ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

かってにBest10 ③

2017-12-31 | 読書日記
2017年に読んだ本の中から
心に残った10冊を
選びました。

7冊目は「風神雷神」(柳 広司 2017年8月刊)




俵屋宗達というひとは
何だかとても面白そうなひとだという印象がある。
本作「風神雷神」の宗達像もまことに好もしい。

「墨で描いたようなすらりとした眉
よく見れば、目も鼻も造作のはっきりした端整な顔立ちだが
まぶたが眠たげにぼったりと腫れたように見える。
そのせいか、どこか茫洋とした感じが否めない」宗達を
「(生家で)わき目もふらず図案を写し描きする姿に目をとめた」先代は
扇屋・俵屋の養子に貰い受ける。
宗達は水を得た魚のように
扇の絵を書くことにのめり込んでいく。

扇はモチーフを切り取って小さな画面におさめるもので
そのモチーフは古今の名画から取られる
のだが
この時代(江戸初期)は情報を集めることが難しい。
美術品はみな家の奥深くしまい込まれて
めったに目にすることができない。
生家の唐織屋で着物の柄を写してきたことである程度は情報ストックがある宗達だけど。

養父がそうだったように
宗達には教育欲(ひとの基本的な欲望の一つと言ったのは誰だっただろうか)
を刺激する何かがあったに違いない。

最初に宗達を教育したのは本阿弥光悦だった。
富裕な町衆の家に宗達を連れて行っては
美術品を見せてもらい模写できるようにはからってくれたのだ。

次に宗達を教育したのは公家の烏丸光広だった。
「公卿が所蔵する貴重な門外不出の絵画を
宗達はこの時期、数多く模写する機会を得た」

この時代の他のひとにはないほど
宗達の情報量は増えていく。

問題はオリジナリティだったが
烏丸光広は言いはなつ。
「どーでもよろしおす」
「同じ絵とか、違う絵とか、関係おへんのや。
絵には、ええ絵とつまらん絵があるだけどすよってな」

義父や光悦や光広と同じように筆者の視線もまた温かい。
そして離れている。
(現代にあるのだから)
遠慮なく使われる現代語の数々にそれを感じる。
「一大イベント・醍醐の花見」
「長谷川等伯らライバル絵師」
「何やらかつてのバブル経済のころを思わせる」
「当代きってのアートディレクター・本阿弥光悦」

宗達を取り巻く人たちが魅力的で
その中で
いつ「風神雷神」を描くのか
わくわくしながら読みました。


8冊目は「「活版印刷三日月堂 海からの手紙」(ほしおさなえ 2017年2月刊)




活版印刷
あまんきみこ
銅版画
豆本
・・・・
気の合う人に出会ったような気分でした。

第1話の「ちょうちょうの朗読会」は
4人の若い女の人の朗読会のプログラムを
(貸本屋「ちょうちょぼっこ」みたい)
三日月堂が引き受ける話。

第2話の「あわゆきのあと」は
生後3日の赤ん坊で死んだ「姉」の名前が「あわゆき」だと知った少年の依頼での
姓も肩書きもない名前だけのファースト名刺を
三日月堂が引き受ける話。

第3話の「海からの手紙」は
「あわゆき」という名刺を貰った少年の父のいとこの
「ずっとひとりで暮らしてきた
もう二度と激しい波に身をさらすのは嫌だ」
と思っていた昌代が
三日月堂と出会って
銅版画を再開し
銅版画教室の講師の今泉の
「表現は翼ですよ
精神の翼というのかな
飛ぶことに意味はない
飛びたいから飛ぶ
飛べるから飛ぶ
でも飛ぶためには技術が必要です
だから飛べる人は飛ぶべきだ
僕はそう思うんです」
という言葉に触発されて
三日月堂の店主の弓子と一緒に
表紙に
「作・新美南吉
版画・田口昌代
印刷・三日月堂」
と印刷された豆本をつくる話。

