 vs. 西武 22回戦
西武は3回表、メヒアのグランドスラムなどで一挙5点を先制する。続く4回には、再びメヒアが適時打を放つなどリードを広げた。その後も得点を重ね、終わってみれば15安打15得点の猛攻を見せ大勝した。投げては、先発・高橋光が今季4勝目。楽天は、投手陣が崩壊した。
責任投手/本塁打
勝利投手、[ 西武 ] 高橋光(4勝1敗0S)
敗戦投手、[ 楽天 ] 川井(0勝2敗0S)
セーブ、[ 西武 ] 田中(0勝0敗1S)
本塁打、[ 西武 ] メヒア 21号(3回表満塁) 、メヒア 22号(8回表ソロ) 、 中村 35号(9回表ソロ)
[ 楽天 ]
西武バッテリー
高橋光 、武隈 、田中 - 炭谷。
楽天バッテリー
川井 、福山 、西宮 、武藤 、小野 - 嶋 、伊志嶺。
2. 柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
THE PAGE 8月31日(月)14時3分配信
前人未到の五輪柔道3連覇を果たし、29日に兵庫県尼崎市で行われた全日本実業個人選手権で現役を引退した野村忠宏(40=ミキハウス)の会見が31日午後、大阪市内のホテルで行われた。多くの報道陣が詰め掛ける中、野村は「最後負けてはしまいましたが、豪快にぶん投げられた40歳の柔道家に対して、激励のお言葉をかけてもらえたのは一番うれしい」と述べ、終始さわやかな笑顔を見せていた。
柔道五輪3連覇の野村、引退試合で3回戦負けも「幸せだった!」
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柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
[写真]会見では明るい性格の野村らしい笑顔もたくさん見られた=午後1時55分ごろ、大阪市北区で(島田幸治撮影)
最後の大会で1本勝ちできたのは誇りに思う
同日午後1時から始まった会見にスーツ姿で現れた野村。冒頭のあいさつでは「最後の試合は1回戦、2回戦、自分を育ててくれた1本勝ちでしたが、最後の3回戦は豪快にぶん投げられました。今までの戦いも1本勝ち、最後の大会で1本勝ちできたのは誇りに思う」と述べた。
また、負けた時の気持ちにも触れ「豪快に1本負けしてすっきりいたしました。寝そべってすぐに立つことができなかったんですけど、うまく投げられた瞬間、豪快に投げられたなあというのが頭をよぎり、これで真剣勝負の戦いが終わったんだなあと少し寂しい気持ちにもなりました」と続けた。
「最後の試合を終え、いまこの場にいる気持ちは?」という質問には「優勝報告というのは何回もさせて頂いたんですが、引退会見は始めてのことなんで、ちょっと不思議な気持ちというか、ちゃんとしなきゃいけないなあという感じです」と、野村らしい明るい笑顔を見せながら笑いを取る場面もあった。
そして「多少ピリッとした気持ちなんですけど、試合が終わって短い時間ですけど、仲間と時間をすごし、家族とすごし、ちょっとふぬけになってます。柔道のことって考えるし、ああ、もう自分がピリピリした真剣勝負の場に立つことがないんだと思ったらすごい寂しいなぁと思いますけど、自分がやれることは精一杯やってきたし、後悔というものはないですね」と続けた。
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柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
[写真]会見では明るい性格の野村らしい笑顔もたくさん見られた=午後1時45分ごろ、大阪市北区で
オリンピックにかかわっていければ
報道陣から出た「将来のビジョンは?」という問いには「3歳から37年間柔道と向き合ってきました。弱かった子供時代、夢を持って努力し続けた少年時代。大学で細川先生に出会ってチャンピオンに育ててもらってチャンピオンとして戦った最強の時代。3連覇して、それでも柔道を続けたいと苦しみ続けた時代、柔道を通していろんな経験をしたし、いろいろ乗り越えてきた。これから若い選手、世界を目指す選手らに技術を含めて伝えていきたいし、心の中に柔道が大好き、柔道への愛、楽しさ。これは自分のじいちゃんに教わったものなんで、子供たちには柔道のすばらしさというものを伝えていきたいなあと思ってます」と述べた。
そして「自分をひとまわり、ふたまわり以上、自分を成長させてくれたオリンピック、5年後には東京でオリンピックがあって、選手としてはもう出れないが、オリンピックにかかわっていければと思います」と2020年の東京五輪への思いも触れていた。
島康介から花束もらい涙、あの時の気持ちは?
また、野村さんにとって柔道とは? という質問には「ほんと人生です」と即答。「特に勉強ができたわけでもなく運動神経もよくなかった。ただ、子供ながらなにかひとつ誇りにもてるものがほしい、そういう思いがあるなかで、唯一真剣になれたのは柔道だった。周りからは弱いといわれて、親父にも『もう無理して柔道せんでええぞ』と言われて、それでも柔道を続けてきて、本当にその中で、柔道が自分に与えてくれたものはいっぱいあるんですよね。そして最後ね、ほんとに競技者として最後になりましたけど、自分の中で誇りに思えるもの、自分が輝ける場所を手に入れることができたんだなあと。それは柔道が与えてくれたもの。だから胸をはって、柔道が自分の人生といえます」と笑顔で答えた。
最後の試合で北島選手と抱き合った時の涙についても質問が飛び「会場で最後応援に来てくださった皆様にあいさつ行こうと思って、間違いなく自分泣くなと思ってたんですよ」と照れ笑いしながら答える野村。
だが「笑顔を貫くぞと思ってたんですけど、そこで両親の顔を見て、家族の顔を見て、涙腺がだめになって、そこに来て康介でしょ。北島康介というのは特別な存在やし。仲いいのに見に来てくれたの初めてで、花束渡してくれて、どうしても泣いちゃいましたね。また、家族と対面したときと違う、いろんなもんと向き合ってきて、戦ってきた後輩であり、親友であり、ああいう形で迎えてくれて、おつかれさまでしたと声をかけてくれたのは、うれしかったし。ただ、北島選手はまだチャレンジの最中だし。野村の戦いは終わったけど、お前はもう一勝負あるぞという思いで花束を頂きました」と力強く語った。
3. 隠善智也「巨人2軍で2053打席立ち続けた男」
ベースボールキング 8月31日(月)11時30分配信
隠善智也「巨人2軍で2053打席立ち続けた男」
お立ち台で村田修一(左)、片岡治大(右)とともに喜ぶ隠善智也(中)�・KYODO NEWS IMAGES
東京ドームのお立ち台には、真っ黒に日焼けした背番号52が上がっていた。
隠善智也、31歳。下世話な見方をすると、この日一緒にヒーローインタビューを受けた村田修一は推定年俸3億円、片岡治大は9500万円。隠善は推定年俸1000万円ちょうどである。
広島国際学院大から06年巨人軍育成ドラフト入団の苦労人。左打ちのシュアな打撃を武器に2年目の08年3月に支配下登録を勝ち取ると、2011年には二軍で打率.325を記録、翌12年は打率.327でイースタン首位打者を獲得した。毎年二軍で3割近いアベレージを残しながらも、一軍にたまに呼ばれても結果を残せず、すぐジャイアンツ球場に逆戻り。そうこうしている内に、気付いたらいい歳だ。
自分より若い選手も増え、年々減るチャンス。それでも2015年は開幕から打撃好調を維持しイースタン第5位の打率.296をマーク。8月28日にようやく今季初の一軍昇格を果たすと、19歳のドラ1ルーキー岡本和真がテレビカメラに追われるのを横目にじっとチャンスを待った。スポーツニュースは「期待の若手」は取り上げても、「三十路の二軍の主力」にはほとんど触れちゃくれない。
そして迎えた30日の中日戦、2点ビハインドの3回裏二死満塁の場面に代打で登場。隠善は一塁への2点タイムリー内野安打を放ち、今季初打席で初安打・初打点を記録。試合後にはお立ち台にも呼ばれ、逆転優勝を狙うチームの3連勝に大きく貢献した。
隠善はプロ9年間でイースタン通算642試合に出場し、計2053打席に立っている。希望に燃えた10代の選手の実戦経験とは訳が違う。ドラフト上位指名ではなく、身長174センチと体格に恵まれているわけでもない。凄い男だ。いつ来るかも分からないチャンスに備えて、2000打席以上に立ち続けたのだから。
補強が多いとか首脳陣が悪いとか、言い訳をするのは簡単だ。プロ野球は、この世の中と同じく理不尽で、当然チャンスの数は平等じゃない。だが、非エリートの叩き上げ選手は、代打でも代走でも使ってもらえるところで地道に出場機会をモノにしていくしか道はない。
「どんな形にせよ俺は絶対生き残ってやる」
隠善智也のギラついたプレーからはそんな意志が感じられる。
