ゆらゆら荘にて

このごろ読んだ面白い本

縄文人に相談だ

2019-05-27 | 読書日記
暑いです。

「縄文人に相談だ」(望月昭秀著 国書刊行会 2018年1月刊)を読みました。




縄文人=縄文ZINE
ということで
「縄文ZINE」という雑誌(縄文が大好きなので作った)に寄せられた悩みに
筆者が答えたものです。

◯鉢植えとヒトは対等な関係です。
言いにくいのですが
植物を育ててやっているという上から目線になっていませんか。
(悩みは、鉢植えをいつも枯らしてしまうというもの)

◯良いモノを作るということや
良い仕事をするということには
必ず厳しい目が必要になります。
縄文時代を代表する(新潟県の)火焔型土器。
この土器は、約500年間この地域で作られ続けていたのですが
出土する火焔型土器全ての出来が良く
失敗作が一つもないと言われています。
このような仕事には相当なリーダー・シップが必要だったことでしょう。
(悩みは、リーダーなのに厳しくできないというもの)

◯縄文人は弥生文化に対して
新しいものとしての「憧れ」や「羨望」を持ちながら
自分たちの文化とのあまりの違いにそれを理解することができず
「否定」や「嫌悪」の気持ちも持っていたことでしょう。
素直に弥生文化を受け入れることは
自分たちの文化の否定にもつながるからです。
事実、「弥生時代の構成員になる」グループと
「頑なに縄文生活を貫く」グループに分かれてしまったようです。
(今は違う説もあります)
(悩みは、素直に羨ましいと言えないというもの)

◯縄文時代にも、違う文化圏が合わさったムラがありました。
そこでは時間をかけて別々の土器が融合して
ハイブリッドな土器模様ができたりしました。
きっと
お互いの文化を尊重して
うまくすり合わせていたんじゃないでしょうか。
(悩みは、同居人と合わないというもの)

◯縄文時代に語られていたであろう物語や歌、神話って
もしかしたら
今でいう雑誌みたいなものだったのかもしれませんね。


参考になる……


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家をせおって歩いた

2019-05-26 | 読書日記
今日は、気温が30度を超えるらしいです。

「家をせおって歩いた」(村上慧著 夕(せき)書房 2017年4月刊)を読みました。




家を背負う
象徴的な意味ではなく
本当に「家」を背負って(かぶって)歩いて旅をするのだ↓




荷物(着替えや歯ブラシやパソコン、寝るためのシート)を持って
その上で家を持つのだから
たとえ発泡スチロールとはいえ重いだろう。
そんな重いものを持って、筆者は、青森へ向けて歩き出す。

歩いていると聞かれる。
何のために家をかぶっているのか?
どこへ行くのか?

1日に20㎞ほどを歩く。
最大の問題は「家の敷地」を探すことだ。
地図アプリでお寺や神社を探して行ってみる。
道の駅で頼み込む。
ツイッターで聞いてみる。
(ここで身元の確かな人に対して邪険な人と
大きく開いて受け入れる人に
くっきりと分かれる)
ようやく「敷地」が決まると
家を出て銭湯に行く。
時には電車に乗って温泉に行く。
(入浴しないと疲れが次の日に残る)
コインランドリーで洗濯をする。
ATMが探せなくて、手持ちのお金が数百円になったりもする。

筆者の1日は結構忙しい。
歩いて移動する(数時間)
これはと思った家の絵を描く。
(旅が終わったら個展を開く予定)
記録(日記)を書く。
(ブログとして公開している)

筆者は出会った人の
「変人」あつかい
「自分探しの旅」あつかい
に辟易する

「プライドを捨てるのだ。
ニーチェも言っていた。自分の剣は大きな敵のためにとっておけ。
小さな敵に使って錆びさせるな」

そのうち
ふと
着いた所の街全体が「家」全体に思えるようになってくる。
銭湯が風呂
夕食を食べた食堂がキッチン
自分の背負っている「家」が寝室
……


分かりやすい結論にたどり着かないところが
すごいと思いました。








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ドライブイン探訪

2019-05-20 | 読書日記
ハナイチゴの花が満開です。

話題の
「ドライブイン探訪」(橋本倫史 2019年1月刊 筑摩書房)を読みました。




もう消えかかっているもの「ドライブイン」

今のうちに記録に残しておきたい
と筆者がまず始めたのは
リトルプレス「月刊ドライブイン」をつくること。
2017年の春だった。

それを12号ぶんまとめたのが本書。

筆者がドライブイン巡りを始めたのは2011年。
バンの後部座席に布団を敷き
日本中を走って
ドライブインを見つけるたびに立ち寄った。
その数200軒。

それを再訪したのが今回取り上げられている店だ。
今回は電車とバスを乗り継いで訪問した。
1回目はビールを注文して何時間か過ごす。
立ち去る時に取材のお願いをする。
後日手紙で取材の依頼をする。
OKを貰ったら取材に行く
という丁寧な段取りばかりではない。