しんと澄んだ水底の世界に住む人たちが
水をかき乱さないようにひっそりと暮らしている
中での
一瞬の揺らぎが描かれている

美しい工芸品のような
一冊です

今年はこれにて失礼いたします。
9冊目と10冊目は
明日

今年一年ありがとうございました。
では
よいお年を








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かってにBest10 ②

2017-12-30 | 読書日記
2017年に読んだ本(およそ170冊)の中から
心に残った10冊を
選んでみました。

4冊目は「利き蜜師物語」シリーズの3巻目
「歌う琴」(小林栗奈 2017年11月刊)




利き蜜師の仙道と弟子の少女まゆは
旅の途中に飛行船の事故によって月の古都に降りることになる。
普段は門が閉ざされていて人を立ち入らせない町・月の古都。
町では
おりしも音楽祭が開かれようとしていた。
年に一度だけ門が開く7日間。

仙道とまゆと同道して来た幼いユーリーは
飛行船で知り合ったエイラの屋敷に泊めてもらうことになる。
エイラがそれを強く望んだのだ。
エイラの家は琴の流派の名門・ザクセン家だった。

北の塔、南の塔、東の塔、西の塔
四つの塔を持つ広大な館には
エイラの父・宗家ハウルと祖父のクレイヴが
弟子たちとともに住んでいた。

館の空気はピリピリとしていた。
祭での演奏の稽古が思うように進んでいなかったのだ。
天才的な演奏者だったエイラの帰還と
天性の耳を持つユーリーの出現が
館の人々の気持ちをかき乱して
小さな嵐となっていく。

一方まゆは
町の宝飾店のウインドウで
銀蜂の彫刻を飾った「箱」を見つける。
銀蜂
・・・・
銀黒王
・・・・

師の仙道の抱える秘密。
師を信頼しながらも新たな想いを芽生えさせるまゆ。
(影が濃くなって立体感を増す人物たち)

「晴れ着姿の子どもたちが、
手にした鈴を鳴らして駆けていく」
祭りの情景。

「何もかも、なくしてしまったわ。
琴の他には何もかも。
だからわたしは西風(琴の銘)を弾くわ」
というエイラのすがた
が心に残ります。


5冊目は
「ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由」(小林せかい 2016年12月刊)




筆者は神保町にある「未来食堂」の店主です。

筆者はひとの居場所になるような
お金のない人が無料で食事ができるような
場所をつくりたい
と思った。
そう思う人は他にもいるだろう。
(あちこちで地域カフェや子ども食堂などの活動もさかんになってきている)
だけど筆者の工夫はひとあじ違う。
(未来食堂は定食1種類だけ(900円)を出す食堂で
その定食は毎日なかみが変わる)

未来食堂には4つの独特のシステムがある。

「まかない」は
50分働くと一食分のチケットが貰えるというシステムだ。
まかないさんはお客でもあるので
店の中は(厨房も)すべてお客にオープンにされることになるし
何の仕事をしてもらおうか考えなくてはならない。
(便の検査を受けていない人は調理はできない)
慣れない人がそばにいる緊張感もある。

「ただめし」というのは
「まかない」で貰ったチケットを店の入り口の掲示板に貼ってもらい
(何時間分ものチケットが溜まってしまっている人など)
他の人に自由につかってもらうシステムだ。

「あつらえ」は
定食の他に何か食べたい人に
小鉢1つ400円で
冷蔵庫にある材料の範囲内で作って提供するシステムだ。
(ランチタイムは除く)

そして「さしいれ」は
飲み物の持ち込み代を無料にする代わりに
その半分を店に寄付してもらうというシステムだ。
ワインやお酒は料理に使われたりもするし
ジュースなどはお客に振る舞われたりもする。

こう書くと常連客がいっぱいの内輪っぽい店のようだけど
筆者が目指すのは螺旋型のコミュニケーションだという。
だれかに好意を受けたとき
その相手に直接返すのではなく
別の誰かに贈る
それが螺旋型コミュニケーションだ。
だからまかないさんの会のようなものもつくらない。
たくさんお金を使ってくれる強いお客をつくらない。
常連客にも「知っていて知らないふりをする」=毎日が記憶喪失のような接客
・・・

知と情のバランスの絶妙さに感心させられます。


6冊目は
「おもちゃ絵芳藤」(谷津矢車 2017年4月刊)