巨人2軍でくすぶる若手選手たちよ。今こそ、背番号52から目を逸らすな。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
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BASEBALL KING
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4. 野村監督時代からの伝統 ヤクルト「再生工場」の系譜
スポニチアネックス 8月31日(月)11時11分配信
野村監督時代からの伝統 ヤクルト「再生工場」の系譜
「野村再生工場」で復活した田畑一也
今年のヤクルトには、ある一人の救世主が現れた。その名は山中浩史。昨シーズン途中、川島慶三、日高亮との交換トレードで新垣渚とともにソフトバンクからヤクルトへ移籍してきた。
【写真】力投するヤクルト・山中
昨年までのプロ2年間で勝ち星はなかったものの、6月12日の西武戦でプロ初勝利を挙げると、そこから勝ち星を重ね、無傷の6連勝(8月26日現在)。現在は肉離れで離脱してしまっているが、ヤクルト躍進に欠かせない先発投手だ。
野村克也監督のちょっとしたアドバイスや配置転換、名捕手・古田敦也のリードなどで、復活・開花する選手が多く、「野村再生工場」と呼ばれていた流れも汲んで、ヤクルトの歴史を紐解くと、前球団で活躍できなかった選手や自由契約となった選手が活躍するケースが多い。その系譜を改めて振り返ってみよう。
◎未だ語り継がれる「野村再生工場」
「野村再生工場」で復活を遂げた選手として真っ先に名前が挙がるのは田畑一也だ。1992年のドラフト会議でダイエーのドラフト10位で入団した田畑は、1995年オフに交換トレードでヤクルトへ移籍した。ダイエー時代は2勝しか挙げられなかったが、移籍初年度の1996年に12勝と一気にブレーク。さらに翌1997年には15勝5敗と好成績を残し、チームの日本一に大きく貢献した。
その1997年は、かつて広島で4番を打っていた男の3連発からペナントレースがスタートした。1996年オフに広島を自由契約された小早川毅彦は、巨人との開幕戦で5番打者に抜擢される。その背景には「大学1年、プロ1年目と門出の年に必ず活躍している」という野村監督の読みだった。そして、小早川はその読み通りの、いや読み以上の結果を開幕戦で残した。2回の初打席、巨人のエース・斎藤雅樹から先制本塁打を放つと、1-2で迎えた4回に同点弾。さらに6回には勝ち越しの2ランと1試合3本塁打の大活躍。試合は6-3でヤクルトが勝利し、前年まで3年連続開幕戦で完封勝利を挙げていた斎藤を粉砕した。小早川はこの年、12本塁打を放ち、復活を果たした。
他にもチームの若返りもあって西武から戦力外通告を受け、1996年に移籍した辻発彦は、二塁手のレギュラーとしてリーグ2位の打率.333をマーク。古巣・西武を見返す結果を残した。
◎若松監督時代も「再生工場」は稼働
若松勉監督の下、日本一となった2001年には、2人の投手の「再生」があった。近鉄、広島、巨人と渡り歩いた入来智は、巨人を戦力外となり、ヤクルトに入団。それまでは近鉄時代の1993年に挙げた5勝が最高だったが、強気の投球と古田敦也のリードがハマり、シーズン序盤から活躍。オールスターゲームに監督推薦で選ばれ、弟・祐作(当時巨人)との継投は話題となった。最終的に自己最多の10勝をマークし、日本シリーズでも勝ち投手になった。
もう一人は前田浩継。九州共立大から1998年ドラフト2位でオリックスに入団。2年で戦力外通告を受けてしまったものの、テストに合格しヤクルトとの契約に至った。2000年にプロ初勝利を含む2勝を挙げると、2001年には、先発ローテーションを1年間守り、7勝を記録した。
また、2003年の鈴木健の活躍も見逃せない。西武の4番打者として1997、1998年のリーグ連覇に大きく貢献した鈴木だったが、成績不振もあって2002年オフに金銭トレードでヤクルトへ移籍。開幕戦で岩村明憲が故障したことにより、三塁手としてスタメン出場が増えた。以降、主に5番打者として、岩村の復帰後は一塁手に移り、シーズン終了までレギュラーとして試合に出続けた。その結果、リーグ5位の打率.317、20本塁打、95打点の成績でベストナインとカムバック賞を獲得。36本の二塁打はリーグトップの数字だった。(『週刊野球太郎』編集部)
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5. 【新亜細亜野球事情】米国スカウトの高校球児評
デイリースポーツ 8月31日(月)14時12分配信
【新亜細亜野球事情】米国スカウトの高校球児評
米国スカウトからの高い評価を受けている清宮幸太郎
今年、日本初開催のU-18ワールドカップ。スタンドには連日、メジャー球団のスカウトたち、総勢30近くがバックネット裏に通っている。その中には旧知の間柄の人物もいて、つたない英語ではあるが野球話をしていた。するとふと、あるスカウトがこんな問いかけをしてきた。「日本の選手は、なんで誰もが同じようなフォームをしているんだ?」と。特に打者は、軸足に体重を載せ、腕をたたんで下半身をうまく使い…。
【写真】中学2年の清宮に阪神・掛布DCも熱視線
「よく言えば洗練されている。でも自分(米国人スカウト)たちからすると個性がない。個性とは好き勝手という意味じゃない。10人いれば10通りの体格、筋力の違いがある。ならそれぞれ異なったフォームを模索するのが自然。ところが日本の高校生は画一的な体の使い方、動きが多い」。彼は問いかけつつも、答えを知っている。つまり高校の指導者が、強い影響力で選手たちを指導しているから。要は、「型にはめている」と。
「技術はすばらしい。だが小さく完成していて伸びしろを感じられない選手が目立つ。その点、まだ粗っぽい清宮(早実)は素材としての伸びしろを感じさせるね」
一方、別のスカウトは、こんな意見を持ち出した。
「日本の高校野球のレベルは非常に高い。技術、修正能力、なにより守備の洗練さは世界一だよ。でも、対照的にNPBの2軍を見ていても、指導者たち(監督、コーチ)の主義主張が感じられない」。このスカウトは高校野球の人材に頼り、2軍での育成がおろそかになっている、あるいは意識が乏しいと感じているのだ。
ふたりのメジャースカウトが抱く、日本の高校野球へのイメージは賛否が異なる。ただいずれにしても、日本球界の“選手の育成”というものに違和感を抱いているのは一緒だ。
このスカウトはこうも言った。
「日本の高校生は、もっと伸びるポテンシャルを持っている。それは間違いない」
ではその伸びしろを、いかに確実に、より大きくしていくのか。
プロとアマの歩み寄りによって実現した侍ジャパンのU-18代表。関連してさまざまな交流も増えたが、これを契機に今後はより一層、選手の育成面にまで協力と議論を積み上げていってほしい。プロが間違っているということもある。アマが進んでいることもある。議論と交流が増えれば、魅力ある選手はもっと増える。
6. 日本 チェコに15点コールド圧勝!4連勝で1次R首位通過決めた
スポニチアネックス 8月31日(月)20時3分配信
日本 チェコに15点コールド圧勝!4連勝で1次R首位通過決めた
<チェコ・日本>1回無死一、三塁、勝俣が右越えに先制3ランを放つ
アマチュア野球の第27回WBSC U-18(18歳以下)ワールドカップは31日、大阪・舞洲ベースボールスタジアムなどで1次ラウンド第4戦が行われ、初優勝を目指すA組の日本はチェコと対戦。15-0の7回コールド勝ちで4連勝とし、同組首位でのスーパーラウンド(SR)進出を決めた。
【写真】初回、二ゴロに倒れ渋い表情の清宮
日本は1回無死一、三塁、勝俣翔貴(東海大菅生)が、日本の今大会1号となる右越え3ラン。さらに2死二、三塁から杉崎成輝(東海大相模)の左前打で2点を加えるなど、この回打者10人の攻撃で5点を先制した。2、3回の好機で追加点はならなかったが、4回以降も再び猛攻。4回無死1塁、勝俣の右中間への2塁適時打、相手のバッテリーミスなどにも乗じて3点を追加すると、5回には2番・篠原涼(敦賀気比)から3者連続適時打を放つなど4点。6、7回にも加点して圧倒した。
今大会初先発となった森下暢仁(大分商)は序盤こそ得点圏に走者を出したが、中盤以降は安定した投球。カーブを有効に配して打者に的を絞らせず7回3安打無失点、12奪三振の好投で勝利に貢献した。
清宮は「4番・一塁」で先発し、2打席凡退のなか、3回の守備からベンチへ。また、オコエは「1番・中堅」で先発し5打数無安打だった。
A組では米国がオーストラリアを11-1のコールド勝ちで下して1敗をキープ。B組は韓国が台湾を4-3で下して4連勝とし、同組1位でSR進出を決めた。
