こんばんは
お天気に恵まれた長井市でした
皆様の地域では如何でしたか?
先日、7月7日の村上大祭
15:00過ぎについて早速見学
まつりはクライマックス
活気と同時に祭りが終わる哀愁もあり、独特の雰囲気です
今年もすべての山車を見れました
みな個性があってすばらしい
長井の祭りにフィードバックできる事柄もたくさんあります
まつりは19基のおしゃぎりが一堂に会して・・・
それぞれの町内に戻っていきます
おしゃぎりが戻った町内では、そのおしゃぎりを囲みまつりを行うとか
すごい文化です
こどもとおとなの一体感を感じる祭りでもあります
そしておしゃぎりと・・・
夏祭りの雰囲気いっぱいの子どもたち
和みます
これは大人になってからも祭りに関わるでしょうね
そうやって時代は巡り巡ってきたのでしょう
ぐうじはおしゃぎりの他に・・・
各町内ごとに違った半纏がステキだと思います
そういった違いを見るのもこの祭りの楽しみ
總宮の半纏に似ています
基本下は白股引なんですね
お宮に奉賛された家にはこの御幣が飾られます
お住いの誇りでもありますね
荒馬とおしゃぎりが帰ってきました
陣太鼓に先導され荒馬が入ってきます
荒馬はおしゃぎりとは別にお神輿とともに渡御します
村上大祭でおしゃぎり19台を先導するのが先太鼓・庄内町笠鉾・荒馬14騎です。
荒馬14騎は、天正15(1587)年、時の領主・本庄繁長(ほんじょう しげなが)が羽黒山の分霊を奉じて凱旋した姿を模したもので、最初に羽黒大権現を祭った地の庄内町の学童が「イヤハイッ」と声を張り上げて轡(くつわ)を鳴らして行進する姿は、城下町の祭りらしい光景です。
荒馬は木製で堆朱を施してあり、後にはそれぞれの武将の旗差物馬標が飾られています。また、荒馬14騎の武将名は、本庄繁長ゆかりの上杉公の軍団にちなみ、名を付けたものです。
この荒馬がいつ頃から始められたかは定かではありませんが、松平大和守直矩自筆の寛文7(1667)年の日記に「荒馬乗・庄内町」と書かれています。
※村上市説明
14基の荒馬にはそれぞれ武将が乗ります・・
こんな感じ
村上大祭のすごいところはここでもあります
荒馬に乗れることは名誉
この後子どもたちは自宅に帰り、この荒馬を飾って、家での宴席となります
子どもたちは、家庭の誇りでもあるのです
この子どもたちも朝の6時から行列について、ここまで・・・
10時間以上荒馬をかぶり、村上市内をお神輿とともに練り歩きます
「いやへー、いやへー」とず~~~っと掛け声をかけながらです
ぐうじも助勤していた時は子どもたちと一緒に街を歩きましたよ
荒馬の仕事はここで終わり
ここでこれから来るお神輿を見送ります
お神輿の先導の巫女さん
この巫女さんもぐうじが務めていた時代に始めたもの
お神輿がやってきました
ここに就くのが神職の務め
ここからお宮はすぐ
神輿が蔵に収まり、村上大祭が幕を閉じます
いい祭りでした
7日が土日祝日にあたると、なかなかいけないのですが、今年は平日で晴れてよかった
そんな荒馬物語なのでした
皆様にはステキな午後をお過ごしくださいませ
おはようございます(^^♪
あらら・・・
まじですか(´◉◞౪◟◉)
今別にもあるんですね~
ググってみましたが、似ています!(^^)!
ありがとうございました(^^)/
XLRの退院、おめでとうございました!
掛かりましたね~~
お互いに維持費はたいへんですよね"(-""-)"
そちらにも荒馬の文化があるのですか。
三厩の隣の今別町に、青森県の無形民俗文化財に指定されている荒馬(あらま)があります。
地区によって今別荒馬、大川平荒馬、二股荒馬があり、衣装や跳ね方等が異なります。
荒馬は今別だけと思っていたので、驚きました。
こちらの荒馬の掛け声は、ねぶたと同じくラッセラーラッセラーなんですよ。
G650クロスカントリーに続き、XLR250Rも約1ヶ月の入院を終えました。
入院費用は、部品代を合わせると10万円オーバーでした。