ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

「山學ノオト」

2022-04-29 | 読書日記
「手づくりのアジール」の著者・青木真兵、海青子夫妻の日記
「山學ノオト」①②(青木真兵、海青子著 エイチアンドエスカンパニー刊)
を読みました。



①は2019年、②は2020年の日記です。
奈良県の山村に引っ越して
私設図書館「ルチャ・リブロ」を開いて暮らす日々が綴られます。
(著書「彼岸の図書館」に関する講演活動も)
s=真兵 m=海青子

s午後は久しぶりに落ち着いて読書。
本が読めない日々を送っているようじゃ働き過ぎ。

s名古屋からの帰りのバスの車中では
「彼岸の図書館」の対談箇所をパチパチと直したり
疲れてなくても目を閉じたり。

s現代社会は「みんなのため」にできている。
近代以前は社会が「一部の人のため」のもので、これを封建制と呼ぶ。
僕はこの近代社会が間違っているとは思わない。
ただ、この「みんな」に含まれなかった人たちや
含まれないと感じてしまった僕たちのような人間が
もう一度やり直すための場所が必要ではないか。

s「何かを成し遂げる能力」だけを評価基準にし
その能力を「自分」の基礎に置くことが求められる現代社会は生きづらい。

sそもそも
ただの民家を図書館と言い張って
「開館しています。ご来館お持ちしてます」
と開け放つこと自体が、もう儀式か、見立て遊びのようなものです。

m私は今では恐怖を抱く機会はだいぶ少なくなってきました。
というのも、仮ながら彼岸に暮らし社会の幽霊になったけれど
幽霊暮らしは存外に穏やかで
悪いものではないと分かったからです。
いや、私は初めから幽霊で
それに気がついただけなのかもしれませんが。

sルチャ・リブロが僕の存在を認めてくれるからこそ
社会福祉法人の戦力となって働くことができる。
大前提として、人は存在するだけで価値があるのだけれど
価値の基準は一つではない。
その価値を規定する原理を
二つ持っておくこと。
それが現代の渡世人だ。


日記を読むのが好きです。
次が出たら、それも読みます。










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「手づくりのアジール」 山田洋次はなぜ寅さんをつくったのだろう

2022-04-27 | 読書日記
「手づくりのアジール 土着の知が生まれるところ」(青木真兵著 2021年11月 晶文社刊)を読みました。
「彼岸の図書館」を書いた著者の新刊です。



(山田洋次は、なぜ寅さん(あの映画の)という人物を造形したのだろうか
と、たまに考える。
そんなに魅力的かなぁ寅さん
などと)

著者は古代地中海史の研究者で
障害者の就労支援の仕事をしながら
東吉野村で私設の人文学系図書館「ルチャ・リブロ」を運営している。
表紙の植物画を描いたのは、妻の海青子(みあこ)さん。
「ルチャ・リブロ」の司書をしている。

お金を稼いで、自分で自分の口を養って一人前
という考えが世の中には満ちている。
海青子さんは、司書の仕事をしていた所を退職して
別の仕事に就くも職場でうまくいかず
心身を病んでしまう。
大学への就職を目指して論文を書いていた著者も追い詰められる。
そもそも、それで賃金を得なければ研究者とは言えないのか?
リセット!
そこで著者は
海青子さんが「生きる」ための場である私設図書館「ルチャ・リブロ」
(手づくりのアジール(避難所)をつくり出す。

お金を稼いで、自分で自分の口を養って一人前
という社会を此岸とするならば
寅さんのとらやは此岸(こちら側)である。
此岸からはみ出した人々が生きる場を彼岸(むこう側)とするならば
寅さんは彼岸に生きる人で
ときどきふらりと現れては、また去って行く。
此岸と彼岸を自由に行き来できる境界人(あわいの人)である
と著者は言う。
(そういえばマドンナたちの「寅ちゃん」という呼びかけには
寅さんを尊重しているニュアンスがある)

障害者支援の仕事をしながら
たまに大学で教え
またルチャ・リブロに戻って来る
研究もする
そういう著者もまた、稀少な存在であるあわいの人なのだ。

本書は
著者が「会ってみたい」と思った人との対談集です。

中でも
磯野真穂さんの話が面白い。
「私が目指している学問のスタンスは街のおいしい洋食屋さんなんです。
アカデミアの人って
知らず知らずのうちにみんながミシュランの三つ星レストランになろうとしている。
もちろん、三つ星レストランは大事です。
でもみんながならなくてもいいし
三つ星以外をバカにする必要もないと思う」