7. 日本が韓国にストレート勝ち!5連勝で2位浮上 次はセルビア
スポニチアネックス 8月31日(月)21時3分配信
日本が韓国にストレート勝ち!5連勝で2位浮上 次はセルビア
女子バレー日本代表の木村
◇バレーボールW杯・女子大会 日本3―0韓国(2015年8月31日 宮城・仙台市体育館)
リオデジャネイロ五輪出場権を懸けたバレーボールのワールドカップ(W杯)女子大会は31日、仙台市体育館(宮城)などで第7日が行われ、世界ランク4位の日本は同10位の韓国と対戦した。25―17、26―24、25―17でストレート勝ちし5連勝。通算6勝1敗で勝ち点を「18」に積み上げ2位に浮上した。首位のロシアはセルビアにフルセットで敗れて初黒星を喫し首位から陥落。2位米国が首位に立った。
日本はアジア最大のライバル、韓国と激突。ロンドン五輪の銅メダルマッチでも対戦した相手には最近5連勝しているが、“100年に1人の逸材”と言われる世界的なエース・金軟景(キム・ヨンギョン)を擁する難敵を警戒した。試合前に古賀が「スタートからバンバン攻めたい」と話すなど、日本選手は並々ならぬ決意で臨んだ。
第1セットは長岡、木村、古賀、島村、宮下、大竹が先発。序盤から宮下のサーブポイントなどで先行してリズムをつくった。日本がリードする展開も韓国は192センチの金軟景が強烈なバックアタックを決め盛り返す。だが19―16と徐々に詰められてきた日本はサウスポーエースの長岡のアタックなどで5連続ポイントを奪い、そのまま25―17で第1セットを先取した。
第2セットは壮絶な点の取り合い。12―12からは3連続ポイントを許すも、日本は点差を縮めていき大竹のサーブで18―18と追いつく。そして山口のブロックで逆転した。粘る韓国に再びリードを許すが、24―24のデュースからエース木村のアタックなどで連続ポイントを挙げ韓国を振り切った。
第3セットは序盤から古賀や木村のアタックでポイントを稼ぎ韓国との差を広げた。中盤以降は長岡のサーブポイントとバックアタック、そして山口のブロック&アタックなどで効果的に加点。終盤韓国の攻撃に耐えて25―17でストレート勝ちを決めた。
日本は次戦9月1日にセルビアと対戦する。
▽リオデジャネイロ五輪への道 出場枠は12で、開催国のブラジルは決定している。W杯上位2チームが出場権を獲得。アジア、アフリカ、欧州、南米、北中米の各大陸予選の優勝国、16年5月の世界最終予選(東京体育館)で4カ国が決まる。アジア大陸予選は世界最終予選と兼ねて開催される。
ニュース、
1. 人質の店員軽傷 男を逮捕「鈴木」と名乗る
日本テレビ系(NNN) 8月31日(月)9時35分配信
31日未明、愛知県岡崎市のコンビニエンスストアに包丁を持った男が押し入り、男性店員1人を人質にして5時間にわたって立こもった。その後、警察が突入。人質は解放され、男は逮捕された。
警察によると31日午前3時前、岡崎市上和田町の「セブン-イレブン岡崎上和田店」に包丁のようなものを持った男が押し入り、「金はいらない。事務所に入れ。酒を持ってこい」などと店員2人を脅して監禁したという。男は長さ20センチから30センチくらいの刃物を持ち、口元にタオルを巻いていたという。店員の1人は店外へ逃げたが、男は、残る1人の店員を人質にとり、店内に立てこもった。
男は5時間にわたって立てこもったが、午前8時、警察が店内に突入。人質となっていた店員は解放され、男は監禁の疑いで現行犯逮捕された。男は、鈴木と名乗っているという。また、人質となった男性はアゴのあたりに刃物を突きつけられたときに傷を負ったということだが、軽傷だという。
人質をとっている際、男から具体的な要求はなかったが、警察では事件に及んだ経緯や動機について調べている。.
2. 「地中海最大」のガス田、エジプト沖で発見
AFP=時事 8月31日(月)7時28分配信
「地中海最大」のガス田、エジプト沖で発見
イタリアのエネルギー大手ENIのロゴ。ミラノの本社で(2008年2月15日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】イタリアのエネルギー大手ENIは30日、地中海(Mediterranean)で見つかったものとしては史上最大の海洋ガス田を、エジプト領海で発見したと発表した。
【過激派の脅威に直面するエジプト】大統領、対テロ法を承認 メディア統制の懸念も
エジプト石油省も、同ガス田の発見を認めた。ENIの声明によると、シュルーク(Shorouk)海上鉱区の深さ1450メートルに位置する約100平方キロの領域に、8500億立方メートルの天然ガスが埋蔵されている可能性があることが分かった。
埋蔵ガスの量は、エジプトの天然ガス需要を今後数十年間にわたり満たす規模で、ENIは「エジプトや地中海で見つかった中では最大で、世界最大級になる可能性もある天然ガス田の発見だ」としている。【翻訳編集】 AFPBB News
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2.群馬大病院の術後死、新たに12例が判明
読売新聞 8月31日(月)3時0分配信 群馬大学病院(前橋市)で肝臓手術を受けた患者が相次ぎ死亡した問題で、第三者からなる新たな医療事故調査委員会(委員長=上田裕一・奈良県総合医療センター総長)の初会合が30日、東京都内で開かれた。
会議後に記者会見した上田委員長は、大学側の調査で新たに12人の死亡が判明し、公表されていた18人と合わせ30人の死亡例が示されたことを明らかにした。今後、診療内容を詳しくみる医学的評価を専門学会に委託。30人の死亡例を中心に問題を調べる。
初会合では、調査対象を2007~14年に同病院で行われた肝胆膵(かんたんすい)(肝臓、胆道、膵臓)の全手術とすることなどを確認した。上田委員長によると、この日は大学側が経緯を説明し、委員が意見交換した。
4. 東京駅前390mの日本一ビル、27年度完成へ
読売新聞 8月31日(月)13時52分配信
東京駅前390mの日本一ビル、27年度完成へ
三菱地所が建設する超高層ビル(イメージ図)
三菱地所は31日、JR東京駅前に高さ約390メートルの超高層ビル(61階建て)を建設すると発表した。
「あべのハルカス」(大阪市、高さ300メートル)を上回り、日本で最も高いビルになる。2027年度に完成する予定だ。
建設予定地は、日本銀行本店に近い東京都千代田区の常盤橋地区にある約3万平方メートル超の敷地。現在はJXホールディングスの本店が入るJXビルや日本ビルなどがある。
国際NPO(非営利組織)の高層ビル・都市居住協議会によると、世界で最も高いのは、ブルジュ・ハリファ(アラブ首長国連邦)の828メートル。現在のランキングでは、三菱地所の新ビルは世界20位前後にあたる。
東京駅前の再開発では、三井不動産と東京建物が八重洲口に、それぞれ高さ245、250メートルのビルを21、23年度に開業させる計画があり、超高層化が進んでいる。
5. 露に拿捕された漁船と乗組員解放、1日にも帰還
読売新聞 8月31日(月)20時43分配信
ロシアの排他的経済水域(EEZ)で操業していた北海道のサケ・マス流し網漁船「第10邦晃(ほうこう)丸」(広尾漁協)がロシア当局に拿捕(だほ)された問題で、外務省は31日、同船と乗組員11人全員が解放されたことを明らかにした。
同船は1日早朝、北海道根室市の花咲港に到着する予定で、11人の健康状態に問題はないという。
外務省によると、同船は31日午後7時頃(日本時間)に解放され、停泊していた国後島沖を出たという。
同船はロシアのEEZ内でベニザケなどを取った後、漁獲枠の超過分を隠して操業記録に残さなかったなどとして7月17日に歯舞群島沖で拿捕(だほ)され、国後島の裁判所に起訴された。外務省によると、同裁判所では8月20日と28日に公判があり、船長(60)や船の所有会社に罰金刑などが言い渡されたという。金額は明らかになっていない。
#、為替、121.16円。121.17円。121.15円。ユーロ、136.08円。136.16円。136.34円。
#ダウ、6648.01ドル。-11.76ドル。ナスダック4828.32。+15.61。
#前場、18935.57円。-200.75円。後場、18890.48円。-245.84円。
作曲家、
後藤次利8/31済
後藤 次利(ごとう つぐとし、1952年2月5日 - )は、日本のベーシスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーである。
東京都出身。青山学院高等部卒業、青山学院大学中退
経歴[編集]
