ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

ベルリンは晴れているか

2018-10-30 | 読書日記
秋雨の日が続いています。
外に出てみたら
風も強かった。

「ベルリンは晴れているか」(深緑野分 2018年9月刊)を読みました。




舞台は敗戦国ドイツ。
イギリスとアメリカとソヴィエトが
ケーキを分けるようにベルリンを分割して占領している。

父と母を亡くした17才のアウグステは
英語が話せるということで
アメリカ軍の兵員食堂で働いている。

ある夜
突然
合衆国軍憲兵隊が来て
アウグステは
ソヴィエト軍の管理区内の警察署に連れて行かれる。

そこにあった遺体は
戦時中アウグステを匿ってくれていたローレンツ夫妻の夫の方クリストフだった。
クリストフは
アメリカ製の歯磨き粉を歯ブラシにつけて口に入れた途端に倒れたのだという。
妻のフレデリカが最初に疑われた。
そのフレデリカが
アウグステの名前を出したのだという。

誰がクリストフを殺したのか?

アウグステはフレデリカの家で
一枚の写真を見つける。
夫妻に挟まれて立つ幼い男の子、フレデリカの甥エーリヒの写真だ。
「あの子は幼い頃に自分で出て行ったのよ。
生き延びたのなら、26才になるわ」
というフレデリカの言葉………

アウグステはエーリヒを探し出して
クリストフの死を告げることを決意する。
(何故?)

エーリヒがいると考えられるバーベスベルクへの道に現れる
ユダヤ人の俳優カフカ
自作の木炭自動車に乗せてくれる孤児のヴァルター
ヴァルターの仲間のハンス
動物園の元飼育員で
動物を保護しているヴィルマ
ソヴィエト兵のベスパールイ
彼らは味方なのか敵なのか………

謎解きの合間に差し挟まれるアウグステの戦時中の記憶。
学校の授業で教師が言う。
「みなさん、よく見て下さい。後頭部の形を。
北方系の純粋ドイツ人であるフロイライン・ヘルプトは見事な曲線を描いていますが
このユダヤの少女はかなり絶壁です。
必然的に脳は小さくなり、知能が劣ります。
見比べ、観察しましょう」
………


著者名を
もう一度確認したくなります。
深緑野分訳ではなく?




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奇跡の本屋をつくりたい

2018-10-28 | 読書日記
ハナイチゴの葉が赤くなってきて
いよいよ秋も深まって来ました。

「奇跡の本屋をつくりたい くすみ書房のオヤジが残したもの」(久住邦晴 2018年8月刊)を読みました。




表紙の絵はミロコマチコ
装丁は矢萩多聞
ミシマ社の本です。

札幌にあった「くすみ書房」は2015年に倒産した。
店主の久住邦晴さんは
その2年後
ガンで亡くなる。

くすみ書房では
「なぜだ?売れない文庫フェア」
(次郎物語が本屋にないのはなぜ?
尾崎翠が売れないのはなぜ?
売れてないから本屋に置かない。
本屋にないから目に触れない。
……そして絶版になり、消えていく。
でも、本当に売れないの?確かめてみよう)
を開いて
新潮文庫売れ行き1501位〜最下位までの文庫と
ちくま 文庫800点を店頭に置いた。

それから
夕方5時になると
岩波文庫を店内で朗読する企画もやった。

さらに
「中学生はこれを読め」
(中学生に読ませたい500冊)
「高校生はこれを読め」
「小学生はこれを読め」
というフェアをやり
買ってすぐ読みたい人ために
「ソクラテスのカフェ」というカフェも開く。

でも
ついには倒産してしまう………
という哀しい話ではなくて
久住さんは
新しい店を開こうとしていたのだという。
「借金のない経営
きちんと休みのとれる
知的好奇心が満たされる
文化を発信できる
置きたい本だけ置いている
何ものにも束縛されない」
そんな本屋を。


思えば「次郎物語」は
小学生時代のバイブルだったなぁ


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名もなき王国

2018-10-24 | 読書日記
NHKの「美の壷」を見ていたら
装丁家の川名潤という人が出ていて
「本の最後の砦が、紙です」
と言っていた。

そのとき画面にあったのが
この本。
「名もなき王国」(倉数茂 2018年8月刊)を読みました。




「これは物語という病に憑かれた人間たちの物語である」
とはじまる。

小説家・沢渡晶の古びた屋敷には
近所の子どもたちが出入りし
好きなように遊びまわっている。
その中に晶の甥の私(澤田瞬)もいる。
子どもたちの王国(屋敷)は
晶の入院を契機に閉ざされることになる。
もともと晶の生活の面倒を見ていた兄は
王国を快く思っていなかったのだ
………