いいなぁ
街のおいしい洋食屋さん…



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「花屋さんが言うことには」 日常の謎ミステリ風味の絶対安全本

2022-04-22 | 読書日記
「花屋さんが言うことには」(山本幸久著 2022年3月 ポプラ社刊)を読みました。



主人公の紀久子は
2年勤めたブラック企業をやっと辞めて
次の仕事が決まるまでの間
(グラフィックデザインの仕事をしたいと思っている)
駅前の花屋の店主・外島李多(とじまりた)に誘われてアルバイトをすることになる。
(李多は女性)

花屋のお仕事小説(ちょっと日常の謎ミステリ風味)なので
花と花言葉のうんちくがたっぷり。
加えて
どの人物にも奥行きがあるところがいい。

もと高校の国語教師で今は花屋でアルバイトをしている光代は
短歌や俳句に詳しくて店頭の黒板に毎日
花にちなんだ短歌や俳句を書いている。
ヒマワリをたくさん並べた日は
「列車にて遠く見ている向日葵は少年のふる帽子のごとし 寺山修司」
というふうに。

もう一人のアルバイトの芳賀は農大の研究助手で岩登りが得意。

自分たちのチームで開発したフリル菊を店に置いて欲しいと頼む研究者の伊福部

伊福部の開発チームのリーダーだった森教授

花が大好きな幼稚園児の蘭くん

東京の郊外の一軒家で植物染に取り組んでいる寒河江さん

老舗和菓子屋の店長の結城さん

足のない人物(幽霊)も登場したり
……

物語が進むにつれて
紀久子の花の知識が増えていき
知人が増えていき
ちらほらとグラフィックデザインの仕事も舞い込むようになる。

絶対安全本が読みたいときにおススメです。

それにしても、花屋さんは
肉体労働だなぁ。




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「塞王の楯」 成長小説+仕事小説の時代小説

2022-04-18 | 読書日記
「塞王(さいおう)の楯」(今村翔吾著 2021年10月 集英社刊)を読みました。
直木賞受賞作です。



主人公の匡介は
幼い頃に戦に巻き込まれて父と母と妹をなくし
石垣を積む技能者穴太衆(あのうしゅう)の飛田屋の頭領・源斎に助けられた。
石を見る目を持つ匡介を
源斎は後継に決めている。
誰も破れないような石垣を築いたならば
この世から戦は無くなる
と信じて
匡介は修業に励んでいる。

時は関ヶ原の合戦の少し前。
戦、また戦で
石垣づくりの需要が絶えなかった時代は終わろうとしている。
強度のある野面積みよりも
これからは
表面が滑らかで見栄えのする石垣が求められるようになるのかもしれないのだ。
「切込接(きりこみつぎ)に代表されるような見せる石垣を造り
絵師や塗師のようになるのか
田の畔の石垣を造るような小さな仕事をするようになるのか
穴太衆も変わる時が来たのかもしれない」
と源斎は言う。
ここまでちょうど半分。

さて、後半は…
攻撃されて崩れた石垣を補修しながら城を守る「懸」
(ライバルで
鉄砲造り職人集団国友衆の彦九郎との
鉄砲対石垣の
手に汗握る戦い)が描かれる。
舞台となる城は琵琶湖岸の大津城
城主は京極高次、奥方は初(淀殿の妹)。
(この2人のキャラクターが面白い)

まあ、後半の「懸」が読みどころ
だというのは分かる
けれど
「穴太衆も変わる時が来たのかもしれない」
が課題提示だと思ったので
(個人的には)
その解が読みたかったという気がします。
(暗示はされているのですが)

前半で一冊
後半で一冊
別の本にしたらよかったのではないか
と思います。






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「米澤屋書店」  米澤穂信の読書エッセー

2022-04-13 | 読書日記
「米澤屋書店」(米澤穂信著 2021年11月 文藝春秋社刊)を読みました。




デビュー以来20年の
読書エッセーや作家との対談を集めたものです。

どちらかといえば図書館よりも
(図書館で執筆したことも多いけれど)
「書店が好き」だという著者。
それで、題名が「米澤屋書店」?