中学生の時、姉が買ってきたビートルズ、ベンチャーズのレコードを聴き始める。姉に連れて行かれたアストロノウツのコンサートで、前座で出ていた寺内タケシとブルージーンズの寺内タケシのギターテクニック、アストロノウツの「太陽の彼方に」に衝撃を受ける。それがきっかけでギターを弾きたくなり、母親にねだってエレキギターを買ってもらい、ギター教室に通い始める。譜面が読めず、耳コピーしたり先生の真似をして弾いていた[1]。
高校一年生の時、学校のイベントで軽音楽部の演奏を見ていたところ、スタンダードジャズをやっており、未知の分野に憧れて同部に入部する。その演奏の中で、上手いドラマーがいると後藤が思った人物が林立夫だった。入部後、ジャズについて知るため、ギターを変えたりピックアップをギブソンに注文したりして形にこだわるようになる。短期間だが恵比寿にあるヤマハ音楽教室に通い、そこの先生だった中牟礼貞則に学ぶ。同じクラスの小原礼、後輩の矢野顕子、違う学校だった鈴木茂と交流があった。みのもんたが司会をしていた文化放送のラジオ番組で、高校生バンドとして出演し、ハービー・マンの「メンフィス・アンダーグラウンド」を演奏したことがある[1]。
大学に進学するもろくに行かずにいたある日、林立夫から電話がかかってきて「ベースやって!」と頼まれる。ブレッド&バターと岸部シローのジョイントツアーでベーシストがいなかったためだった。ギター担当だった後藤はツアー開始の数日前に四谷のスタジオで岸部シローの兄岸部一徳についてベースを習得し、ツアーでは岸部一徳に借りたフェンダー・ジャズベースを使用して演奏した。ツアー後、ブレッド&バターのレコーディングに呼ばれたことが、プロのベーシストとなるきっかけであった。ちなみに同時期にレコーディング参加した南正人のアルバム『回帰線』ではギタリストとして演奏している。その後、小坂忠のバックバンドへの参加からベーシストとしての自覚が芽生え、ちゃんとした楽器を持つべく、当時乗っていたカローラを売り払い、銀座の山野楽器にて10万円で売られていたテレキャスターベースを購入する[1]。
小坂忠とフォージョーハーフやよしだたくろうのセッションバンド新六文銭に参加。その後、トランザムやティン・パン・アレーのセッションにも参加する。
高橋幸宏に誘われサディスティック・ミカ・バンドの「HOT! MENU」のレコーディングに参加、直後のイギリス公演で絶賛される。サディスティック・ミカ・バンド解散後は高橋幸宏、高中正義、今井裕とサディスティックスを結成し活動するが、メンバーそれぞれの活動が活発になり自身も他のアーティストのアレンジや作曲、スタジオミュージシャンなどの仕事が増え自然消滅となる。
フォーライフ・レコードのディレクターに声を掛けて貰ったことがきっかけで[1]、原田真二の「シャドー・ボクサー」で初めて編曲を担当する。その後編曲家としての活動も開始し、八神純子、中島みゆきなどの楽曲を手がける。沢田研二の『TOKIO』で第22回日本レコード大賞編曲賞を受賞した。
他アーティストへのサポートの傍ら、ソロアルバムを2枚リリース。
1980年代に入ると作曲家としての活動を本格的に開始。ソフトクリーム、一世風靡セピアを始め、近藤真彦、シブがき隊、中森明菜、吉川晃司、とんねるず、おニャン子クラブとその関連ユニット、工藤静香などの作・編曲を多く手がけた。
1983年、CBSソニーにアーティスト兼プロデューサーとして迎えられ、ミニアルバム専門のレーベル「FITZBEAT」を立ち上げる。レーベルプロデューサーとして、レベッカ等を世に送り出す傍ら、ソロアルバムを3作を発表する。『CITY TRICKLES ―街の雫―』は12曲入りだが、6曲入りミニアルバムを2枚パッケージした変則盤である。またレベッカの4枚目にして初の10曲入りフルアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』の帯には「FITZBEAT SPECIAL」と書かれていたが、事実上このアルバムを境に、ミニアルバム専門というレーベルコンセプトは崩壊する。
1994年、日本テレビ系「NNNきょうの出来事」テーマ曲「file」を提供。BGMも担当。
2003年、山木秀夫とインストゥルメンタルユニットgym結成。
2004年8月、CROSSOVER JAPAN'04での共演を機に斉藤ノブ、藤井尚之とインストゥルメンタルグループNon Chords結成。名の由来はコード楽器が無いグループであることから。
2006年5月、klammyと新レーベル「TUTINOK(ツチノコ)」を立ち上げ、同レーベルより彼女とのユニットWAIPでデビュー。
2010年3月、『スッキリ!!』の企画で、スッキリ!!メンバーが歌う「あの頃からのラブレター」を作曲・編曲(作詞は松井五郎)。『胸キュン90's〜ひとりで聴きたい恋の唄〜』にボーナストラックとして収録された。
人物・逸話[編集]
とんねるずやおニャン子クラブのメンバー達、彼らのファン、とんねるずのオールナイトニッポンのリスナーから「ゴッキー」の愛称で呼ばれていた。
前述の通りとんねるず(特に石橋貴明)と非常に仲が良く、とんねるずのオールナイトニッポンにも度々登場、横浜までのドライブで女を落とすためのミュージックテープを作っているなど、その女癖、語録、子供のようなワガママさ、目立ちたがり、面白い恋愛観などを度々披露され、「天才ベーシスト・後藤次利」とリスペクトと揶揄をあわせてリスナーの間でも人気者に。ところが、とんねるずのオールナイトニッポンの中で、とんねるずが後藤絡みの下ネタを話し、一時後藤を「マッスルスティック」呼ばわりした。その後、後藤がバックを務める吉川晃司などのコンサートなどで、リスナーが「マッスルスティックー!」と叫ぶことがしばしばあり、後藤がとんねるずに「アイドルのコンサートでマッスルスティックだけは勘弁してくれ」と泣きを入れた。
また、木梨憲武とも仲が良く、ソロアルバム『do not disturb』のジャケットイラストは木梨が製作した。
それ以前はタブー視されていたアイドルとの恋愛を繰り返したことでアイドルキラーとも呼ばれた。最初の夫人はシモンズの玉井タエ、次の夫人は木之内みどり。1994年に河合その子と3度目の結婚をしている。その子夫人との間に子供が一人いる。
演奏に関して[編集]
影響を受けたベーシストとして、フリーのアンディ・フレイザーを挙げている。フリーの前座をした時に、ステージ袖で彼のプレイを見て、衝撃を受けた。また、フレイザーの替わりに加入した山内テツについても絶賛している[1]。
ベーシストとしてスタジオワークを開始した当初、レコーディングで譜面が全く読めず、何回も弾き直していると、別のベーシストと交代させられて帰されたことがあった。吉田拓郎のツアーに参加した際に知り合ったチト河内の紹介で、鈴木淳の自宅へウッドベースと譜面の勉強をしに通っていた[1]。
1975年発表のティン・パン・アレーのアルバム『キャラメル・ママ』に収録された「チョッパーズ・ブギ」で、後藤が披露したスラップ奏法が、日本において「チョッパー奏法」の名称として広まった。当時の後藤は、ラリー・グラハムのスラップ奏法を知っていたが、訳のわからない凄さに弾き方を解明できず、分かりやすい弾き方をしていたルイス・ジョンソンを真似していたと振り返っている[1]。
一方で、とんねるずのコンサートのオーラスになると「俺に弾かせろ」とステージに立つことも多かった。紹介されると黄色い声援を浴び、ベースを弾き続けることから、それがまたとんねるずの怒りを買い、次のラジオで叱責されていたエピソードがある。
楽曲に関して[編集]
1980年代、アイドルへの提供曲では楽曲のサビを最初の30秒以内に提示する技法を多用した。サビが早ければ短時間でインパクトを与えられ(ラジオなどでは曲が長いとフェードアウトする事があるためサビが後にくると印象付ける前に切られてしまう可能性がある)、また電波に乗る頻度を増やす事ができ、リスナーの注意を喚起するとともに楽曲を強く印象付けることができる。おニャン子クラブで効果をあげたこの方法は、以後の作曲家に多用された。シンセサイザーなどのデジタルサウンドを多用し、コーラス等にも工夫を凝らした楽曲は話題を呼び、アイドル歌謡曲の在り方を変えるまでの影響を及ぼした。特に作詞家の秋元康と共に「ゴールデンコンビ」と言われ、多数のヒット曲を生み出した。
原田真二の「シャドー・ボクサー」で編曲家として手探り状態で活動し初めた時、「ストリングスを入れて欲しい」と注文を言われ、ヤマハのエレクトリックピアノ、編曲本を買い込んで勉強した。だが、実際にオーケストラが自身の譜面通り演奏したところ、不協和音となってしまい、全員に休憩を取ってもらって、ピアノの前で慌てて書き直した逸話がある[1]。