物語は歌川国芳の葬儀の場面からはじまる。

国芳の画塾を手伝っていた弟子の中で一番の年かさの芳藤は
高弟たちに使いに出して葬儀の日を報せるとともに
画塾を引き継いでくれるかどうかの打診もしていた。
才能のない自分では不足だろうと思ってのことだった。
だが
誰も引き受けるものはいない。
結局国芳の次女のお吉が名義を引き受け
実際の運営は芳藤がすることになった。

時代は幕末から明治へと大きく動いていく。
その中で
才能のある弟弟子たちは
みな見事にハンドルを切っていく。

お雇い外国人のコンドルから「アート」という概念を教えられた暁斎は
「アーティスト」への道を歩み出す。
幾次郎は新しく出た「新聞」というものの
「新聞錦絵」に活路を見出す。
西洋画の写実に影響を受けた清親は
光線画というものを描いてもてはやされるようになる。

浮世絵の時代は
もう終わったのか・・・

どんな「機会」が目の前に開けても
芳藤は踏み出すことをしなかった。
小さな違和感がざわざわとするうちは
それは自分の道ではないと思い定めていた。

子どもの「おもちゃ絵」を描いて
僅かの賃金をもらう日々。
どんな安い賃金でも
芳藤は精魂込めるのを忘れなかった。

「虚飾でも虚勢でもない。
おもちゃ絵を作っているとき
どうすれば子供が喜ぶだろうかと首をひねったり
新しい趣向をどう取り入れようかと唸っているのが好きだった」から。

読んでいくうちに
芳藤がどんどん好きになって
この人の人生をどんなふうに着地させるつもりなの・・・
と目が離せなくなってしまいます。








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かってにBest10 ①

2017-12-29 | 読書日記
2017年に読んだ本の中から
勝手に
Best10を選びました。
(順位はありません)

1冊目は「万次郎茶屋」(中島たい子 2017年4月刊)



何度見てもいいこの表紙。
(表紙絵はイラストレーターの福田利之)
表紙の右上ではイノシシがコーヒーいれている。
イノシシ?
「万次郎茶屋」という時代がかったタイトルといい
ついつい引き寄せられる。

読めば
このタイトルを決めたのも万次郎だという。

万次郎は動物園に住んでいるイノシシだ。
でもキリンやライオンと違ってさっぱり人気がない
ので暇だ。
(動物園に暇でない動物がいるかどうかは疑問だけど)

ただ一人エリという女の子だけがたびたび訪ねてくれる。
エリは小学校低学年のときに
クリボウだった万次郎の絵を描いて賞を貰ってから
画家(イラストレーター?)を志すようになった。
万次郎は思う
「大いなる勘違いだ」

ボーイフレンドができると
万次郎の柵の前に連れて来て
「可愛いでしょう?」と聞き
賛成してくれない相手とはすぐに別れる
ということを繰り返していた。
万次郎は思う
「大いなる勘違いだ」

エリは売れっ子になってお金が貯まったら
万次郎を買い取って
万次郎がいるカフェを開きたいと思っている。
万次郎は思う
「カフェに憧れているって、どうして分かったんだろう」

やがてエリは万次郎のアドバイスのもとに小説を書いて
(エリと万次郎は意思の疎通が出来るようになっていた
イエスはブヒッブヒッ ノーはキーッ)
小説はベストセラーになった。
・・・

プロデュース能力のあるイノシシの万次郎と
万次郎を好きなエリ
人からは理解されない世界に住むふたりの
あたたかい物語です。
でも、甘さは控え目
甘いものが苦手な方にも読んでいただけます。


2冊目はかわきものから
「平安京はいらなかった」(桃崎有一郎 2016年12月刊)




千年の都(実際には1200年)・京都の人が聞いたらぎょっとするような題名
だけど
筆者は大真面目に語る。

そもそも平安京は住むためというよりは
「ちゃんとした国だ」ということを示すための外交上の舞台装置として造られたのだ。
舞台装置だから
幅82mのメインストリート(朱雀大路)
その両側の高さ4mの築地塀
外国の使節をもてなすための鴻臚館×2
があって
その装置の中を
使節はまっすぐに進んで一番奥にある大内裏に到達する。