とにかく膨大な量のミステリを読んでいる。
で、ミステリーを紹介する隙間に
ちょっと語る。

◯本を選ぶとはどういうことか?
「自由なのだけれど
その自由は、努力しなければ保つことが出来ない。
はずれを引くことが怖くて話題作ばかり読むことも
天邪鬼な気持ちで話題作は決して読まないことも
どちらも自由とはいえない。
自らの好奇心と感受性を信じてそれを鍛え
自分の時間を支払って(!)
本を選ぶ自由を守ることだ」

◯ミステリーの面白さとは
「ミステリーは割り算みたいなものです。
この割り切れない「あまり」にこそ
人間の情や思いがあります」

◯小説とは
「小説って一人が書いて一つの頂点が出来上がる
というよりは
いろんな裾野があって中腹があって
いろんな作品が積み上がって
その上にふっと頂上が現れる気がします。
自分が書いたものが裾野なり中腹なりどこかになれたのであれば
まあ以って瞑すべしかなと思います」

「書きたいものを書くのか
読者が読みたいと思っているものを差し出すのか…
それは大きな問題ですよね」

ほとんどのページがミステリーの紹介に費やされ
まえがきとあとがきも
「ご挨拶より本の話をしませんか」と
好きなミステリの紹介に費やしているくらい。

「ご挨拶より本の話をしませんか」
というタイトルがよかったのでは?








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「同志少女よ敵を撃て」 意外にあとあじがよい

2022-04-11 | 読書日記
現実に「戦争」が起っているのに
「戦争」ものを読むのは……と思って積んであった
「同志少女よ敵を撃て」(逢坂冬馬著 2021年11月 早川書房刊)
本屋大賞に選ばれたということは
それだけたくさんの人に支持されたということだろう。
どういうところが支持されたのだろう
それが知りたくて読みました。



ロシアがソ連だった時代
人口40人ほどの小さな村イワノフスカヤに母と暮らす16才のセラフィマは
高校に通う傍ら
母と銃で害獣を駆除することもしていた。
高校ではドイツ語を学び、将来は外交官になりたいと思っている。
大学進学も決まっていた。
そんなある日
ドイツ軍によって村は襲撃され、母も村人たちも殺されてしまう。
そこに赤軍(ソ連軍)の一団が現れ
セラフィマは危ういところで命を救われる。
何を聞かれても、何も答えられないセラフィマに
リーダーの女性兵士は聞く。
「戦いたいか、死にたいか」
セラフィマは答える。
「死にたいです」
すると、女性兵士は、いきなりセラフィマの母の遺体に火をつける。
セラフィマの胸に怒りが燃え上がる。
「ドイツ軍も、あんたも殺す!敵を皆殺しにして、敵を討つ!」
セラフィマは女性兵士イリーナに
女性狙撃兵訓練学校に連れて行かれる
……

広い意味でのミステリでもある本作は
ここまでのほんの50ページに
作品を貫く「謎」が提示されている。
狙撃兵訓練学校での厳しい訓練も
戦地での実際の戦いも
コツコツと読み進めて行った先に
「謎」の解明が待っている。

世界でただ一国
「女性戦闘員がいた国」(現実に)
を描いたら
現実に戦争が起こってしまった
のが現在地。

読んだほうがいいか
読まないほうがいいか
と聞かれたら
読んだほうがいい
とこたえます。






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「だれでもデザイン」 デザインによって変わる

2022-04-02 | 読書日記
「だれでもデザイン」(山中俊治著 2021年11月 朝日出版刊)を読みました。




著者は
自動改札機、義手、義足、放射線測定機などをデザインしている人。
中高校生に、デザインについての講義をした記録です。
(なので、語りはゆっくり目)

第6章「使いやすいものを作る」では
「ベビースキャン」という放射線測定機をデザインしたことが語られている。
東日本大震災の後
体内の放射性物質がいつもより増えているかを
ホールボディカウンターというもので測定していた。
ところが子どもは
厚い鉄で出来た暗い箱の中で4分間もじっと立っていることができない。
それを解決してほしいと依頼されたのだ。
考えたのは
巻貝のような形の入り口から滑り込んで
(子どもは狭いところにもぐり込むのが好き)
腹ばいになって
持ち込んだiPadで動画を見ながら
測定できる装置。
ブルーとグリーンのさわり心地のよい素材で作られ
曲線的な形をしている。
結果は大成功だ。
(子どもは出てきたがらないほど)

著者は言う。
「大量生産を中心とした近代産業が取り残した
少数者のためのデザイン
そこに
まだあまり多くの人が手をつけていない
未知の
デザインの可能性がある」

「ピンクの義足を作ったら
周りの人が足を失った人の特殊事情ではなくて
個性の一つとして受け入れてくれた。
周りが変わるきっかけを
デザインは作ったんだ」

著者は「大根おろし器」もデザインしているそうです。
大根おろしが大好きだけど
おろすのはいつもちょっとおっくう。
著者デザインのおろし器だったら
おっくうがなくなるでしょうか…




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