「古典モノ語り」(山本淳子著 2023年1月 笠間書院刊)を読みました。
「伊勢物語」「源氏物語」「枕草子」「「落窪物語」「蜻蛉日記」などなどに
出てくるモノにスポットを当てている。
取り上げているのは表紙絵にある
牛車
築地(塀)
橘
犬
ゆする(髪を梳くときに使う米のとぎ汁)
御帳台
扇
……
中でも築地の章が面白い。
平安時代、塀は木ではなく土を固めて作られていた。
だから崩れやすい。
足で蹴っただけでも崩れる。
でも、土だから修理はそんなに難しくない。
なのに
「ものかしこげに なだらかに修理して
門いたくかため きわぎわしきは いとうたてこそおぼゆれ」
(小賢しげにすっきりと修繕して
門を固く閉ざし、四角四面なのは実につまらないことよ
「枕草子」)
修理をしては不粋なのだそうだ。
なぜ修理をしてはいけないの?
それは築地がその家の経済状態を表すからだ。
築地の破れは
家の主である女性を経済的に支える人がいないことを表している。
通って来る男がいないということだ。
通わせる隙がある
「魅力的な哀れさ」の表現なのだ。
著者はこれを「わび住い効果」と呼ぶ。
これは、変わらぬ想いの証でもある。
「源氏物語」の末摘花の荒れた屋敷の様子は
「だれも通う人はいませんよ
ずっとあなた(光源氏)をお待ちしています」
ということを表している
のだという。
なるほど。