中島みゆきの編曲を担当したことについて、中島のデモはギターと歌だけで成立する世界があり、そこに音をつけていくにはプレッシャーがあり、エネルギーが必要だったと述べている。ベースと歌だけで同時録音する曲があった際には、レコーディング中のヘッドフォンから聞こえる中島の歌が凄くて、意味無く楽器を弾かせない怖さがあったとも語っている[1]。
シングルを連続して手掛けた工藤静香の編曲について、曲ごとに雰囲気をガラッと変えるべきか、同じトーンを続けるかで悩んでいた。リスナー視点に立つと、曲ごとに雰囲気を大きく変えると節操がなく、ずっと似たようなサウンドだと「マンネリ」に陥ることもあり、あまり世間の評価を気にしすぎると最終的に方向性を打ち出すのは難しくなってくるため、自分の中の「判断基準=バランス感覚」を優先して組み立てていったと振り返っている。また、自分の中では同じようなサウンドばかり作っていると飽きてくることも述べている[2]。
一時期、工藤静香の編曲を「Draw4」名義で行っていた。Draw4は、後藤を中心とするミュージシャン及びエンジニアのユニットであり、メンバーは後藤の他に、キーボード奏者の門倉聡、シンセサイザープログラマーの藤井丈司と菅原弘明、エンジニアの村瀬範恭の5名で構成されていた。
作詞までした作品もまれにあり、河合その子のデビュー曲「涙の茉莉花LOVE」(T2=CBSソニーのプロデューサー(当時)である稲葉竜文との共作)、野猿のラストシングル「Fish Fight!」等がある。
人気絶頂のとんねるずや工藤静香の作曲・編曲を担当していた当時、その作曲幅の広さはとんねるずに、「工藤の作曲はピアノで丁寧に作るが、とんねるずのアルバム曲は10分で作ってくる」、「工藤の曲を作っている時はカリカリしていてナーバスなのに、とんねるずの曲は○○風という注文で寝る前に適当に作る」などとよくいわれていた。また、編曲などでよく組んだ中島みゆきも後藤の作曲を『引出しが多い』と、そのバリエーションの多さを評価している。
ディスコグラフィ[編集]
ソロアルバム[編集]
『ON Bass』(1978年)
『Mr.Bassman』(1979年)
『Breath』(1983年)
『INNER SUGGESTIONS』(1984年)
『CITY TRICKLES ―街の雫―』(1985年)
『do not disturb』(2003年9月24日)
『not too fast, not too slow』(2004年11月3日)
『Fitzbeat Years 1983-1985』 (2008年11月23日) FITZBEAT時代にリリースした『Breath』から『CITY TRICKLES ―街の雫―』まで3枚のアルバムをリマスタリングしたうえで初CD化し、紙ジャケット仕様で復刻したボックスセット。オリジナルでは2枚組LPだった『CITY TRICKLES ―街の雫―』が1枚のCDとなっている。
サウンドトラック[編集]
『BOY'S NIGHT OUT Soundtrack from TAKE IT EASY』(1986年)
『コンピュータ・ゲーム「Ultima~恐怖のエクソダス~」音楽編 ULTIMA MIX』(1987年)
『映画「びんばりハイスクール」オリジナル音楽集』(1990年)
『ロリータの温度』(『多重人格探偵サイコ/雨宮一彦の帰還』サウンドトラック) (2001年)
後藤次利 BAND[編集]
シングル「怒れ兄弟!」(1979年) - 日本テレビ系ドラマ「怒れ兄弟!」主題歌
gym[編集]
『gym』(2003年10月30日)
『Laughing Moon』(2004年10月25日)
『in the mirror』(2005年10月22日)
『Full of Hazards』(2006年8月30日)
Non Chords[編集]
『Non Chords』(2004年11月3日)
『Tracing Point』(2005年6月6日)
『Taboo』(2005年11月2日)
『Non Chords Live Tour 2005 "Tracing Point" In OSAKA』(2006年2月1日) - CD
『Non Chords Live Tour 2005 "Tracing Point" In TOKYO』(2006年2月1日) - DVD
WAIP[編集]
『visual range』(2006年5月10日)
『aquarium』(2008年8月9日)
主な提供作品[編集]
あ行[編集]
相川七瀬 「あの頃からのラブレター」
麻見和也 「プライベートはお前さ」
一世風靡セピア 「前略、道の上より」(GO TO名義)
伊藤かずえ 「17歳のテロル」
伊藤つかさ 「私 I Love You」(編曲)
「ともだちへ」(編曲)
「もう野うさぎじゃない」
「先生のお気に入り」
稲垣潤一 「雨の朝と風の夜に」(編曲)
「真夏の果てまで」(編曲)
infix 「answer」(編曲)
うしろ髪ひかれ隊 「時の河を越えて」
「あなたを知りたい」
「ほらね、春が来た」
「メビウスの恋人」
「ご期待下さい!」
うしろゆびさされ組 「うしろゆびさされ組」(作曲)
「バナナの涙 」
「象さんのすきゃんてぃ」
「渚の『・・・・・』 」
「技ありっ! 」
「かしこ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
Will call 「路傍」
AKB48 「リオの革命」
「月のかたち」
「月見草」
「天国野郎」
「竹内先輩」
HKT48 「君はどうして?」
SKE48 「合格Kiss」
「叱ってよ、ダーリン!」
「みつばちガール」
大友康平 「HEAVEN」
大堀めしべ 「甘い股関節」
おニャン子クラブ 「お先に失礼」
「NO MORE 恋愛ごっこ」
「かたつむりサンバ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
か行[編集]
影山ヒロノブ 「99% I LOVE YOU」
香西かおり 「ごむたいな」
柏原よしえ 「㐧二章・くちづけ」(編曲)
「乙女心何色?」(編曲)
河合その子 「涙の茉莉花LOVE」
「落葉のクレッシェンド」
「青いスタスィオン」
「再会のラビリンス」
「悲しい夜を止めて」
「哀愁のカルナバル」
「JESSY」
河田純子 「輝きの描写」(作・編曲)
「君の夢のために」(作曲)
(他アルバム曲を含む多数を提供)
関東裸会 「関東裸会の唄」
「答 -answer is my life-」
吉川晃司 「にくまれそうなNEWフェイス」(編曲)
「RAIN-DANCEがきこえる」(編曲)
「キャンドルの瞳」(編曲)
「Modern Time」(編曲)
「NERVOUS VENUS」(編曲)
工藤静香 「禁断のテレパシー」
「Again」
「抱いてくれたらいいのに」
「FU-JI-TSU」
「MUGO・ん…色っぽい」
「群衆」
「恋一夜」
「嵐の素顔」
「黄砂に吹かれて」
「くちびるから媚薬」
「千流の雫」
「私について」
「ぼやぼやできない」
「Please」
「メタモルフォーゼ」
「めちゃくちゃに泣いてしまいたい」
「うらはら」
「声を聴かせて」
「慟哭」
「わたしはナイフ」
「あなたしかいないでしょ」
(他アルバム曲を含む多数を提供)
国武万里 「ポケベルが鳴らなくて」
CoCo 「横浜Boy Style」
「WINNING」
小柳ルミ子 「誰でもいいはずないじゃない」
さ行[編集]
西城秀樹 「哀しみのStill」(作・編曲)
「背中からI Love You」(作・編曲)
「約束の旅〜帰港」(作・編曲)
坂上香織 「プラトニックつらぬいて」(作・編曲)
沢田研二 「TOKIO」(編曲)
「ロンリー・ウルフ」(編曲)
「恋のバッド・チューニング」(編曲)
「麗人」(編曲)
「HELLO」(作・編曲)
椎名へきる 「やんなっちゃう」(作・編曲)
「目を覚ませ、男なら」(作・編曲)
「星空のシャワー」(作・編曲)
シブがき隊 「サムライ・ニッポン」(作・編曲)
「トラ! トラ! トラ!」(作曲)
「スシ食いねェ!」(TZ名義、作曲)
「OH! SUSHI」(作曲)
少女隊 「ナポレオンのくしゃみ」(作・編曲)
「月のうさぎが泣いた」(作・編曲)
「象使いのインド人」(作・編曲)
「開けテレビジョン!!」(作・編曲)
「TOKYO YAJIMA CLUB」(作・編曲)
「アジアの恋人-Far from east Asia-」(作・編曲)
杉山清貴&オメガトライブ 「渚のsea-dog」
ソフトクリーム 「すっぱい失敗」(作・編曲)
「スキよ!ダイスキ君」(作・編曲)
「やったね! 春だね!!」(作・編曲)
「ごめんあそばせガンバリ娘」(作・編曲)
「クラスメイト失踪事件」(作・編曲)
た行[編集]
高橋真美 「古いアルバム」
高橋由美子 「太陽のバレリーナ」
とんねるず 「人情岬」
「嵐のマッチョマン」
「迷惑でしょうが…」