でも
この仕掛けはすぐに不要になった
肝心の
唐使も新羅使も高麗使も来なかったからだ。

大き過ぎる舞台装置(平安京)は
端からぼろぼろと崩れていき
都らしい賑わいがあったのは東北部分の四分の一くらいのものだった。

人々は広すぎる大路を畑にしたりするようになった。
あの藤原道長などは
新しい寺の建設のためにあの羅生門の礎石を使ったしたくらいだ。

その後も平安京のリサイクルは進む。
それは天皇のすまいにも及ぶ。
広すぎる大内裏は持て余され
度々の火事からの再建はなされなくなり
天皇は貴族や皇族の屋敷を内裏にするようになる
間借りする天皇たち・・・

そうしているうちに
大内裏はすっかり野原になって
内野と呼ばれるようになり
武士たちの馬場にされ
ついには戦場(足利義満と山名氏の明徳の乱)にまでなった。
・・・・

今ある京都御所は
ある間借りが固定化した(土御門内裏)もので
もともとの大内裏とはまったく違う場所にある。
(びっくり)

筆者は思う
平安京は四分の一で十分だった。

平安京が四分の一サイズで造られていたら
歴史はどうなっていただろう・・・・

「 知らなかった」の分量の多さで一票。


3冊目は「リラとわたし ナポリの物語1」(フェッランテ 2017年7月刊)




濃厚な一冊だった
と思い出して
どうして濃厚だと思ったのだろう?
と考えてみたら
登場人物たちの「想い」のエネルギーが強いのだった
どのひとも。

タイトルに「1」とあるように
この作品はシリーズもので(2以降はまだ出版されていない)
この巻では
幼い子どもだった主人公たちは
ティーンエイジャーになり
まさに結婚式が挙げられようとする
ところまでが描かれている。
(これから壮年になり、老年になるところまでで全4巻)

物語はエレナの視点で語られる

貧しい人々の住む団地に暮らすエレナとリラ
リラは手のつけられないほどのいたずらっ子だったが
みんながようやくABCを学んでいるころ
もういくつもの単語を読み書きすることができた。
エレナはいつもリラの次、2番手だった。
だからエレナは思った。
「あの子について行こう」

ところが担任の先生のすすめに従って中学校に進学できたのは
エレナだけだった。
エレナの父親が市役所勤めでいくらか余裕があったのに対し
リラの父親は靴職人で
(靴の修理が仕事だった)
余裕がなかったからかもしれない。

進学しなかったリラは
兄とともに父親の靴工房を手伝うようになる。

でもリラは諦めなかった。
エレナと競うように独学を続けた。
エレナがラテン語を学べばラテン語を
ギリシャ語を学べばギリシャ語を。
リラの競争心は逆にエレナを助けた。
リラとともに学んだおかげで
エレナの成績はいつも上位だったのだ。
先生のすすめでエレナは高等学校にも進学する。

痩せっぽっちだったリラは
いつの間にか思春期の少女らしい丸みを帯び
美しくなって
団地じゅうの男の子から心を寄せられるようになった
ばかりでなく
身分違いの食料品店の息子からも
富裕な菓子店の息子からもプロポーズされる。

リラは夢を描いていた。
靴の修理屋でなく
新しい靴を作って売る「靴屋」になるのだ。
リラは学ぶことをやめて
靴のデザイン画を描くようになった。

リラの夢に浮かれていったのは兄の方だった。
・・・・

リラはもっと現実的だった。
今所属している集団から抜け出すのだ。

エレナもまた考えていた
今所属している集団から抜け出したい
と。
・・・・

目の前に立ちふさがる現実の「苦味」を
たっぷりと味わされる少女たち
(登場する少年も)
でも
進んでいく・・・・

「苦味」の描き方が絶妙です。




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和菓子を愛した人たち

2017-12-28 | 読書日記
「和菓子を愛した人たち」(虎屋文庫 2017年5月刊)を読みました。




虎屋のホームページで連載されている
「歴史上の人物と和菓子」の書籍化です。

書いた人が
自ら作ったり職人さんに工夫してもらったり
というお菓子の写真も載っている。

羊羹
については
夏目漱石は
「あの肌合いが滑らかに、緻密に、しかも半透明に光線を受ける具合は
どう見ても一個の美術品だ。
玉と蝋石の雑種のようで、
甚だ見て心持ちがいい」
と言っているし