「聞かせてもらった話を文章にまとめる上で心がけたのは
表現しないということだった」
そのために
知人(普段はほとんど読書をしない人)に最初の読者になってもらって
少しでも鼻につくところがあれば
指摘してもらって書き直した。

カニ族
ミツバチ族
ハイウェイ時代
オリンピック関連道路
国土開発縦貫自動車道構想
観光バス全盛時代
……

ドライブインが繁盛した当時の世相についても
よく調べている。

お客さんが少なくなった店もあるし
そうでない店もある
……

どんな店にも敬意を持って書いている。
(!)


「今年」がはじまってもうすぐ半年
「勝手にベスト10」の候補にしました。







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中野のお父さんは謎を解くか

2019-05-18 | 読書日記
5月らしく
晴れた日が続いています。

「 中野のお父さんは謎を解くか」(北村薫 2019年3月刊)を読みました。




隙間的な興味には
なかなか同好の士に巡り会えない
という難点があります。

本書は筆者お得意の日常の謎モノ
(日常の謎モノが好きな人は多いでしょうが
頭に「文学」とつくと
読む人はぐっと減ってしまうのではないか
とちょっと心配になります)

「小説文宝」の編集者の田川美希には
高校で国語を教えている父親がいる。
美希は
謎に突き当たったときは
中野に住む父親を訪ねて
謎解きをしてもらう。

毎話出てくるのは美希が担当する作家の面々
この人たちは架空の人物だけど
実在の作家もたくさん登場する。

太宰治の「春の盗賊」という作品に出てくる
「ガスコン兵」というのは何?
と聞くと
中野のお父さんは書庫から岩波文庫を1冊出してくる……

知り合いの編集者・星野洋子の夫が
病床で発した
「洋さんは、キュウリだな」
の意味を考えていると
中野のお父さんは
紙に十二支を書いた……

尾崎紅葉が死んだ時
「先生は甘いものをあんなに食べていたから
早く死んでしまったんだ」
と言った徳田秋声を
泉鏡花が火鉢を飛び越えて殴ったという事件の真相を
中野のお父さんは
金沢の徳田秋声記念館に問い合わせをして
解く……


中野のお父さんが
強度のめまいで倒れて入院する場面が
リアルで
ちょっと心配になります。
(筆者の健康が)









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本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本ー職人が手でつくる谷川俊太郎詩集

2019-05-14 | 読書日記
「本をつくる 書体設計、活版印刷、手製本ー職人が手でつくる谷川俊太郎詩集」(2019年2月刊)
を読みました。




一冊の本のために
「文字」をつくる。

谷川俊太郎の詩集をつくるために。

文字をつくったのは書体設計士の鳥海(とりのうみ)修。
文字をつくる作業は、墨をするところからはじまる。
(え?)
そして、下書きの五十音を筆でなぞっていく。
墨が乾くと、さらに細い筆に白のポスターカラーを含ませて
線を修整していく。
「この「あ」はどこか澄ました感じがしたので
三画目の膨らみを広げてみました。
すると「あ」の中にある3つの空間の大きさが揃い過ぎてしまい
今度は左の空間を少し狭め
最後の払いを気持ち内側へ入れました」
これを
平仮名と片仮名に全部やる。

それをスキャンしてパソコンに取り込み図形化する。
できた文字を
今度はさまざまな単語や文章にしてみる。
「「け」の字で言えば
一画目の撥ね上げを若干短くするとともに
二画目の横棒の入りを細くしています。
さらに三画目の最後も細くしました」

という作業を7校目まで。

ようやく文字が出来上がる。

それを嘉瑞(かずい)工房という活版印刷所で印刷してもらう。
日本語の裏面に英語訳を印刷して
右からも左からも開くようにするために
様式は蛇腹
サイズはA5
日本語は樹脂板でつくり
英語は嘉瑞工房の持つ500あまりの活字(欧米から買い入れたもの)の中から選んだ。