「おらおら」
「炎のエスカルゴ」
「YAZAWA」
「どうにかなるさ」
スポーツ、
1. 楽天対西武戦【コボスタ宮城】18:00
15対3で西武勝利。
先発、
【楽天】川井貴志左腕、
【西武】高橋光成右腕、
【西武】
1 中 秋山翔吾 .367 2 三 渡辺直人 .262 3 二 浅村栄斗 .272
4 指 中村剛也 .281 5 一 メヒア .218 6 左 栗山巧 .270
7 右 熊代聖人 .125 8 捕 炭谷銀仁朗 .188 9 遊 外崎修汰 .196
【楽天】
1 右 島内宏明 .235 2 左 北川倫太郎 .350 3 指 ペーニャ .276
4 三 ウィーラー .209 5 一 銀次 .312 6 二 藤田一也 .281
7 捕 嶋基宏 .240 8 中 聖澤諒 .249 9 遊 西田哲朗 .226
戦評
8月31日(月)楽天 vs. 西武 22回戦
西武は3回表、メヒアのグランドスラムなどで一挙5点を先制する。続く4回には、再びメヒアが適時打を放つなどリードを広げた。その後も得点を重ね、終わってみれば15安打15得点の猛攻を見せ大勝した。投げては、先発・高橋光が今季4勝目。楽天は、投手陣が崩壊した。
責任投手/本塁打
勝利投手、[ 西武 ] 高橋光(4勝1敗0S)
敗戦投手、[ 楽天 ] 川井(0勝2敗0S)
セーブ、[ 西武 ] 田中(0勝0敗1S)
本塁打、[ 西武 ] メヒア 21号(3回表満塁) 、メヒア 22号(8回表ソロ) 、 中村 35号(9回表ソロ)
[ 楽天 ]
西武バッテリー
高橋光 、武隈 、田中 - 炭谷。
楽天バッテリー
川井 、福山 、西宮 、武藤 、小野 - 嶋 、伊志嶺。
2. 柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
THE PAGE 8月31日(月)14時3分配信
前人未到の五輪柔道3連覇を果たし、29日に兵庫県尼崎市で行われた全日本実業個人選手権で現役を引退した野村忠宏(40=ミキハウス)の会見が31日午後、大阪市内のホテルで行われた。多くの報道陣が詰め掛ける中、野村は「最後負けてはしまいましたが、豪快にぶん投げられた40歳の柔道家に対して、激励のお言葉をかけてもらえたのは一番うれしい」と述べ、終始さわやかな笑顔を見せていた。
柔道五輪3連覇の野村、引退試合で3回戦負けも「幸せだった!」
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柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
[写真]会見では明るい性格の野村らしい笑顔もたくさん見られた=午後1時55分ごろ、大阪市北区で(島田幸治撮影)
最後の大会で1本勝ちできたのは誇りに思う
同日午後1時から始まった会見にスーツ姿で現れた野村。冒頭のあいさつでは「最後の試合は1回戦、2回戦、自分を育ててくれた1本勝ちでしたが、最後の3回戦は豪快にぶん投げられました。今までの戦いも1本勝ち、最後の大会で1本勝ちできたのは誇りに思う」と述べた。
また、負けた時の気持ちにも触れ「豪快に1本負けしてすっきりいたしました。寝そべってすぐに立つことができなかったんですけど、うまく投げられた瞬間、豪快に投げられたなあというのが頭をよぎり、これで真剣勝負の戦いが終わったんだなあと少し寂しい気持ちにもなりました」と続けた。
「最後の試合を終え、いまこの場にいる気持ちは?」という質問には「優勝報告というのは何回もさせて頂いたんですが、引退会見は始めてのことなんで、ちょっと不思議な気持ちというか、ちゃんとしなきゃいけないなあという感じです」と、野村らしい明るい笑顔を見せながら笑いを取る場面もあった。
そして「多少ピリッとした気持ちなんですけど、試合が終わって短い時間ですけど、仲間と時間をすごし、家族とすごし、ちょっとふぬけになってます。柔道のことって考えるし、ああ、もう自分がピリピリした真剣勝負の場に立つことがないんだと思ったらすごい寂しいなぁと思いますけど、自分がやれることは精一杯やってきたし、後悔というものはないですね」と続けた。
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柔道・野村忠宏が引退会見「豪快に1本負けしてスッキリ」
[写真]会見では明るい性格の野村らしい笑顔もたくさん見られた=午後1時45分ごろ、大阪市北区で
オリンピックにかかわっていければ
報道陣から出た「将来のビジョンは?」という問いには「3歳から37年間柔道と向き合ってきました。弱かった子供時代、夢を持って努力し続けた少年時代。大学で細川先生に出会ってチャンピオンに育ててもらってチャンピオンとして戦った最強の時代。3連覇して、それでも柔道を続けたいと苦しみ続けた時代、柔道を通していろんな経験をしたし、いろいろ乗り越えてきた。これから若い選手、世界を目指す選手らに技術を含めて伝えていきたいし、心の中に柔道が大好き、柔道への愛、楽しさ。これは自分のじいちゃんに教わったものなんで、子供たちには柔道のすばらしさというものを伝えていきたいなあと思ってます」と述べた。
そして「自分をひとまわり、ふたまわり以上、自分を成長させてくれたオリンピック、5年後には東京でオリンピックがあって、選手としてはもう出れないが、オリンピックにかかわっていければと思います」と2020年の東京五輪への思いも触れていた。
島康介から花束もらい涙、あの時の気持ちは?
また、野村さんにとって柔道とは? という質問には「ほんと人生です」と即答。「特に勉強ができたわけでもなく運動神経もよくなかった。ただ、子供ながらなにかひとつ誇りにもてるものがほしい、そういう思いがあるなかで、唯一真剣になれたのは柔道だった。周りからは弱いといわれて、親父にも『もう無理して柔道せんでええぞ』と言われて、それでも柔道を続けてきて、本当にその中で、柔道が自分に与えてくれたものはいっぱいあるんですよね。そして最後ね、ほんとに競技者として最後になりましたけど、自分の中で誇りに思えるもの、自分が輝ける場所を手に入れることができたんだなあと。それは柔道が与えてくれたもの。だから胸をはって、柔道が自分の人生といえます」と笑顔で答えた。
最後の試合で北島選手と抱き合った時の涙についても質問が飛び「会場で最後応援に来てくださった皆様にあいさつ行こうと思って、間違いなく自分泣くなと思ってたんですよ」と照れ笑いしながら答える野村。
だが「笑顔を貫くぞと思ってたんですけど、そこで両親の顔を見て、家族の顔を見て、涙腺がだめになって、そこに来て康介でしょ。北島康介というのは特別な存在やし。仲いいのに見に来てくれたの初めてで、花束渡してくれて、どうしても泣いちゃいましたね。また、家族と対面したときと違う、いろんなもんと向き合ってきて、戦ってきた後輩であり、親友であり、ああいう形で迎えてくれて、おつかれさまでしたと声をかけてくれたのは、うれしかったし。ただ、北島選手はまだチャレンジの最中だし。野村の戦いは終わったけど、お前はもう一勝負あるぞという思いで花束を頂きました」と力強く語った。
3. 隠善智也「巨人2軍で2053打席立ち続けた男」
ベースボールキング 8月31日(月)11時30分配信
隠善智也「巨人2軍で2053打席立ち続けた男」
お立ち台で村田修一(左)、片岡治大(右)とともに喜ぶ隠善智也(中)�・KYODO NEWS IMAGES
東京ドームのお立ち台には、真っ黒に日焼けした背番号52が上がっていた。
隠善智也、31歳。下世話な見方をすると、この日一緒にヒーローインタビューを受けた村田修一は推定年俸3億円、片岡治大は9500万円。隠善は推定年俸1000万円ちょうどである。
広島国際学院大から06年巨人軍育成ドラフト入団の苦労人。左打ちのシュアな打撃を武器に2年目の08年3月に支配下登録を勝ち取ると、2011年には二軍で打率.325を記録、翌12年は打率.327でイースタン首位打者を獲得した。毎年二軍で3割近いアベレージを残しながらも、一軍にたまに呼ばれても結果を残せず、すぐジャイアンツ球場に逆戻り。そうこうしている内に、気付いたらいい歳だ。
自分より若い選手も増え、年々減るチャンス。それでも2015年は開幕から打撃好調を維持しイースタン第5位の打率.296をマーク。8月28日にようやく今季初の一軍昇格を果たすと、19歳のドラ1ルーキー岡本和真がテレビカメラに追われるのを横目にじっとチャンスを待った。スポーツニュースは「期待の若手」は取り上げても、「三十路の二軍の主力」にはほとんど触れちゃくれない。
そして迎えた30日の中日戦、2点ビハインドの3回裏二死満塁の場面に代打で登場。隠善は一塁への2点タイムリー内野安打を放ち、今季初打席で初安打・初打点を記録。試合後にはお立ち台にも呼ばれ、逆転優勝を狙うチームの3連勝に大きく貢献した。