谷崎潤一郎は
「あれを塗り物の菓子器に入れて、
肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、
ひとしお瞑想的になる」
と言っている。

徳川光圀は元禄13年に
京都のある公家が古希を迎えたお祝いに
紅で寿と書いた
1個260gもある饅頭を100個
(虎屋に注文して)
贈っている。

1853年
ハリスは将軍から贈られた菓子について
「日本の菓子が4段に入っていた。
どの段も美しく並べられ
かたち、色合い、飾り付けなどが
すべて非常に綺麗であった
合衆国に送ることができないことを
大いに残念に思う」
と書き残している。
(再現写真つき)

江戸時代
関白・近衛内前(うちさき)が命名した「蓬が嶋」が
(大きな饅頭の中に小さな饅頭が20個入っているもの
一般的には蓬莱山と呼ばれる)
今も商品として残っている。

などなど
お菓子の話が100 題
室町時代から続く老舗らしい
鷹揚な書きぶりに
好感が持てます。





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チェコの十二カ月

2017-12-27 | 読書日記
気圧計の針が
ぐんぐん下がっています。

「チェコの十二カ月」(出久根育 2017年12月刊)を読みました。
理論社のホームページに連載されている
「プラハお散歩便り」というエッセーの書籍化です。




出久根育は
高楼方子の挿絵を描いているひと。





2002年からチェコに住んでいる。


この本は
チェコの行事のことを書いている。

2月の「謝肉祭」
3月の(4月のこともある)の「復活祭」
12月の「クリスマス」
というよく知られたものばかりではなく
「3人の王様の日」
「魔女焼きの日 」
「死者の日」
などというのもある。

印象に残ったのは
「銀河鉄道のネトリツェ」という章
筆者は芝居を見にネトリツェへ行く

小さな無人駅に観客が集まって
待っていると
くたびれた皮のトランクを引きずった女性や
人を探していると周囲に話しかける人などが
次々にやって来る。
(旅人に扮した役者たち)
しばらくしてメガホンを持った人が現れて
「切符はお持ちですか?」
と聞く。
芝居のチケットではなく切符?
客たちはどよめいて切符売り場に並ぼうとする。
そこへ劇団員がやって来て
芝居のチケットと引き換えに厚紙でできた切符をくれる。
切符を持って線路の上を少し歩くと
列車がとまっている。
乗り込むと
どこに行くかも分からずに座っている客たちの目の前で
いくつものひとり芝居が繰り広げられる
・・・・

やがてひとり芝居は終わり
客たちは列車から降ろされて
松明を掲げてやって来た役者の後をついて行くうちに
ぬかるんだ土で
靴がどんどん重くなる。

現れたのは1台のピアノが置かれた広場

トレーシングペーパーで作られた箱(灯籠?)の置かれた広場
・・・・

物語の 中のようなチェコでの暮らしが
語られます
もちろん
筆者の絵入りで





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運命と復讐

2017-12-26 | 読書日記
歩いていたら
雪混じりの風に飛ばされそうになりました。
冬の嵐です。

「運命と復讐」(ローレン・グロフ 2017年9月刊)を読みました




オバマ前大統領が好きだったという本書
「運命と復讐」というタイトルといい
登場人物の濃さといい
いかにもアメリカ的な感じ。
(というのが既にアメリカに対する先入観?)

前半はロットの誕生から死までが語られる。
裕福な家庭に生まれて
早くに父親を亡くしたロットは
羽目を外しすぎた結果
母親によって寄宿学校に送られる。

大学での演劇活動を生かして役者になるものの
売れないまま日は過ぎていく。
つましい生活を支えているのは
妻のマチルドが画廊で働いた収入だった。
結婚を認めない母から勘当されていたので
援助は望めなかったからだ。
時おり
妹のレイチェルと叔母のサリーが助けてくれた。