製本は美篶(みすず)堂。
手製本をやっている工房だ。

「書体設計にしろ
組版にしろ
製本にしろ
本にまつわる職人仕事が私たちに見えにくいのは
彼らが意図的にひっそりと息を潜めているからだ。
己を消し、技だけをひたすらに研ぎ澄まして
一冊の本に尽くす」(文・永岡綾)

作業の流れの中に
インタビューや
写真を織り込んで
小さな文字を二段組にしたり
大きな文字で組んだり…
それが少しもうるさくない。

完璧な編集ぶりです。

(ドキュメンタリー映画にどうでしょう?)










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カゲロボ

2019-05-10 | 読書日記
裏庭に
オダマキが咲きました。

「カゲロボ」(木皿泉 2019年3月刊)を読みました。




木皿泉のものを読むと
不思議と
テレビの画面を見ているような
何か一枚透明な板で隔てられているような気がする。
3Dプリンターで作られた小説とでも言ったらいいのだろうか……

◯学校にカゲロボというものがいるらしい
という噂が流れる。
カゲロボというのは
人間そっくりのロボットで
監視のためにいるらしい。
何かしらやましいものを持っている者たちは
おどおどと周りを見回す。
誰がカゲロボなのか?(「はだ」)

◯シニアタレントとして仕事を頼まれた友子が
謝礼として貰ったのは電子金魚だった。(「めぇ」)

◯その終末期医療の病院は
大きな図書館のように壁一面が本棚になっている。
スタッフ(人間)は本型のパソコンを抱えて歩いている。
ここには
行ってみたいところに行けるし
会ってみたい人に(故人でも)会える再現システムがある。(「ゆび」)

◯離婚する時に子どもの親権を争った夫婦には
子どもとそっくりのロボットが貸し与えられる。
でも
どちらが本物の子どもか
夫婦のどちらにも分からないし
子ども本人にも分からないようになっている。
ミカの母はこの頃
寝ているミカの足のサイズをこっそりと測ったりしている。
いつまでも小柄なミカを
本物かどうか疑っているのだ。(「かお」)

短編集です。





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跳ぶ男

2019-05-07 | 読書日記
一晩雨が降って
裏庭の植物たちも
一息ついているようです。

「跳ぶ男」(青山文平 2019年1月刊)を読みました。




藤登藩でニ家だけの能の家の子として生まれた屋島剛(たける)は
6歳で母を喪う。
大地の上にある藤登藩は
水も乏しく土地も少なく貧しい。
母は
崖の下の河原に葬られる。
人一人を葬るだけの土地もないからだ。
なきがらはやがて川にさらわれ海に行くという。

父は後妻を迎え
能の稽古もつけてくれなくなる。
剛は、河原にそそり立つ岩の上で
能の稽古をするようになる。
師匠はもう一家の能の家の子・保。

突然の保の死の後
剛の運命は転換する。
若い藩主が死んで
その身代わりとなることを命じられたのだ。
本当は、いざという時は保が身代わりとなるはずだったのだが
剛は、その身代わりとなったのだ。
身代わりの身代わり……

藩主と藩主の交わりに必要な「品」を贖う財力のない藤登藩にとっては
能による交わりが不可欠だった。

江戸に上った剛は
「藩主」として他家の藩邸招かれては能を演ずることになる。
河原の岩の上でひとり磨き上げた技は
通用するのか……
「ちゃんとした墓参りができる国」にしたいという保の願いへの道は開けるのか……

はじめに演ずることになったのは「養老」だった。
「もともと脇能は清々しくまっすぐなものでございます。
まして養老は山神です。
養老の滝を激り落ちる清澄な薬の水を豊かに産み出す巨大な山塊の神なのです。
背筋をすくっと伸ばして美しく、しかし、力を漲らせて舞わなければなりません」
と目付けの鵜飼に言われて演じた「養老」は
「橋掛りを進み往くときには
もう熱のうねりに突き動かされている。
いよいよ神舞に入っても
特段に速いと感じることもなく
意識せずとも足はずかずかとハコンデ…」
……
という
緊張感のある語りが続いて
少しも飽きさせない。

青山文平70歳
まだまだ登りつめそうな感じがします。





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