隠善はプロ9年間でイースタン通算642試合に出場し、計2053打席に立っている。希望に燃えた10代の選手の実戦経験とは訳が違う。ドラフト上位指名ではなく、身長174センチと体格に恵まれているわけでもない。凄い男だ。いつ来るかも分からないチャンスに備えて、2000打席以上に立ち続けたのだから。
補強が多いとか首脳陣が悪いとか、言い訳をするのは簡単だ。プロ野球は、この世の中と同じく理不尽で、当然チャンスの数は平等じゃない。だが、非エリートの叩き上げ選手は、代打でも代走でも使ってもらえるところで地道に出場機会をモノにしていくしか道はない。
「どんな形にせよ俺は絶対生き残ってやる」
隠善智也のギラついたプレーからはそんな意志が感じられる。
巨人2軍でくすぶる若手選手たちよ。今こそ、背番号52から目を逸らすな。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
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BASEBALL KING
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4. 野村監督時代からの伝統 ヤクルト「再生工場」の系譜
スポニチアネックス 8月31日(月)11時11分配信
野村監督時代からの伝統 ヤクルト「再生工場」の系譜
「野村再生工場」で復活した田畑一也
今年のヤクルトには、ある一人の救世主が現れた。その名は山中浩史。昨シーズン途中、川島慶三、日高亮との交換トレードで新垣渚とともにソフトバンクからヤクルトへ移籍してきた。
【写真】力投するヤクルト・山中
昨年までのプロ2年間で勝ち星はなかったものの、6月12日の西武戦でプロ初勝利を挙げると、そこから勝ち星を重ね、無傷の6連勝(8月26日現在)。現在は肉離れで離脱してしまっているが、ヤクルト躍進に欠かせない先発投手だ。
野村克也監督のちょっとしたアドバイスや配置転換、名捕手・古田敦也のリードなどで、復活・開花する選手が多く、「野村再生工場」と呼ばれていた流れも汲んで、ヤクルトの歴史を紐解くと、前球団で活躍できなかった選手や自由契約となった選手が活躍するケースが多い。その系譜を改めて振り返ってみよう。
◎未だ語り継がれる「野村再生工場」
「野村再生工場」で復活を遂げた選手として真っ先に名前が挙がるのは田畑一也だ。1992年のドラフト会議でダイエーのドラフト10位で入団した田畑は、1995年オフに交換トレードでヤクルトへ移籍した。ダイエー時代は2勝しか挙げられなかったが、移籍初年度の1996年に12勝と一気にブレーク。さらに翌1997年には15勝5敗と好成績を残し、チームの日本一に大きく貢献した。
その1997年は、かつて広島で4番を打っていた男の3連発からペナントレースがスタートした。1996年オフに広島を自由契約された小早川毅彦は、巨人との開幕戦で5番打者に抜擢される。その背景には「大学1年、プロ1年目と門出の年に必ず活躍している」という野村監督の読みだった。そして、小早川はその読み通りの、いや読み以上の結果を開幕戦で残した。2回の初打席、巨人のエース・斎藤雅樹から先制本塁打を放つと、1-2で迎えた4回に同点弾。さらに6回には勝ち越しの2ランと1試合3本塁打の大活躍。試合は6-3でヤクルトが勝利し、前年まで3年連続開幕戦で完封勝利を挙げていた斎藤を粉砕した。小早川はこの年、12本塁打を放ち、復活を果たした。
他にもチームの若返りもあって西武から戦力外通告を受け、1996年に移籍した辻発彦は、二塁手のレギュラーとしてリーグ2位の打率.333をマーク。古巣・西武を見返す結果を残した。
◎若松監督時代も「再生工場」は稼働
若松勉監督の下、日本一となった2001年には、2人の投手の「再生」があった。近鉄、広島、巨人と渡り歩いた入来智は、巨人を戦力外となり、ヤクルトに入団。それまでは近鉄時代の1993年に挙げた5勝が最高だったが、強気の投球と古田敦也のリードがハマり、シーズン序盤から活躍。オールスターゲームに監督推薦で選ばれ、弟・祐作(当時巨人)との継投は話題となった。最終的に自己最多の10勝をマークし、日本シリーズでも勝ち投手になった。
もう一人は前田浩継。九州共立大から1998年ドラフト2位でオリックスに入団。2年で戦力外通告を受けてしまったものの、テストに合格しヤクルトとの契約に至った。2000年にプロ初勝利を含む2勝を挙げると、2001年には、先発ローテーションを1年間守り、7勝を記録した。
また、2003年の鈴木健の活躍も見逃せない。西武の4番打者として1997、1998年のリーグ連覇に大きく貢献した鈴木だったが、成績不振もあって2002年オフに金銭トレードでヤクルトへ移籍。開幕戦で岩村明憲が故障したことにより、三塁手としてスタメン出場が増えた。以降、主に5番打者として、岩村の復帰後は一塁手に移り、シーズン終了までレギュラーとして試合に出続けた。その結果、リーグ5位の打率.317、20本塁打、95打点の成績でベストナインとカムバック賞を獲得。36本の二塁打はリーグトップの数字だった。(『週刊野球太郎』編集部)
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山中浩史 、 川島慶三 、 日高亮 を調べる
5. 【新亜細亜野球事情】米国スカウトの高校球児評
デイリースポーツ 8月31日(月)14時12分配信
【新亜細亜野球事情】米国スカウトの高校球児評
米国スカウトからの高い評価を受けている清宮幸太郎
今年、日本初開催のU-18ワールドカップ。スタンドには連日、メジャー球団のスカウトたち、総勢30近くがバックネット裏に通っている。その中には旧知の間柄の人物もいて、つたない英語ではあるが野球話をしていた。するとふと、あるスカウトがこんな問いかけをしてきた。「日本の選手は、なんで誰もが同じようなフォームをしているんだ?」と。特に打者は、軸足に体重を載せ、腕をたたんで下半身をうまく使い…。
【写真】中学2年の清宮に阪神・掛布DCも熱視線
「よく言えば洗練されている。でも自分(米国人スカウト)たちからすると個性がない。個性とは好き勝手という意味じゃない。10人いれば10通りの体格、筋力の違いがある。ならそれぞれ異なったフォームを模索するのが自然。ところが日本の高校生は画一的な体の使い方、動きが多い」。彼は問いかけつつも、答えを知っている。つまり高校の指導者が、強い影響力で選手たちを指導しているから。要は、「型にはめている」と。
「技術はすばらしい。だが小さく完成していて伸びしろを感じられない選手が目立つ。その点、まだ粗っぽい清宮(早実)は素材としての伸びしろを感じさせるね」
一方、別のスカウトは、こんな意見を持ち出した。
「日本の高校野球のレベルは非常に高い。技術、修正能力、なにより守備の洗練さは世界一だよ。でも、対照的にNPBの2軍を見ていても、指導者たち(監督、コーチ)の主義主張が感じられない」。このスカウトは高校野球の人材に頼り、2軍での育成がおろそかになっている、あるいは意識が乏しいと感じているのだ。
ふたりのメジャースカウトが抱く、日本の高校野球へのイメージは賛否が異なる。ただいずれにしても、日本球界の“選手の育成”というものに違和感を抱いているのは一緒だ。
このスカウトはこうも言った。
「日本の高校生は、もっと伸びるポテンシャルを持っている。それは間違いない」
ではその伸びしろを、いかに確実に、より大きくしていくのか。
プロとアマの歩み寄りによって実現した侍ジャパンのU-18代表。関連してさまざまな交流も増えたが、これを契機に今後はより一層、選手の育成面にまで協力と議論を積み上げていってほしい。プロが間違っているということもある。アマが進んでいることもある。議論と交流が増えれば、魅力ある選手はもっと増える。
6. 日本 チェコに15点コールド圧勝!4連勝で1次R首位通過決めた
スポニチアネックス 8月31日(月)20時3分配信
日本 チェコに15点コールド圧勝!4連勝で1次R首位通過決めた
<チェコ・日本>1回無死一、三塁、勝俣が右越えに先制3ランを放つ
アマチュア野球の第27回WBSC U-18(18歳以下)ワールドカップは31日、大阪・舞洲ベースボールスタジアムなどで1次ラウンド第4戦が行われ、初優勝を目指すA組の日本はチェコと対戦。15-0の7回コールド勝ちで4連勝とし、同組首位でのスーパーラウンド(SR)進出を決めた。
【写真】初回、二ゴロに倒れ渋い表情の清宮