ある日
思いついて書いた脚本が認められ
上演されることになり
ロットは
一躍脚本家として脚光を浴びることになる。

ここまでが前半

前半を読みながら
この中にいくつ仕掛けがあるのか
とわくわくする。

あるパーティでのマチルドとの出会い
「その一瞬のうちに
彼は新しい人間に生まれ変わった。
過去が遠くに退くのを感じた。
彼は叫んだ。
「ぼくと結婚してくれ!」
「シュア(はい)」
この言葉とともに
彼の背後で一つのドアが閉まった」

5時間で書き上げた脚本
「ああ、ロット。
とうとうやってくれたわね」
「やったって、何を?」
「すばらしいわ。
でも、こんなに驚くことはないのよね。
あなたに才能があることはわかってたんだもの。
すごいわ
あれをたった5時間で書き上げたなんて」
・・・・

ロットの裏にいるマチルド
後半は
マチルドの視点で語られる

次々に明らかになる「真実」

でも
そのマチルドも知らない第3の「真実」があった。
・・・・


ちょっと濃い目の味付けですが
ミステリとしても
なかなかです











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神様

2017-12-17 | 読書日記
今日読んだ活字(活字中毒なので)の中にあった。

「いまの世の中って、どんどんムダをなくして、効率を良くしようという時代です。
「人間がやらなくてもいい」とか
「面倒なことは機械にさせて、人間はもっとクリエイティブなことをしよう」
という時代です。
でも、そういうムダに見えるものを、どんどん省く時代だからこそ
「手間をかけた集積のところに、人は集まってくる」ともいえるんです」

そういえばミシマ社(出版社)の三島さんが
「ぼくの中では、もう、AIは終わってる」
と言っていたけど

未来は奈辺にあるのでしょう。

川上弘美のデビュー作(パスカル短編文学新人賞受賞)の
「神様」(1998年刊)を読みました。



短編集で
はじめに「神様」最後に「草上の食卓」を配している。
どちらもくまと一緒にハイキングをする話です。

「わたし」のアパートにはくまが住んでいる。
名前は分からない。
くまは
「僕しかくまがいないのなら
今後も名をなのる必要がないわけですね。
呼びかけの言葉としては、貴方、が好きですが、
ええ、漢字の貴方です」
と言う。

くまは川に着くと
手づかみで魚を採り
それを器用にナイフで開きにして
干物にしてくれる。

別れるとき
「干し魚はあまりもちませんから
今夜のうちに召し上がるほうがいいと思います」
とアドバイスしてくれる。

それから何年かたったらしい「草上の食卓」では錆びた金網に囲まれた草原に行く。
(錆びた金網に囲まれた・・・今のくまの暮らしを象徴している?)
くまは、干物に比べると
随分おしゃれな料理を作るようになっている。
鮭のオランデーズソースかけ
いちごのバルサミコ酢かけ
ニョッキ
・・・
「赤ワインもあります。バルバレスコです」
なんて言ったりもする。

敷物を敷いて
料理を並べると
くまは突然
「故郷に帰ることにしました」と告げる。
青年期からこちらに住んでいたくまは
今ではもう動くと息づかいが荒くなるような年齢になっている。
それに少し太ったようだ。
無意識に手づかみでおしゃれな料理を食べてしまったりもする。
「どうもこのごろいけません。
合わせられなくなっている」

天気は急変し雷雨になる。
くまは
雷に打たれながら
おおおおおと吠える。


(自分のうちの
どれくらいが
「合わせるためのもの」なのか
なんて考えてしまいました)

川上弘美
どれくらい引き出しを持っているのだろう
壁一面?



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人工知能と経済の未来

2017-12-11 | 読書日記
雨が降って
道はシャーベット状態

「人工知能と経済の未来」(井上智洋 2016年7月刊)を読みました



筆者は経済学者なので
内容は「経済の未来」寄り

AIが雇用を奪うのではないか・・・
という問いに対して
答えています

いきなり
将来は「純粋機械化経済」というものになって
人間は働く場を失う
と言わずに
まずゆるゆるとした助走からはじまる
この助走が上手くて
この部分がなければ
たぶん
筆者の言っていることが
荒唐無稽だと思ったかもしれない

最初の3章を読むうちに
そうかもしれないと思うようになる
という構成が上手い

結論は
人間は働く場を失い
収入を失うから
ベーシックインカム
(収入の如何にかかわらず
全ての人に無条件に一律の金額を給付する制度)
を始めた方がいい
それも今から
というものでした