登場人物たちは
鋏で切り離され
別の物語に貼り付けられる。

瞬は
作家の「私」と知り合う。
二人は酒を飲みながら
「これから書こうと思う物語」について
語り合うようになる
………
(何という甘美な時間)

瞬は結婚している。
妻の名前は未爽。
ライターをしている未爽は
集団で子育てをするNPOナーヴェに足繁く通うようになる。
そして
帰って来なくなる
………

世界は変わってしまっている。
わたし(栞)の住む閉ざされた街には
週に一本だけ電車が来る。
ある日
駅に一人の男が降り立った。
町の人々は
外の世界のことを聞こうと
その男(澤田)の講演会を開く。
澤田は言う。
「都市部ではおそらく意図的に送電線や水道が
壊れるがままに放置されている」
澤田は
美しい姿で昏睡している栞の祖母に会わせてくれと言う
…………


最後に
これらの物語の解のようなものが示されるのだけれど
その頃にはもう
物語られ疲れ
ていて
そんなことはどうでもいいような気がしてしてしまう

のでした。
これは筆者の作戦でしょうか。









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喫茶店の椅子とテーブル

2018-10-24 | 読書日記
あたたかい日が続いています。

「喫茶店の椅子とテーブル 〜村田商會がつないだこと」(村田龍一 2018年8月刊)を読みました。




会社に勤めて
日本のあちこちを回る仕事をしていた筆者の趣味は
喫茶店めぐり。
ついには
目当ての喫茶店に行くために旅に出るようになる。

「自宅でも職場でもない場所に
心落ち着ける場所があることが大切だった」のだ。

そんなある日
ふと入った喫茶店が
月末に閉店することを知る。
店は壊してしまうから
椅子やテーブルは捨ててしまうというのだ。

筆者は思わず
「椅子とテーブル、
僕に頂けませんか」
と言ってしまう。

喫茶店の椅子とテーブルは
筆者の部屋に馴染んだ。

筆者は思う。
「喫茶店の椅子とテーブルは
使い込まれて味わい深く
新品では決して買うことができないようなデザインのものがある」
これらを欲しいと思う人は
他にもいるに違いない。
筆者は
思い切って会社を退職して
閉店する喫茶店の椅子とテーブルを売る
ネットショップ「村田商會」をはじめることにする。

閉店する喫茶店の店主に
「お店が閉店することは寂しい。
だからこそ
椅子とテーブルを
捨てないで
活かしたい」
ということを分かってもらえるように「話す」のが
一番難しいのだという。

という苦労話はさらりと流して
あくまでも主役は椅子とテーブル。

一点一点を
写真付きで
丁寧に紹介している。
(1脚3000円から)


欲のない本です。




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大人のための恐竜教室

2018-10-17 | 読書日記
裏庭に一輪だけ
キキョウが残っているので
秋じまいは
もう少し後にしようかと思います。
そう言っているうちに初雪が来るかもしれませんが。

「大人のための恐竜教室」(真鍋真・山田五郎 2018年8月刊)を読みました。




「ところが
大人になって子どもに恐竜を教えようとしたときに
大きな問題に突き当たりました。
自分が子どもの頃学んだ知識が
およそ通用しなかったのです」(山田)
という山田五郎さんが
質問→真鍋先生
という形で書かれている。

恐竜研究は日々進歩している。
例えば
2017年に正式に学名のついた恐竜は41種
だから
おおまか言うと週に「1」で
「週間恐竜〜今週の発見〜」という雑誌が出てもいいくらいだという。

恐竜研究が進んで
キャラが変わってしまった恐竜も多い。

長い首を水から出して(頭の上に鼻の穴があると復元されていた)歩くブラキオサウルスは
今では
鼻は顔の前にあり
陸上に棲んでいたと考えられている。

卵の近くで発見されたオビ(卵)ラプトル(泥棒)は
卵を採りに来ていたのではなく
巣で卵を温めていたと分かった。
(ひどい誤解)