日本は1回無死一、三塁、勝俣翔貴(東海大菅生)が、日本の今大会1号となる右越え3ラン。さらに2死二、三塁から杉崎成輝(東海大相模)の左前打で2点を加えるなど、この回打者10人の攻撃で5点を先制した。2、3回の好機で追加点はならなかったが、4回以降も再び猛攻。4回無死1塁、勝俣の右中間への2塁適時打、相手のバッテリーミスなどにも乗じて3点を追加すると、5回には2番・篠原涼(敦賀気比)から3者連続適時打を放つなど4点。6、7回にも加点して圧倒した。
今大会初先発となった森下暢仁(大分商)は序盤こそ得点圏に走者を出したが、中盤以降は安定した投球。カーブを有効に配して打者に的を絞らせず7回3安打無失点、12奪三振の好投で勝利に貢献した。
清宮は「4番・一塁」で先発し、2打席凡退のなか、3回の守備からベンチへ。また、オコエは「1番・中堅」で先発し5打数無安打だった。
A組では米国がオーストラリアを11-1のコールド勝ちで下して1敗をキープ。B組は韓国が台湾を4-3で下して4連勝とし、同組1位でSR進出を決めた。
7. 日本が韓国にストレート勝ち!5連勝で2位浮上 次はセルビア
スポニチアネックス 8月31日(月)21時3分配信
日本が韓国にストレート勝ち!5連勝で2位浮上 次はセルビア
女子バレー日本代表の木村
◇バレーボールW杯・女子大会 日本3―0韓国(2015年8月31日 宮城・仙台市体育館)
リオデジャネイロ五輪出場権を懸けたバレーボールのワールドカップ(W杯)女子大会は31日、仙台市体育館(宮城)などで第7日が行われ、世界ランク4位の日本は同10位の韓国と対戦した。25―17、26―24、25―17でストレート勝ちし5連勝。通算6勝1敗で勝ち点を「18」に積み上げ2位に浮上した。首位のロシアはセルビアにフルセットで敗れて初黒星を喫し首位から陥落。2位米国が首位に立った。
日本はアジア最大のライバル、韓国と激突。ロンドン五輪の銅メダルマッチでも対戦した相手には最近5連勝しているが、“100年に1人の逸材”と言われる世界的なエース・金軟景(キム・ヨンギョン)を擁する難敵を警戒した。試合前に古賀が「スタートからバンバン攻めたい」と話すなど、日本選手は並々ならぬ決意で臨んだ。
第1セットは長岡、木村、古賀、島村、宮下、大竹が先発。序盤から宮下のサーブポイントなどで先行してリズムをつくった。日本がリードする展開も韓国は192センチの金軟景が強烈なバックアタックを決め盛り返す。だが19―16と徐々に詰められてきた日本はサウスポーエースの長岡のアタックなどで5連続ポイントを奪い、そのまま25―17で第1セットを先取した。
第2セットは壮絶な点の取り合い。12―12からは3連続ポイントを許すも、日本は点差を縮めていき大竹のサーブで18―18と追いつく。そして山口のブロックで逆転した。粘る韓国に再びリードを許すが、24―24のデュースからエース木村のアタックなどで連続ポイントを挙げ韓国を振り切った。
第3セットは序盤から古賀や木村のアタックでポイントを稼ぎ韓国との差を広げた。中盤以降は長岡のサーブポイントとバックアタック、そして山口のブロック&アタックなどで効果的に加点。終盤韓国の攻撃に耐えて25―17でストレート勝ちを決めた。
日本は次戦9月1日にセルビアと対戦する。
▽リオデジャネイロ五輪への道 出場枠は12で、開催国のブラジルは決定している。W杯上位2チームが出場権を獲得。アジア、アフリカ、欧州、南米、北中米の各大陸予選の優勝国、16年5月の世界最終予選(東京体育館)で4カ国が決まる。アジア大陸予選は世界最終予選と兼ねて開催される。
ニュース、
1. 人質の店員軽傷 男を逮捕「鈴木」と名乗る
日本テレビ系(NNN) 8月31日(月)9時35分配信
31日未明、愛知県岡崎市のコンビニエンスストアに包丁を持った男が押し入り、男性店員1人を人質にして5時間にわたって立こもった。その後、警察が突入。人質は解放され、男は逮捕された。
警察によると31日午前3時前、岡崎市上和田町の「セブン-イレブン岡崎上和田店」に包丁のようなものを持った男が押し入り、「金はいらない。事務所に入れ。酒を持ってこい」などと店員2人を脅して監禁したという。男は長さ20センチから30センチくらいの刃物を持ち、口元にタオルを巻いていたという。店員の1人は店外へ逃げたが、男は、残る1人の店員を人質にとり、店内に立てこもった。
男は5時間にわたって立てこもったが、午前8時、警察が店内に突入。人質となっていた店員は解放され、男は監禁の疑いで現行犯逮捕された。男は、鈴木と名乗っているという。また、人質となった男性はアゴのあたりに刃物を突きつけられたときに傷を負ったということだが、軽傷だという。
人質をとっている際、男から具体的な要求はなかったが、警察では事件に及んだ経緯や動機について調べている。.
2. 「地中海最大」のガス田、エジプト沖で発見
AFP=時事 8月31日(月)7時28分配信
「地中海最大」のガス田、エジプト沖で発見
イタリアのエネルギー大手ENIのロゴ。ミラノの本社で(2008年2月15日撮影、資料写真)。【翻訳編集】 AFPBB News
【AFP=時事】イタリアのエネルギー大手ENIは30日、地中海(Mediterranean)で見つかったものとしては史上最大の海洋ガス田を、エジプト領海で発見したと発表した。
【過激派の脅威に直面するエジプト】大統領、対テロ法を承認 メディア統制の懸念も
エジプト石油省も、同ガス田の発見を認めた。ENIの声明によると、シュルーク(Shorouk)海上鉱区の深さ1450メートルに位置する約100平方キロの領域に、8500億立方メートルの天然ガスが埋蔵されている可能性があることが分かった。
埋蔵ガスの量は、エジプトの天然ガス需要を今後数十年間にわたり満たす規模で、ENIは「エジプトや地中海で見つかった中では最大で、世界最大級になる可能性もある天然ガス田の発見だ」としている。【翻訳編集】 AFPBB News
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2.群馬大病院の術後死、新たに12例が判明
読売新聞 8月31日(月)3時0分配信 群馬大学病院(前橋市)で肝臓手術を受けた患者が相次ぎ死亡した問題で、第三者からなる新たな医療事故調査委員会(委員長=上田裕一・奈良県総合医療センター総長)の初会合が30日、東京都内で開かれた。
会議後に記者会見した上田委員長は、大学側の調査で新たに12人の死亡が判明し、公表されていた18人と合わせ30人の死亡例が示されたことを明らかにした。今後、診療内容を詳しくみる医学的評価を専門学会に委託。30人の死亡例を中心に問題を調べる。
初会合では、調査対象を2007~14年に同病院で行われた肝胆膵(かんたんすい)(肝臓、胆道、膵臓)の全手術とすることなどを確認した。上田委員長によると、この日は大学側が経緯を説明し、委員が意見交換した。
4. 東京駅前390mの日本一ビル、27年度完成へ
読売新聞 8月31日(月)13時52分配信
東京駅前390mの日本一ビル、27年度完成へ
三菱地所が建設する超高層ビル(イメージ図)
三菱地所は31日、JR東京駅前に高さ約390メートルの超高層ビル(61階建て)を建設すると発表した。
「あべのハルカス」(大阪市、高さ300メートル)を上回り、日本で最も高いビルになる。2027年度に完成する予定だ。
建設予定地は、日本銀行本店に近い東京都千代田区の常盤橋地区にある約3万平方メートル超の敷地。現在はJXホールディングスの本店が入るJXビルや日本ビルなどがある。
国際NPO(非営利組織)の高層ビル・都市居住協議会によると、世界で最も高いのは、ブルジュ・ハリファ(アラブ首長国連邦)の828メートル。現在のランキングでは、三菱地所の新ビルは世界20位前後にあたる。
東京駅前の再開発では、三井不動産と東京建物が八重洲口に、それぞれ高さ245、250メートルのビルを21、23年度に開業させる計画があり、超高層化が進んでいる。
5. 露に拿捕された漁船と乗組員解放、1日にも帰還
読売新聞 8月31日(月)20時43分配信
ロシアの排他的経済水域(EEZ)で操業していた北海道のサケ・マス流し網漁船「第10邦晃(ほうこう)丸」(広尾漁協)がロシア当局に拿捕(だほ)された問題で、外務省は31日、同船と乗組員11人全員が解放されたことを明らかにした。
同船は1日早朝、北海道根室市の花咲港に到着する予定で、11人の健康状態に問題はないという。
外務省によると、同船は31日午後7時頃(日本時間)に解放され、停泊していた国後島沖を出たという。
同船はロシアのEEZ内でベニザケなどを取った後、漁獲枠の超過分を隠して操業記録に残さなかったなどとして7月17日に歯舞群島沖で拿捕(だほ)され、国後島の裁判所に起訴された。外務省によると、同裁判所では8月20日と28日に公判があり、船長(60)や船の所有会社に罰金刑などが言い渡されたという。金額は明らかになっていない。