(ベーシックインカム=国民配当
という訳語を当てはめれば抵抗はなくなるだろう)

一番印象的だったのは
「人間の価値は有用性(役に立つかどうか)にある」
(役に立つ人になるために教育を受け
社会に出て働く)
という考え方を捨てて
「生きていること自体に意味がある」
というふうに転換しないと
AIが仕事の大半をしている社会では生きていけない
という下りでした

わたしたちは
ついつい有用性を考えてしまう
自分をつくりなおす必要がある
のかもしれない






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青い城

2017-12-09 | 読書日記
「女子ミステリー マストリード100」



に紹介されていた

「青い城」(モンゴメリー)を読みました




以前にも読んだ気がするけど
細かいところまでは覚えていない
「青い城」がミステリ?
だったかなぁ・・・

29才のヴァランシーは
何の希望もない日々を生きていた
厳しいルールと倹約を課する母との暮らし
旧家としての外聞ばかり言い
ヴァランシーが結婚していないことを当てこする親類たち

ある日ヴァランシーは
医者から「あと1年の命だ」と宣告される
ーこれこそ希望ではないかしら
あと1年好きなことをして暮らせばいいのだから!

ヴァランシーは親類たちの集まりで
今まで言えなかったことを思い切り言い放ち
母の小言にも耳を貸さず働きに出ることにする
(旧家の娘なのに)

ヴァランシーの仕事先は
いつも酔っ払っているアベルの家で
未婚の子を産んで
その子を亡くして
今は病気で臥せっているアベルの娘のシシイの看護をすることになった

アベルの家には
町の人たちから「得体の知れない人」扱いされているバーニイも出入りしていた
ヴァランシーはだんだんバーニイ惹かれていく

やがてシシイは穏やかに死を迎え
ヴァランシーは思い切って
バーニイに結婚を申し込む
「1年だけの結婚だから」と

バーニイは結婚を承諾し
ヴァランシーに秘密の部屋にだけは入らないことを約束させる
(ここがミステリ要素)

定番のシンデレラ・ストーリーながら
モンゴメリーお得意の自然描写が圧巻

ヴァランシーが
これまでのお返しに悪態をつきまくるシーンが笑えます
(機知がなくては適切な悪態はつけない)





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誰でもない彼の秘密

2017-12-08 | 読書日記
「女子ミステリー マストリード100」(大矢博子 2015年8月刊)




で紹介されていた

「誰でもない彼の秘密」(マッコール 2015年4月刊)を読みました



作者は実在の作家を探偵役にしたミステリを書いているマッコール
(「若草物語」のオルコットとか
「嵐が丘」「ジェイン・エア」のブロンテ姉妹とか)

この作品では有名な(知りませんでした)詩人のエミリー・ディキンソン(1830〜1885)が探偵役をしている

15才のエミリーは
「アメリカのつましい家庭婦人」という本をバイブルとする母の主義で
家事に追われる毎日を送っていた
(病弱な母は始終寝込んでいる)
バターを(買えるのに)手作りし
家中のものを手洗いし
バスやトイレを掃除し
パンやケーキを焼き
(恵まれない赤ん坊のためのベビー服に刺繍をする)お針の集いに参加し
・・・・

といってもエミリーは何をやっても
まだ12才の妹のラヴィニアに敵わない
ラヴィニアは
料理も掃除も手際よくこなし
姉妹のうちの美人の方と言われ
体も丈夫だ

エミリーは家事に関心がないのだ
やりたいのは
スカートの下に隠し持ったノートに
思いついた詩を書きつけること

ある日
エミリーは1人の青年と知り合う
名前を名乗らない青年(ミスター・ノーバディ)は
もう1度会う約束をしたのに
約束の日
池に死体となって浮かんでいた
初めて会った時とは全く違う
丈の合わないズボンと大きすぎるシャツという姿で

エミリーはミスター・ノーバディの秘密を解き明かそうと
教会に安置された死体を調べたり
真夜中に父親の法律事務所に忍び込んだり
必死の行動を始める
・・・

エミリーの捜査の邪魔をするのが
日々の家事
というのがおかしみです

(タイトルが惜しい)



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