分厚い頭骨で
激しいぶつかり合いをしていたと考えられていたパキファロ(厚い頭)サウルスは
華奢な首をしているので
ぶつかり合いは無理だと分かった。

恐竜の皮膚は象のような感じ?
と思ったら
部分的(首、背中)に羽毛(カラー)が生えていたり
ウロコ様だったりしていた。
え?
と思ったら
今の鳥も羽毛の部分と脚では質感が違う
そんな感じ
だと言う。

だから
恐竜は「鳥として生き残っている」と言われるのか
と思ったら
「羽毛を持ったものがすべて飛ぶようになったのではなく
一部が飛ぶようになり
その中で絶滅しなかったものが
現代の鳥になっていく」
のだそうだ。

でもまあ
「恐竜は鳥になって
現代もいる。
恐竜は絶滅していない」
と考えたらいい
のだそうです。



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未来職安

2018-10-11 | 読書日記
もうシャツブラウス一枚では寒い
ので
仕舞っておいたトレーナーを出しました。

「未来職安」(柞刈湯葉・いすかりゆば 2018年7月刊)を読みました。




子供のころ読んだSFでは
未来はすっかり機械化(?)されているはずだったけれど
未来になった今
自動掃除機(ルンバとか)は存在していても
私などはいまだに這いつくばって雑巾掛けをしているし
材料を入れるだけの自動調理器というものもあるらしいけれど
いまだに包丁とまな板と鍋を使っている。
古いものと新しいものが混在しているのが
本物の未来なのかもしれない。
本作は、そのあたりのころあいが上手い。
(メイクはボックスに顔を入れると自動でできる
のに
髪は自分でブローしなくてはならない
とか)

生活基本金(今、話題のベーシックインカム)が支給されるようになって
99%の人は働かない暮らしを選び(消費者と呼ばれている)
残りの1%が働いている(生産者と呼ばれている)近未来。
生活基本金はつましい暮らしができるぶんしか支給されないので
いきおい
人々は家族を増やすようになる。

そんな中で主人公の目黒奈津は
家に居たくない
という一心で生産者になることを選ぶ。

奈津の仕事は民間の職安の事務員。
所長は生きた猫(ロボット猫全盛なのに)で
上司はアセクシャルでベジタリアンでキリスト教徒で機械音痴の大塚だ。

大塚が客に紹介する仕事は
インドの日本食レストランで
本当に日本人がやっているんですよ
という証明のために「居る」こと
とか
防犯カメラに写るために歩くこと
とか
・・・・



この作品
濃すぎなくて
ちょうどいいです。


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光秀の定理(レンマ)

2018-10-09 | 読書日記
新刊の「信長の原理」(垣根涼介)を読む前に
既刊の「光秀の定理(レンマ)」(垣根涼介 2013年8月刊)を読んでおこうと思って
読みました。




1人目の登場人物は
道端に
4つの腕を伏せて
そのどれに石が入っているかを当させる賭場を開いて小銭を稼いでいる
僧・愚息。

愚息は空き椀2つを取り除けると
残りの2つに賭けなおすよう客に促す。

2つの椀に石が入って確率は5分5分
なはずなのに
なぜか胴元の愚息に銭は集まっていく。
何故?

2人目の登場人物は
剣の腕を磨き
それで身を立てようとしている兵法者・新九郎。
新九郎は椀の謎に惹かれ
愚息と行動を共にするようになる。

そして
椀の謎に惹かれたもう1人は
浪人・明智十兵衛光秀。

愚息の住まいの片隅で道場を開いた新九郎は
笹の枝で稽古をつけているうちに
反動をつけないで剣を振る技を編み出し
笹の葉流として世に知られるようになる。

愚息は奇妙な念仏を唱えて
(ほにほに〜 地獄極楽 心次第
ほにほに〜 笑って暮らすが 極楽ぞ
ほにほに〜 朝は早起き 夕べはたのし 春は種まき秋は月
ほにほに〜 好きこそものの上手なれ )
村人の法要を執り行い
村人たちに慕われていく。

やがて光秀は
2人の力を借りて後の足利義昭を救い出したことをきっかけに
出世していく
・・・

明智光秀が
なぜ織田信長を討ったのか
という謎の解としては
(愚息の念仏のある言葉が鍵になる)
これまで読んだ中で
一番納得できるものだったのは確かです。





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